六月上旬、美術館と僕たち その7
ホテルのレストランで朝食バイキングを食べている時、真淵さんはピシッとしたグレーのスーツを着込みやってきて「ここの支払いは済ませてある。それと、昨日の雨で湿った衣類を二日連続で着るのは良くない」そう言って六万円の入った封筒を桃乃さんに手渡した。
僕と水野さんは「大丈夫ですよ」と申し出を断るも桃乃さんは「ありがとぉー、大切に使うね」と、もらう前提で話しを進めてしまい断るタイミングを見失った。
真淵さんは縦縞のネクタイの結び目を緩めながら「ここの自家製焼きたてパンとデザートは美味しいだろう。これだけを頂きに朝食サービスを食べに来ることもあるんだ」
そう口にしながら僕たちのテーブルにある椅子に座ろうとしたら背後から「館長、お時間が押しております。もうすぐ政界の方がお見えになります。昨日、第二秘書が連絡を入れたはず、ですよね」
「えっ、もうそんなじかんー」
真淵さん、プチ棒読みが入っているのです。
「はい、もうそんな時間になります。のちほどいつもの品々をホテルの者に届けさせますので、お戻りになりましょうねっ」
スッと頭を下げて挨拶をする秘書さん。
釣られて僕たち三人もペコリ。
眼鏡の奥、眼光鋭い秘書さんは真淵さんの両肩をガッと掴むと、そのままズルズルと引っ張っていってしまった。
頭をかき苦笑いの真淵さん、なんだかかわいい。
嵐のように過ぎ去った大人たちを横目に、自家製焼きたてパンとデザート、たいへん美味しく桃乃さん曰く「焦がしチーズベーコンパンと生クリームたっぷりシュークリームと焼きたてピザと……が、美味しすぎるからいけないのぉー」って、それ以外にもたらふく食べていましたよね。
水野さんも曰く「あっ、うん。美味しいですね。とくに……」あなたも相当食べていますよね。
とくに僕がトイレに行っているあいだに、カラになったお皿が何皿も積み上がっていたのは、気づいていないので大丈夫ですよ。
「私と桃乃ちゃん、昨日の夜はパン一個とコーンスープのみだったから、お腹空いちゃって……」
その気持ち、よーくわかります。
「なにも食べていなかった僕とたいして変わらないね」と伝え、二人に負けじと僕もいつもの倍以上の朝食を食べた。
疲労からくる空腹と、桃乃さんに吸われた分を補給するように、ご飯とご飯と酢豚とコロッケと焼き鮭とサラダとお味噌汁とほか多数、美味しく頂きました。
ありがとうです、真淵さん。
女子二人はお腹一杯食べすぎてしまい、チェックアウト時間ギリギリまで女子部屋で動けず休憩したと。
僕も一人でベットに轟沈。
◆◇◆◇◆◇
その後、ホテルを後にした僕たちは真っ直ぐにJR御徒町駅近くのファストファッションのお店に行き、着替え用の衣服とそれ以外にも欲しい衣類を購入。
僕は落ち着いたカラーのチェック柄のシャツに、背負うタイプの小さなバックと下着類を購入。
桃乃さんは以前から欲しいと言っていた紺色のオーバーオールに、クリーム色の長袖シャツ、それに髪を束ねる髪止めクリップと昨日着ていた衣類を入れる手提げバックを購入。
水野さんはセーラー服を大人びた雰囲気に演出している上下の衣服と、こちらも手提げバックを購入。
二人とも肩まで伸びる髪の毛を髪止めクリップでまとめてアップの髪型!?、ふんわりかわいい姉妹オーラーが出ていて僕の視線は釘付け。
で、全員、お店の試着室で着替え終了。
『キィーンコーン、カァーンコーン、キィーンコーン……、上野御徒町店が正午をお知らせ致します』
十二時を告げるアナウンスを僕たちは、下りエスカレーターの途中で聞いた。
「桃乃ちゃん、あとで真淵さんにお礼を言わなくちゃね」
「そぅだね~」
水野さんと桃乃さんの二人の微笑ましい会話を聞いていると心が洗われていく。
二人の会話を後ろから聞いていると話題豊富で面白い。
桃乃さんが戦前のデザートにこんなのがあったと話せば、水野さんはそのデザートがどのように海外から渡って来たかを説明してくれたり、桃乃さんが三日前にテレビで偶然大正時代の映像を見て「ここの街並み、華やかだけど一本裏の路地に入ると畑が広がっている○○町だったと思うよ」と、けっこう貴重な話しにグイグイ食いつく水野さん。
