初夏の香りと僕たち その1
「雨がしとしと降っていてぇ~♪ お山の向こうの庄屋さん~ 金を返せとうるさくてぇ~♪ 鉈をもった権兵衛はぁ~ 鉈ぁ~をフリフリ追い回すぅ~♪♪」
「なんです、そのヤバそうな歌は?」
「ん? お山の向こうの庄屋さんという歌よ」
「ちなみにどんな内容の歌です?」
「んーとね。えげつない高利貸しの庄屋さんがいろんな人に追いかけ回される歌だよー。最初から最後まで聞きたい?」
「えっと、その一小節でお腹いっぱいです」
「あたしもお腹いっぱいだから、もう少しこのままでいたいー」
そう言って桃乃さんは夏用の毛布に包まり僕の太股を枕に、ゴロゴロと身体をひねった。
どこぞの猫ですか。
「雨、降り続くね」
「秋口まで台風や雨が多いですからね~。せっかくの日曜日がどこにもいけず残念」
「あたしは雨、嫌いじゃないよー」
リビングに敷かれた僕の布団の上、桃乃さんはお団子頭ヘアーを整えながらそう言うと、布団の上であぐらをかく僕の胸元にグイグイと頭を押し付けてきた。
髪形を整えたのはいったいなんだったのだろう?
僕の考えを無視するように桃乃さんは甘い声で「独り占めできるからー」と言ってさらに頭をグイグイ押し付けてきた。
「頑張ってみんなをこっちの世界に呼び戻したんだから、もっと甘えさせてよー」
「横から見ていたけど、アレは相当疲れるね」
「そうだよー、とても疲れるの」
「んじゃ、いい子いい子してあげる」
そう口にして僕は桃乃さんの頭をやさしく撫でて頭皮にマッサージを施す。
「ん~、気持ちいいぞぅ~」
「それは良かったです。と、お団子頭をほどいて髪を梳かしてあげようか?」
「うん、お願い!」
くるっと振り向くとにぱぁと笑みを見せ、小物ポーチから愛用の櫛を取り出し手渡してきた。
僕は後ろを向くように伝え、桃乃さんの背中越し、ゆっくりとお団子頭の結いをほどいた。
ぱさぁと黒髪が肩下まで垂れたと同時、微かに甘い香りも漂った。
なんの匂いだろうと思ったら朝食で食べたシュークリームの生クリームの匂い。
なぜに髪の毛から?
「どうしたの?」
「んん、なんでもないよ。髪がきれいだなーって思っただけ」
「んふ~、ありがと」
甘い声でお礼を言い、身体をグイグイ押し付けてきて僕は心の内を気づかれないよう冷静さを保ちながら黒い髪の毛に櫛を入れた。
頭の先から下へやさしく髪を撫で、枝毛や絡み毛がないよう注意を払う。
右手で櫛を使い、髪をゆるやかに梳かし左手で髪を束ねる。
桃乃さん、得も言われぬ小さな声をあげ時折身を震えさせ、髪を梳かされることの気持ち良さが僕にも伝わってきた。
ふいに僕の心にいつもの疑問が生じた。
彼女は幽霊。
なのにごく普通にご飯を食べ、トイレに行き、お昼寝をして、ゲームに没頭しお風呂に入って湯冷めする。
もしかしたら、そう、もしかしたら幽霊ではなく――僕が無意識のうちにどこからか攫ってきた子供。
元いた場所を記憶から消し去り、心と感情を洗脳して身動きのとれない状況にしてしまったのか――。
もちろんそんなことはないとわかっているし、いつもの悪い妄想癖って理解している。
けど、その『妄想癖』だけでは片付けられない状況、現実がここにあって僕は無意識のうちに桃乃さんの頭皮を凝視。
髪を掻き分け毛根に視線を落とすと白い小さなフケもあってどうみても生身の人間……だよね。
しっかり確認したけど『もしかしたら』を期待して左右前後、頭皮の隅々まで見るも、人ではない『なにかの存在』を発見することはできなかった。
「ちょっとー痛いよー。まるでペットの毛の中にいるシラミを見つけようとしているみたい」
「あっと、ごめん。つい夢中になっちゃって」
「夢中?」
「えっとー。幽霊の証明を――見つけてみようかなーと」
「幽霊の照明? んで、見つかった?」
「んにゃ、なにも。ちょっとフケがあるくらい」
「ンギャッ」
そう言って僕の両手をペチペチと叩いてぷぅーっとほっぺたを膨らました。
「ごめん、ちゃんとやるから」
そう告げて今一度やさしく髪を梳かす僕。
桃乃さんはコクンと小さくうなずき、なにも言わず身体と髪の毛を僕に預けた。
櫛を使わず髪の毛の中に手を入れ、やさしく梳かすと指先にほんのり温かみが移ってきてどうみても、幽霊じゃない。
梳かすたびにふんわり甘い生クリームの匂いもして、もしや本人から発する香りかもと錯覚し『それは違う』とは言い切れないようにも感じる。
「明日も雨だって。明日も一日中、ゴロゴロしてよー」
「いいよー。てか、もうすぐお昼だけどなに食べたい? 日曜日だからいつものパスタ屋さんと定食屋さん、混んでいるしどうする?」
「んー、あたしは別にいいよー。佑凛お兄ちゃんから吸うからー」
あっうん、それは無しで。
できれば外食がしたいと伝え、久しぶりにイタリアレストラン・サイヂェリーアでどうかと提案。
「決まりだね! と、その前にトイレにいくでござるよぅ」
ガバッと立ち上がると、ドタバタとそのままトイレに直行。
ああ、いつもの日常が戻ってきた。
本当は四連休のうち、三日目の夜にこちらの世界へ戻ってくるはずだった。
しかしすったもんだあって二日目の朝方になった。
