とある子爵の時祷書 その13
温かい紅茶を頂きながらホッと一息いれる僕。
朝、『長い一日になる』と言われ、覚悟はしていたけど身体も神経もお疲れモード。
ので、思考を少しばかりセーブして、スリープモードに入れようかとー。
オオサカタマシイ焼きとアカイカープァ焼きを食べればなんとなくHPが回復するかもー。
そういえばまだ、カーネル・サムダー揚げを食べていないなとー。
なんてアホなことを考える僕の横で真淵さんは、紅茶の入ったカップを左手に持ちつつ、器用にも右手でなにか書き始めた。
A4サイズの紙がどんどん埋まっていく。
この人は疲れることを知らないのかな?
みんなでじっと見守る。
「蛍光ペンとやらの発色といい、インク壺にペン先を付けなくても書けるボールペンといい、おいそれと世間に出せるものではありませんな」
ヨハンさんは紙に書かれる文章を読みつつペン先を興味深く見つめていて、両脇からジルさんとカイさんも食い入るようにペン先を凝視していた。
「ボールペンの原理を真淵様、ヨハン様から教えて頂きましたが、それでも不思議でなりません。なにか魔法めいたようなものに感じます。ジルはどう思う?」
「小生もカイと同様、魔法の類としか……。もし市場に出したら、同じかたち分の金と交換できるでしょう」
真淵さんは手を休めることなく書き書きしながら「この時代、書や絵画はあくまで富裕層や権力者しか所有できず、そのため高額取引の対象になる。もし未来を大きく改変してもいいのなら、絵の具。とくに青系だ。さらにオレンジ系もいいね」と。
なるほど、もしも異世界に行くことになったときはホームセンターに立ち寄って絵の具を買い占めよう。
真淵さんはボールペンをテーブルに置き「完成」と小さく言った。
「真淵様がお書きになるものはいつ拝見しても簡潔で、恣意的なものが書かれておらずまさに真の情報」
「いつの時代でも情報というものは書き手、上流の者の意見や考えが反映されやすい。それらを排除してこそ、価値のある情報となる。この時代、王侯貴族の意見や考え方になびくのは仕方がないこと」
真淵さんが書いたものは以下の通り。
――――――――――――――――――
1)『暴食』ルートで指定された月日、時間、場所に合致する時間帯に事件が起きている(一年に一日だけ)
2)湖の側、遺跡の跡地に立つ廃城で儀式を執り行なったと断定できる人物はD伯爵:溺死。
3)D伯爵の侍従三名も同じく死亡(窒息死、殺傷傷、溺死)
4)盗賊に襲われたと判断され、調べることなく終わる。
5)D伯爵が新たに取得する予定だった権限は、隣地のF男爵とK男爵に移譲。
6)F男爵には近隣での胡椒と塩の専売権。
7)K男爵には近隣でのオリーブオイルの専売権。
8)D伯爵の跡継ぎは数年前の冬に病死。よって御家は断絶。
さらに事件と直接関係ないことを補足として記した。
※千歳緑の時祷書は模写され、数冊が現存しているらしい。
※事件に関わった人物たちは模写された書を解読したと断定。
※原本はとある子爵、Z氏が所有していたがなんらかの理由で美術館に寄贈。
※爵位の序列は騎士→準男爵→男爵→子爵→伯爵→侯爵→公爵→の順。
――――――――――――――――――
「わかりやすいねぇ~」
桃乃さんのその言葉に僕もうなずき、内容、文章ともにわかりやすく突っ込みようがないです。