「そういえばぁーあのころの流行で、釣り鐘型の帽子、クローシェ帽に付けられるリボンのデザインには意味があってね、キュッと結んだリボンは既婚の意味とか、蝶型のデザインリボンは独身で異性との交際に関心があるとか、ほかにもいろいろあったんだよー」
「それは西洋文化の影響を受けて、西洋デザインの洋服が大衆に根付いた大正時代ね。たしか『モダン・ガール』と言われ、髪型ではショートカットが流行し、女性ファッションが和服から洋服へ大きく動いた転換期とか習った覚えがあるわ」
「水野お姉ちゃんは物知りだねー。すごいねー、佑凛お兄ちゃんー」
「そっそうだね、勉強もできて色々なことも知っていて博学ですよ」
「そんなことないよー、ちょっと知ってる程度だよー」
テレテレと照れる水野さん、かわいいです。
「本当にいろんなこと知っていてびっくりだよー。もしかしたら黒魔術とかにも詳しいのかなぁ?」
「ふぐぅっ」
裏声!?でむせる水野さん。
「真淵さんも言っていたよぅー、水野さんはすごい人だってー。なにがすごいんだろうねー、佑凛お兄ちゃんー」
「さっ、さぁ?」
本能が警告している。
水野さんにこの話を振っちゃいけない、聞いてはいけないと。
素人目にもわかる。
あきらかに詳しすぎる、というか実際に使ったみたいだし『にわか仕込みのお遊び』という次元ではないことくらい、誰の目にもあきらか。
アニメで見たことある魔法円!?、魔方陣!?を、実際にカレンダーの裏側で見るとは思いませんでしたよ、水野さん。
「えーと、そのー。真淵さん、いろんなこと言っていたけど、あれですよっ。よく言う中二病。中学時代にちょっと齧っただけだよー」
「ふーん」
目を細めてじっと見つめる桃乃さん。
信じて、いない、ですよねー。
カレンダー裏に描かれた大きな円の中に☆のマークが入っていて、周りにニョロニョロした文字みたいものがいくつも書いてあり、真ん中に赤黒塗料!?で文字みたいものが書いてあったけど、きっと偶然ポケットに赤黒塗料が入っていてそれを使ったと。
または室内のどこかに赤黒色の塗料が置いてあってそれを見つけて使用したと、思いたいです……。
うん、きっとそう。
絶対、──じゃない。
はず……。
まぁ、そんなこんなで魔術みたいなもの、詳しすぎる問題は放置の方向で。
水野さんも言っているし、信じてあげようかと。
「中二病、懐かしい。僕もかかったからね。片目を抑えて『この瞳の奥に、真実を見極める第三のカバラがあるのだー』とかやっていたからわかるよー」
「いや、カバラの使い方違ぅ……」
「はい?」
「んんっ、なっなんでもないよ、村上君っ」
水野さん、汗で黒縁眼鏡が曇ったみたいで眼鏡を外して、バックから眼鏡拭きシートを取り出しその場で拭き拭き。
汗を拭き取るハンカチ、どこかに忘れてきたみたいでウエットティッシュで代用するもうまく汗を拭き取れていない。
そういえば使っていないハンカチを持っていたことを思い出し、バックの内ポケットから取り出して水野さんに手渡した。
「昨日、今日と使っていない、きれいなままだから安心して」
「ありがとう、村上君」
「むーん、なんか知らないけどいい感じで、気分わるーい」
茶々を入れてくる桃乃さんをスルーしながら額にハンカチをあて汗をそっと拭った。
「あとで洗って返すね」
「いいよ、地元の駅に付いたら返してもらうから」
頬を赤らめごにょごにょとなにか口にしているけど聞き取りにくい。
「お二人さん、お熱いですなー」
「真淵さん、仕事のほうは──」
が、振り向くと担任の如月先生。
「真淵さん? 誰?」
キョトンとする如月先生、かわいいです。
というか、先生も紺色のオーバーオールですか。
「ちょうど良かった君たち。買い物しすぎて荷物を持つのがたいへんなの。これ以上、言わなくてもわかるよね、村上ちゃん。それと、私の奢りでそこの喫茶店で休憩するから付いてきて。荷物ハイ」
ポンと渡される紙袋二つ。
選択肢は無いのですね、如月美代先生。
メモ書き20210209修正 名前変更。樹→佑凛