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とある子爵の時祷書その6

「現代人は、残された文献や伝承、遺物、絵画により忌むべき存在としての制度──人身売買と奴隷制について、どのようなことが行われたのかを知っている。

私はそれらについて、海外赴任を主とした外務省勤務を経て現在、西洋美術に携わる者としてそれなりの知識を有していると、自負していた。

しかしその知識は、伝える者、記録する者、記憶を残そうとする者たちの手によって加工された歴史に過ぎなかったのだよ」


 (うたげ)最中(さいちゅう)、お酒の飲み過ぎで酔いのまわった真淵さんはそうつぶやいた。

 その言葉を聞いたとき、その意味するところの根本的な部分を理解していなかった。

 いや、正確には、できなかった。


 そう、目の前で(ひざまず)く綺麗な女の人を見るまでは。


「私の(あるじ)はこう言われました『真淵様のお連れの方でしたら本来、高貴な者を差し出すべきところ。されど、急訪のため準備が間に合わず質が落ちましたこと、申し訳ない』と。そのことにつきましては、この場を借りまして私からも謝罪をさせて頂きます。申し訳ございません」


 固まる僕。

 なんと言っていいのかわからないし、考えもつかない。


「主はさらに『村上様より発する要望、願いを漏らすことなく聞き上げ、必ず行動するように』と……。村上様どうか私めを、使い潰すことにより、主の思いを、謝罪を、受け入れて頂きたく願い致します……」


 微かに震える声でそれだけを言い、小さく会釈をした。

 使い潰すって……。

 なにか伝えなくちゃいけない。

 この人がなんとかなるための言葉を。

 しかし、それが思いつかない。

 なにを言えばいいんだ……。


「村上様? どうされましたか?」

「いっいや、なっ……なんでもないよ!」

「そうですか……」

「……はい」

「……」

「っ! えっと、立ち上がって!」


 薄明かりのなか、震えるのは声だけではなかった。

 白い布生地(ぬのきじ)一枚の薄着のせいか寒いよう。

 僕は毛布を手に取りこれで身体を包んでと伝えて、手渡そうとするも拒んできた。

 これは客人のために用意された物で、訪れてきた私に使う権利はないと。


「僕は大丈夫ですから使ってください! お願いします……」

「……。村上様がそう仰るのでしたら……。さりとてそのままお使いしてしまうわけにも……」

「お願いします。使ってください……」


 念を押すように伝えちょっと強引に手渡す。

 女の人は手渡された毛布で身体を包み込むと「……では、このように致します……」そう言ってベッドに腰掛ける僕をも毛布で包み背後からギュッと抱きしめてきた。


「はぅ!!」

「もっ申し訳ございません!」

「だっ大丈夫です! ちょっと驚いただけですから」

「そうですか……。あの、その……、もしや村上様は、私らより、同性の方のほうにご興味がおありで……」


 同性?


「もしお望みでしたら、幼子になりますがすぐにでも……。いまでしたら複数、ご用意可能にございます。いかがされますか……」


 幼子?

 複数?

 いかがされますか……?

 って……!!!


「そんなことないよ! 女性のほうが好きだよ! それに一人で十分だよ!!」


 後ろを振り向き慌てて訂正する僕。

 プッと小さく笑った女の人はすぐに「申し訳ございませんっ」と、謝罪をしてきた。

 僕は気にしないでと言って、気楽にしてとも伝えた。

 背中に小さな膨らみが当たり、その感触にハッと我に返った。

 か細い両手が背後から僕を抱きしめ、それは冷えた室内、僕に暖を与えようとしているにほかならない。


 薄明かりのなか、姿をよく見れなかったけど僕より少し背の高い、赤茶けた色の髪が胸あたりまで伸びていて、引き締まった腰元に僕の目は奪われた。

 薄着一枚で密着してくる綺麗な女の人に、背中から抱きしめられて元気にならないほうがおかしい。

 けど、いまの僕はそうなっていない。

 女の人の発する言葉一つ一つが深く重みに満ちているため。


「村上様、私を、私の身体をお好きなようにお使いくださいまし……」


 耳元でささやく声、どこか震え怯えているよう。

 その震え怯える声が、僕を冷静にしてくれている。


「村上様、私はなにを致せばよろしいでしょうか……」

「いっいや、なにもしなくてもいいよ!」

「そうですか……」

「そうです……」

「……」

「……」


 途切れ途切れの沈黙が僕を襲う。

 はぅぅっ!

