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初夏の香りと僕たち その3

「ほえ~、館長室って金ピカで豪華で威張り散らしているものかと思っていたよー」と、白のシャツと紺のオーバーオールの似合う桃乃さん。


「桃乃ちゃんの想像していたのはドラマや映画で見るような感じかな?」と、グレーのスーツが似合う真淵さん。


「そうそう。広い机を前に椅子に踏ん反り返って、隣に美人秘書が立っていて軽くあしらうの『真淵館長になにか御用?』ってね」

「広い机というのだけは間違っていないね。書類と本が山積みになっているけど」


 プッと笑う桃乃さんと僕。

 てか、床にまで書類と本が山積みで、壁一面の棚には隙あらばなにか様々な物が詰まっていて、唯一のスペースは机の一部と歩くところだけ。


『The・昔の文豪』みたいで一周回ってカッコイイ。


 権威のある『国立所蔵美術館の館長室!』とのギャップの差に僕と桃乃さんはキャッキャッと(たわむ)れている横でただ一人、水野さんは黙々とは本棚に収められた本や、額縁に飾られた英語で書かれた古そうな手紙、棚に掛けられた日本の能面に、机の脇に立つ奇妙な木像を、声を出すことなくジッと見い入っていた。


「なにか面白いものはあったかね?」


 これまた隙がない整ったオールバックの髪形の真淵さんは、水野さんにそう声をかけた。


「いっぱいありすぎて目移りしてしまいます」と、白いシャツと淡いベージュのオーバーオールの似合う水野さん。


女子二人がオーバーオール、流行!?

僕は無難にストライブ柄の長袖シャツに紺のジーンズ。


「これなんてどうかな? きっと気に入ると思うよ」


 真淵さんは机の引き出しからA4サイズの紙を取り出し水野さんに手渡した。

 なにも言わず受け取ると「こっこれは!」カッと目を見開き驚きの声を上げるもそれ以上はなにも話さず、食い入るように見つめた。


 紙にして三枚。

 なにが書いてあるのだろう。


「その様子だとかなり気に入ってもらえたようでうれしいよ。コピー物だけどそれは君のものだ」

「本当ですか! ありがとうございます!!」


 目をキラキラさせて真淵さんに何度もお礼を言い、折り目がつかないよう鞄にしまいこんだ。

 真淵さんにどんな内容なのか聞いたところ、ヨーロッパのゴシック美術時代の前期に、東欧のさる国で書かれた帳簿!?で、状態があまり良くなく半分程度しか解読できていないとか。

 ゴシック!? 時代!? 東欧もどのあたりを指すのかわからない。


 館長が贈るという時点で、それ相応の物なのは確実。

 僕は素直に聞いた。

 貴重で高価な物ではないのかと。


「それについては安心してくれ。これはコピーで、さらに歴史的価値はさほどない。日本歴史に例えるなら戦国時代の、どこかの庄屋が()していた帳簿程度の価値だから『○×長屋ノ八兵衛、酒一升ヲ購入。肴デ鱒二匹』そんな程度の物だ」


 見る人が見ると価値は跳ね上がるがね、とも付け加えた。

 一般人にはただのレシート!?みたいなものだけど、水野さんにとっては相当価値があるみたい。


「もう、今日はこのまま帰ってもいいかな……」

「いきなりなにを言い出すの、本題はこれからじゃない」


 僕の問いかけに「あ、うん」と空相槌(からあいづち)

 真淵さんはパンッ、と手を叩きみんなの注目を集め言った。

 本題に入ろうと。

 そう口にすると椅子の足元に隠れるように置かれた小さな金庫から名刺サイズの()の塊を取り出し、机の上に置いた。


 薄黄土色の蝋の塊は厚さにして二センチくらい。

 真淵さんによると中は羊皮紙で、保護する目的で周りに蝋がコーティングされているとか。


「火曜日の朝方、あの絵画の前にこれが落ちていた。水野君に連絡する一時間前くらいだろうか」

「真淵ちゃんはなかを見たの?」

「いや、見ていない。一人で見るより、みんなで一緒のほうが楽しいだろう。さて、(じゃ)が出るか虎が出てくるか。蝋の封印を紐解くとしよう」


 机の引き出しの中からドライヤーとキッチンペーパーの束に、ピンセット二本、医療用ゴム手袋、デジカメを机の上に並べた。


「難しいことは一切ない。ドライヤーの温風で溶かすだけだ」


 一応、一歩後ろに後ずさりして見ていてほしいとも付け加えた。

 机の上にキッチンペーパーを手際よく広げ、その上に名刺サイズの蝋の塊を置き、少しずつドライヤーの温風を当て始めた。

 真淵さんによると、見た目に反して蝋の溶けが早いそうで、現代の物との品質の差だろうと。

 羊皮紙の束を包む蝋は少しずつ溶けてゆく。

 スン――と鼻に付く臭い。


「水野君、なんの臭いだと思う?」

「そうですね……。ローズマリーに近い感じがします。品種改良された昨今の物とは違い、香りが野生的と言いますか、好き嫌いがはっきり分かれるかと」

「ふむ、いい回答だ。私は苦手だな」

「あたしは嫌いじゃないよー」

「僕は……どちらかというと好きかな」


 三者三様でなかなか面白い結果。


「ふーん、村上君は好きなんだ……」


 はい?

