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とある子爵の時祷書 その12

 生温かい空気にハッとして目を覚ますと、真横に桃乃さんの顔があってビクッてした僕は寝かされていたソファーから豪快に落ちた。

 冷たい床にほっぺたを付けたら意識が鮮明になってきた。


「起きた? って、床に寝ころんでなにやっているのよ?」


 ソファーにちょこんと座って、まだ眠そうに目をこすりながら桃乃さんは「おはよう~」と言ってさらに「もうお腹いっぱいでござるよー」とも言った。


「おはよう……。いやちょっと、ソファーから落ちただけだよ」


 顔に付いた小さな石の破片を払いながら立ち上がる。

 この世界、室内でも靴を履いているせいかなんとなく違和感があって、畳み部屋でごろんと寝ころがりたいと感じてしまい、やっぱり生粋の日本人だなーとつくづく思う。


「そこのテーブルにあるのは佑凛お兄ちゃんの分だからね~」


 桃乃さんの指さす先、テーブルにパンや惣菜、パスタ、果物、デザート、ミルクポットが置いてある。


「これ全部僕の分?」

「そそ、全部。だけど、ちょっとだけ頂戴ね」

「ダメって言ってもデザートに手をかけるのでしょ!?」

「うん!」


 裏表のないところ、僕は好きですよ。

 桃乃さんにがっつりナニカを吸われたせいかひどくお腹が空く。

 遠慮なく頂こう。


「雨、振ってきちゃって美術館に行く予定は延期になったの。みんなは時祷書の解読に夢中で隣の部屋あたりにいると思う」


 そう言われ大きな窓に目を向けると、そこそこの大粒の雨が降っていて、学校の教室くらいある室内は、大理石の床の影響下かひんやりと肌寒い。


「佑凛お兄ちゃん、温かい飲み物がいいでしょ。まだ温かいからカップに注ぐね」


 桃乃さんはそう言ってカップに紅茶を注いでミルクも入れてくれた。


「ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」


 僕は椅子に座りながらお礼の言葉を言ってパンを一口サイズにちぎって口に入れた。


「こっちの世界の料理は、味が濃くて美味しいね」


 桃乃さんはそう言いながらトレードマークのお団子頭を左右に揺らしながら、自分の分のミルクティーも作り椅子に座った。

 んで、ずっと言おうと思っていたことを言った。

 すっかり『佑凛お兄ちゃん』が定着してしまったことを。

 ことの始まりはデパートでの、下着売り場の店員さん向けの言い訳の一つにすぎず、演技の一つだった。

 が、いつの間にかそれが当たり前になってしまって、僕もそれを自然と受け止めてしまった。


「えー、いまさらいいぢゃんよぅ。別にこまることないしぃー」

「周りが勘違いするでしょ」

「んまぁ、するでしょうねー」

「でしょ」

「仲のいい兄妹に見られてもあたしは平気だよー。それにそっちのほうが都合がいいものねっ」

「はい?」

「んにゃ、なんでもないっ」

「とにかく『佑凛さん』でいいよ」

「うん。わかったよ。佑凛お兄ちゃん!」


 戻す気ゼロなことがわかりましたよ。

 でもまぁ、考えようによっては都合がいいときもある。

 デパートの一件もそうだし、美術館の人たち、上野でのファミレス車突っ込み事件らの出来事を加味して考えると変に誤解されないですむ。

 対外的な目を考えれば、兄妹設定でいたほうがいいかもしれない。

 ただ、自分の心の感情は別だけど……。


「ふぅ~。こうやってのんびり二人でご飯を食べるなんて久しぶりな感じがするー」

「ん~、たしかにそう言われるとそうかもね。と、いま何時くらいなんだろう?」

「お昼は回っているからだいたい、3時くらいかな?」

「ということは、朝食後、時祷書の話をしている最中にカプッてやられて、六時間くらいたったのかな?」

「だね!」

「吸いすぎですっ!」

「えー、いいぢゃんようー。ほら、あーんして」


 そう言ってまたも半分食べかけたソーセージを口元にグイグイ押しつけてきた。

 なぜ食べかけ。

 まぁ、美味しいからいいですよ。

 食べかけソーセージを一口でパクリ。

 お腹が空いているのは事実。

