表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

49/87

とある子爵の時祷書 その17

 ベッドに腰掛ける僕の背後で桃乃さんは「んじゃ、ガツンといくね~」と言って僕の肩に手を置いた。


「やさしくお願いね」

「うん! ガツンとやさしくいくね~」


 そう言って僕の首筋にカプッてきて、ナニカを吸いにきた。

 血液がじんわり煮立つ感覚と、脳が麻痺して気持ちいい感覚が同時に襲ってきて、突き刺した歯をチロチロと噛んできてじんわり吸ってくる。


「桃乃さん、()らさず一気に逝っていいよ……」

「ハムハム!?」


 が、甘噛みをやめない桃乃さん。

 意識が残りつつジワジワと吸われる感覚、ちょっとモヤモヤして変な感じ。


「村上君、私たちが帰るためだ。文句を言わず吸われなさい」

「そうだよ、中間テストも近いから早く帰ろうね」

「桃乃様、ご無理はよろしくないと思います……」


 やさしい言葉をかけてくれたのはツゥルペティアーノさんのみ。

 首筋に甘噛み、嫌いじゃない。

 ヌメッとした舌と唾液がヌルヌルするなか歯を立てられながら噛みつかれ、貴重な体験なんだけど、みんなの目の前で甘噛みされると完全に羞恥プレ状態になり、それを楽しめるほどMじゃない僕。

