表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

46/87

とある子爵の時祷書 その14

 小一時間前、雨雲の隙間から太陽が顔を覗かせ雨は上がった。

 夕食には時間的に早く、全員あまりお腹が空いていなかったため夕食は軽めとなった。


 夕食時、二人からほとんど詰め寄られることもなく拍子抜け。

 二人にマッサージする件、あっさりと保留。

 そして、僕のいないところでヨハンさんがなにか伝えたのだろう、ツゥルペティアーノさんの話題は一切出なかった。

 彼女の置かれた立場を考えると表立って「会っちゃだめ!」なんて言えないし「なにかあってもダメ!」とも言いづらいと思う。

 別れ際、お二人さんはなにか言いたそうな雰囲気を出していたけど、なにも言ってこなかった。


 そんなこんなで夕食はサクッと終わり、いまにいたる。

 窓の隙間から入る風がロウソクの炎をユラユラとなびかせ、ぼんやりと室内を照らしている。

 ロウソクに、なにかハーブが練り込んであるせいか甘い香りが部屋いっぱいに広がり、この匂い、嫌いじゃない。

 香りと雰囲気に心が安らぎ、ベッドの端に腰掛けて窓の外に視線を向ける。

 雨雲は風に流され星々きらめく夜空が、眼下に望む街並みをうっすらと照らしていた。


「光に邪魔されない夜空って、こんなにもきれいなんだ……」


 つい独り言。

 なにをするわけでもなく、ただじっと眺める夜空の向こうにはなにがあるのだろう。


「ふぅ……」


 ため息が漏れる。


「うーん……」


 彼女は僕を必要としているはず。

 それはいろいろな意味で。

 僕たちが去った後、ヨハンさんの元で給仕として働くことが決まっているから、将来的にはあまり不安はないように思える。

 でも、なにかモヤモヤしたものがあって、心を悩ませる。

 それがどういったものか、はっきりとわからない。

 けど、確実にある。


「そういえば以前、真淵さんは言っていたなぁー」


 他人の所作を見て、自分に不足しているものを取り込むと良いって。

 僕に不足しているもの「たくさんあるぞー」いま一度独り言。

 それと選択肢をいくつも考えるといいとも言っていた。

 選択肢――。

 もうすぐこの部屋に彼女はやってくる。

 なんて声をかけようか……。


『呪縛から開放されたし、これからの人生を楽しんでね』

 違う。


『数日しか一緒にいられないけど、いい人を見つけてね』

 うーん。


『君の幸せを、向こうの世界から祈っているよ』

 ベターだけど悪くないと思う。


『君は僕の所有物と言ったね――』

 はい、自分の心に素直になると……。


 面と向かって言えないけど。

 んーと。

 ねぇ……。

 華奢だけど一応オトコだし、降って湧いたラッキースケベもいけるみたいだし、そう、ちょっとね、考えちゃう。

 選択肢の一つとして考えれば立場を利用して「僕の所有物たる君に、拒否する権限はあるの?」恥ずかしさから顔を下に向けようとする彼女の首筋に、僕はゆっくり舌を這わせ三度告げる「髪の毛一本、血の一滴、首筋に生えた産毛一本すら、僕のモノなんだよね」そう確認する。


 彼女は「その通りにございます……。なんなりとお申し付けください……」

「ほぅ。なら、僕の目の前で両足を開いてもらおうかな、自らの手で――」

「えぇ……」

「それと、明日からトイレに行くときは僕の許可が必要になるからね」

「そっそんな……」

「君の身体は『君のものであって、君のものじゃない』そう、僕のものなんだよ。それと就寝時は必ず、全裸で僕を温めるように。だって君は、僕の所有物なんだから――」


 おふぅっ。

 なんだろう、この文才溢れる妄想は。

 ふぅ。

 自分の才能が怖い。

 なにはともあれ添い寝くらいはいいですよね、お二人さん。


 ふいに扉をノックする音。


「村上様、ツゥルペティアーノ、参りました……」


 来たっ!