 パンにバターを塗り塗り、ソーセージにタレを塗り塗り、そしてパクパク。

 んー、美味しい。


 桃乃さん、食べながらモゴモゴとなにか言っている。

 たぶん『このパスタも美味しいよー』と言っている気がする。

 たしか、ちょっとだけ頂戴だったはず。

 まぁ、全部食べきれないから助かるかも。

 雨で美術館に行けなくなったのは残念だけど、このひとときができたから結果オーライかも。


 真淵さんは言っていた。

 医療が未発達のこの世界では、雨に濡れてカゼをひくと死ぬことさえある。

 もちろん傘やビニール製の雨カッパはない。

 だからこの世界の住人たちは、余程のことがないかぎり雨の日は出歩かないと。

 濡れた衣服と身体を乾かす火を起こすだけでも一苦労で、そのため雨の日は盗賊も休むとか。


「食べながらでいいから答えて。昨日の夜、本当になにもなかったんだよね」


 目を会わせず、伏し目がちにいきなり桃乃さんは聞いてきた。


「本人から聞いた通り、なにもなかったよ」

「そう……」


 なにか聞きたそうな雰囲気。

 どんなことを聞きたいのか、明確にわからない。

 けど、不安でいることは伝わってくる。


「僕は、奴隷という彼女の立場を利用して事を進めていないし、彼女が嫌な思いをすることはしていない」

「うん、それは聞いた。んで、どうするの彼女のこと」

「……一番いいのはやっぱり、ヨハンさんの元で働くことだと思う」

「そうだね」

「それと彼女のこと、あまり詮索しないことにした。人に言えないことや、恥ずかしいこと、聞かれたくないことがあるだろうから」

「たしかにそうだけど……」

「そうだけど?」

「もぅ、鈍いんだからぁ……」

「はむ?」

「ちょっとだけでも考えなかった? 好きにしていいよって言われて――」

「それは……、彼女の置かれた立場を思うとそんな気にはなれないよ」

「ふーん」

「なに?」

「じゃあ、もし。あたしや水野お姉ちゃんが『好きにしてもいいよ』って言ったらどうする?」

「どうするって、どうもしないと思うよ。だってみんなと顔、会わせづらくなるし」

「ふぅーん……」


 それを最後に桃乃さんは黙々とパンと惣菜を食べ始めた。

 桃乃さんが感じているモヤモヤしたもの、わかりそうでわからなく、僕の心もそのモヤモヤしたものに引きずられていく。


 彼女の置かれている境遇を考えれば手を差し伸べてあげたいし、それが普通だと思う。

 なら、どんな手を差し伸べればいいのか。

 表面的ながらも彼女は僕を必要としていた。

 それに答えて、甘い一夜を過ごせばいい――と、思うのはオトコのエゴ――だよね……。

 ふいに扉をノックする音。

 みんな戻ってきたのかな?


「おや、起きたんだね」


 声のほうに視線を向けると扉の向こうに三人の姿が見え、背後に二人の男性が立っていた。


「だいぶ吸われたみたいで、少し前に起きたところです」

「だろうね。二人に吸われたんだから2~3時間では起きないと思っていたよ」

「えっ?」


 真淵さんの横に立つ水野さんの照れ笑い、かわいいです。

 どうりで両首筋が痛いはず。

 ヨハンさんの背後に立つ二人の男性は目をまん丸に見開き、なにか言いたそうな雰囲気。

 僕の視線に気づいたのか、男性たちは腰を折り、深々とお辞儀をしてきた。


「小生、ヨハン様直属の近衛兵のジルと申します。こちらは双子の弟のカイにございます。以後、お見知り置きくださいまし」


 そっくりな双子、ともに金髪が似合う好青年といった感じのなかに、どこか童顔さが見える。

 近衛兵と言っていたけど白い長袖のシャツに焦げ茶色のズボンを履いていて、体格もスリム。

 とても兵士には見えない。

 正直、ジルさんとカイさんの区別がつかない。

 初対面だしそこは触れないでおこう。

 僕と桃乃さんは簡単な自己紹介をしてヨハンさんに訊ねた。

 僕たちのこと、時祷書のこと、ほか、どこまで話していいのか。


「私の側近の中でもとくに信頼できる者たちゆえ、問題はございません。基本、護衛の任務に携わっておりますが、助言や連絡役もしております。なにか困ったこと、相談したいことがありましたなら、なんなりとお申しつけください」