 ジト目の水野さん、なぜに?

 はい?


「思っていたより蝋の層が薄い。もうすぐ御開帳だ」


 一段高いトーンの真淵さんの声。

 その手元を見るとキッチンペーパーにドロドロに溶けた蝋が泥水のように広がっていて、さらに強い香りを放つ。

 水野さんはキッチンペーパーに付着した蝋が不要なら私が引き取ると言って、真淵さんは二つ返事でいいよと口にした。

 小さくガッツポーズをする水野さん。

 そうこうしているうちに羊皮紙を覆っていた蝋はほとんど溶け流れ、何層にも畳まれた状態が見えてきた。


「もう大丈夫かな」


 ドライヤーの電源を切り机に置くと、真淵さんはおもむろに医療用ゴム手袋をはめ、両手にピンセットを持ち、器用に羊皮紙の束を開きはじめた。


「羊皮紙と言われるように、動物の皮をなめして作るんだ。そのため紙質は毛側と肉側に分かれ、毛側は発色が良く、肉側は絵具やインクを吸い込むので固着しやすい。そのため公文書や巻物は肉側に書くことが多かった。どうやらこれは山羊の肉側に書かれている」


 真淵さん、人当たりが良くて、オールバックの似合うおっちゃんにしか見えないけど、やっぱり専門職の人は違うなと。

 僕にはただの皮のような紙のようなものにしか見えない。


「ほぇー、真淵ちゃん。やっぱりすごい人だね。美味しいご飯を食べさせてくれるだけの人じゃないんだねー」

「桃乃ちゃん、あんたは私のことをそういう風に見ていたの?」

「うん!」

「フッ、桃乃ちゃんには勝てないよ」


 両手を腰に当て、ドヤ顔する桃乃さん。

 ちょっと可愛い。

 てか、桃乃さんに勝てるのは誰もいませんよ。

 うーん、なにを基準に勝ち負けを判断するのかわからないけど。


「よし、それじゃ開くぞ」


 真淵さんは息を止め、羊皮紙の端をピンセットでつまみ少しずつ左右に開いていく。

 蝋が少し残っているけど皮で作られた物だけあって破れはせず、時折ハーブの香りも立ち上がりワクワク度が増していく。


 二枚かな?

 そう水野さんは小さくつぶやく。

 二枚だね。

 返答するように真淵さんも。

 開かれた羊皮紙はサイズにして単行本より一回り大きい程度。


「以外と小さいね」


 桃乃さんのひと言に僕も同意。


「一般の紙と違って羊皮紙は、厚くて折り曲げることに適していないからね。これでも薄くて折り曲げもきれいだったから、質にこだわった逸品だよ」

「ほえー」


 見やすいように一枚ずつ机に並べる真淵さんの視界を遮るかのように水野さんは、頭を突っ込んで凝視しはじめた。

 水野さんの頭の隙間から除くと薄茶色の表面に文字が羅列してある紙と、☆や○、▽△が描かれた魔術陣の紙が一枚。


「水野君、なにかわかったかね?」


 真淵さんは落ち着いた声で尋ねた。

 それに対して水野さんは顔を上げひと息つくと「……。とても興味深いものですね……」


「興味深いもの……。君の場合、少し世間からズレた観点で物事を見る傾向があり、なんとも畏怖(いふ)の念を感じるときがある」

「それはお世辞ではなく――なんと(とら)えれば良いのでしょうか?」

「追求者たるもの、円を円と捉えていては駄目だ。違った角度から観察することで真実が見えてくることがある。君は、それを無自覚のうちに実践している。怖いものだ」


 真淵さんは胸元のポケットから櫛を取り出し髪を整えながら、自分がその領域に達したのは三十代の後半だったとも付け加えた。

 なにも答えない水野さん。


「水野君、誤解しないでほしい。私を君の資質を買っている。ただ、ひとつ忠告をするなら、君はまだ若い。物事を広く浅く観察しても良いと思う。君は興味があるもの、惹かれるものに、強く深く沈む傾向がある」


「深く沈む傾向――。なんとも面白い表現ですね」

「フフッ。伊達に国立美術館の館長の椅子に座っていないものでね」

「世界に冠たる美術館のトップの御言葉、しかと拝命致しましたわ」


「ほぅ……。とある哲学者を評した書籍のなかで『哲学者は「物事には本質がある」と思い込んでいる。しかしそれは単なる幻想』と記してあった。君はオカルティズムのなかに潜むイデアを探求しているが、深入りはあまりしないほうがいい。ややもすると徒労に終わり、後悔と落胆だけが残るかもしれない」


