六月上旬、美術館と僕たち その4
水彩画で描かれている。
西洋風の白い壁の屋敷を背景に、庭先でパーティーをしている様子が描かれている。
子供や大人、男性や女性が入り交じり、二十五人くらいだろうか、テーブルに並んだ料理に手を伸ばしている男性や、立ち話をしている女性たち、足元では子供たちがなにかを手に持ち遊んでいるみたい。
現実風景が描かれていて、そこには不思議な生物や幽霊、空想世界の魔物など、僕が想像していたようなものは一切描かれていない。
もっとこう、ゲームのワンシーンみたいなファンタジー世界的なものかと思っていたから、拍子抜けしてしまったというのが、率直な感想。
「真淵さん、一つ質問をしてもよろしいでしょうか?」
「なんでしょう、水野君」
「この宴が行なわれている開催されている時刻は、夕方でしょうか? それとも夜でしょうか?」
「君はどちらだと思いますか?」
なにも言わず考え込む水野さん。
いま一度絵に視線を向けてみる。
たしかに、そう言われると夕方ともとれるし、夜ともとれる。
建物の上に小さく広がる空に星々はなく、夜ではないように思えるけど、右端のほうでテーブルに蝋燭を立てその灯で本を読んでいる老紳士の姿が見える。
夕方の一時と言われればそうかもしれないし、夜宴と言われればそうとも思える。
「不思議な絵ですね……」
水野さんはそう、ポツリとつぶやくと真淵さんのほうへ視線を向け、じっと彼の瞳をみつめた。
僕にはただのパーティー風景を描いた作品にしか見えないけど、水野さんはなにかを感じとったのかな。
「真淵さん、私なりの率直な感想を伝えます。生者は数名、そして大半が死者」
「ほぉぅ……」
真淵さんは短くひとこと言うと、睨むように水野さんを凝視した。
「生者と死者の違いそれは、足元。生者の足元はみな、はっきりと描かれとくに変わったところはありません。死者の足元も一見するとおかしいところはないように見えますが、よく見ると履物が浮いているように見えます」
水野さんは大きく深呼吸をすると、続けて口にした。
「ほとんどの人物の視線は、微妙に交差しています。左下の二人のご婦人がいい例です。
テーブルをはさみ椅子に座り談笑をしていますが、よく見ると互いに視線を合わせていません。その背後に立つ若い紳士の二人組もそうです。手にグラスを持ち、和やかに会話をしているよう見えますが、相手の目を見ず、不自然な笑顔をしています」
「たいしたものだ。ほかには?」
「屋敷の軒下に描かれている黒い文字みたいなものは、シジル──でしょうか」
「……続けて」
「ほかにも、輪郭がぼやけていて確実ではありませんが、老紳士が読んでいる本の表紙にヘブライ語が書かれているように見えます。それに、左下の給仕とおぼしき男性が小脇に抱えているのはもしや……、栄光の手!?」
眉をひそめる真淵さん。
「君はこの絵画が、魔術書と関連があると言いたいわけだね」
「いえ、違います。魔導書です。それも現代ではなく、ずっと古い時代の古代系ではないでしょうか。理由は、屋敷の左端に立つ給仕と思われる女性の胸元に護符のようなものがあるからです」
真淵さんは首を傾けながら、なぜそのような結論に達したのか、とつとつと尋ねた。
頭にハテナマークが一杯の僕の視線を感じ取ったのか、水野さんはわかりやすく説明してくれた。
シジルとは、西欧の古代から近代まで魔術で使われる図形や記号、紋章のことを指す。
見た目は楽譜の記号を混ぜたようなものや、アルファベットが重なり合ったようなもの。
栄光の手については、機会があるときに教えてくれると。
護符は、中世ヨーロッパ時代のとある地方の女性の間で、魔導書に書かれている記号や文字を書き写した護符を胸元に掛けることが流行した。
理由は単純で当時、一部の人たちを除いて読み書きの識字率はとても低く、とくに女性は男性よりも圧倒的に低い。
そのため意味はわからないけど良さそうな記号や文字を書き写して、護符として利用したとも伝えられていると。
「もしかしたらこの給仕の女性は、読み書きのできない阿呆の例え!?、または寓意を含んだ対象として描かれているのではと、私なりの推測です」
真淵さんは、なにかつぶやきながら僕たちの目の前を横切ると絵画の前に立ち、なにかをつぶやきだした。
それはまるで絵画に話しかけているよう。
「真淵──さん、どうかされましたか?」
水野さんの返答になにも答えない真淵さん。
絵画に向かいなにかを話しかけていて、冷静に考えればすごく変なことなんだけど、見ていて不快な気分にならない。
時間にして約一分。
絵画と話し終えたようで僕たち三人のほうへ体を向けると真淵さんは、目を閉じ心の中で十二秒、数えるように言った。
僕の瞼は自然と閉じ、まるで魔法にでもかかったかのように、そのまま心の中で十二秒を数え始めた。
「水野君──」
「はい、なんでしょう?」
「勘のいい子は、嫌いです」
「えっ」
「あっと、君は目を開けていいから、お留守番を頼むよ」
真淵さんのその言葉は残り三秒のところで耳に入ってきた。
動揺する僕。
すぐに目を開け、真淵さんの声のするほうに目を向けるも、僕はどこか知らない薄暗い室内にいた。
20210128読みやすいように一部修正。