とある子爵の時祷書 その16
街を散策中、真淵さんは僕の耳元で言った。
『水野君、想像以上に落ち込みが激しいから慰めてあげてほしい』
イチャイチャすれば気分も晴れるだろうと――。
美術館に行けなかったことがよほど効いたのか『私、ここに残る!』と言い出しかねない雰囲気を察知した真淵さんからの提案。
街から帰宅後、桃乃さんにたらふく夕食を食べさせ『寝る子は育つ』状態にし、ツゥルペティアーノさんには一人部屋を与えのんびり過ごすよう伝え、僕と水野さんに機会を持たせた。
真淵さんが「村上君が癒してくれるそうだよ」と口にして水野さんは「ありがと」と言ったので僕は「どんな癒しがいい?」って聞いたら、いまにいたる……。
「なにか考え事?」
「考え事っていうほどのことじゃないよ、ただ……」
「ただ?」
「今日も怒濤の一日だったなーって」
「たしカニー」
「えっ!? 水野さんも冗談、言うんだね」
「人をなんだと思っているのよっ」
そう言って水野さんは僕の胸の中でプゥーとほっぺたを膨らました。
僕たちはいま、ベッドの上で抱き合っていて水野さんをギュッと抱きしめたらふんわり柔らかくて、さらにいい匂いがしてきて気づかれないよう二度三度クンカクンカ――。
ふいに髪の毛が鼻をくすぐり一気に心臓がバクバクして汗をかいたら「村上君の汗の匂い、嫌いじゃないよ」って言われて頭が沸騰して記憶が飛んだのが十分くらい前。
で、いまはいたって冷静。
なぜ冷静になれたのかそれは、悶々とするといろいろと身体が元気になってしまうから――。
理性が勝ちましたよ真淵さん。
ドヤッ。
まぁ、腰が引けているのはしょうがないよね。
ツンツンしちゃうとまずいから――。
「ウー、またなにか考え事しているー」
「あっとごめん」
「私といても退屈?」
「そんなことないよ」
「じゃあなんで考え事するの? つまらないからでしょ」
「そんなことないよー」
「村上君」
「はい?」
「壊れたラジオみたい……」
「……」
「もういいっ!」
そう言って水野さんは背を向けてベッドの端に移動した。
壊れたラジオ、えっと……否定できない。
なんて声をかけたらいいのかわからない。
けど、鈍感な僕でもわかる。
水野さんは待っている。
僕の次の行動を。
「……」
「……」
で、思いつかない。
こんなシチュエーション時にオタクで陰キャラはなにをすればいいのか気づくはずもなく、なので考えもなく後ろから抱きしめた。
もちろんなにを話すかなんて考えていないし、考えもつかない。
ただギュッと力強く抱きしめた。
「ありがと、村上君」
「いえいえ」
「村上君、緊張してる?」
「うん」
「私もよ、すっごい緊張しているの」
「わかるよ。だって水野さん、火照っていて汗かいてるから。それにいい匂いもするよ」
「うーん、ちょっと恥ずかしいな……」
背後から抱きしめているから水野さんの表情を見ることはできないけど、顔を真っ赤にして緊張しているように思えた。
で、超鈍感な僕でも気付く。
それは、水野さんは嫌がっていないということ。
抵抗してこないし、オタク野郎―って見下しもしてこない。
薄々気付いていたんだけど、もしや水野さんは僕のことを、好いていると――思う。
確固たる証拠はないけどそう思う。
僕は大胆にも水野さんの首筋にフゥッて息を吹きかけてみる。
「キャッ」って軽い悲鳴を上げて身を縮ませた。
「もう、村上君たら……」
「エヘヘ」
「そういえばさっき言っていた、いい匂いってどんな感じ?」
僕はちょっと考えてから言った。
デパートの果実売り場に漂う甘い香りのような感じと。
水野さんはおもしろい例えねと言って笑みをこぼした。
僕は嘘をついた。
本当は、水野さんの汗と香水!?が混じり合ったような感じで、新宿の大人街に漂う艶かしい匂いが鼻についたけど真実は言わない。
「もしかしたら、この匂いかも」
そう言って水野さんは振り向きながら胸の内ポケットから香水瓶を取り出し、フタを開けて僕の鼻先に近づけてきた。
ツンと酸味を帯びていて、遅延で甘い匂いもしてきた。
僕は正直に違うと言った。
「もう一回、嗅いでみて。深くね」と、さらに匂いを嗅ぐよう言ってきたので躊躇なく吸ってみたけどやっぱり違う匂い。
水野さんの体臭!?とは違い、なんとなく薬品ぽい感じがするぅ――。
「って、あれぇ!? 舌がうまくまわらない――ぞぅ」
視点がうまく合わない。
目眩が襲ってきて頭もクラクラしてきた。
「――きたね。だいじょーぶー、村上くぅん!?」
「うまくぅ聞き取れなぃ、水野……さん」
「村上くぅんが悪いんだよー」
なにが!?