 時と場所を考えてほしいなと。


「おお、村上君の顔から生気が抜けていくのがわかるぞ!」

「真淵さんの言う通り、血の気が引いていきますね」

「ご無理はなさらずに……」

「やさしいのはツゥルペティアーノさんだけだねっ」


 ちょっと強く~強調して言ってみる。


「ハハッ、苦難に立ち向かってこそ男子!」

「もー、私がまるで悪者みたい。ちゃんとやさしく看病してあげるから、チャッチャと気絶していいよ」

「チャッチャとですか水野さん」

「……」


 奇妙な光景のせいか困った表情のまま、なにも言わないツゥルペティアーノさん。

 僕たちはいま、帰宅の準備中。

 元の世界に帰るには桃乃さんの力が必要で、僕が養分となり魔力!?を蓄えていく。

 食事、睡眠、僕養分、睡眠、食事、睡眠、僕養分、睡眠を繰り返すことによって少しずつ貯めていくと。

 ナニカを魔力!?に変換!?するみたいで、真淵さん、水野さんにもわからない事象(じしょう)とか。

 詳しくは当の本人すらわからない。

 ただ事実として、それが必要なことだけは判明している。

 で、全員分に必要な魔力!?は1~2日使って貯める。


 そのなかにツゥルペティアーノさんの分はない。

 この世界より医療や寿命、学、制度、犯罪、自由、それらは圧倒的により良いもので、そしてなによりも、奴隷だった事実による差別もない。

 でも、それら=幸せとは限らない。

 なぜか、単純なこと。

 医療や制度がしっかりしていても、この世界で味わったことのない厳しいストレス社会があるから――。


 ツゥルペティアーノさんは僕に付いていきたいと言った。

 でも僕たちはきちんと伝えた。

 この世界で幸せになってほしいと――。

 ヨハンさんの元で給仕として働くことが決まっているから僕たちは安心して帰れるとも、伝えた。

 それを聞いたツゥルペティアーノさん、それ以上はなにも言わなかった。

 きっと僕たちの想いが通じたと思う。


「ヨハン殿たちには悪いことをしてしまった」


 ふいに真淵さん。


「これも試練のひとつと思ってがんばってもらいましょう」


 水野さんはそう言ってウンウンとうなずいた。

 予定では数週間滞在するはずが真淵さんの失言によって数日中に帰ることとなったため、ヨハンさんたちは急遽話し合いの場を作り会議会議の連続となった。

 会議の内容は、真淵さんが伝えた技術、制度、思想の再検証と、今回新たに伝えた事柄の詳細な内容と、今後の展望の予想について。


 真淵さんの三回の訪問によってこの地は、皇帝が鎮座する王都に次ぐ富みに溢れた領地となった。

 それは人口、農産物、犯罪、金銭、制度すべてにおいて王都を十年以内に抜くであろう存在にもなった。

 しかしそれにより少なからず、妬みや嫉妬が国内外を問わず湧き出てしまい、その対策として真淵さんの助言と知恵を数週間かけて話し合い、吸収するはずだった。


 しかし残された時間はあとわずか。

 そのためヨハンさん、ジル、カイさんを含む領地を治める重要人物たちは一分一秒無駄にすることなく、話し合いをしている真っ最中。



 二時間前、領地を収める重鎮たちを前に真淵さんはひとつの提案をした。

 それは人材育成。

 現代社会では珍しくもない言葉だけど、こちらの世界ではそうでもなかった。


 会議に参加する一人の小貴族は言った「雲を掴むような、あやふやなものに金はかけられない」

 年老いた文官も言った「金をかけても死んでしまっては終わり」

 若い武官も言った「育成なら、兵を鍛えるべき」


 会議のテーブルを囲む参加者十数名の人たちはこぞって『人材育成』に反対の意を唱えた。

 水野さん、桃乃さん、僕は会議のテーブルの後ろに設けられた傍観席から会議の流れを見ていて、明らかにこの提案は通らないと感じるなか、真淵さんは全員の意見を聞いたのち、口を開いた。


「空に浮かぶ雲を掴むような話で、資金を投入しても死んでしまったら終わりで、だったら別のことを鍛えるべき――まったくその通りです」


 意表を突く発言に参加者全員、目をパチパチさせて言葉がでない。


「真淵様のお考えは難解で、斜め上ゆくものばかり。知識の乏しい私にも理解できるようお願いいたします」


 厭味(いやみ)たっぷりで話を振る年老いた文官。


「では簡潔に話そう。物事には優先順位があると以前、伝えた。いま現在、一番やらなくてはいけない問題はなにか? それは『他からの妬みや嫉妬』それも『王都が感じている危機感』に対処する方策を考えること。それには『人材育成』が最も適していると、私は考える」


「それに関して文官の私は先月王都へ出向いたときに、皇帝がお住まう王都が、辺境の地にあるこの領地に抜かれるのではないかと焦っている一部の貴族や官僚を通じて感じました」

「なら話は早い」


 そう言って真淵さんは壁に作られた黒板にチョークで文字と図を書き出した。

 この黒板とチョークも真淵さんが作らせ、さほど重要なものではないように思えるけど実は超極秘扱いの代物。


 大人数で会議をするとどうしても意見の食い違い、聞いてる聞いていない、齟齬(そご)などが生じ、それらを無くすため導入したところ、効果は導入を進めた本人がびっくりするくらい表れた。

 それまでは会議に参加する者が各々意見を出し合い、書面に書かれた程度。


 しかし黒板とチョークの導入により、等しく意見の汲み取りと情報共有ができるようになり、物事が正確に進むようになった。

 重要なのは、対面して話す機会を作るためのツールとしての使い方で、先生と生徒の関係のような一方通行的な使い方ではないとも付け加えた。

 真淵さんは声に出しながら文字と図を書く。

 この世界の言語がわからない僕たちへの配慮。

 以下、書いた内容。

 ―――――――――――――――――――

 1)人材育成の重要性は以前話したので、ここでは割愛。

 2)人材育成は隠れ蓑。

 3)人材育成により得られる波及効果が重要。

 4)嫉妬や妬み、王都の危機感を減らすことにつながる。

 5)将来起こるであろう、世継ぎへの対策(皇帝死去後の対策)

