五月下旬の月曜日
チーズケーキの美味しいケーキ屋さんとデパートへ行く約束は次の日の朝、あっさり流れてしまった。
両親の仕事の都合によるもの。
父は豪華客船の副船長をしていて、来月上旬に帰国予定だった。
しかし急遽日本に帰れなくなり理由は、副船長から船のトップ、船長に昇進のため。
電話口で父は『運が良かったから』と言っていたけど、母によると客船の所有者であるイギリスの貴族の方から仕事ぶりと人柄を認められ、アジア人では初となる船長の座についたと。
クイーン・エリザベートⅣ世の第三代目船長に就任した。
時を同じくしてロンドンへ短期着任が決まっていた母も昇進し、ロンドン支社へ課長代行として着任する予定が、部長代理格の役職付きの立場で赴くことに。
短期就任から、事業統括者の補佐として長期就任に変更になったと。
母の推測によると、父の昇進が影響していて一国の代表者から認められた人物の妻という立場も、少なからず影響しているのではないかと。
代行とか、代理格、着任とかよくわからないけど、ひとつ言えることは将来、就職に失敗してニートになっても食わせてもらえる──そう、働かなくても生活できる夢のような生活があるかもしれない。
お家の存続は、お姉様にまかせることにしよう。
やさしくて、かわいくて、身持ちの固いお姉様のことだからきっと、素敵な旦那をゲットできるに違いない。
もちろんこの家は譲りますよ、お姉様!
なんだろう、このワクワク感。
宝くじに当たった気分。
そしたら父方の田舎のほうに桃乃さんと二人して引き籠もり、ひっそりと、のんびりと、自堕落な人生を楽しむのも悪くない。
二人してのんびり毎日を過ごす、まさにちょっとHなゲームのような世界が、あったらいいなーと。
が、そんな妄想は、わずか半日しか持たなかった。
「佑凛、ロンドンに住まわない?」
「えっ」
ド腐れな妄想から僕を覚ますのに十分すぎる一言。
息付く暇もなくさらに母は口にした『日本の男の子ってもてるらしいから、彼女の一人や二人くらいすぐにできるわ』
はい、正直そんな言葉を、母親から聞きたくなかった。
父と母、姉の三人は、性格や考え方が似ている。
明るくて社交的で、親しい友人や、仲の良い会社の同僚も多く、それらは僕の性格と環境と、まったく正反対の生き方。
三人からみると僕はどう見えるのか、考えるときがある。
『物静かで大人しい、やさしい弟』と思っているのか、それとも『なにを考えているのかわからない、根暗な弟』なのか──。
きっと後者だろう。
「お母様、すぐの返答は困りまする。学校とか友人とか、ほかにもいろいろとありますし、少し考える時間を頂けますと、うれしく思いまする」
学校は入学したばかり、友人と呼べるのは二人くらい。ほかにもいろいろなんて最初から無く――あるとしたら、毎週観ているアニメの録画と、コンビニで立ち読みしている漫画が読めなくなることくらい。それと、同人イベントに行けなくなるのも困る。
「高校生だものね。考える時間は必要ね」
「ありがとうございます、お母様。で、どのくらいのお時間を頂けます?」
はい、ロンドン引っ越し回避の言い訳を考える時間が欲しいだけ。
「そうね……。今週の水曜、二日後までに。それとお姉ちゃんは向こうの大学に編入するから問題ないわ」
あかん……、詰んだ。
「佑凛、ちょいちょい敬語混じりの変な日本語はなに?」
彼女との出会いによって僕は、少しずつ変わろうとしているのかもしれない、日本語が。
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