古都 オラディアの空は露草色 その7
「門の前に体格のいい女の人たちがいるでしょ。あそこがそうだよ」
立派な屋敷が並ぶ一角の隅からこっそり覗き見した娼館ユリディアーナは、三階建ての立派なお屋敷。
屋敷の周囲をぐるっとおしゃれなデザインの高い柵が取り囲み、庭には木々や花々が生い茂っている。
門の前には数人の女兵士!?が周囲を警戒していてとても近づけそうにない。
場所のせいか、事変が起きたせいか、通りを歩いている人はほぼ皆無で、女兵士たちの歩く足音だけが響いていた。
僕は貧民街の住人風に変装、少し大きめのサイズの灰色した長袖シャツの袖をまくり、帽子も少し大きめの作業帽を深々と被った。
フルールはいつもの煤けたワンピース姿。
この件が片づいたら、マーテルさんに掛け合ってみるつもり。
少しでもいいから生活が楽になるよう手助けをしたい。
「元は裕福な商人のお屋敷で、数年前にマーテル様の物に。その時から娼館として利用されているの」
「娼館というともっとこう、みすぼらしい感じかと思っていた」
「ここはこの都でも五本の指に入る高級なところで、ほかにはないサービスと衛生もきれいだって聞いたことある」
「そうなんだ……」
二人して建物の角からこっそり覗き見しながら娼館について知る限りのことを、話してくれた。
昼過ぎ頃からお店がはじまり明け方まで。
ご贔屓にしているお客さんは宿泊もできて、値段は高級娼館にしては安いほう。
サービスはいろいろあるみたいで、庭先で裕福なご婦人方々の茶飲み場として利用されたり、パーティー会場として貸し出しや、本の朗読会(きっと閨本)と称して夜会もあり、好評を得ていると。
さらに、僕たちの世界でいうところのヨガ教室もあり人気があるとか。
いわゆる女子会の集まりみたいなものかな。
もちろんベッドの上でおもてなしすることがメインで、このお店で働きたいという人は多く、お客さんは女性のみで相手する娼婦も全員女性。
例外がいくつかあって男性はオーナーと関係者のみ、それに玩具も門をくぐることができると――。
フルールは玩具の意味をたぶん理解していないと思う。
まぁこの年齢で明確に知っていたらそれはそれで怖い。
もっとこう、陰鬱でドロドロしていたものを想像していた自分がなさけない。
「女子校のアップグレード版かな……」
「ジョシコウ? アップグ――?」
「いやなんでもない、独り言」
つい心の本音が漏れた。
僕は一番肝心なことを尋ねた。
二人は大丈夫なのかと――。
それに対しフルールはきっぱりと言い切った。
マーテル様のお知り合いの方に、客を取らせるようなことはさせないと――思う。
「えっと、フルールさん。最後がちょっと不安な感じで言い切ったのはなぜ――です?」
「んーとね。マーテル様はお店を持っている人。でもお店を切り盛りしているのは女店主で、その人がどんな風に考えてるかはわからない……」
どこかネットで読んだことがある。
オーナーや出資者と、実際にお店を運営している人のあいだで考え方に違いがあって、それは良いことでもあり悪いことでもあると。
飲食関係に多いとか。
「もし、もしもだよ。お客さんを取らされることがあっても、嫌々ながらなのはないと思う。たぶん……」
「たぶんですか……」
「だって、中に入ったことないもの……」
「ですよねー。もしかして、フルールはここで働いてみたいと思っています?」
「……わからない。だって、なんとなくしか知らないんだもの、なにをするのか」
「ですよねー」
「もう、ユウリお兄ちゃん、敬語使うのはダメ!」
ほっぺたをぷぅと膨らませぷりぷり怒るフルール、かわいい。
「おい、そこのお前たち!」
門の前にいた体格のいい女性兵士がいつの間にか目の前に立っていて、剣の先を僕たちに向けていた。
「さっきからこちらを見ているがなにか用か。それとも、どこかの情報屋か?」
「ぼっ僕たちはただちょっと……」
「ただちょっとなんだ?」
「……なにかおこぼれに、預かれないかと思い……」
「おこぼれ!? そんなものはここにはない! いますぐどこかへ行け!」
「はっはいっ」
慌ててこの場を去ろうとする僕たち。
立ち上がり元来た道を歩き出した瞬間、僕たちを呼び止める声がした。
「そこで止まれ。一応、身辺調査だ」
女兵士の横からもう一人の女兵士が現れ、僕たちの目の前に立ちふさがった。
「副隊長、ただの薄汚れた貧民街のやつらですよ」
「そうかもしれんが、それを決めるのは私だ」
「しっ失礼しましたっ!」
「お前たち、そこに座れ。そしてもう一度聞く。ここにはなんの用だ。それと名前を言え」
髪を後ろで束ね、軽装な鎧に身を包んだ副隊長と呼ばれた人は僕たちの顔を交互に見ながら、疑いの眼差しを向けてきた。
「僕の名前はユウリ。こっちは妹のフルール。ここには、おこぼれがあったらうれしいなぁと思ってきました……」
「兄妹には、見えんな」
「血は、繋がっていないので……」
「そうか。ユウリとやら、おこぼれと言ったな」
「はっはい」
副隊長は腰を下ろし視線の高さを僕たちと同じにすると、ジッと僕の瞳を見つめた。
少しの間の後、右腕がスゥッと伸びてきて僕の顎を掴み、クィッと上に引き上げ左右に振った。