真淵さんはため息を漏らしながら「簡潔明瞭すぎて、逆になにかあるのではとも考えている」と言ってさらに「いつの時代でも食に関する権利は最も重要な位置付けだからね。D伯爵が得ようとしていたであろう財を、儀式の最中、または終了後、両男爵が横からかっさらい二人で分け合ったと」
「真淵様の言う通りにございます。下手くそな戯曲、詩でもここまでひどいのはありませんな。なにか裏があってもおかしくないでしょう」
僕は手を上げて質問した。
なぜ、アルファベットで名前を書いているのか。
それに対してジルさんが答えてくれた。
貴族絡みの案件のため名前を出すことは危険。また、秘匿性が高すぎるため、文字にも書き起こさない方が賢明と判断。
もちろんこのことは、ここにいる人たちだけで共有している情報であるとも付け加えた。
貴族に逆らうと死罪もあるこの世界、事を慎重に進めないといけないと実感する。
ヨハンさんは苦悩の顔を浮かべ「さて、皆様。ここからが本題になります」と言って切り出した。
「D伯爵の死亡に関して、両男爵らに問い正すことはもちろんのこと、詰め寄ることさえできません。真実であろう、事件とその後に対して、私どもは一切なにもできませぬ。そして今後起きるであろう『強欲』『淫蕩』についても考えなくてはいけません」
「ヨハンさん、いくつか質問してもいいですか?」
「どうぞなんなりと」
「『暴食』関係についてなにか見落としはないのでしょうか? それと、両男爵は残りの大罪を実現する気でしょうか?」
「その二つについては、残念ながらいまの時点ではなにもわかりません。ただ、彼らの立場になって考えれば、一つの欲望だけでは満足できないでしょう。もう一つ、あともう一つと欲望を、実現させるため行動を起こすでしょう」
「ですよねー」
「本来、私どもで隠されたメッセージすべてを解読するはずでした。しかしこうなってしまった以上、真淵様と話し合い、情報を精査しました」
横から真淵さんはヨハンさんたちの名誉を守る意味として、三大罪のうち『暴食』『強欲』ルートは自力で解読に成功したと。
『淫蕩』ルートに関しては三割程度まで進んだところで全容を伝え内容の確認を行ったと。
「口惜しい……ばかりにございます……」
「あたしも質問なりよ~。二つの大罪はいつ頃?」
「それについては小生、ジルがお答えしましょう。年に一日だけで『暴食』は三月三十日でした。『淫蕩』は十二月十九日。『強欲』は……、来月の二十九日です……」
「一ヶ月後なの?」
「解読が間違っていなければ、そうなります……」
桃乃さんと真淵さんは互いに顔を見合せ、無言でうなずいた。
はむ?
お二方、どういうことです?
「村上君、映画のラストシーン三十分前になって停電になるようなものだ。そこまで滞在できない」
「あぁ。では、あとどのくらいこちらの世界に滞在できるのですか?」
「正確にはいえないが六日から十三日くらいだ」
「残念としかいいようがないですね」
「そうだ」
僕を含め全員、言葉に詰まった感が漂う。
両男爵がすべての大罪に解読していたなら、きっと行動に出ると思う。
そう、一年でも早く――。
「真淵様、この件に関しては私どもに一任させてください」
「もちろんだとも」
「両男爵の監視はもちろんのこと、いくつかのシナリオを準備致します」
「村上君、水野君、桃乃ちゃん、ヨハン殿たちのためにもこれ以上は詮索しないでやってほしい」
はむ?
