とある子爵の時祷書その4
そんな話をしていたら、いつの間にか山裾に太陽が隠れ出してヨハンさんは「続きは夕食時にしましょう」と。
真淵さんは僕たちのほうを見て「こちらの料理はワイルドだぞ」と言ってやおら立ち上がると、水野さんに向かって伝えた。
S嬢から手紙が届いたと。
「『水野優女史の来訪、心よりお待ち申しております』と、歓迎してくれるそうだ」
水野さんは爛々と目を輝かせ、お土産などを持っていったほうがいいかと訊ねた。
「お土産は、様々な匂いのオイルかお香が良いだろう。ただ、どのような歓迎になるかは、なんともいえない。多少の覚悟!?が必要かもしれないな」
「多少の覚悟、ですか。やはりあの、私の失言が原因ですか……」
「そうだ」
真淵さんは短く言い切った。
そして、冷却期間として少しの間、赴かないほうがいいとも付け加えた。
それに対して水野さんは、多少のリスクがあっても行きたいと口にした。
「ところで村上君、向こうで二十代前半の容姿の、深い緑色の長いドレスを着た、黒い長髪のA嬢と会ったと思う」
コクリとうなずく僕。
「彼女は、ああ見えても本当は十代半ば。しかし強制的に容姿を年齢以上に引き上げられ、侍女として仕えているのだよS嬢に。冷却期間を設け、先方さんのご機嫌を伺うことが最善策と考える。それでいいかな水野君?」
ただ黙ってコクンとうなずく水野さん。
僕たちを横目にヨハンさんは「二つ山を越えた先にある城砦都市ソドムのS嬢のことですか?」と。
「ヨハン殿の知るS嬢と違う方ですが、二人を面と向かって会わせたとしましょう。強いて言うなら『混ぜるな危険』でしょうか」
それを聞いたヨハンさんは以前、真淵さんから聞いたそちらの世界の名言とやらを思い出したと。
触らぬ神に祟りなし──と。
んー、微妙におしいですー。
◆◇◆◇◆
ヨハンさんが何度か手を叩くと、後ろのドアから給仕の人たちがワラワラと出てきてテーブルに料理を並べていき、薄暗くなってもきたので周りの立て掛け式ロウソク台に火が灯され、優雅に街を一望できるテラスで野外レストランの様相。
料理が並べられていくさなか真淵さんは「先に謝っておく。すまん」と短く言って苦笑い。
僕たち三人の頭にハテナマークがポンポン出て行く勢いのなか、それはすぐにわかった。
「この料理は真淵様の発案で作られた料理、オオサカタマシイ焼き。こちらはアカイカープァ焼き。どちらもこの街の名物料理にございます」
えーと……どう見ても、たこ焼きとお好み焼きにしか見えないのですけど。
「そしてこちらも真淵様の発案されました飲み物、ロイヤルミクルチィー」
「「「ミクルチィー!?」」」
どう転んでもどう見ても、カップ内に見える飲み物はただの紅茶に牛乳を入れたミルクティーにしか見えないのですけど……。
「少しばかり酔った勢いでつぶやいた言葉がそのまま使われ……。まっ、いいかなーって、訂正はせずに……」
水野さんはぽつりとつぶやいた。
「真淵さん、やりたい放題ですね……」
桃乃さんもぽつりとつぶやいた。
「ネーミングセンス、ぜろー」
桃乃さんと水野さんの冷たい眼差しに真淵さんは耐えきれなかったのか、僕のほうを見て「男っていくつになってもアホな生き物だろう? そう思うだろう、村上君も」
僕を必死に巻き込もうとする真淵さん、数時間前の街壁の門番とのやりとりで見せた威風堂々とした姿はどこにもなく、片目をウインクそして小さく何度もうなずいてきて、なんとなく真淵さんが考えていることを察知できた。
「おや、どうされました? 冷めないうちに両名物料理をお召し上がりくださいまし」
ヨハンさんが不思議そうな目で僕たちを見ていて、これはもう確定です。
「僕はとくにオオサカタマシイ焼きが好きで、よく食べますね」
いまさらその二つの料理名は『偽名で、なおかつオヤジギャグなんですよ』と、訂正できるわけもなく、現状を考えればこのまま押し通す以外選択肢はない。
この世界に別の人が来たら露見してしまう可能性もあるけど、いまはそんなことをいっていられる場合ではないなと。
僕の言葉に水野さんと桃乃さんも理解したらしく、二人ともたこ焼きとお好み焼きのことを別名で呼んでくれた。
「ねぇねぇ、真淵さん。こっちの世界でなら、あのデザートとかも人気でると思うよー」
「それはなんです、桃乃ちゃん」
「ブラックティラミスインミジュノチネェーだよー」
えっ!?