 わっと一気に脈拍が早くなるのが自分でもわかる。

 んーと……。

 んと、まずは冷静に、冷静に冷静になりましょう、自分っ!

 この部屋の空気すべてを吸い込む気持ちで深く深く深呼吸を三度して呼吸を整え気持ちを整え心を整え余裕のあるオトコを演じる。

 否! 演じてみせる!


「どっどうぞぞっ」


 噛んだ。


 扉の向こうから小さい声で「失礼致します……」と、そして静かに扉は開いた。

 片膝を曲げ(うやうや)しく礼をする姿勢を崩さない彼女、ほんのり赤みのかかった長いスカートが床に垂れていた。


「なっ中に入ってください……」

「……はい」


 スカートの裾をつまんで一礼をすると静々と部屋の中に入ってきた。

 上下ほんのり赤みのかかった長いスカートにワイシャツ!? 赤茶けた色の髪が肩に垂れ、まるでお人形さんのよう。

 僕の手前まで来るとまたも片膝を曲げスカートの裾をつまみ、一礼をしてきた。

 揺らめくロウソクの灯の下、じっと彼女の出で立ちを見ると衣装は白一色。

 ロウソクの灯のせいで赤みがかったように見えただけだった。


「今宵より私、ツゥルペティアーノは村上佑凛様の所有物に。なんなりと、いかようなことでもお申し付けくださいまし」


 あぁ……。

 彼女の放った言葉は、僕を妄想の世界から目を覚まさせてくれた。

 衣装の上からでもはっきりとわかるか細い手足に、薄化粧をして生気ある表情に見せているけど、いままで置かれていた立場がわかってしまう痩せこけた顔立ちは昨晩見た時と変わらない。


「どうなされましたか、村上様?」

「いっいやなんでもないよ。それよりも、呪縛から開放されたからこれからの人生を楽しんでね。それと数日しか一緒にいられないけどきっといい人が見つかるよ。君の幸せを祈っているよ、あっちの世界から。それとね、トイレは行っていいよ。それとそれと君は君だから、一緒に寝ようねっ!」

「えっ……。しっ失礼致しましたっ」


 やっちまいました…………。


「えっと、いろいろ言っちゃったけど、君は幸せになりますっ、以上!!」

「はっはい……。ありがとうございます…………」


 それっきり僕たちは黙ってしまった。

 冷静さ……。

 心を整えるって……。

 余裕あるオトコのはずが……。

 思っていたこと、ほぼ全部言ってしまった。

 ラメーンに例えるなら具を全部載せ。

 食えない。

 表情に出していないけど明らかに驚いていて、モジモジとなにか言いたそうにも見える。


「とりあえず大丈夫だから!」


 なにが大丈夫なのか僕でもわからない。

 けど、たぶん大丈夫!

 いや、きっと大丈夫!

 精一杯の笑顔を作り、彼女を安心させるよう努めよう。

 それがいま、僕にできることのすべて。


 そんな僕の態度に彼女は恭しく礼をして言った。

 私のことを大切にしようとするお心、うれしいです――と。

 そしてさらに口にした。

 下賤奴隷の身分の者に侮蔑の視線を投げかけてこないことに、驚いていると。

 その一言に僕の思考は止まった。

 どう返答すればいいんだ……。

 正直、なんて答えていいのか迷う。

 上辺だけの言葉なら『一人の女性としてに接しているから、侮蔑の視線なんて送らないよ』

 でも本当のところは、人身売買、奴隷制度もない世界に生きているから、奴隷身分の者に侮蔑の視線を向ける機会がないだけのこと。

 だから彼女に対しても蔑んだ視線を向けなかっただけのこと。


 そう。

 向けなかったというより、蔑んだ視線があることを知らないだけ。

 ただそれだけ……。

 彼女はそのことに、気づいていないと思う。

 そして、この人は慈悲の心をもったお優しい方――と、勘違いもしていると思う。

 僕が彼女の立場なら、同じように勘違いするだろう。

 慈悲の心で私を見てくれていると――。


「村上様、どうされました?」

「んん、なんでもないよ……」

「はい……」


 心配そうに僕を見つめてくる。

 んー。

 ヨシッ!

