五月下旬の月曜日 その4
目を開けると夜。
時計を見ると十一時を回っていた。
夕方に意識を失ったから七時間前後寝ていたことになる。
寝過ぎのせいか頭がぼぉーっとしてズキズキ痛む。
体を起こそうとすると左腕が重くそれもそのはず、桃乃さんが枕にしている。
「左腕が痺れてるから腕を抜きますよー」
小声で言うも反応はない。
起こさないよう静かに左腕を引き抜き、替わりに枕をそっと入れた。
布団の上、あぐらをかき「栄養はどうでした?」って、ちょっとイヤミを言ってみるも返事はない。
締まらない口元からヨダレが垂れ、満腹感が顔に表れ『もう、お腹いっぱい』そんな君の声が聞こえそうでもある。
布団の横に転がるウエットティッシュボックスから一枚取り、ヨダレを拭いてあげる。
ヨダレを垂らし爆睡する君を見ていると、幽霊には到底思えない。
薄い生地を通して温かい君の体温が伝わってきて、僕より少し体温が高いような気がする。
きっと成長期なんだね。
って、僕も成長期真っ最中のはず。
あと二十センチくらい背が伸びて、百七十センチくらいになりたい。
それと、女顔って言われるからもう少し男顔になってほしい。
「桃乃さん、あなたはもしかしたら神に近い存在かも。だったら僕の願いを聞いて。いろんなところ、成長させてください」
返事はない。
「あら、耳のところに小さなクモがいるよ!」
返事はない。
クモなんていない。
しっかり寝ているね、桃乃さん。
いつも寝相の良くない君は、あっちに転がりこっちに転がりそして、パジャマのボタンを外して寝ているけどそれはよくないと思う。
今もぼんやり薄明かりのなか、淡いピンク色のキャミソールに僕の視線が釘付けになってしまうから。
この前までは下着がなかったから、絶対に見ないようにしていたけど、こうして布切れ一枚を通してなら、君に視線を向けてもいいような気がする。
でもそれって、言い訳に過ぎないって自分でもわかっている。
霊体年齢は百歳前後だけど、生身の体年齢は推定中学生以下。
君に接していると、心が狂っていく感覚を覚える。
胸の内に広がる欲望をグッと抑え、額にかかった髪の毛をかき分け、額にキスをする。
僕の密やかな小さな楽しみ。
それ以上の行為をしてみたいと思うも、もう一人の僕がそれを止める。
グギュルルルゥゥゥ……。
急に空腹が襲ってきて、軽い目眩もする。
お腹が空くと本当に鳴るものなのね。
学校でお昼休みにお弁当を食べたっきり、なにも食べていなかった。
ジュースを口にした程度。
そして桃乃さん、本気で吸いにきていた。
『いつもより三倍増しで頂きましたよ。ごちそうさまでした!』そんな君の声が聞こえそうだ。
密やかな楽しみをもっと続けたいけど、体がついていけそうにもない。
床に散らばった物に足を取られないようにして、キッチンへ向かう。
すぐに目に入った。
キッチンテーブルの上、ヒビの入った欠けたカップが透明なビニール袋に包まれ置いてあった。
「ああ、そうだ……」
ヒビの入ったカップが僕を現実に戻す。
「水野さん……」
明日、学校でなにを話そうか……。
「ああ……」
まったく思いつかない。
考えが思いつかないのは、空腹からくる不調のせいだと思いたいし、そうあってほしいと願う心。
お腹を満たせば思い付くのか。
否。
きっとなにも伝える言葉は浮かんでこないだろう。
「ズル休み……。してもいいよね、自分……」
現実から目を反らすことは正解じゃないって、わかってる。
でも、いいよね。
「体調不良で休みます」って、もう一度声に出してみる。
少し気分が晴れた気がする。
明日は布団に入って一日、水野さんへの対応を考えよう。
そういえば桃乃さん、君のことを、意識することなく『君』って呼んでいた。
僕の心が少しだけ君に近づいたのかな。
本当は『桃乃ちゃん』とも呼んでみたいけど、それを言ったらもう、後戻りはできない気がする。
いろいろな意味を含め。
メモ書き20210109修正