「そっそのデザートについて私、真淵はノーコメントで……」
コホンと咳払いをする水野さん。
「真淵さん、ヨハンさんのお口に合うと思われるおすすめデザート、ほかにもありますよ」
あっ、はい。
水野さん、なんとなくだいたいそのデザート名の方向性、言わなくてもわかります。
真淵さんはなにも答えない。
ンッ、ンー……。
真淵さんのほうを見て二度三度、小さく咳払いをする水野さん。
「そっそれはなんです……、水野君……」
「ドスコイピーチノツルッペプリンですよー」
フンッ!と、地面に覇気を打ち込む桃乃さん。
「そっそのデザートについても私、真淵はノーコメントで……」
「えー、黒のサラミインミズノチネェーのほうがほろ苦くて、濃厚で油っこいしつこさが病み付きになると思うなー」
えーと、自分で発案しておいてすでにネーミング間違ってません?
「桃乃ちゃんのおすすめもいいけど、ドドスコピーチノムネハツルッペプリンも口の中で後に引くエグミのギトギト感が大人の人に合うと思いますね」
うーん、こっちもこっちでネーミング間違ってません?
てか、いろいろとひどい惨状、どう収拾をつけたらいいのか悩むところだけどここはひとつ、僕がしっかりしないといけないねっ。
「おっと、『自分は無関係ですー』みたいな涼しい顔をしている村上君、君はどちらのデザートをヨハンさんに勧めるかな? 二頭をゲットしようとする者は一頭もゲットできず──と言うではないかな?」
その言葉に女子二人から熱い、とっても熱い、熱い視線がきて「四面楚歌ってこういうときに……」とついうっかり本音が漏れるもそれを聞き流す二人。
「シメンソカ、それはどのような料理だい? 村上君」
突っ込んでくる真淵さん、楽しんでいますね……。
フッ、どんなときでも冷静沈着に受け答えが出来るのがオトコというもの。
「そうですね……、例えるなら……。なんといいますか、こう……、困っているときにやさしくギュッと抱きしめてくれるような温かみのある味と申しましょうか……はい」
「五十二年生きていて初めて耳にする料理シメンソカ、なんとも抽象的な料理だね。ちなみにヨハン殿はどの料理に興味がおありですかな?」
むーんと困った顔をするヨハンさん。
「そうですね……。ここ最近、年のせいか、ほろ苦くて濃くてギトギト感のあるものは身体が受け付けなくなってきたので、シメンソカなる料理について教えて頂きたく思います」
「佑凛お兄ちゃん、良かったね! お勧めした料理に興味があるってよ!」
「村上君、私もシメンソカを食べてみたいわ。今度作ってほしいなー」
頭にハテナマークがいっぱい咲き乱れると思われるヨハンさんを横目に真淵さんは、苦笑いをしながら「『一蓮托生』という言葉を知っているかい村上君」
えぇ、なんとなく理解できます、真淵さん。
「そういえば真淵殿は、ほかにもいくつかの飲食物をこの街の名物にしてくださいました」
ほかにもあるんかいっ!
ヨハンさんの言葉にどうしても突っ込まずにはいられない三人がいた。
ああ、こうやって世界は歪んでいくのね……。