戻ってきた場所は真淵さんが用意してくれた美術館から近い、あのホテルの一室。
予定より早く帰路についたため、水野さんはどこかファミレスで休憩と提案。
それに対して桃乃さんは、早く自宅に帰りたいと言い、その場で解散となった。
帰りの電車内、僕は尋ねた。
別れ際に水野さんとツゥルペティアーノさんの二人は、いろいろ言っていたけどなにか知っているかと。
「それはあたしも聞きたいと思っているの。今度会ったらなにがあったのか教えてもらおう」
「そうだね。それが一番いいね」
ホテルから自宅までの電車内、桃乃さんが知らないと思われる出来事をかい摘んで伝えた。
ツゥルペティアーノさんが夜に訪ねてきたこと。
水野さんが凹んでしまい癒してあげたこと。
ほかにもいろんな話しをした。
でも、どこか断片的であやふや。
桃乃さんは茶々を入れることなく最後まで聞いてくれた。
その後自宅に付くまで、絵画の世界の中で起こった出来事をずっと話し合っていた。
おかげで喉がとても渇き、互いにジュースを1Lくらい飲んだ。
久しぶりの炭酸飲料は胃に染みた。
◆◇◆◇
お昼はいきなりの大雨の影響でサイヂェリーアには行けず、カップラーメンと冷凍焼きおにぎりにサラダの盛り合わせ、豆腐を半丁ずつ。
それにポテトチップス。
いつもなら『食べたい!』って思わない組み合わせなんだけど久しぶりに食べたせいか、これまた胃に染みる美味しさ。
とくにカップラーメンと焼きおにぎりのコンビは絶品。
二人してガツガツと食べきった。
そしてそのまま僕の太股の上でまた夏用の毛布に包まりお昼寝。
うーん、欲望のままに生きてますな。
僕はもう少しなにか口に入れたくお茶菓子箱の中を漁ると隅のほうでカピカピになった板チョコを発見し、少しずつ味わうように頂く。
美味しい……。
窓の外、降り続く雨は絵画の中の世界と変わらない匂いと雨音。
いまごろみんな、どうしているかなー。
戻ってきてまだ半日程度。
でも、中世ヨーロッパみたいな時代から一気に現代社会にワープしたせいか、ひどく遠くで起きた、遥か昔の出来事のように感じてしまう。
水一杯飲むのにも深い井戸から桶で汲み上げ、お腹を壊さないように煮沸消毒をしたのち飲める温度まで冷まし、口にするまで小一時間かかる世界と、クイッと蛇口をひねると水の出る世界ではなにもかもが違いすぎてまじめな話し、現実味がなさすぎて、夢現の時の中に身を置いていたと思わざるおえない。
夢現――。
そう、水野さんとツゥルペティアーノさんが言っていた摑みどころのない別れの挨拶、気にならないのかと言われればそんなことはない。
魔術陣の光の粒子に包まれる中、二人は互いに目と目を合わせ、なにか心と心も通じ合わせ、声にならない言葉のようなものを交わしていたように思えた。
へっぽこな僕の勘でもなにか、そう、妖しくて淫靡な、秘事!?のような雰囲気があったように感じた。
健全な男子の正直な意見を言わせてもらうと、まぁ、もったいなかった……に尽きると。
健康状態の良くなったツゥルペティアーノさんが現代社会に来たなら、確実にアイドルグループのセンターに立っているだろう。
そして成長したなら将来はモデルとしても活躍できると思う。
すらりと伸びた手足に、日の光りを浴びて輝く金色の髪、どこか幼さのある整った顔筋は見るものを魅了し、アニメに登場するアニキャラそのもの。
たしか十八才と言っていたけど、どうみても僕より一つか二つ下くらいに見える。
ヨハンさんが言うには、奴隷の身分でいたせいか正確な年齢は不明と。
そんな彼女といい仲になった僕。
冷静に考えると一生に一度あるかないかの、ものすごーく貴重な体験であり出会いでもあり、もったいなかったなーと。
彼女は嫌々オーラを出していなかったように思え、もちろん僕も嫌なはずもなく、そう、いま思うとねぇ……。
とと、いつもの妄想ワールドに足を突っ込んでいたらちょっといろいろと元気になってしまって、桃乃さんに気づかれないよう腰をずらした。
だって、健康的な男子なんだから、そうなって当たり前!
とおー、同級生の水野さんともベッドの上でギューッて抱き合ってしまってそっちもいま思うとすごい経験で、休み明けの火曜日の学校で顔をまともに見れるのかといわれれば微妙なところ。
授業中、後ろの席から彼女を眺めたとき、妄想ワールドに突入するのが今から想像できる。
うん、確実に悶々とした黒い感情が頭いっぱいになって勉強に集中できない自分が間違いなくいる。
怖いわー。
想像豊かな自分が。
う~ん、なんといいますか、せっかく真淵さんがいろいろと準備してくれ、桃乃さんが行き帰りに力を発揮してくれ、すごく貴重な体験をさせてくれたのに、桃色――ばかりが思い出として……。
人として完全にダメかも。
「むぅ……」
寝返りを打つ桃乃さん。
スウスウと寝息も聞こえ、ただのお昼寝じゃなくて完全に熟睡モードに入っている。
なんだかんだいっても一番大変だったのは桃乃さん。
僕たちを安全に二つの世界を往来させてくれたのだから、疲れていて当然。
「ので、思いっきり甘えていいよ。なんでもしてあげる」
桃乃さんの額にかかる髪の毛を左右に分け、チュウを一つ。
ぶちゅーと。