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見上げた視線の先に映るものは その1

 夕暮れの美術室の片隅、水野さんはデッサン用の男性の頭部を撫で撫でしながら言った。

 昨日のSNSアプリのやりとり相手が桃乃さんで、僕ではないと。

 だけど、直接聞きたいと――。

 あのやりとりに僕が絡んでいないということを。


「内容からして村上君が書き込んでいるなんて思っていないし、疑ってもいない。でも……聞きたいの……」

「もっもちろんだよ、水野さん。あのとき僕は、読むのに疲れてちょっと寝てしまいその間に……」

「本当に?」

「うん、本当です」

「そっか……」

「?」

「んん、なんでもない。んでね、内容――とか聞いた?」

「桃乃さんに訪ねたら、やんわりとはぐらかせられた」

「でしょうね。そういう内容だもの」


 僕の知らないところでなにかが始まりそうな予感がして水野さんに訪ねたら、こちらもやんわりとはぐらかせられた。


「私のお願いを一つ叶えてくれたなら聞いてもいいよ」

「なんです?」


 水野さんはトレードマークの黒縁メガネを外すとポケットに入れ、おでこにかかる髪の毛を払いのけ言った。

 ここにちゅーをしてくれたら、教えてもいいよと。

 意表を付く大胆発言に僕はつい後ずさりしてしまい、テーブルの角に腰を打ちつけ、その場で床に膝を付けた。


「村上君大丈夫!」

「うっうん、ちょっと角にぶつかっただけだから。それよりも水野さんの冗談にびっくりだよ。もう、(もてあそ)ばないでよー」

「……そういう風に(とら)えるんだ村上君……」

「だって、そんなことしたらクラスの男全員敵に回すことになっちゃうし、女子からもなにを言われるかわからないし、いまこうして二人でいるところをクラスの誰かに見られるとかなりまずいことに……」


 これが現実。

 水野さんを慕うクラスのヤローは多く、女子からも一目置かれている。

 クラス最上位グループの女子と、クラス最下位グループの男が美術室の片隅で密会!?していることがバレたら本気であかん。

 キョトンとする水野さん。


 僕は伝えた。

 君を好いている男子は多い。

 それに、君と仲良くなりたいと思っている女子も多いと。

 だから君といるところを見られるのは非常にまずいと。

 さらに僕は伝えた。

 人知れずその辺りに注意を払い、一緒に帰宅するときも同級生たちに出会わないように道順や立ち寄る場所を、選んでいたことを。


 僕の言葉に水野さんは目をまん丸に見開き、ただただ驚いていた。

 そして、その態度に僕も驚いた。


「えっと……、村上君……。私って周りからそんな風に見られて……いたの?」

「はい……」

「……」


 水野さん、自覚、なかったのね……。

 華奢な両肩を小さくギュッとして、目もギュッとつむりなにかを考える水野さん、新鮮でかわいい。

 さらにカァーッとほっぺたが赤くなっていくのがはっきりとわかりかわいさ倍増。


 ので、僕は調子に乗って言った。

 君の可愛さに気づかない男子はいないよと。

 君がモーションかけて断らない男子もいないと伝えた。

 僕の言葉に水野さんはなにか引っかかったみたいで、ひとつ首を傾げた。


「そうなんだ……村上君……」


 なにか反応が変。

 なぜに!?


「えっと、村上君。グゥーで殴っていい?」

「え!?」

「冗談ですよっ」

「ですよねー」

「フンッ!」


 地面に覇気を打ち込む水野さん。

 最近一緒に行動することが多かったせいか、誰かさんに似てきたなぁ。


 で、僕はあからさまに強引に話題を変えた。

 手紙の内容、どう感じたのか訪ねた。


「風景。見える風景が違うんだなーって思った」

「風景?」

「そそ、風景」


 なんとも雲を掴むようなあやふやな返答に僕は自分なりにいろいろと考えてみるも、なにも思いつかない。

 風景!?

 うーん。

 考え込む僕。


「あっと、なんとなく言ってみただけだからそんなに深く考えなくていいよ」

「う~ん、なにかヒントみたいなもの、あるかな?」


 首を捻り水野さんは少し考え込むこと十秒。

 なにか思いついたようでポケットに手を入れ、黒縁メガネを取り出し言った。

 三十秒だけ目を閉じてと。

 僕は言われるまま素直に目を閉じた。


 ふいに耳元に冷たい物が触れ、それはメガネのフレーム。

 どうやら自分のメガネを僕にかけている。

 眉間に水野さんの指先がちょっと触れて、そっちに僕の意識が全力で集中しているのを気づかれないように冷静を保つ……。

 って、自意識過剰すぎるぞ、自分!


