とある子爵の時祷書その2
「次の四人、列から離れ、柵の内側へ入れ」
革でできた鎧と、くたびれた槍を持った門番たち三人の中で一番位の高そうな、でっぷりとした髭を生やした人物はそれだけ口にすると、槍の矛先を向けて柵の囲いの中に入れと合図をしてきた。
「名前とどこから来たのか、この町を訪れた理由を話せ」
ぶっきらぼうに言うと『早く答えろ的』なジェスチャーをしてきた。
「お前たちの後ろにあと十人はいる。さっさと言え」
さらにちょっとイラついているみたいで、槍の柄の部分を地面にドンドンと突き立てた。
そんな門番の態度に、真淵さんを除いた僕たち三人は身を縮こまらせ萎縮。
真淵さんは臆することなく一礼をすると胸元から丸めた羊皮紙を取り出し、手前にいる若い門番に手渡した。
「なんだその紙切れは」
なにも言わず胸元に右手をそえて一礼をする真淵さん。
「チッ、早く読め」
若い門番は、あたふたしながら丸まった羊皮紙を広げ読み上げた。
『流るる黒の異邦より来訪せし若人よひと匙の糧と一晩の安堵をここに約束せしことの静寂をもって返辞とする。真贋の鷹住まう塔より在らん』
「なんだその意味不明な下手くそな詩は。そんなものがどうしたと言うのだ、さっさとこっちの問いに答えろ!」
明らかに切れ気味。
再度一礼をして真淵さんは短く口にした。『真贋の鷹住まう塔より在らん……』と。
「だーかーらー、それがどうしたと言うのだ!!」
もう限界寸前ですよあの人。
真淵さんは腰を折りつつポケットに手を入れると一枚の銀貨を取り出し「こちらをあちらの方に」そう言って若い門番にそっと手渡した。
それを見たでっぷり髭の門番はそれでは足りぬと、もう一枚要求してきた。
「下手くそな詩のことはそれで許してやる。それで、この街にはなにしに来たんだ」
再度、銀貨一枚を若い門番に手渡し「ジョルジュ・ヨハン様は御健在でありますか?」と付け加えた。
「……」
「ヨハン様にお取り次ぎ、願いたく存じ上げます」
腰を折り、低姿勢を崩さず口にすると、またポケットに手を入れ今度は金貨一枚を取り出すも今度は門番に渡さず、手のひらの上にこそっと置いたまま「願い、存じ上げます」と。
「……。お前たちは列から離れ、右手の木の下で待って居れ」
少しばかり丁重さが入った声で吐き捨てると、門番二人になにか伝えて街壁の向こう側へと消えていった。
「いま、隊長がヨハン様の元に向かった。四人はそこの木の下で待つように、その間、誰とも話しをしてはいけない。それは我々にも声をかけてはいけない。飲み食いも禁止。以上だ」
若い門番は手で払う仕種をして列から離れろと合図。
僕たちは指示に従い木の下に移動。
真淵さんは目で合図を送ってきて、女子二人を高い街壁側に立たせ、周りから見えづらいように囲んだ。
小さな声で真淵さんは「安心してくれ。この程度、想定していた選択肢の一つ。隊長とやらが戻ってくるまで、並ぶ人たちを見ているといい」と、僕たちにやさしい口調で投げかけ、こちらを見ている門番二人に小さく会釈をして笑みを見せた。
甲冑を身にまとった騎士や、腰に剣をぶら下げた冒険者たちのパーティー、荷物を満載した商人の馬車、黒いマントにフードで顔を隠す怪しい雰囲気の宗教家など、みんなで雑談をしながら列に並ぶ『異世界あるある』的なものは、まったくない。
丸めた背中に農機具や麻袋を背負い、無駄口をせず無言のまま立っている。
馬車や荷台車は見当たらない。
見た感じ、ほとんどが農民のよう。
僕たちを一瞬見るもすぐに視線は戻り、淡々と列に並んでいた。
旅人のような男二人が僕たちのほうを見て、なにか話している程度。
一言で表現すると『色が無い』
疲れたサラリーマンが駅のホームで電車待ちをしている雰囲気。
別世界=ワクワク感満載!