「ありがとうございます、真淵様」
深々と頭を下げるヨハンさん、ジルさん、カイさん。
「熊を屠るに鎌は使えぬという言葉がある。鼠、蛇なら鎌で十分いけるが、しかし熊では到底無理。そして蛇の道は蛇なんだよ」
ずっとなにも話さなかった水野さん、スッと前に出て口にした。
「相手によって武器を変える必要性があって、それ相応の対応が必要になる。そして、強大な相手と対峙しなくてはならない。なら、同じ穴のムジナになる必要があるかもしれないと――伝えたいわけですね」
「そういうことだ。それらは、私たちの時代にはそぐわない内容になるやもしれない。自分たちの価値観で物事を判断するのは危険なことでもあるんだ」
お茶を濁すような真淵さんの言い方、遠回りだけどわかる。
もしかしたら、法を犯すかもしれなくて血生臭いことになるかもしれなくて、僕たちに配慮した言い方。
ヨハンさんが胸に手を当てると、ジル、カイさんもならって胸に手を当てた。
「真淵様方々、私ヨハンは、最善を尽くすとここにお約束致します」
そう言って深々と頭を垂れる三人。
真淵さんも返礼として頭を下げた。
僕たち三人も遅れながらお辞儀をした。
「ヨハン殿を除くみんな、最後に質問だ。根本的な事柄として、この場はなんのためにあったと思う?」
「えっ?」
指名された僕たちはいきなりの問いに無言になった。
「なんでもいい、思ったことを口にしたまえ」
「真淵様、話し合いをしたのですよね。なんの場と言われましても……」と、カイさん。
「小生もカイ同様、意見を出し合った場で……」言葉に詰まるジルさん。
「根本的な事柄!? というのがわかりませんね……」水野さん。
「わかんにゃい」桃乃さんらしい。
全員の視線が僕に集まる。
まったくわかりません……。
「そうですね……。話し合いをして自分なりの意見を言って、根本的な部分がどういったものかわかりませんが、みんなで情報を回したことはいいことだと思います」
腕を組ながら真淵さんは「以前来たときに私はヨハン殿にとある事を教えた。それはとても単純なことで誰でも簡単にできる。しかしそれは、以外にもできないことなんだ。現代社会でもそうだし、とくにこういった貴族社会のある世界では顕著に現れる」
ヨハンさんはジル、カイさんの前に立ち口にした。
「ジル、カイ、華々しい功績として美術館建設とその運営方法に目がいってしまうが、真淵様は革新的な事を教えてくださった。食料事情の改善、衛生面の重要性、都市整備と税のあり方、政治の駆け引き、そして美味。
それらを行うにあたって根本的な事柄を一番重要視された。そう、偉業を成し遂げるために必要なこと」
とても単純なことで、誰でも簡単に!?
でも以外にできないこと!?
真淵さんは僕のほうを見て笑顔を見せた。
「村上君が言った『みんなで情報を回したことはいいこと』それはとても大切なこと。私とヨハン殿は全員に平等に情報を与え、共有するよう努めた。とても単純なようで、以外にもできないことなんだ」
真淵さんはさらに口にした。
通常の貴族社会であれば上位または、時祷書の解読した者たち(真淵、ヨハン)のみで情報共有をして、ジル、カイ、村上、水野、桃乃、には概要だけですませるところだろう。
もしかしたら、下位の者には連絡すらしないかもしれない。
さらに上位、中位、下位の者たちで情報の内容に温度差、誤り、情報量などに差がある。
これは現代社会でもそう。
正社員が『派遣社員だから連絡しなくてもいい。内容を知っていても意味がない』と伝えなかったばかりに、大きな損失が生まれることがよくある。
「真淵様、私からもひとつよろしいですか?」と、ヨハンさん。
「真淵様は西地区のスラム街を取り壊す前段階として、そこで暮らす貧民たちを集め『住民説明会』なるものを開催し、この場所をどう利用するのか、工事予定、仕事の斡旋、再開発後の展望を説明。さらに、立ち退き料の算出方法まで教えた。
通常であれば『領主の一声』ですべてが片づくところを根気よく説明したことにより、大きなトラブルもなく再開発に着手。これらは、この世界で『世界初』となる偉業」
真淵さんは肩のコリをほぐすように首を左右に振りながら「どこの世界でも立ち退きで揉めるのが世の常というものだからね~」と言って両手をクネクネしておちゃらけてみせた。