 ヨシッヨシッ!!

 いくぞ、自分!!


 彼女の手をギュッと握りしめ僕は伝えた。

 正直に。

 僕のいる世界に人身売買、奴隷制度はない。

 だから君に対してそういった視線を向けなかっただけ。

 その言葉に驚いたのか固まる彼女。

 僕はさらに付け加えた。

 聖人君子じゃない、普通!?のオトコだと。


「村上様は……、ご存じないと思います。下賤奴隷の身分の者に神はおりません。なぜなら、神々を祀る神事、聖書、戒め、すべてが禁句とされているからです」

「それって、ツゥルペティアーノさんは神様を信じちゃいけないってこと?」

「はい……。私どもは、御霊のお名前を口にすることも許されておりません」

「それじゃ教会に行ったり、神父さんにも会えないの?」

「そうなります。私どもは人として扱われる身分にないのですから……」

「でも貧しそうな、奴隷みたいな人が教会に入っていくのを見たよ?」

「その方々は、もしや普通の奴隷の方でしょう。私はそれより下、最下層民の者ですから……」

「……」

「村上様、この事実を知った上でも私を、人として扱っていただけます……か?」

「……って」


 僕は、自分から握しめた彼女の手を離し、距離をとった。

 潤む彼女の瞳。


「ツゥルペティアーノさん、目を閉じて」


 なにも答えず従う彼女。

 僕は自分のほっぺたを両手でパンッと一回叩きカツを入れる。

 そして彼女の顔にかかる髪の毛を指で左右に流し額にキスをした。

 これが僕の答え。

 目を見開き驚く彼女。


「どうしました、ツゥルペティアーノさん」

「……私に、神様はいません。ですが神様は、私を見守ってくれている――」


 彼女をギュッと抱きしめ伝えた。

 神様はいるよ、って。

 コクリとうなずく彼女。


「村上様、お願いがございます」


 か細い声でそういうと、今宵は冷える夜になります。

 私を使い、お身体を温めてくださいと――。


    ◆◇◆◇◆


 十分後、僕たちはベッドの上で衣服を着たまま抱き合っていた。

 互いにギュッと腕を回し、なにもせず、ただ抱き合うだけ。

 潜り込んだ毛布の中、彼女の耳元で言った。

 このまま朝を迎えたいと。

 その一言に彼女はきっとこう思うだろう。

 心のどこかで下賤奴隷身分だった私を抱くことに嫌悪していると。

 もちろんそんな気持ちは毛頭ない。


 僕がヘタレなのと、逆らえない彼女の立場を利用してまで、どうにかなることへの気持ち悪さみたいなモヤモヤしたものがあるから。

 妄想の中でなら何度も彼女を目茶苦茶にできるけど、現実はそうならない。

 だからきちんと伝える。


「ツゥルペティアーノさん、聞いてほしいことがあります」


 そう切り出して伝えた。

 ヘタレな自分と、立場を利用してまで君を――。

 なにも言わずジッと最後まで聞いてくれた彼女は小さくコクンとうなずくと、僕の背中に回す両腕に力を入れてさらに強く、ギュッと抱きしめてきた。


「ありがとうございます……」

「そういえばこっちの夜空はとてもきれいだね」


 そういってたわいもない話をする僕。

 なんとなく、なんとなくだけど沈黙が怖かった。

 だからいろんなことを話した。

 街の入り口の門番さん達とのやりとりや、こちらでの食事、一緒に来たみんなとの関係性とかも話した。


 僕の胸元で彼女は相槌を打ちながら聞いてくれ、真淵さんが命名した料理の話しをしたら笑みを浮かべながらオオサカタマシイ焼きが一番好きと言ったので今度一緒に食べようと伝えた。