 で、目を閉じていても雰囲気でわかる。

 僕の目の前に水野さんの顔があって、つい無意識のうちにクンクン臭いを嗅いでしまい、やばいと思い気づかれないようにコホンと咳を一つして誤魔化してみる。

 誤魔化せたかなぁ……。


「もう目を開けてもいいよ、ゆっくりね」


 その言葉に従いゆっくり目をあけるも、すぐに視線はゆらゆらして焦点が合わず思わず「ウッ」と声が出てしまった。


「大丈夫?」

「メガネは慣れていないせいか変な感じ」


 想像していたより度が強い。

 僕はメガネをかけたまま美術室の室内をぐるっと見渡す。

 デッサン用の石膏像がいびつに見え、壁にかけられた風景画は幻想世界のような不思議な絵にも見え、整列している机も歪んで見えた。


 これが水野さんの見る世界!?

 いや、違う。

 これは水野さんの見る世界じゃない。

 けど、水野さんの見る世界でもある。


 メガネをかけていたら、ちょっとだけど焦点が合ってきたように感じ、あぁなんとなくわかった気がする。

 水野さんの伝えようとしていたこと。


 こっちの世界で太陽は太陽。

 向こうの世界でも太陽は太陽。

 こっちの世界で山は山。

 向こうの世界でも山は山。


 だけど、それは両方の風景を見た僕だから言えることであって、ヨハンさんたちはそれを言えない。

 だって、こっちの世界の風景を見ていないのだから。


 水野さんの横に置かれた胸部から上だけの男性の石膏像、水野さんも同じように見えると思っていた。

 けど、実際は違う。

 僕が見る石膏像と、水野さんがメガネ越しに見る石膏像はなにかが違う――。


「水野さん、ここにジュースの缶があるとして、真横から見ると長方形に見える。けど、上から見ると円に見える。物事は――見る角度によって違い、感じ方!?も違う。風景って、そんな感じ?」


 なにもいわない水野さん。

 メガネ越し、歪む視界のなか、ほんやり見える水野さんは首を傾け微笑んでいるように思え、それだけで僕のモヤモヤは吹き飛んだ。


 度の強いメガネをかけすぎたせいか目元が熱くなり、瞬きが多くなって涙目にもなってしまいメガネを外そうとしたら水野さんに止められた。

 あと一分だけそのままでと。


「私の視界はいま、ぼんやりとした世界が広がっているの。だから近くに寄らないと判別できないの」


 それだけ言うと僕の鼻先まで顔を近づけ、僕の額に指でなにか文字!?を書き出し、さらに小声でなにかを唱え出した。


「――の意のままに」


 すぅっと意識が遠のいていく感覚が襲ってきて僕の体は床に崩れ落ち、そのまま仰向けに寝そべりその弾みでメガネが胸元に落ち、水野さんはそれを拾い上げ自分の顔に掛けた。

 歪む視界から開放された僕の目に映ったのは、僕を見下ろす水野さんでそれはいままで見たことのない得もいわれぬ表情をしていた。


「――桃乃ちゃん特製、ケロケロ液体の力は凄い! なにが凄いのかと言うとね、速吸性が凄いの。まさに国宝級の代物。大丈夫だよ、村上君。後遺症は残らないから、たぶん」

「えっ!?」

「すこーし、少しの間、記憶が飛ぶだけだから安心して。目覚めたらこのこともすっかり忘れているはずだから問題ないよ」


 なっなにを言っているの――。

 口がうまく動かない――。

 言葉にならない――。

 手足に力を入れようとするも入らない。

 というか、手足がないみたいな感覚――。


「もう、村上君がいけないんだよ。私を(なぶ)るようなことを言うから」


 (なぶ)る!?

 床に寝そべる僕に水野さんは馬乗りになって「もう、このまま私を襲わせて既成事実を作ったほうのがいいのかなぁ」


「って……」


「そうだよね、だって村上君は私の――」


「みっみずの……さっ」


「そう、これから村上君は――私を無理やり床に押しつけ、はがい締めにしてシャツと下着をはぎ取り手足を衣類で縛り、悲鳴を上げないよう口のなかに自分の手を突っ込み、そして奪うの。私のすべてを」


「うぅ……」


「そして、誰かに発見されるの。でね、村上君は学校を退学になるの。そして引きこもるの。私は、村上君の慰み者として周りから見られ、汚物のような扱いを受け、日々を生きるの」


