見上げた視線の先に映るものは その2
ヘッドライトが前の車を照らし、夕方から夜に変わろうとしている。
どこか名残惜しそうな雰囲気の水野さんを最寄り駅で下ろして一息ついた頃、如月先生は前方に視線を向けたまま尋ねてきた。
彼女のことを、どう思っているかと。
僕は車のダッシュボードに飾られている、ウサギのぬいぐるみの頭を撫で撫でしながら言った。
かわいいですね――と。
如月先生はブレーキを踏みながら「ほかには?」と言って赤信号で止まった。
「ほかにはですか……。そうですね……先生も気づいていると思います。水野さんは男女ともに密かに人気があります。けど……」
「けど?」
「けど、どこか他人を寄せつけない雰囲気といいますかオーラといいますか、バリア!?みたいなものを、張っているように思います。とと、このことは本人には内緒ですよ」
「内緒、もちろん本人には言わないし、誰にもいわないよ」
「ありがとうございます」
「他人を寄せつけないところ、正直いうと私もそう感じる」
「先生もですか……」
僕は信号機の赤ランプを見つめながらなんでこんな話しをしているのか不思議な気分になって、そのことを聞いてみたら「水野と会話をする生徒はたくさんいる。しかし、一歩踏み込んだ会話をする生徒となると数えるほどしかいない。でだ、その中でも上位に位置する村上、君はどう思っているのかなーって」
プァッ!
ふいに背後の車からクラクションが鳴らされ、前の信号機を見ると進めの青色に変わっていた。
先生は少し驚きながら車のアクセルを踏んで、少し渋滞気味の前方を走る車に追従をはじめた。
「上位ですか……。なんともどこか雲を掴むようなあやふやな質問ですね……」
雲を掴むような――少し前にも似たような会話が脳裏を過る。
「いまの教育事情はいろいろとうるさくてね。こういった生徒同士のプライベートの話しは控えるよう指示が出ているんだよ。村上が答えたくないのならそれでいいし、意見があるのならそれでもいい」
「先生が高校生だった頃に比べいまは大変ですからね~」
「むむっ先生はまだ二十三だぞ、そんなに変わらん!」
「そっそうですよね、数年前ですものね」
むぅっと曇り顔の先生、ちょっとかわいい。
てか二十三才だったのですね。
クリクリした瞳に髪を後ろで束ねた中学生にしか、見えないのですけど。
「村上、話しが脱線したけど水野のこと、どう思う?」
「どう思う……」
先生はそれ以上なにも話さず、それは僕の答えを待っているようで待っていないようで、ただ道路に沿ってハンドルを回していた。
僕の知っている水野さんは、同じ中学からの進学でいまは美術部に所属していて、そこそこ裕福な家庭で、姉と妹がいる。
胸までかかる長い黒髪と黒縁メガネが特徴のふんわりしたかわいい女子。
それだけを、先生に伝えた。
少し前まで水野さん本人は気がつかなかったみたいだけど、男女問わず仲良くしたいと思っているクラスメイトは多い。
そのことは話さなかった。
「つまり君にとって水野は、同じクラスメイトでそれ以上でもそれ以下でもないと――」
「はい、同じクラスメイトで、ほかの人より少し話をしたり、ちょっと絡むことがあるくらいですね」
「そうか……。彼女も大変だなぁ」
「?」
先生はそれを最後に水野さんのことは話さなくなり、交差点の先にあるラーメン屋が美味しいと言ってきて、今度食べに行くかと誘ってくれた。
「いいんですか、先生と生徒がプライベートでそんなことして?」
「問題ないよ、なにか悪さをするわけじゃないんだし」
「まぁそうですね」
その後先生とはいろいろな話しをした。
居酒屋に行っても年相応に見てもらえないからいつも苦労するとか、大人料金の映画チケットを買ったら店員さんが聞いてきたり、平日出歩くと補導されたり、妹がいて私より大人びていて並んで歩くと姉妹逆に見られると。
それに対し僕も話した。
好きな漫画やアニメ、音楽はどんなジャンルなのか、両親、姉ともに性格が明るいから友達や会社、学校での繋がりも多く、僕と正反対な生き方をしていて、両親は姉と僕を比べてくるから凹むときがある。
それがたまに苦痛になることがあるとも付け加えた。
ハッと僕は気づく。
なんでこんなにも自分のことを素直に話せたのか、自分でも驚く。
たぶん、年齢や立場が違いすぎて絡むことがないから逆に安心するからではと、自分なりに考えてみる。
「もうすぐ村上の家。ちょっと楽しかったぞ二人でのドライブ。まるでカップルのようだね」
プッと吹きながら僕も、ひとときでしたが楽しかったと伝えた。
先生は言った。
弟がいたら君みたいな感じだったのかなーと。
そして先生は僕のことが好きだとも付け加えた。
「ありがとうございます、如月美代先生。僕も先生のこと、好きですよ」
「ほほぅ」
「今度のテストの範囲を教えてくれれば、もっと好きになるかもです」
「言うね~。まっ、水野にフラれたらちょっと考えようかなー」
「はい?」
「フフッ。おっとどこで降ろそうか?」
僕は瞬時に考えた。
家の前だと桃乃さんとニアミスするおそれがある。
