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古都 オラディアの空は露草色 その14

 時折、橋を歩く足音がして僕はその度に体をこわばらせフルールに心配をかけた。


「大丈夫、ここなら安全だから」


 そう言ってフルールは僕を抱きしめ、頭を撫でていい子いい子してくれた。


 炎上する隠れ家の近くのゴミ置き場の中で呆然とする僕をフルールは見つけ、そのままここへと連れてきてくれた。


「ちょっと寒いけどがまんして」

「ありがとう、僕は大丈夫だから」

「無理は良くないよ、だから少しのあいだ、こうしてよ」

「そうだね……」


 僕は橋の柱を背もたれにしてあぐらをかき、フルールを太股に座らせなにもせずただギュッとした。


 数十分前、共有の井戸のところで動物の内臓物の臭いを洗い流し、薄汚れた布切れで水を拭き取った。


 ここはドブ川にかかる橋の下。


 木製の橋の付け根に畳にして二畳程度の隙間があって、ここはフルールのお家。


 橋の周りには品粗なレンガ作りの家々が建ち並び、空き地には草が生い茂っていた。


 橋桁(はしげた)の下は日陰のせいか昼間なのに少し肌寒く、立つこともできない狭い空間は四方を木の板に囲まれ、わずかな隙間から出入り。

 キィキィなる木の床には数枚のボロ布が敷かれ角には小さなランドセルサイズの木の箱があって、もちろんロウソクもなにもなく、ただ薄暗く狭い空間が広がっていた。


 そしてさっき水分と汚れを拭き取った布切れは彼女の布団だった。


 ツンと鼻先にすえた苦い臭いがしてフルールの臭いかと思ったらそれは自分の臭い。

 そんな僕の冷えた身体を温めようとしてくれるフルールに、僕はなにも言葉をかけられなかった。


「――ちゃん」

「?」

「ユウリお兄ちゃん、ごめんこんなところで……」


 僕は無言で彼女を強く抱きしめた。


「いっ痛いよぅ」

「ごっごめん」


 木の板の隙間から見える視界には、膝くらいの深さのドブ川と、貧しいレンガ作りの家々が見え、ついとフルールの言葉を思い出した。


『あたしは、恵まれた貧民街の住人。だって、マーテル様に目をかけてもらっているし、こうやって美味しい物も食べれる――』


 フルールの耳元にかかる髪を、指でそっと梳かした。


 それがいまの僕にできること、すべて。


  ◆◇◆◇◆◇


「見慣れない顔じゃな、どごがら来た?」

「あたしのお兄ちゃんです」

「兄貴だ!? 似でいないな……」

「お兄ちゃんですっ!」

「おおぅ、そうか……。兄ざんや、フードをもう少し深く被るんじゃ」

「お兄ちゃん、フードをもっと深くね」

「いま、ごの都はいろんとキナ臭い。気をづげろフルール」


 そう言って痩せ細った老人は固そうな食べかけのパンをフルールに手渡した。


「いつもありがとうです、長老様」


 おかっぱ頭を揺らしながらぺこりと頭を下げるフルールの後ろ、僕も頭を下げありがとうございますとお礼を伝えた。


「……兄ちゃん、上がら来なすっだな?」

「違うもん! あたしのお兄ちゃんだもん!」

「そうだったな……」


 白髪の髪を揺らしながら老人は立つと、小脇に抱える杖を地面に突き立て家々が立ち並ぶ薄暗い路地の中へ消えていった。


「いまの人がそうなの?」

「うん、この一帯を見てくれるやさしい長老様」

「いい感じの人だね」

「うん、いい人だよ」

「と、帰り際に長老様が言った、上から来なすったって……」

「やっぱり長老様はすごい人。挨拶と言葉の感じからユウリお兄ちゃんのことを見抜いたみたい」

「長老様、秘密を守ってくれそう?」

「もちろん大丈夫」


 フルールはにぱぁと笑みを見せお家に帰ろうと言い、僕の右手を掴んだ。


◆◇◆◇◆◇


 雲の隙間からちょこんと顔を出す太陽はもうすぐ西の山々に隠れようとしていて、僕たちを橙色に照らしていた。

 左右にバラック小屋が建ち並ぶ貧民街の道は、家に帰りを急ぐ人たちでそこそこな人通り。


 フルールに手を引っ張られ歩いていくと屋台が立ち並ぶエリアに来たみたいで、いまの時間は食べ物屋さんが多いとか。


 家々の軒下に並ぶ屋台はどれも簡素で最低限の物しか置いていなく、圧倒的に小麦を焼いた食べ物を出すお店が多く、フルールはとある屋台の前で立ち止まった。


 傾く小屋の軒下、串に刺した肉を鉄板で焼く屋台で、若そうな女店主は店先に立つお客さんたちに威勢の良い声をかけながら次々に串肉を売っていた。