ではないですね、現実は。
見た感じ、街の中で暮らす人たちばかりのようですぐに列はなくなり、門番二人と僕たちしかいない。
遠くの山並に目を向けるも、元の世界と代わりばえしない景色。
時間して十分くらい。
眺める景色に飽きてきたころ、壁の向こう側からカチャカチャと音がしてきてそれは腰に剣を差してシルバー色の甲冑を身につけた衛兵三名が足早に来て検問所の門番二人に声をかけた。
若い門番がこっちを指さしなにか話している。
衛兵の後ろから、でっぷり髭の隊長が顔を出し「すぐにこっちへ来い!」
真淵さんを先頭に早歩きで向かうと隊長は「ヨハン様は忙しい身の上、こちらの直属の方々が直接訊ねる。質問は一切許さない。聞かれたことについてのみ簡潔にのべよ」
超上から目線の言葉を無視するかのように真淵さんは、衛兵たちのほうへ足を向け、胸元に右手をそえて一礼をした。
一人の衛兵が一歩前に出ると腰に吊るされた皮袋から一枚の羊皮紙を取り出し、その紙に視線を落としながら「これからいくつか訊ねる。お前がこの書状を提出した者で間違いないな」
「はい」
「では問う。『流るる黒の異邦』とはなんぞや」
「こちらにございます」
真淵さんはそう言って深く被る農民帽を脱ぎ、自毛の黒髪を見せた。
おぉっと、小さな驚きの声が門番と衛兵たちからあがる。
衛兵は羊皮紙に視線を落としながら「『ひと匙の糧と一晩の安堵をここに約束せしことの』なら、糧と安堵を示せ。そして『約束せしことの』はどこぞが保証する」
「それはこちらにございます……」
衛兵から僕たちの後ろに立つ女子二人が見えるよう、僕と真淵さんは左に寄ると、水野さんは軽く会釈をして無言のまま麻袋から修道院でもらったライ麦パンと小さな蜂蜜壺を、衛兵の前に差し出した。
「ふむ。では、匙はどちらだ」
「パンにございます」
「それでは『約束──』とは、いかように?」
「はい、丘の上に建ちます修道院にございます」
「ふむふむ。では最後に。『静寂をもって返辞とする。真贋の鷹住まう塔より在らん』を答よ」
その問いに真淵さんは胸元に左手をあて、右膝を地面に付き、右手で斜め右上を指した。
「答よ」
衛兵の問いになにも答えない真淵さん。
「……」
「……」
「隊長殿、いまよりこちら四人は我々の権限の下に入った。あとは任せてもらおう」
「なにゆえにございますか? 街の安全と生命を守る責任者として『はいそうですか』とは申せぬ次第。これは越権行為に該当すると、ここに宣言せざるおえません!」
「はっきりと伝える。同じことは二度言わぬ」
隊長は衛兵をキッと睨み、それならばその質問の書かれた羊皮紙を見せろと言ってきた。
「いいだろう」
衛兵は眉を釣り上げ呆れた顔で隊長を見ながら、あっさりと手渡した。
それに対し隊長は、口をぽかんと開け少しばかり驚いた。
いやいや、あなたが言ったのになんですかその態度は。
手渡された質問状を食い入るように見つめたかと思うと無意識のうちに読み上げてしまい、それは僕たちにも聞こえた。
「──以上をもって、問いに答えられたなら、その者たちを候の庇護下に置くことを此処に記す……るっ!!」
「そうだ。この質問状は、ヨハン様の手によるものではない。これだけ言えばあとは理解して頂けるな」
「あぁぁ……」
質問状を手から滑らせ地面に落とし片膝をついた隊長は、街壁の中央のほうへ視線を投げかけ、ガクガクと震えだした。
「どうやら隊長殿は、なにか勘違いをされているようだ」
「わっ私めが、勘違い──?」
衛兵は両肩をすくませ、ため息をひとつ。
「その者が指さした方角はどちらだ」
「えっ?」
「街の中心ではないぞ」
「!?」
「其方もこの国の一片に従事する者として、その方角になにがあるかくらい、知っているであろう。よもや知らぬとは言わせぬぞ!」
「…………帝都」
うなだれ、黙り込む隊長を尻目に衛兵はさらに口にした。
「鷹住まう塔……。お前と、その部下たちにも告げる。この場で見聞きしたことを、酒場や娼館、部隊間で口外してもよいぞ。ただ、夜空に散らばる星々に最後の別れをしておくように」
「鷹……塔…………。いっ、いえ滅相もございません! 我等はなにも──、なにも存じ上げておりませんし、見聞きしてもおりませんっ!!」
真淵さんは衛兵のほうに身体を向け、小さくお辞儀をして「失礼ながら申し上げます。ヨハン様直属の衛兵様は、なにか勘違いをされているようなので、ここに訂正をしたく存じ上げます」
ひと呼吸を置いてさらに言った。
この街の出入り口を守る門番様たちは不審者を街の中に通さぬよう、業務の一環として私たちに質問をしただけで、それ以上でもそれ以下でもなく、お互い尊重しあった関係、であったと。
「隊長殿、なぜこの者たちが、やんごとなき御方の書状をお持ちなのか、これでおわかりですな」
「……はい」
「ときに客人。こちらからも、ひとつ申し上げることがある」
衛兵は真淵さんの目をじっと見て小さくうなずいた。
「いくら、要したかな?」
「いくら、ですか──」
「そうだ」
「いくらと申されましても、とくには……」
衛兵は三度、うなずいた。
「そうですね……。いろいろとありようのご様子でしたので一枚ずつ。一枚ずつを皆様に」
それを聞いた衛兵はいまだ崩れ落ちる隊長のほうを見て「誠か?」と強く短く問い正した。
「一枚ずつ……。はっはい、その通りにございます! その通りに、ございます……」
それを聞いて、それ以上はなにも聞かなかった。
「衛兵様の勘違いが払拭されまして、なによりにございます」
「客人、いろいろと心遣い、すまんな」
「いえいえ、滅相もございません。ただ真実のみを、お伝えしただけにございますから──」
『ただ真実のみを、お伝えしただけ──』
マジかっこいいですよ、真淵さん。
僕もこれが言えるような男になりたい。
「では、中へご案内いたすゆえ、後に付いてきてくだされ」
その言葉に僕たちは胸元に右手をあて会釈をして、返答とした。
門番たちの横を通りすぎるさい真淵さんは、スッと三枚の金貨を隊長の裾のポケットに収めた。
女子二人をエスコートしながら後ろを振り向くと、門の隅っこで小躍りする二人の若い門番がいた。