とある子爵の時祷書 その19
驚きを隠せない様子のツゥルペティアーノさん、目を見開き僕たちを見ている。
「部屋の中にいらして」
水野さんの言葉にピクリと反応するも動こうとしない。
ふいに僕と視線が合ったせいなのか、床に視線を落としそのまま固まってしまった。
「うーん、私だとダメなのかな。やっぱり所有者が伝えないと従わないのね。村上君、中に入るよう言って」
「あぅあぅ……」
言葉にならない。
「フフッ。きちんと効能が効いている。大丈夫よ、ちょっと判断力が鈍くなって記憶が欠け気味になって私の言葉に隷属ね♪」
判断が鈍くなって記憶が欠けて隷属!?
なにもかも考えるのがめんどうになってきている……。
ぼぉーとして温かくてふんわりして夢現な居心地。
「さぁ、中にいらして。従わないと、あなたのご主人様が大変なことになってしまうよー」
歪む視線の先、ツゥルペティアーノさんは無言のまま立ち上がり、よく見るとベージュ色の薄手のブラウス一枚のみ。
小さなガラス瓶を両手で大切そうに持ち、赤い液体がたぷんたぷんと揺れている。
水野さんはガラス瓶を奪うように手に取ると小脇に抱え、彼女の手を握り部屋の中に入れ、扉に鍵をかけた。
「単刀直入に聞くわ。村上君になにか用事?」
「……その。私は……」
「金色の長い髪が綺麗。これで痩せ細った身体が改善されたら、私は敵わないなー。青眼美少女を所有できる村上君、幸せ者ね」
「はい?」
「ちゃんと私の言葉、耳に入っていて理解しているようね」
「……」
「もう一度聞くわ。なにか用事?」
「……。だいぶお疲れのようでしたので心配になり……。それと、喉が乾いているのではと飲み物をお持ちいたしました……」
「ふーん、飲み物ねぇ……。そうそう、私がいることを扉の向こう側で気づいて、中に入ろうか躊躇っていた――」
「はい……」
「まぁ、そういうことにしておいてあげるねっ」
水野さんはそれだけ口にすると、視線を床に落とし気まずそうなツゥルペティアーノさんの周りをグルグルと回りはじめた。
「心配になり、飲み物をねぇ……」
姿勢を正し凛とした表情でツゥルペティアーノさんは言った。
「村上様は気を失い、そのままこの部屋に運ばれました。体調の急変もあろうかと思いまた、安否を確認するのは当然のことかと」
その言葉にピクリと反応したようで水野さんは回るのをやめ、ツゥルペティアーノさんの目の前に立ち言った。
ブラウスの裾を手に持ち、スカートをたくし上げるように。
「気を失ってそのまま部屋に運ばれ体調が急変するかもしれなくて安否の確認に来たんだよねっ。なら、これはどういうこと?」
「あっと、その……」
「さあ、早くスカートをたくし上げて、なかを村上君に見せて」
「……」
「これは命令よ!」
室内に、ピンッと緊張の糸が張る。
「どうしたの、できないの?」
「その……」
「この女は、嘘を付いているわ。それも私にではなく――村上君、あなたに」
ん?
ベッドに仰向けに倒れ込み、うまく喋れなくて、考えがまとまらないけどなんとか、がんばって言った。
僕のことが心配で、飲み物を持ってきてくれたことの、どこに嘘があるのかと。
それに対して水野さんは口にした。
やさしい村上君の心に、この女は付け入ろうとしている――と。
「ツゥルペティアーノさん、これ以上逆らうのなら、ヨハンさんに伝えないといけないねっ。そしてもう一度、奴隷の身分に落ちないといけないかも。そのときは私が選んであげる。立派な雄犬を。それとも山羊とか馬のほうがいい?」
なにを言っているの?
どうしてそんなことを言うの?