 ―――――――――――――――――――


「わかりやすく説明すると、豊富な資金を使って公共事業、軍備増強をすると王都が身構える。だから、雲を掴むような人材育成に資金投入をする。妬む者からするとこれは駄作の政策ととらえるだろう。そこが狙いでもあり、これは一件無駄のように思えるが、将来確実に富みとなって返ってくる。そしてなにより、繁栄の(いしずえ)をこっそり築くのに適していることなんだ」


 それを聞いた議長席に座るヨハンさんは目を閉じ何度もうなずき、考えがまとまったのかゆっくりと口を開いた。


「潤沢な資金を使い、街道の路面をレンガ敷きしてはどうかと土木管轄から案が上がってきている。実施するのは可能だが、隣の領地からするとかなり面白くないだろう。自領の地へ入った瞬間、路面が荒れた土に変わるのだから。軍備増強も王都を刺激してしまう。そう言った意味でこっそり資金を使え、将来確実に富みを生み、嫉妬や妬みからも回避できる。しかし、最後の世継ぎへの対策はわからない……」


「情報収集と情報を精査することに特化した隊を新設。ようはとある貴族で世代交替の兆候があるとか、どこぞの領主が左遷の憂き目真っ只中とか、そういった情報を集める部隊を作るにあたって、人材育成が重要となる」


 若い武官は挙手して言った。


「そういった話ならすでにあり、様々な噂、どこぞの貴族の痴話喧嘩の内容まで把握できます」

「うん、たしかにある」

「では、いまさら新設なぞしなくてもよろしいのでは?」


 食い下がる武官。

 真淵さんはチョークを机に置き言った。

 これから話す内容を書面に残してはいけないし、絶対に漏らしてはいけないと。

 この地に来てすぐに、とある子爵の身辺調査と数日間の行動履歴、それに噂話も集めてほしいと、そういったことに従事する者たちに指示を出し、今朝方(けさがた)すべての調査結果が私の元に集まった。


 一息つくとさらに「五班に分け調査をしたので五種類の調査結果が集まり、とても興味深い結果となった」

「とある子爵とやらの、不倫相手でも判明したのでしょうか?」


 どっと笑いが起きて、官僚とおぼしき人物は椅子から転げ落ちるほど笑った。


「フフッ。正解でもあり間違いでもある」


 真淵さんがまたなにか難解なことを言い出したと文官は顔をしかめ、武官はわざとらしく口を大きく開けてあくびをした。

 真淵さんはまるでこうなると予想していたのか、いたって冷静。


「a班の調査結果によると、不倫相手は金銀鉱石の取り扱いで有名な王都の大商人Rの娘。昨日、お忍びでこの街に来訪された目的は不倫相手に贈る物の品定(しなさだ)め。昨晩は高級娼館で一泊。付き人もご相伴(しょうばん)に預かる」

 その内容を聞き、あちらこちらで失笑が漏れ出した。


「b班の調査結果によると、所有している採掘場での鉱石の質が落ちてきているため、新たな新分野の開拓を密かに計画。農業分野でなにかを画策している様子。この街を訪れたのは、なにか大口の取り引きに絡みそうな事案が発生し、急遽赴いたとのこと」


 失笑は止み、あちらこちらでヒソヒソ話しが出始めた。


「c班の調査では、近いうちにまとまった資金か、はたまた特別な権利を得るチャンスが巡ってくると酒の席でお付きの者が言っていたと。この街に来た理由は不明。ただ、なにか野心があって赴いたと侍従たちが話していたのを聞いたと」


 シーンと静まりかえる室内。


「d班の結果はとても興味深い。数ヶ所の教会へ多額の寄付をしたことにより、買収に成功。教会の関係者から事務方へ()()算段(さんだん)をしているらしい。班の指示役の勘ではあるが、王都の文官ともつながりがあるようで、この件は調査が引き続き必須。調査資金の捻出を希望とのこと」