かと言って遠く過ぎてもあらぬ疑いを掛けられる。
「ちょうどこの先を右に曲がると公園の駐車場があり止められますので、そこで降ろしてください」
「そこでいいの?」
「街灯があって、車の切り返しもできるので先生の帰りが楽になるかと」
「ではお言葉に甘えさせてもらって」
先生はそう言って右にハンドルを切り公園の駐車場へと車を入れた。
「また先生とドライブしてもらえる?」
「ええ、いいですよ。それにラーメン屋さんにも連れて行ってくれる約束ですし」
「おっとそうだな」
僕は、にぱぁと笑顔いっぱいの先生に別れを告げ、車を降りた。
先生に手を振ってお見送り。
車のウインドを開け、手を振り返す先生に僕はお礼を言ってその場を後にした。
僕の横を先生の軽自動車が通りすぎて行く。
家路まで約五分。
僕はゆっくり歩きだす。
時間にして約三十~四〇分程度のドライブ、楽しかった。
見た目はアレだけどやっぱり先生は大人。
話しをしていて安心感がある。
先生は僕のことを好きと言ってくれた。
それはどういう意味の『好き』なのかわからないけど、人に好かれることはとても気分がいいし、それにラーメンも奢ってくれる約束をしてくれた。
チャーシューメン大盛りに餃子も付けてもらおう。
で、なんだかんだ言って今日は疲れた。
お風呂も夕食もパスして、このままベッドに倒れ込みたい気分。
うーん、まるで疲れ切ったサラリーマンのよう。
数軒先、僕の家が見えて一階の窓が明るく、ポンと頭に桃乃さんの顔が浮かび、今日はたしかパスタで一品作ると言っていた。
ソースはなに味だろう。
◆◇◆◇◆
薄暗い灯のなか、郵便ポストからハガキ二通を手に取りカバンに入れ、今度はドアの鍵を取り出し鍵穴に差し込む。
ドアを開け靴を脱ぎ、リビングダイニングに向かうとキッチンスペースに立つエプロン姿の桃乃さんがいて「ただいまですよ。おっと、パスタのソースはなんです?」の僕の問いかけに桃乃さんはくるりと振り向くと「ペペロンチーノでござるよぅ」と言ってまな板の上にあった鷹の爪を手に取り僕の鼻に突っ込もうとしてきた。
「いやいやそれは危険すぎますよっ!」
「きっと眠気が飛んでいいかもよ?」
「では、桃乃さんがお手本、見せてくれます?」
「いや」
「ですよねー」
桃乃さんはむぅと眉毛を斜めにしなぜかご機嫌斜め。
どうして不機嫌なのか聞きたく思うも本能が『聞いちゃいけない』って囁いた気がして聞けなかった。
「ねぇ、あたしに、なにか言わなくちゃいけないことってない?」
「はぃ?」
「あるでしょ?」
僕の鳥頭の脳味噌がフル回転をして告げる『選択を誤ればそれは死――』
数々のストーリー、選択肢が脳裏に浮かび、あぁ、一秒という時間がこんなにも長く感じられることは初めてで、僕は天才犯罪者のごとく答えを導き出した。
「どれです?」
次の瞬間グーが飛んできた。
「じょ冗談ですよっ。もう、桃乃さんはお茶目さんなんだからぁー」
「あたしがお茶目さんなら佑凛お兄ちゃんは、すっとこどっこいの唐変木なりよっ!」
『表現が古っ』と喉の先まで出そうになり慌てる僕。
生前が明治~大正時代だからそうなりますよね。
僕は慌てながらも今日あった事の顛末を一つずつ伝えた。
きっとこれが答え。
学校での他愛もない話題に、美術室での水野さんとのやり取り、そして倒れたこと。帰りは先生が送ってくれたことなどを話した。
美術室で水野さんに弄ばれたことは、やんわりとふんわりした感じに変換して伝えた。
さらに、水野さん本人は自覚していなかった『周りから好かれている、仲良くなりたいと思っているクラスメイトは多い』ことを強調してみた。
話しの途中に割り込むことなく最後まで聞いた桃乃さんは「信じていいのね?」と小さな声で言った。
僕は速攻で「もちろん」と伝えるも桃乃さんの言った「信じて――」はなにに対しての事なのか尋ねようか迷うも、僕は口を開かなかった。
いや、開けなかった――が正しい。
にぱぁとほんわかした笑顔を見せると、僕に背を向けそのままシンクに溜まったお皿を洗い出した。
少し心が痛む。
桃乃さんはお皿を洗いながら「担任の先生が車で送り届けてくれるって、水野お姉ちゃんから連絡があったの」
「そうなんだ」
桃乃さんはくるりと僕のほうを見て「モテモテだね!」
「ですね。モテ期、到来かな?」
「そこは『そんなことないヨー。もう、からかわないでよー』でしょ?」
「はっはい!」
プッと笑う桃乃さん。
僕も釣られて笑ってしまった。
桃乃さんとの掛け合い、嫌いじゃない。
むしろ好きかも。
食器棚に掛けられている僕用のエプロンを手に取り首にエプロン紐をかけ、腰元にも紐を回し形を整えながら伝えた。
洗い物は僕にまかせてと。
それに対し桃乃さんは首をブンブンと横に振り言った。
「二人で洗おう。お皿をキュッキュキュとね」
「……だね!」
二人で洗うには少し小さいキッチンシンク、だけどそこがいいのかもしれない。
幸せって、いろんなところにあるみたい。
その日のペペロンチーノは少し辛くてキュッと心に刺さった。