奴隷に戻るなんてかわいそうだよ。
「あぁ……」
悲鳴にも似た声を漏らし震えるツゥルペティアーノさん。
足もガクガクと震えている。
「無駄……。時間の無駄。私たちは、この世界にあと少ししか居られない。それを知っていてその態度、あなたは、自分の保身のためだけに今を生きている。違う? 本当に心の底から村上君のことを想っているのなら、真実を伝えるべきではないのかな? それとも――」
「……」
僕の目の前、無言のまま、ゆっくりとスカートをたくし上げた。
ロウソクの灯は小風に揺れながら鈍く光り、その灯を頼りに視線を向けると、スカートの内になにも身に付けていない、ヘアーもない、ただ、無垢な身体の一部が露出していた。
「その姿勢のままもう一度言って。村上君のことが心配で、飲み物を持ってきて体調が急変するかもしれないから来たんだと」
「あぁ…………」
無垢な身体の一部を、目に焼き付ける僕。
水野さんはなにも言わず、その行為をじっと見ている。
「あぅあぅあー……」
僕は必死になってなにかを言おうとするも声にならない。
だから、身体を左右に揺らし水野さんを非難するような仕草をして、伝えようとした。
君が悪い。
人格を否定し、窮地に追い込む言い方。
そして畳み込むように辛辣な言葉を吐く。
そう、なにもかも酷いと。
僕の態度になんとなく気づいたのか、首を傾け口元をキュッと締めて言った。
「ちょっと言いすぎた。ごめんなさい……。緊張しすぎて喉が乾いたでしょ? これを飲んで気分を楽にして」
そう言って持参した野イチゴ入りミルクをカップに注ぎ、手渡した。
「村上君用にと私が用意した飲み物よ」
「……いただきます」
ツゥルペティアーノさんは口元までカップを近づけるも、口を付けなかった。
「どうしたの、さぁ早く飲んで。それとも、なにか入っていると気づいたから、飲めないのかしら?」
はむ?
なにを言っているのか、わからないよ。
カップを手に持ち固まるツゥルペティアーノさん。
その態度に空笑みの表情を浮かべ水野さんは冷徹に言った。
あなたの持ってきた飲み物と、同じモノが入っているから口にできないのでしょ?、と。
「あなたの用意した飲み物、すぐにわかったわ。だって、ワインに媚薬を溶かしただけなんですもの」
はい?
「私のは違うわ。ミルクの匂いで覆い隠し、野イチゴの果汁を入れることで薬効特有の香りをごまかし、飲みやすくしたものだから」
「みっ水野様、あなた様はいったい……」
「さぁ、一気に飲み干して。拒否する権利はあなたにはない。それくらいわかるよね。だって、同じ物を、村上君に飲ませようとしたのだから――」
二人とも僕になにを飲ませる気なの……。
こんなことを二人が考えていたなんて考えたくないし、思いたくないけど夢じゃない……。
「とと、その前に。少し反抗的な感情が残っているみたいだから、もう一度、嗅ごうね。安心して、身体に害はないから」
香水瓶のフタをキュッと開け僕の鼻先に近づけてきた。
拒否しようとするも口を手で塞がれ息ができなくて、吸ってしまったら……なんだか考えるのが億劫になってきたぞぉぉぉ。
「さて、ツゥルペティアーノさん。今度はあなたの番よ」
「……はぃ」
意を決したのか、はたまた逃げ場のない状況を変えるためなのか、カップに注がれた野イチゴ媚薬入りミルクを止めることなく飲み干した。
が、すぐに口元に手を当て、吐く勢い。
「どうしたのぉ?」
ツゥルペティアーノさんは口元に手を当てたまま、ベッドの脇に転がる口先の広い壺に向かって吐こうと指を口の中に突っ込んだ。
吐瀉物の音が聞こえるなか、水野さんは背後から近づき口の中に突っ込まれた指を掴んだ。
「あまり、手間をかけさせないで」
「こっこれは、私のより……濃い、濃すぎますっ」
「そうね。あなたの持参した媚薬入りワインより濃いわ。だからなんだというの?」
「これだと、狂ってしまうことも……」
えっ?
「狂う……。フフッ。私たちの世界は弱者救済が手厚いの。だから、そうなったら村上君の面倒は私が看取るから安心して。私無しでは生きていけない村上君、幸せ者ね。と、これからあなたにいま一度、口にしてもらうわ。もし、一滴でもこぼしたら、即奴隷落ちね。そのときは連れて行ってあげる、私たちの世界へ。私の所有物――奴隷として」
そう言って水野さんは自らミルクを口に含み、そのままツゥルペティアーノさんに口づけをした。