「お客さんが多いから少し待とう」


 フルールは僕の袖を引っ張り、道の端に誘導すると座って待とうと言った。

 知らない家の軒下のデッキに腰を下ろす僕たち。

 フルールはさっきもらった食べかけのパンを大事に抱え、僕はなにをするわけでもなく通りを歩く人たちに視線を向けた。


 貧民街だからもっと小汚いイメージだったけどそんなことはなかった。

 ほつれた衣服やボロ服を着る人ばかりだけど、みんな清潔さを保っているように感じきっと女性が多いせいかと思う。


 人通りがあるせいかいろいろな臭いがして、木を削った臭いや下痢のようなすえた臭いに、肉を焼く臭い、湿ったカビのような臭いもして、いつもだったら即座にこの場を立ち去ったと思う。


 待つこと数十分、お目当ての屋台前からお客さんが減ってきた頃、フルールは立ち上がるとトコトコと歩いていき、屋台の裏側に周り女店主となにか話しはじめた。


 僕も立ち上がり屋台の裏に回る。


「これにお願いします」

「長老様のところに行ってきたのか?」

「うん」

「わかっていると思うが、助け合いを忘れるな」

「うん、今度頑張る」

「次は働いて長老様に返せよ」

「大丈夫、二人でがんばるから」


 そう言ってフルールは僕のほうを見た。


「誰だ?」

「お兄ちゃん」

「……そうか。なら、いつもより多めだ」


 女店主は含みの言葉を残しつつ鉄板に付着した肉の焦げカスをヘラでかき集め、フルールから預かったパンに切れ目を入れ、ヘラで焦げカスと油カスを(なす)り付けそのまま無言で手渡した。


 フルールは腰が()り曲がるほど頭を()げ、僕も慌てて頭を下げた。

 無言で。


「これは追加だ」


 無愛想に言いながら女店主はなにかを僕に向けて投げた。


 慌てて落ちそうになるもうまく両手のなかに収めた。


「あぁ……」


 僕は女店主に向かって腰が下り曲がるほど頭を下げた。


 手のひらに一個、乾いて干からびたオレンジみたいなものがコロンと手のなかで転がった。


 ◆◇◆◇◆◇


 橋桁の下のお家に戻るとフルールは「はんぶんこ」と言って肉の焼けた匂いのするパンを半分にちぎり分け僕に渡すも、僕は拒否した。


「やっぱり汚くて無理……だよね……」

「違うよ」

「じゃあ……なんでいらないの?」

「だって……」


 僕は手渡そうとしてきたパンを押し返し、フルールの手のなかにあるほうを手に取った。


「こっちがいいの」


 フルールは半分にしたつもりだけど、あきらかに大きさが違っていて彼女の分は小さくて肉のカケラも少なかった。


 だからそれを奪い取って僕の分とした。


「この果実はきっちり半分コにするからね、いいね」


 皮を含めパックリ半分に割り片方をフルールに渡した。


 そして僕たちは無言のままそれを夕食とした。

 大切そうに一切れ一切れ食べるフルールの姿を横目に、僕は無心で口に入れた。


 フルールは果実の皮までペロリと食べ僕も真似して口を付けるもあまり美味しいものではなく、固く食べかけのパンに塗られた肉の焦げカスと油カスは冷えたせいか白く脂身へと変わり、喉元にひっかかる味。


「美味しいね」

「でしょ。ただのパンだと味気ないしね」


 先に食べ終えたフルールは、指先に付いた焦げカスと脂身を口に含み舐めはじめ、僕の心はギリギリと締めつけられた。


「はむぅ?」


 フルールはきょとんとこっちを見てきて、僕は心の内を見透かされたような気がして誤魔化すように、彼女が口に入れていない人指し指をパクリとくわえた。


「んぎゃっ!」


 驚く声を耳に入れつつ僕は彼女の小さな人指し指を舌の上でコロコロ転がした。


「くすぐったいよぅ」


 身を悶え慌々してきたので僕は調子に乗ってさらに中指もくわえようとしたら阻止され、逆に僕の小指をパクリと噛んできて僕も軽い悲鳴を上げた。


「おかぁえしぃだっ」


 うまく聞き取れないけどなにを言おうとしているか理解でき、そんなこんなで貧しいながらも慎ましく楽しい夕食となった。


 ◆◇◆◇◆◇


 食後、フルールは薄暗いなか、水差し壺から水をコップに注ぎ、木の小箱から鉛筆サイズの生木を取り出し一本を僕に手渡し外に出るよう(うなが)した。


 貧民街にロウソクや暖炉の明りの灯る家は(まば)らで、夜空で光る星々と月が唯一の光源となりそんななか「こうやって使うの」そう言って生木を口に含むとガシガシと噛み始め、すぐに理解できた。