「即効性だからー、身体に悪くないよー」
はい!?
「ベッドに横になろうねー」
えっと、考えるのが面倒になってきた。
「ねぇ、水野さん。どうして両腕をベッドの端に――くくり付けるの!?」
「それはね、ベッドから落ちないようにだよー」
「ねぇねぇ、水野――たん。どうして……両足もくくり付けるのぉ!?」
「それはね、安心して寝れるようにだよー」
「ねぇねぇみず――モガモガ。モガモガモモガカモー!?」
「どうして猿ぐつわをするのかって?それはね、舌を噛まないようにだよー」
なんでこんなことに――なった!?
「目眩と頭がぼぉーっとして考えがうまくまとまらない!? それはたいへーん、私が看病してあげるねー」
視界が歪む。
頭の整理がつかない――。
「村上君、ソワソワしてどうしたのぉ?」
「モモガモガーモー」
「トイレに行きたい!? 一人で行けないから手伝って!? わかった、手伝ってあげるね。え!?、起き上がれないからなにか容器にお願い!? んもー、私だってこんなこと初めてなんだよー。でも、漏らしたら大変だから手伝ってあげるね。えっと、上から触るね……。温かい……。って、あれれぇ、ちょっと大きくなった気がするけど、これってもしやなにかの病気かもー。もう一回、この香水ビンの匂いを嗅ぐといいかもよ。ちょっと、なんで首を横に振って逃げるのよー。大丈夫、深く沈むと恥ずかしさも怖さもなくなる――から。あー、猿ぐつわの周りがヨダレでベタベタ。拭いてあげるね。えっ、なんで針を手に持っているのかって? それはね、今日が記念日になるからだよ。村上君の身体のどこかに刻もうね。もちろん私とお揃いのペア傷だよ。そうそう、ちょっと記憶が飛んじゃうけど安心して。私が覚えていてあげるから――」
◆◇◆◇◆
朝、目覚めて一番にしたこと、それは湯浴み。
頭がぼぉーっとして時折、立ち眩みもするけど身体をきれいにしたかった。
理由はわからないけど、そうしたかった。
「ふぅ、お湯が気持ちいい……。てか、身体の節々が痛い。なんで?」
お湯に浸りながら昨晩のことを思い出そうとするも、よく覚えていない。
水野さんといい感じになったのまでは覚えているけど、その後の記憶がすっぱり欠如。
なにかあったような気がする……。
「村上様、お湯の加減はいかがでしょうか?」
扉一枚向こうからツゥルペティアーノさんの声。
「気持ちいい湯加減です」
「それはよかったです」
「ときに、ツゥルペティアーノさん。漠然とした質問なんですが昨晩、僕、なにかしていました?」
「なにかしていたと言われましても、とくには……」
「そうですか、変な質問をしてすみません」
「いえいえ、謝ることはありません」
この世界にも石鹸とシャンプーに近いものがあってびっくり。
どちらも真淵さんの現代知識無双と推測。
ふぅ、お腹、空いた。
腹痛で病院に行きそのまま緊急搬送で入院。健康の大切を知りました。
病み上がりのため、更新が遅れます。すみません。
みなさんもお身体を大切に。