 年老いた文官は顔が引きつり、左右に座る部下も絶句の表情。

 体面に座る若い武官が声を荒らげ文官たちに罵声を浴びせ、今にも切りかかる勢い。

 真淵さんは彼らは関係ないと武官をなだめた。


「e班は、しょーもない、噂レベルの調査結果。さて、私がなにを伝えたいのか、もうお分かりですね」


 さらに真淵さんは続けた。

 子爵、Z氏は皇帝の弟君に近い血筋の者。

 現皇帝が即位して早三十年。

 世継ぎのお子らは、まだ十にも満たない者たちばかり。

 なら、なにかの拍子で皇帝が退位すると弟君にもチャンスが巡ってくる可能性があり、裏で支える子爵としては潤沢に資金を蓄えておきたいところだろう。

 近い将来、次期皇帝選びが始まるであろう昨今(さっこん)、是が非でも正確な情報が必要。


 なのに、この調査結果をどう見る?

 すべて混ぜれば真実が見えてくるのか!?

 間違いや見落としだって入っているであろう調査結果をどう精査するのか!?

 それとも自分に都合のいい噂、情報だけを、切り取ればいいのか!?


 否。


 静まり返る室内。

 隣の者の吐く息さえ聞こえてきそうな勢い。


「これ以上は伝えなくても皆、理解して頂けるな。なぜ人材育成が必要なのか。ヨハン殿、急務でこの状況に対処する必要がある」


「はい、真淵様の仰る通りにございます。ただ情報を集めればいいというものではありません。いかに情報を精査するのか技量が重要。そして正確な情報を集めるためにも、従事する者たちの鍛練と人材育成は絶対条件」


「私がこの地に舞い降りたのは十代の頃。ここに居られる方々が助けてくれなかったら、とうに死んでいた身。少しでもこの都、領地が繁栄できるよう助言をしてきた。ただ、しすぎたせいで妬みと嫉妬を買うことになってしまったのは、私の読みの甘さからくるもの。申し訳ない」


 頭を下げる真淵さん、誰に命令されたわけでもなく全員立ち上がり真淵さんをなだめ、数々の功績を口にして讃えた。


 真淵さんはなぜ、調査結果がこうなってしまったのか説明した。

 宮廷出身の文官ならゴシップ情報に特化し、商人関係と取り引きのある者ならその方面に視線と考えが向かう。

 平民なら下の者の視線で、上を見る。

 置かれた環境と立場が違うことにより、同じものでも違うものに見える。そのため差が生まれる。


「だからこそ人材育成は必要なことなんだ」


 真淵さんはそう言って言葉を締めくくった。


「では決議を取るが、人材育成の案に意を唱える者はいるかな? もちろん意を唱えたところで心証が悪くなることはない。ただ一点、進むべき道を決めるためにも様々な意見が必要なだけだ」


 そう言ってヨハンさんは周囲を見回すも意見を言う者は誰もいなかった。




「……君、大丈夫!? 意識が薄いのかな?」


 ふいに真淵さんの声。


「あっと、頭がぼぉーとしてきまして……」


 つい考え事のしすぎで意識があさってのほうにいってしまった。


「てか、もうそろそろ落ちそうです……」


 絶え間なくナニカを吸われ続ける僕、まさに『養分』という言葉がぴったり。


「桃乃ちゃん、ぃぃなあー。私もカプッて、したいなー」

「水野君は吸えないだろう、なにか違うものでも、ゴフッ」


 真淵さんのお腹に水野さんのパンチが決まったみたい。


「村上君、あとでやさしく看病してあげるから安心してね」

「あっ、ありがとう水野さん」


 やさしい言葉と笑顔をくれる水野さん。

 が、なぜに鼻息荒いの?


「むっ村上様……。あの、その……」

「ツゥルペティアーノさんなにか?」

「いっいえ、なんでもありません……」


 なにか言いたそうなツゥルペティアーノさんの声を耳に入れながら意識が落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