「人々の想像、空想世界を、一枚のキャンバスに閉じ込めた傑作揃いの作品群を管理監督する御立場の方の発言とは、思えませんね。身を削り魂を捧げた画家たちが聞いたら、どう思うでしょうね」


「『何々だからそのような思考、発言は良くない』と論じるあたり、やはり君も年相応、まだ若い。ホッとしたよ」

「……私を気づかうお言葉、肝に命じておきますわ……」


 二人は互いに見合わせ、奇妙な笑みを浮かべた。

 なんとなく、二人の会話に入っちゃいけないような気がする。

 というか入る隙がない。

 雰囲気からして、真淵さんの勝ち――のよう。


「んもー、すぐに話が脱線するー。そういうのは別のときにしてよねー」

「ごめんごめん、つい夢中になってしまって」

「まぁいいけどね。あたしは佑凛お兄ちゃんと夢中になるからー」


 僕と夢中?

 鋭い視線を感じて横を振り向くと水野さん、まん丸メガネのフレームをクイッと持ち上げ桃乃さんにレーザービームのような視線を送っていて「おー怖っ」と真淵さんは独り言をつぶやき、それに女子二人は敏感に反応してキッと睨み、あ、うん……真淵さん、死相が見えてますよ。

 この場の雰囲気を変えるため、僕は意を決して口にした。


「ちょっと休憩にしません?」



 ◆◇◆◇◆


「んで、なんて書いてあるの?」


 ミルクたっぷりのホットミルクティーを傾けながら桃乃さんは尋ね、真淵さんはアイスティーをチビチビ飲みながら「冷房強い?」と言い、女子二人はハモるように「ちょっと……」と言ったので僕は無言で壁に備え付けられたリモコンボタンを操作して温度を二度上げた。


「ありがとう村上君」

「さすがあたしのお兄ちゃん!」

「桃乃ちゃん、以前も伝えたはずだけど、村上君と血がつながっているわけでもないのに、お兄ちゃん呼ばわりはどうかと思うわ」


 メガネをクイッと釣り上げ水野さんははっきりと口した。

 それに対して「えー、妬いてるの? お魚、焼き焼きってね」


「違います。お魚も焼いてませんっ」

「えー、じゃあ、このままでもいいじゃんよぅ」

「第三者が見聞きしたら誤解を生むでしょっ」


 ピシャリと水野さん。


 二人の掛け合いが真淵さん的にツボに入ったのか「んもー、すぐに話が脱線するう゛。そういうのは別のときにしてよねえ゛」と、声のトーンを一段上げ裏声で言ってきたので、僕も「ごめんごめん、つい夢中になってしまって」と言って、僕は桃乃さんにペチンと叩かれた。


「桃乃ちゃん、叩くタイミング、早いよ。続きを言わせて――」


 真淵さんはグーで殴られた。


 プッと噴き出した僕は「美術館トップの方の発言とは思えませんね」とつい軽い気持ちで言ったら水野さんに「村上君、いっぺん死んでみる?」と真顔で言われ、ごめんなさいをしたら「フフッ、冗談よ。でもー、ちょっと傷ついたから、これは一つ貸しね。あとで私の願いを叶えてね」と言われ、素直に頷く僕。


「んもー、すぐに話が脱線するー。そういうのは――」


 真淵さん、女子二人からグーのパンチをもらう。

 僕、ペチン一回。

 真淵さん、グー三回。

 僕の勝ちのようです。

 あ、でも、水野さんの願いを一つ叶える約束をしたから、引き分け!?


「んもー、話が全然進まない! マンガやアニメだったら『誰だこのシナリオ担当は!( メ`ω´)o''』って書き込まれるっ!」

「そうよ、桃乃ちゃんの言う通り!」

「『小説家にニャろう!』投稿サイトだったら評価ポイントが下がる!」

「そうよそうよ、桃乃ちゃんの言う通り! 感想欄に『テンプレでつまらない!』って書かれるレベルよ!」


「「えっ」」


 女子二人は顔を見合わせ「って、桃乃ちゃん。以前の発言から薄々気づいていたけど……。まさか書き――手。ジャンルはどこ?」

「……。水野お姉ちゃんこそ、ブク――マ数は……。やっぱり悪女で追放モノ!?」


 互いに視線を重ね合わせ、目と目で会話をしだすお二人さん。

 えっとー……。

 僕はおもむろに「やっぱり異世界転生モノでしょー」と言ったら蔑んだ視線で二人は見てきて『チッ、ド素人が』そんなお二人の心が聞こえるよう。


「ああ、駄目だ。話がまったく進まない……」


 一人頭を抱え悩む真淵さん。

 ごめんなさい。

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