とある子爵の時祷書 その8
彼女をベッドに沈め、言った。
「君に拒否する権利はない――。間違いないね?」
小さな声で「仰せのままに……」そういって瞳を閉じた。
僕は少し力を入れギュッと抱きしめると、さらに深くベッドに沈めた。
と、沈めゆくさなか、彼女の両手が僕の背中にまわり、僕を抱きしめてきた。
けど、どこか力の入らない弱々しいもの。
十分に食事を与えてもらえない環境の下に置かれているため発育が遅れ、年齢相応の身体になれていないと考える。
身体と、首筋にからむ首輪を見れば誰もがそう思う。
彼女を抱きしめる力、自然と緩んだ。
「村上様?」
身体を少し起こし彼女をベッドに沈めるのをやめて、お互い横になるように姿勢を変えて僕は口ずさんだ。
古くから日本に伝わる子守歌。
寝ん寝んころりよ――。
そして彼女の頭をやさしくポンポン。
そのまま髪を掻き分けそっと何度も撫でる。
僕が幼いころ、母親にしてもらったように、やさしくふんわりと何度も何度も撫でる。
「気持ち……いいです」
「それは良かった」
「ありがとうございます……」
その言葉を最後に僕も彼女もなにも話さなくなった。
ときおり頭をポンポンして、髪を掻き分けやさしく撫でる。
それの繰り返し。
正直言えば、性欲に身を任せいろんなことをしたい。
漫画や小説に書かれている、あんなことや、こんなこと。
さらにピーやピーなことまで体験してみたいし、もしかしたら違う自分の発見にもつながるかもしれなくて、すごーく貴重な経験ができるのは確実。
そう、疲れ朽ち果てるまで彼女と――。
それを制止する力は二つ。
一つは彼女の首筋にある鉄の首輪の影響。
人間には到底似つかわしくないその物から、彼女の置かれている背景が容易に推測できてしまい性欲が萎える。
もう一つは、別棟にいる二人の顔がチラチラと脳裏をよぎり、さらに同じ棟にいる真淵さんもチラッと顔を出してきて、もしひとときの快楽に身をまかせたなら、朝、みんなの顔を見ることができなくなる。
じゃあもし、首輪をしていなくて、みんながこの絵の中にいなくて僕一人だけがいたとしたら――。
ふにゅっと彼女との密着度が増した気がする。
それと同時に鼻にツンと突く臭い。
いろんな緊張から解き放たれたせいか物事が見えるようになった感じがして、ちょっとした臭いに敏感になった。
初めて嗅ぐ臭い。
ついっと思いついたこと。
それは、きっとこの臭いは『メスの臭い』というやつ。
女性とか女子とか女の子とかそういう可愛いものじゃなくて、純粋に『メスの臭い』
教科書かなにかで読んだ記憶がある。
人は緊張がゆるむと敏感になると。
彼女がこの部屋に入ってきてもこんな臭いはしなかったし、ほかの臭いも感じなかった。
きっと緊張していたため感じなかったのだ。
近い臭いはなにかと言えば、夏の中学の頃の体育時間の終わったあとの教室に漂うデオトラント臭の入り交じった酸味を帯びた臭い。
それと彼女の首筋にある鉄の首輪に汗がたれて、さらに酸味を帯びているのではないか。
「むっ村上……様。あの、その……」
「はむ?」
熱を帯びた甘い吐息が僕の耳元に当たり「えっと、私――。そのぉ……」なにか言いたそう。
彼女はふとももを僕の身体に密着させなおも「私の……」
衣服を通してふとももに生ぬるいなにかの液体が付く。
「もう、十分にございます……。いつでも、私のほうは……」
さっきまで肌寒かった室内がいっきに湿ったように感じ、鈍感な僕でもなんとなーくわかる。
僕の描いていた一夜は、彼女の頭をポンポンして髪を撫でて、寝かし言葉を語りかけ眠りにつかせる、はず――だった。
じんわり汗ばむ彼女はさらに身体を密着させてきて、わざと引いた僕の腰に下半身を密着させ「村上様の……。えっと、温かいです……」
「ちょっ、ツゥルペティアーノさんっ、すっ少し夜風に当たろうか。夜は長いからね!」
んー、これ以上はやばい――です。
シュンとする彼女を毛布で包み、ベッドから起き上がり、二人して窓の縁に立つ。
木製の防犯扉を押し開け夜風を入れる。
心地よい冷たい風が僕たちをなでる。
眼下に広がる街並みは所々に灯がある程度で、見上げると透き通った夜空が広がっている。
様々な照明の光で濁った僕たちの世界の夜空とは違い、どこまでも澄んだ夜空に光り輝く星々を目の当たりにして真淵さんが言っていた、この体験ができることの貴重さを、改めて感じる。
「村上様、どうされましたか?」
「ん、いや。星々の輝きに目を奪われてしまってね……。僕たちの世界ではこの半分の輝きも見えないんだ」
「そうなのですか」
「そうなのです」
そっと身を寄せてくる彼女。
「村上様の世界の夜空、もし見れる機会があったなら私も……」
「ん~、そうだね。きっと見ると、この世界の星々の輝きの凄さが実感できるかもしれない」
「そっ、そのお言葉は……」
「はい?」
彼女は僕の手をギュッと握ると瞳を潤々させて、なにかを訴えてきた。
んー。
彼女は僕の手をギュッと握ると唇をツンと突きだして、目を閉じた。
んんっ~。
「あっと、ロウソクが終わりそうだから交換するねっ」
そう言ってちょっと強引にこの場を離れ、机に置かれた予備のロウソクに火を灯しロウソク台に載せ、入り口の扉の鍵を解除。
ん?