 ふいに僕の股間にか細い指が絡んできた。


「だっ大丈夫だよ、そういうのはいらないから!!」

「もっ、申し訳ございません!!」


 そう言ってベッドから飛び下り、床に土下座をして謝ってきた。


「醜く下賤(げせん)の者の私では、村上様のお相手をするにふさわしくない事実を、(あるじ)に伝えますゆえ、(しば)しのお時間を頂きたくここに願い致します……」

「そんなことないよ! 綺麗だしここにいてほしいと思ってるから!!」


 このままなにもせず帰るときっと、良くないことが待ち受けているに違いない。

 客をもてなすことができなかったことで、主とやらにひどい虐待をうけると思う。

 そう、現代社会では想像もできないような、ひどい仕打ち。

 考えたくないけど、たぶんそうなる。


 だからこそ、僕は決心する。

 僕は深呼吸をする。

 深く深く、深呼吸をする──。

 僕は立ち上がり彼女を毛布で包み込み土下座をやめさせ、ベッドの端に座らせ口にする。

 女性と(まじ)わったことがないと。

 そして、こんなことをされたのも初めて。

 だから、どうしていいのかわからない。


「そういう、ことなんです……」


 正直に伝えた。

 薄暗い室内、顔の表情は見えないけど、驚いている雰囲気をなんとなく感じとれた。


「僕たちの世界では、この年齢で経験のある人のほうが少なくそれに、女性とこんな感じになれることもないのです」

「そうなの……、ですか……」


 なにげないひと言だけど、驚きの成分が混じり合っていることを、鈍感な僕でも感じとれた。

 薄明かりを頼りに女の人の顔を見てみると、醜く卑しいものはまったくない。

 均整のとれたモデルのようなきれいな女性。

 細く整った眉毛に、瞳は青色。

 ロウソクの光にちらちらと輝く赤茶けた髪は、窓の隙間から入ってくる風にときおり揺れていた。


「だから安心してください。貴女を、壊すようなことはしないと、ここに約束できます」

「……」

「あっと、壊すとか、物騒ですみません」

「いっいえ、私は大丈夫です……」


 僕の口癖が移ったのか、しどろもどろになってよくわからない返答をしてきて、なんとなく、なんとなくだけど緊張の糸がほぐれたように感じる。


 僕は冷静になるようまた、深く深呼吸をして、伝える。


 名前は村上佑凛。

 十六才、学生。

 真淵さんと女子二人の四人でこちらの世界を訪れ、真淵さん以外は初めての来訪。

 趣味はオタクな趣味全般。

 好きな食べ物は、いっぱい。

 最近自分のなかでの流行は『小説家たちになりましょう』の小説を読むこと。

 身長は百五十センチくらい、ですっ。

 って、趣味以下の紹介はいらないなと。

 僕の紹介に少し戸惑いを見せる彼女。


 そりゃそうだ。

 こんなこと、いきなり言われてもなんて答えていいのかわからないし第一、学生という身分!?すらあるのか不明。

 しょーもない紹介になってしまったけど失笑することもなく、なにもいわず最後まで聞いてくれた。

 女の人のまじめさが伝わってくる。


 僕は伝えた。

 君のことを知りたいと。

 話したくないことがあったなら、それは話さなくていいよとも付け加えた。


「……」


 毛布の一片をギュッと握り彼女は、口を開いた。


 私の名前は、ツゥルペティアーノ。

 十八才。

 犯罪者が生んだ娘。

 何十人もの殿方と交わってまいりました、下賤(げせん)な女。


 軽い気持ちで自己紹介をして欲しいと言った自分の愚かさに、心がよじれ胸が詰まる。


 ツゥルペティアーノさんはさらに言った。


 この世界で生きる人々の最下層、奴隷より下の者、下賤奴隷(げせんどれい)


「私は人身売買されません。なぜなら、人として扱われる身分にないためにございます……」


 固まる僕。


「真淵様が以前言っておられました『人権』というものがない者に、ございます──」


 彼女が言った言葉『使い潰してほしい──』その意味を、性的欲求を満たす道具としての言葉として、僕は(とら)えていた。


「村上様、どうか私めに、ひとときの人権を、お与えください──」


 そう口にすると、するりと毛布と薄い肌着を床にたらした。


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