「小生とカイの私たちは西地区のスラム街出身の者にございます。以前、真淵様が御光臨されましたとき、救って頂いたのでございます」


 そう言って二人とも真淵さんのほうに身体を向け、深々とお辞儀をした。


「二人とも、光臨したとかおおげさだよ。以前も話した通り、あまり(うやうや)しく対応されてしまうと私たちの正体や身分がバレてしまうから、ほどほどにね」

「こっこれは失礼致しました!」


 そう言って深々と頭を下げたジルさんを見て真淵さんは苦笑い。

 真淵さんの説明によると、以前来たときに西地区の路地裏の脇でうずくまっていた二人を助けたことがきっかけとなり、その後ヨハンさんに召し上げられ、いまにいたると。

 年齢は25才で、側近の中でも若い部類に入るとか。

 二人の視線は自然と桃乃さんに向けられ、その視線に答えるように桃乃さんはニコリと笑顔を見せた。

 桃乃さんのこと、ヨハンさんから聞いたのだろう。

 それって信頼されている証しだと思う。


「自己紹介も終わりましたから話を進めましょう」


 そう言ってヨハンさんは口火を切った。


「三つの大罪のうち一つ『暴食』が体現されたと踏んでよろしいかと――」

「それってあの、縦読みメッセージを読み解いた人がほかにいるってことなの?」

「十中八九、そうなります……」


 真淵さんと水野さんのほうを見ると二人ともなにも言わずうなずいた。


「私から説明しよう。ヨハンさんたちが解いた二つの大罪『強欲』『暴食』のうち、『暴食』に関係する事件が起きた」


 真淵さんは立ち話もなんだからと全員に椅子に座るよう告げ、温かい飲み物を用意してほしいとも言った。

 すぐにカイさんはご用意しますと部屋を後にした。


「まず始め、いまの状況を説明しよう。私と水野君は別室でこちらの書物を読み漁っていて、ヨハンさんたちは模写した紙を元に縦読みメッセージを読み解き、大罪のうち『淫蕩』以外の解読に成功。そしてそこから浮かび上がったのだよ。暴食の儀式が実行された形跡があると――」


 ゴクリと唾を飲み込む僕。


「んー、儀式の最中に襲われたとかそんなところ?」

「桃乃ちゃん、見たの?」

「よくあるパターンだよー」


 桃乃さんの一言に僕を除くみんながドン引き。

 なぜわかったのかと。


「横から獲物をかっさらうはよくあるでしょ。動物でもそうぢゃん」

「桃乃さん、映画のラストシーンをいきなり言っちゃうと面白みにかけるよ……」

「そっそうだったね。ゴメン……」


 真淵さんはコホンと咳をしてみんなの視線を集め言った。

 至極簡潔にまとめるとその通りだと。


「ええっ……」


 すでにストーリーを知っている僕以外のみんなは桃乃さんの一言に驚き、僕は真淵さんの一言に驚いた。

 真淵さんは苦笑いしつつ、簡潔にまとめてくれた。

 1)数年前、時祷書に隠された『暴食』ルートの解読に成功したと推測される輩がいる。

 2)内容は『春の芽吹き――』の三月下旬の真夜中、湖の側にある遺跡の跡地に立つ廃城で儀式を行う。

 3)その儀式の最中、なにかのトラブルで死人が出る。

 4)後日、事件発覚。

 5)しかしただの事件として処理される。

 6)その後、とくに変な噂が立つこともなくそのまま終わる。

 7)本日、書の解読に成功したヨハンさんたち。

 8)事件を思い出したジルとカイは関連性があるのではと指摘。

 9)意見を出し合い検討したところ、儀式が行われたと考えて間違いないと。


「とまぁ、こんな感じだ。なにか質問はあるかね、村上君」

「わかりやすい説明、ありがとうございます……」


 扉をノックする音と一緒に「温かい飲み物をご用意致しました」そう言ってカイさんが部屋に入ってきた。


「少し休憩しようか。温かい飲み物を頂こう」


 休憩、すごく助かります。

 いろいろと情報量が多くて知恵熱、出ています。

 モワモワと。

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