「過大評価ではございません。真淵様をいぶかしむ商人や貴族らは影で、スラム街の取り壊しだけでも長い年月がかかると踏んでいた。そして再開発は失敗に終わるとも考えていた。
しかし結果は、三ヶ月でほぼ更地が完了、次の月には美術館着工の目処さえもつけてしまった。
展開の早さを目の当たりにして商人や貴族たちは、なぜこうも迅速に進んだのかまったくわからなかった」
ヨハンさんは目頭熱く語りこう締めくくった。
「関わるすべての者たちに平等に情報と機会を与えたことにより、誰もが必要とされていることを実感し、生きる意味を見つけだしたのです」
「ヨハン殿の話をまとめると『関わる人たちには、平等に伝えようね~』ということだ」
「この街が、国で一番発展している場所となった原動力それは『情報の共有と意見を出せ合う場を持つ』を重視したからだ。他の街のお偉いさんたちが探りに来ても必ず空振りで帰っていく。なぜか、何度も言うが単純なことだが以外に難しい『情報共有の重要性』に気づかないから。ジル、カイ、しっかり学ぶのだぞ!」
名前を呼ばれたジル、カイさんは真淵さんに身体を向け、姿勢をただし、胸元に右手を添えて深々と礼をした。
そうか、異世界無双って、胡椒と塩、武器、料理だけがすべてじゃないんだ。
住民説明会なんて珍しくもないけど、この世界では十分チート!?なことなんだ。
僕にもなにかできそうな気がする。
水野さんは手を上げて質問、なにか例をあげてほしいと。
「ふむ。なら、これはどうだろう」
そう言って真淵さんは紙に書いた。
『○○○貴族より。幅、二十メートルの大通りを作る。右側の建物は三階建てまで建設を許可。左側は平屋の建物のみ許可する』
「この世界なら問答無用で、この一文で終わる。しかし左側の地主や建築に携わる者は不平を言う。だから、きちんと説明をしなくてはいけない」
「その通りだと思います」
「なぜ、左側の建物を低くしなくてはいけないのか? だから追加して書き足す」
そう言ってまたもなにか書きはじめた。
『左側は平屋のみ。理由:湿気と風通し、日陰などを作らないようにするため。その代わりに領主に納める土地税、人頭税を右側の三分の一とする。また、食料品を扱う商売も左側のみとする(日焼け、腐敗防止のため)』
「端的に端折って書いているがこう書くとどうだろう。面積が少ない平屋のほうに人気が出るくらいだ。波及効果としてジメジメした薄暗い箇所が減るため、犯罪が起きにくく衛生面も向上、さらに集客力のある通りになることも伝えよう」
「それは美術館前の大通りのことですね」と、ジルさん。
「そうだ。なぜ右と左で街並みを変える必要があるのか、そこをきちんと説明したからこそ領主、地主、商人たちからすんなり賛同を得られ、再開発が恐ろしく早いスピードで進んだ理由でもある」
ジル、カイさんはさらになにか聞きたそうな雰囲気。
それを察したのかヨハンさんは「本日の講義はここまで」そう言って話題を終わらせた。
「真淵様、講義の続きは今宵も……。その際、ジル、カイも同席させてもよろしいでしょうか?」
「ああ、別にかまわないよ」
「ありがとうございます」
「むぅ!? 今宵もって、昨日の夜は仕事!?の話をしていたの?」
桃乃さんのその言葉に水野さんは反応した。
「言ってくれれば変な誤解をしなくて……」
バツの悪そうにほっぺたをキュッとしながら水野さんはそう言って、さらに小さな声で謝りの言葉も言った。
桃乃さんも「勘違いしちゃったよー。ごめんね」と。
水野さんは僕のほうを見て「楽しんだのは村上君一人、だったというわけねっ」
「そうなるねっ、お姉ちゃんっ!」
「」
「ハハッ、若いというのはどんな武器よりもいい。夕食には少し早く、お腹もあまり空いていないが飯にしよう。彼女の身支度も終わった頃だろうし」
「「!」」
キッと僕に視線を向ける女子二人。
えっと、なにを言えば……。
「佑凛お兄ちゃん、難しい話ばっかで疲れたのー。肩とか足をモミモミしてぇー」
「えー。なら、私もお願いしようかしら」
「」
「村上様、彼女ツゥルペティアーノのこと、どうぞよろしくお願い致します」
「「!!」」
その言葉にさらに熱い視線を投げかけてくるお二人さん。
えっと……。
僕は、どうすればいいのでしょう……。