 充実したひとときが過ぎていく。

 リア充からすると『え!? そんなことで』って笑われると思うけど、そんなの関係ない。

 このひとときがずーっと続けばいいなぁ。


 で、聖人君子の無の境地もそんなには長く続かなかった……。

 はい、ちょっと……ねぇ。

 反応しちゃいましたよ、半身が。

 冷静になって考えると僕の腕の中に金髪少女がいて、衣服を通して体温が伝わってきて、息づかいも伝わってきて、潜り込んだ毛布の中、甘ったるい『メスの臭い』が鼻につく――。

 ので、ゆっくり腰を後ろにずらしてごまかす僕。


「……村上様、どうされました?」

「んん、なんでもないよー」


 いまの僕、精一杯のひとこと。

 ので、話題を逸らすように言った。


『様』付けで呼ばなくていいし、敬語も不要と言い、知り合い感覚でいいとも伝えた。

「村上様お願いです。それだけはお許しください……」

「僕はまったく問題ないよ」

「私、私から大切なものを奪わないでください……」

「大切なもの!?」


 瞳を潤々させて彼女は言った。

 私の発する『様』と(うやま)う敬語は、貴方様だけのもの。

 他人が『村上様』と(おっしゃ)るものとは違うのですと。


「私だけに与えられた唯一無二のものなのです――」


 懇願する彼女のひとことに胸がキュッと締めつけられる。


「ツゥルペティアーノさん、これからもよろしくね」

「ありがとうございます、村上様。……と、時にそのぉ……」

「はい?」

「ご無理はなさらずに……」

「えっと、そのぉー」

「私はいつでも……」


 そう言って彼女は後ずさりした僕の腰元に身体を密着させてきた。

 ぅん。

 ちょっと――。

 いや、かなりヤバイ。

 少し前に言ったことと現実が違ってきちゃう――。

 大切――に、そして立場を利用してまで――と言った手前、この先に進むのは人としてアカン!


「村上様、私ももぅ……」

「ツゥルペティアーノさん『言っていることと、やっていることが違う!』って状態だけは人として最低だと思うだから、このまま……ねっ」

「はぃ……」


 で、そんなこんなで僕に釣られた!?みたいで彼女も発情!?しちゃったかもしれなくて、だからか互いにギュウギュウ身体を押し付け合っちゃって、互いに息も荒くなっちゃって、甘ったるい匂いも濃くなってきちゃって、汗もかいちゃって、いろんなものが混じり合っちゃって、いろいろ酷い状況になっちゃって、どうしよう……。



   ◆◇◆◇◆


 朝、目が覚めるといろいろなものが混じり合ったムッとする匂い充満する部屋になっていて、彼女の姿はなかった。

 山裾から太陽が顔を出そうとしているからたぶん六時頃。

 ぼぉーと寝ぼけていると扉が開いて、水桶を手に持った彼女が入ってきた。


「起きられたようですね。おはようございます、ご主人様」

「えっ!?」

「お湯と着替えの衣服をご用意致しましたので、お世話を致しますね」

「ええっ!?」

「どうされましたか?」


 戸惑いながら僕は言った。

 ご主人様はちょっと気恥ずかしいので、村上君だとうれしいなーと。

 それに対し彼女は、主従関係がおかしくなるのでそれはできないと――。

 ですよねー。


 ベージュのワンピースの裾をヒラヒラさせて「お身体をお拭きますね」と前かがみになりタオルをお湯に浸しながら言うのでちょっとイタズラをとスカートの裾をパサァ~とスカートめくりをしたら「キャッ」とかわいい声が聞こえ今一度やってみようかとしたら背後で『チッ』と舌打ちが聞こえて振り向くと仁王立ちするお二人さんがいて僕は死んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