机の中央に銀色の鍵が一枚。
手に取り見てみると細かい細工のされたちょっと高価そうな逸品。
「あっ! 村上様、それを元の場所にお戻しくださいっ」
「えっ、これはなにか危険なもの?」
「いえ、危険なものでは……ありませんが……」
どこかよそよそしくスッキリしない答え。
またもなにか彼女は隠しているよう。
追い詰めるような言い方ではなく、やんわりと問い正すとさっきのことがあってか素直に言った。
その鍵は、私の首輪の鍵ですと。
「ごっごめん……」
とっさに出た僕の言葉に、村上様はなにも悪くないので謝りの言葉は不要と言い、下を向いたままさらに口にした。
主様がこの屋敷の者に頼んで密かに置かせたに違いなく、私もその鍵がこの部屋にあることを知らなかったと。
僕は疑問に思ったことを訊ねた。
客人である僕に伝えず、本人でもある君にも教えずこっそり机の上に置いた理由を。
「……理由は、もしやなにかの弾みで使われることがあるやも、しれないと……」
僕の頭に?マークがポコポコ浮かぶ。
「この鍵で、君のその、鉄製の首輪が外れるということなんだね」
「はい……」
「外すとどうなるの?」
「……」
「教えて、ツゥルペティアーノさん」
少しの沈黙。
そして彼女は重い口を開いた。
所有者となる鍵。
僕は聞いた。
それは、君を下賤奴隷から開放できる意味と捉えていいのかと。
なにも答えない彼女。
なら、君が幸せになれるかもしれない意味と捉えてもいいのかと。
またしても、なにも答えない彼女。
つまり僕は、この鍵を使うに値しない人間という意味と、捉えてもいいのかと。
「そうなります。村上様はあくまで客人であり、外様にございます。この鍵を使う権限はないと、思います……」
彼女は、じっと見つめそう口にした。
「ゆえに鍵を、元の場所にお戻しくださいまし……」
彼女の一言一言に痛みを感じる。
誰だって苦しみ、痛みから救ってほしい。
この鍵の使い方を聞いたときから、僕の心は決まっていた。
彼女のためにも、時間をかけちゃいけない。
「ありがとう、君はやさしいね」そう言って彼女に近づき髪を掻き分け、鍵穴に差し込み回した。
ガチャンと鈍い音を立て首輪は床に落ちた。
「をををっ……」
言葉にも悲鳴にもならない声を発して床に崩れ落ちる彼女。
首輪のとれた首筋は赤い腫れや切り傷、アザや膿があって僕の心を押し潰しにくる。
僕は跪き、彼女の背中にそっと右手を当て、左手で床に落ちた首輪を掴む。
重い。これをずっとしていたなんて……。
「むっ村上様っ、私っ、私は……これからどうす――」
ドバーーン!!
僕たちの背中越しで勢いよく扉が開き「ぬわにぃ、やってんのよおぉぉぉっ!!」
振り向くと顔を真っ赤にして仁王立ちの桃乃さん。
「村上佑凛君、お邪魔だった・か・し・らっ!」
胸のところで両腕を組んで仁王立ちの水野さん。
「むっ村上様、こっこちらの方々は――」
ギリッと歯ぎしりをしながら水野さんは「村上様!? ずいぶんといいご身分ですことっ」
ギリギリと歯ぎしりをしながら桃乃さんは「水野お姉ちゃん見て! あの子、身体にアザが一杯……。それに、手に首輪なんて持ってるよ……」
「……ギルティー。有罪よ、村上君!!!」
「ちょっ、これはいろいろとわけがあって、まずは話しぃをををっーーー!!」
瞬殺で僕の首筋に噛みつく桃乃さんは、すっごい勢いでナニカを吸い出してきて必要以上にギッチリ噛んできて、反対側の首筋にも痛みが走りなんでかと振り向くと水野さんも噛みついてきて、必死にナニカを吸い出そうとしてきた。
「って、水――野さんは違うでしょー!」
「ふぬぅっ!!」
僕の言葉が火を付けたのか、桃乃さん以上に噛みついてきて本気で痛いですっ!!
「もっ、申し訳ございませんっ。村上様の性癖をご理解していなくて。こういったのがご趣味なのですねっ」
「「ふんがぁぁぁー!!」」
彼女の言葉がさらに二人に火をつけて。
ああ、パトラッシュ……ぼくはもうつかれたよ。
いみふめないことばをはいてぼくのいしきはおちてゆく――。
「私は、どちらを……。では下半身のこちらを――」
「「だめぇっーーー」」
ぼくは、おちた。