 これは歯ブラシだ。


 橋の下にある猫の額のような地面に二人して座り、黙々と鉛筆サイズの生木を齧り、少しばかり木の味がするけどすぐになれた。


 フルールの口元を見るとささくれていた生木は歯ブラシのようになり、器用に上下に動かし歯を磨いていた。


「これ、難しいね。うまくできない」

「慣れると気持ちいいよ。ここに住んでいる人はみんなこれでやるの。でね、終わったら口をゆすいで終わりだよ~」


 コップの水を口に入れるとガラガラとうがいをして、そのままチロチロと流れるドブ川にペッと吐いた。

「つぎいいよ~」とコップを渡してきたから僕も真似してガラガラペッ。


「ちょっと下に行ってくる~」

「下?」

「うん、おしっこ~」

「いっ……いってら~」


 軽い足取りで川沿いを下っていき、あっという間に見えなくなった。

これがフルールの日常なんだ……。


 僕は砂利の上にぺたりと座り、向こう岸へ視線を向けた。

 星々の明りが頼りの景色は、どこまでも薄暗い。


 そしてその薄暗さは、僕の心の内に広がるものと同じ色。


 今日一日、フルールと一緒に行動してわかった。


 僕の考えていた貧しい生活は全然貧しくなくて、ただの空想上の『こんな感じかな~』って雰囲気だけ。

 そして、想像の範囲から抜け出すことのできない、あくまで架空の貧しさ。


 フルールと深く接してはじめて理解できた。


 貧しいということは、こういうことなんだ。


「なにか考えごと?」


 振り向くとフルール。


「うっうん、ちょっとね……」

「あたしに話せること?」


 そう言ってフルールは僕の隣にちょこんと座った。


「話せるというか……隠れ家が燃え散ったことを考えていた……」

「あっうん……」


 ごめん、フルール。


 そんなこと考えていない。

 だって本当に思っていたこと、言えない。


「貴族様たちからするとあたしたちはどうせ……」


 視線を下に向けたまま言葉に詰まるフルールに僕は、言葉を選びなにか声をかけようと思うも一字一句言葉は思い浮かばず、ただ沈黙だけが流れた。


 フルールと貴族。


 この世界で生きている以上、避けては通れない存在であり、これだけ格差があるということは、様々な理不尽なこともガマンしなくてはならなく――容易に想像できる。


 フルールも僕も思いたくないし考えたくもないけど、ヨーゼルト子爵が裏で手を引いていた――。

そう考えてしまう。


 マーテルさんの隠者の箱船と称する隠れ家を知っているのは限られた人だけ。


 その隠れ家が炎上した前日に偶然なのか必然なのかヨーゼルト子爵は訪れ、僕が作成した相当危険な報告書という名の資料を手に入れ、さらに中身の解説まで僕から聞き出した。


 そして帰り際、口にした。


 この隠れ家からの一切の外出を禁ずる――と。


 家の周りには息のかかった警備する者を配置するとも……。

 これがなにを意味するのか、どんなに鈍い人だってわかる。


 ヨーゼルト子爵は当初『大規模な事』は長引くと言っていた。

 でも僕の作成したものによって『事』の終焉がイメージできたのだろう。


 そう、僕の役目は終わったんだ。

 あのときに――。


 フルールはツイっと視線を夜空に向けため息をひとつ。


「ここで生きていると、いろんなことがあるの……」

「うん」

「楽しかったり、辛かったり、面白かったり、泣きたくなったり、騙されたり……」

「うん」

「ほんとうに、いっぱいあるの。でね」

「うん」

「あたしはいま、しあわせ」

「うん!?」

「だって、ひとりじゃないもん」

「……」


 僕は腰を浮かし、そっと寄り添った。

 二人のあいだにあった隙間を埋めるように。


  ◆◇◆◇◆


 立つこともできない狭い空間、板の隙間から風が流れ込み、時折誰かが橋を渡る。


 冷たい床に敷かれた数枚のボロ布をお布団に、僕たちは抱き合ったまま寝た。


 フルールとは少し会話をしたけど、なにを話したのか思い出せず朝を迎えた。


 朝、目覚めるとフルールはすでに起きていて、僕の腕のなかで、僕が起きるのを待っていた。


「ぐっすり寝れた?」

「こんなに熟睡できたのは久しぶりかな」

「良かった」

「今日は、二人でがんばって、長老様にお返しをしようね」

「……うん!」


 フルールの耳にかかる髪をそっと梳かし、僕はしあわせを噛みしめた。


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