「あぅあぅあ……」


「でね、村上君は私を呼び出し監禁するの。両手両足を縛り床に転がし足蹴にして日々のストレスを、私に吐き出すの」


「あぅ……」


「そして村上君は、私の首に首輪を()め、ベッドに深く沈めこう吐くの『お前のせいで人生が狂った』と――。

 そして、もう周りと合わない、二人でしかやっていけない村上君と私がいるの……。

 私たちは、お互いの傷を舐め合い生きていくの。

 素敵じゃない?」


「ぅ……」


「なーんてね。ぜーんぶ私の妄想。そうなったらいいなぁーっていう妄想。

 だって、お金を稼がないと生活できないしね。

 でね、『王様の耳はロバの耳』じゃないけど、このことも覚えていなし誰も聞いていないから言うとね、真淵さんのメールに彼女のことがまったく書いてなかったでしょ。

 あれはね、事前に伝えておいたの真淵さんに。

 村上君を心配させないようにと、書かないでと。

 本当は、あの女のことを、村上君が思い出すのが嫌だからなの。

 それだけ。

 もし、あの世界にまた行くことができたら、あのおもちゃで遊ぼうね。

 今度は、二人して汚すの――。

 おっと、もうそろそろ意識が飛ぶから誰か呼びにいってくる。

 少し、離れるね。

 いい子にしていてね、私の村上君――」


 ◆◇◆◇◆


「貧血にも似た症状だからもう安心していい」

「ありがとうございます、助かりました。ほら、村上君もお礼を言って」

「あっぁりがとぅござぃました……」

「まだ声が安定していないようだから今日は無理せず、早めに就寝するように」

「私はこれから教頭先生たちと懇親会に向かうから、あとはよろしく頼むよ如月先生」


 そう言って年老いた数学の先生は足早に保健室を後にし、如月先生は深々とお辞儀。


「ありがとうございます、如月先生。村上君、急に倒れちゃって私だけじゃどうにもならなく――」

「男一人を引きずってくるわけにもいかんし、救急車に乗ることもなく、なにはともあれよかった」

「ですね」

「でだ、もう一度確認するが村上は、掃除当番に付き合っただけなんだよな?」

「はい、そこは美術部の部長さんに聞いてもらってもけっこうです。今週は私が当番で、今日は少し早く終わらせたく、帰宅部の村上君にお願いして手伝ってもらっていた途中で……」


「それでいいんだな、村上?」

「あー。そうかもしれません――ね」

「歯切れが悪いぞ村上」

「村上君はまだベッドに横になっている身、うまく返答ができなくてもしかたないと思います」

「まぁ水野の言う通りか――。それでだ、これから先生は裏手の出入り口に車をまわすから村上の帰り準備を手伝ってやってくれ。十五分後に」


 如月先生はそれだけ言うと、トレードマークのお団子頭を左右に揺らしながら保健室を後にした。


「村上君、ちょっと体調が優れないかもしれないけど起きて帰る準備、しよ」

「あーっと……そうだね。僕、なんで急に倒れちゃったんだろう……」

「うーん、なんともいえないけど村上君、お昼にパンとパックジュースだけだったからかもよ。目眩からの貧血で倒れた――んだと思うよ」

「たしかにお昼、抜きすぎたかも。明日から気をつけるよ」


 僕はそう水野さんに伝えベッドから起き上がり、枕元に置かれたバックを手に取り立ち上がった。

 少しふらつくけど普通に歩ける。

 よかった。

 水野さんは僕のバックを持ってくれると言ってくれたけど、クラスメイトに見られると厄介なことになるから断った。

 もちろんそれが理由でと付け加えて。


 保健室のドアを開けると廊下はオレンジ色でいっぱいになっていて、厚いカーテンが締め切ってあった保健室内では気がつかなかった。

 校庭や校舎は等しく夕焼け色に染まり、生徒はほとんどいない。

 どうやら一時間くらい寝ていたみたい。


「今日は私の掃除当番に付き合わせちゃってごめんね」

「ううん、ほとんど手伝えなくて申し訳ない」

「そんなことないよ、ちょっと気になっていたことも話せたし……」

「そうだね……」


 その言葉を最後に無言で廊下を歩く僕たち。

 水野さんの言った『気になっていたこと』――それはもちろん昨日のスマホでのやりとりの話し。

 誤解も解けたみたいでよかった。

 それが本音。


 そんな会話の後、僕は倒れたみたい。

 倒れてしまったから記憶がないのは当たり前なんだけど、なんだけど……。

 なにかモヤモヤした感情が心の片隅にあって、じゃあ『それはなに?』って言われると検討もつかないし、思い当たる節もない。

 ただあるのは、掃除当番を手助けしつつスマホでのやりとりの誤解!?が解けたこと。


 正直言うと、いま僕が置かれている立場みたいなもの、嫌いじゃない。

 この幸せが続くといいなぁ。


 開け放たれた裏口の扉の先、薄ピンクの軽自動車の前で如月先生が手を振ってくれている。

 ダッシュボードにクマとうさぎのぬいぐるみが見える。

 僕より少し背が低く中学生にも見える先生、いろいろな意味を含めかわいいぞと。


「水野は最寄り駅まで。村上は、自宅まで送るからちゃっちゃと乗って」


 その言葉に僕たちはお礼を伝えた。


私事にていろいろとあり、更新が遅れました。

すみません。

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