「見慣れないヤツだな。煤で汚れていてわかりづらいが、わるくない容姿。ふむ、ユウリとやらどうだ、ひと稼ぎ、しないか?」
「ひと稼ぎ……ですか」
「そうだ。私らの兵舎に来い。たっぷり稼がせてやるぞ」
ニヤニヤしながら副隊長はそう言い、僕の脇に立つもう一人の女兵士も僕たちと同じ視線まで腰を下ろし「坊や、わるいようにはしない。気持ち良くて楽しくてそれでいて金を稼げる。妹さんにきれいな服だっておいしいものだって食べさせてやれる。わるいはなしじゃないだろう?」
「えっと……僕はなにをすれば……」
「まったく知らないってわけじゃないだろうに。まっ、初々しくて不慣れなほうのが楽しみ甲斐があるってもの」
「汚くて、のろまな僕がいってもなんにもできないと思います。それに妹を置いていくわけには……」
「じゃ、こうすればいいだけだ」
女兵士はそれだけ言うと僕とフルールの腕を掴み「妹も一緒に来い。前金を渡してやる」と言って僕たちを強引に立たせた。
「そこでなにをしているのです?」
女兵士二人の後ろから声。
「こっこれはフランチェスカ様。此奴らが屋敷の様子をうかがっていたので、なにか用事でもあるのかと尋ねていたところです」
「尋ねて――いたようには見えませんでしたが……」
「こういった奴らには多少なりとも、キツく当たらないと真実を話さないものですから」
「たしかに一理ありますね。ただ……」
白い長袖シャツに深緑色のスカートの裾をなびかせ佇むフランチェスカさんはさらに、この辺りを警備する以上、節度を持って職務に当たってほしいと告げ、二人の女兵士は敬礼をして返答の代わりとした。
「そこの坊や、顔をお上げなさい」
「フランチェスカ様は上げろと言ったんだ!」
「言い過ぎよ、怯えてしまうでしょ。そうね……年齢はギリギリ感があるも幼い表情がいいわね」
「はい、あんなところで朽ち果てるにはもったいないです。ですので私らの兵舎に連れて行き、日々の糧でも恵んでやろうかと思っていたところで、すでに兵舎に来ることは決定事項です」
「フフッ。遊ぶには丁度いいかもしれませんね。ですがこの年頃ですと、デキてしまう可能性もありますよ」
「そこはうまくやりますよ。ブツの下の皮膚の中をチョイと切って繋げてやればぁ、一生安泰でさぁ」
「一生安泰ねぇ。それは貴女たちが、でしょ?」
「そうですが、こいつも一生死ぬまで食いっぱぐれにならずにすみますぜ」
「一生死ぬまで――とはよく言ったものです。されど、やめておいたほうがよろしくてよ」
「なぜです? ないとは思いますが、そちら様で横取り――なんてことはないでしょうね……」
「そんなことはしませんよ。ただね、あの界隈で変な病気が流行っているそうよ。そんなものを、オラディアを守る軍内で蔓延させたなら貴女たち、親族もろとも火刑で消毒されますよ」
「うへっ、それは勘弁です」
女兵士はそう言って一歩二歩と身を引いた。
「貧民街の子たち、もう行きなさい」
「あっと、フランチェ――」
「はい?」
しまった!
つい言葉が出てしまった。
「フランチェスカ様に向かってなんだその態度は!」
檄高する女兵士。
「すっすみません、つい……」
「此奴、本当に貧民街の子でしょうか? 詳しく調べる必要がありそうですよ」
「ぼっ僕はただの貧しい家の子で、なにもないですっ」
「あの界隈に住んでいる割りには些か言葉が丁寧で受け答えも出来る。それに見慣れない髪と瞳の色。どこか怪しいぞ」
欺瞞の目で僕を睨む二人の女兵士。
「私への受け答え、これで許して上げますわ」
そう言ってフランチェスカさんは一歩前に出ると、僕のほっぺたに唾を吐きかけた。
「さあ、それを、お舐めなさい。そうしたら許して上げます。それとも、できないのかしら?」
「フランチェスカ様の慈悲を無下にするのか! おっと、いま思い付いたのですが、もっといいのがありますよっ」
「なんです?」
「どこかの伯爵夫人は用を足した後、ペットに拭わせるそうです。どうですフランチェスカ様、脇道で用を足してきてみては?」
「あら、それはとても面白いわ。でも、それで収まるかしら私の身体が――」
「そのときはそのときですよっ。そしたらその後は、あたしらに回してもらえますかね」
「中々魅力的な提案、ですがさきほども伝えたように流行り病が怖いわ」
「っと、そうでしたね。お前たち、もう行っていいぞ」
女兵士はそれだけ告げるとくるりと背を向け、フランチェスカさんを先頭に屋敷の方へと、歩き出した。
僕たちは無言のまま、急いでその場を離れた。
フルールの手を握り、細い路地を早歩きで進み貧民街へ向かう。
「ユウリお兄ちゃん、ごめんなさい。あたしがもっとしっかりしていればこんなことにならなくて……」
「フルールはまったく悪くないよ。悪いのは僕。周りの状況をきちんと見ていられなかった。それだけ」
フルールの弱々しい声を耳に入れながら立ち止まらず進む僕。
あの時、もっとちゃんと対応、返答しておけば良かったと、後悔の念が積もるもいまはそんなこと考えている暇はない。
戻ろう、仮だけど我が家へ。
ふいにほっぺたに冷たいものを感じ手を当てるとそれはフランチェスカさんが吐きかけた唾で、指先に絡みついてきた。
僕はそっと口に含み、フランチェスカさんの贖罪を受け入れた。