とある子爵の時祷書その5
客室で一人、ベッドの端に座り、開け放たれた窓から星々に照らされた夜景を眺めながら小一時間前の夕食を思い出す。
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ヨハンさん主催のささやかな宴は、はじまりのネーミングトラブル!?がピークでそれ以降はまったりとした雰囲気のなか、料理の味を楽しめた。
噛み堪えのある分厚い肉に、香辛料をふんだんに使ったスープ、真淵さんがこれは絶対に食べておけと言って進めてきたのは、現代ではすでに絶滅した大型鳥類のから揚げと、イチゴの原種と呼ばれる野イチゴを磨りつぶしてミルクで味付けした飲み物。
その二つは向こうの世界の調理方法を若干取り入れアレンジしたもので、これも人気商品とか。
ネーミングがカーネル・サムダー揚げとゴイチーミクル、これまたやりたい放題ネーミング。
てか、カーネル・サムダー揚げ、創業者さん揚げてどうするのですか真淵さん。
ゴイチーミクルは、まぁ精一杯のオヤジギャク、きらいじゃありませんよ。
味はいたって普通で、女子二人にも美味しいと評判だった。
ネーミングトラブル以降は仲の良いいつもの二人だったので、まずはひと安心。
というか『安心したい』というのが本音。
そんな二人はいま、別棟にいる。
薪で沸かすお湯の供給がストップするとかで、水野さんは桃乃さんの手を引っ張り、慌てて女性専用の別棟の客室に向かった。
真淵さんはこちらの男性用棟の主部屋に近い客室で、なかを拝見させてもらったらいかにもザ・貴族的な豪華な室内に驚いた。
高い天井に、壁には鹿の頭の剥製、建具はみな金銀で装飾、床は趣のある木の床張りで、デジカメを持ってこれたら何十枚と撮っていただろう。
なんでもこちらの世界にくると電子機器類は一切使用できなくなり、例外なくすべて壊れるとか。
どうも内部のコンデンサーや回路、バッテリーがいかれるようでまったく使い物にならなく、何十万円分もの家電製品をすべて破棄したと。
僕にも同じ程度の部屋を用意しますと言われたけど断って、シンプルなこの部屋にしてもらった。
木の香り漂う十畳くらいの洋室。
鈍く光るロウソクの灯りと、窓の外から照らす星々の光が唯一の光源で、ぼんやりと室内を照らしている。
壁に掛けられた何枚かの油絵と、テーブルと椅子が一組、小さな本棚兼聖書を読む机に、広いベッドがひとつ。
現代社会では普通にあるテレビやスピーカー、オーディオ機器類、パソコン、クーラーなど、そういったたぐいの物がいっさいないためか広く感じる。
木の香りがするのはまだ建って半年もたっていないためとか。
ヨハンさんによると、この館を建てられたのはすべて真淵さんのおかげで、この街が潤うきっかけを作ったのも、そしてこの地を治める方の地位が男爵から子爵へ一段上がったのもすべて真淵さんが尽力したおかげと。
宴の席、ヨハンさんは信頼のおける二名の者を同席させ真淵さんの功績をとつとつと話してくれた。
真淵さんのおこなった事業の一つに西地区の再開発があり、この街最大の大規模なスラム街が広がっていた。
この街の改善の一環として真淵さんはこの世界に滞在できる貴重な時間の大半をこの問題に取り組み、ここを去るときに入念に記された資料と計画書を残し、都市整備の最初の基礎となる部分にも携わった。
それを基にヨハンさんがまとめ役となって、この世界で初となる偉業をなし遂げた。
それは美術館建設と、それによる相乗効果を狙った街づくり。
美術館入場料がベースになり、館内に併設された飲食処、雑貨を含むお土産をメイン収入源とし、二次波及を狙い演劇、歌劇を観劇できる建屋も併設し西地区一帯を様々な芸術の集う場所として生まれ変わらせた。
真淵さん曰く、半々の賭けに近いものだったけど、この屋敷の豪華さを目の当たりにして計画は成功したと確信。
この街に入る前、真淵さんは『西地区には近づかない』と言っていたのは、事業が頓挫してしまい、元のスラム街になっている可能性を含め言ったと。
僕は改めて実感するばかり、真淵さんの優秀さを。
向こうの世界で『国立』の付く美術館館長という肩書は、ただのお飾りや、口利きや馴れ合いで館長のポストを掴んだものではないと。
で、明日はその西地区へみんなで行く予定。
もちろん一番楽しみにしているのは水野さん。
だから急いで、お湯が供給されている間に客室へ行きたかったのだろう。
そういえばヨハンさんは気になることを言っていた。
とある時祷書を見てもらいたいと。
その場で聞かなかったけど、時祷書ってなんだろう?
◆◇◆◇◆◇
宴のときの内容を反芻していたら、一時間くらいたってしまったみたい。
開け放たれた窓から冷たい空気をともなった風が入ってきて、もう一枚なにか羽織りたくなった。
現代社会だとたぶんまだ八~九時ころかな。
安定した灯りが確保できないこの世界では深夜への入り口くらいと思う。
「もう寝よう」
ひとりつぶやく。
窓を閉めベッドに掛けられた毛布を手にとり寝る準備に入ったとき、ドアをノックする小さな音に気づいた。
それは気づかないかもしれないほどの小さな音。
寝ていたら確実に気づかなかっただろう。
ベッドの上から「鍵はかかっていないよ」そう小声で言った。
少しの間をおいてドアは開いた。
ぼんやり灯るロウソク台を手に持ち、薄着一枚のブロンド髪色の女の人が立っていた。
「むっ村上様……、夜分いきなりの訪問、どうかお許し願いたく存じあげます……」
右手を胸に添えて、深々と会釈をしたまま顔を上げずさらに言った。
「もしお許し頂けるのでしたら、室内へ入るご許可を頂きたく、ここにお願い申し上げ致します……」
「どうかご許可を頂きたく……」
返答に戸惑う僕を知ってか知らずかいま一度、同じ文言を口にした。
女の人の首にキラリと光るなにかが見えて、それはなにかと目を細めてみると、人間の首筋にはとても似つかわしくない鉄でできた首輪。
なんとなくいろいろと察した僕は室内へ入るよう促した。
女の人は入るやいなやドアに鍵をかけ、ロウソク台を机に置くと僕の目の前で両膝を床に付き、祈る姿勢をして口にした。
「村上様、今宵は山肌より流れ入る冷気により、寒さ身に沁みる夜にございます。どうか私めを使い、ひとときの暖と悦の足しにして頂ければ、このうえなく嬉しい限りにございます。……どうか卑しく醜い私めを……、村上様のお好きなようにお使いくださいまし……」
真淵さんは宴の最中、言っていた。
いろいろと頑張ってみたけど、どうしてもできなかったことがあると。
それは人身売買と奴隷制の廃止──。
僕はいま、試されている。
この世界に──。