五月下旬の月曜日 その3
あと数分で自宅。
心なしか足取り軽い水野さん。
学校であった出来事がまるで無かったように、微笑みを投げかけてくれる。
僕の利用する駅に二人して降りて、書店に寄ろうとしたところにいきなりの通り雨。
「天気予報は晴れだったのに、急に雨が降るから傘なんて持っていないよね」
「本当にいきなりだったね」
「覗かないでよ、村上くぅーん」
「クラスメイトに覗き行為はしませんよっ」
「ん?」
「なにか?」
「それって、クラスメイトじゃなかったら、覗くの?」
僕は左右に思いっきり首を振り否定。
「冗談ですよー」
「うっ」
ずぶ濡れになった水野さんをそのまま家に帰らすわけにも行かず、僕の家でシャワーを。
そして、いまこうして二人して歩いている。
なんとなーくだけど、僕の家に行きたいオーラ!?、出ていたような気もする。
それとなーく、流れ的に、断れない状況にもなり『このままじゃ風邪、ひいちゃうよぅ……』なんて言われたらねぇ……。
それよりも僕には考えなくてはいけないことがある。
まず、自宅前で五分くらい待機してもらい、最初に桃乃さんに状況を説明、次に室内の整理。
僕の家は大きな公園が隣にあるせいか、それなりに人の往来がある。
『木の葉を隠すなら森の中』効果のおかげで桃乃さんがいきなり家に住み着いても、まわりの住民は誰一人として気づかない。
両親が気づかないくらいだから、他人はもっと気づかない。
それ以前に、出張で家を空けることの多い両親に加え、新興住宅街だから付き合い自体皆無。
自宅前で足を止めたら水野さんは言った。
「村上君の家は、お庭が広くて庭木もたくさん植わっているね」
僕の家を指さしさらに言った。
深い緑の木々に囲まれた隠れ家的な素敵な家と。
水野さんがなぜ僕の家を知っているのか疑問が残るけど、とりあえず玄関先で待ってもらおう。
「室内を軽く整理したいから、五分程度待ってもらえます?」
「男子だものね。隠したい物の一つや二つあって当然」
否定しようとした瞬間、背後でドアの開く音がした。
「あれぇー、あの時のお姉ちゃんだぁー。こんにちはぁー。今日はどうしたのぉ?」
白いブラウスの裾をヒラヒラさせながら、開いたドアの前に立つ桃乃さん。
「桃乃ちゃん、こんにちはー。駅前で通り雨にやられて濡れちゃったのー。そしたら、村上君がどうしても家に寄っていけって。だからお言葉に甘えちゃってね」
「そうなんだぁー。もぅ、来るなら連絡のひとつも入れればいいのに、佑凛お兄ちゃんったら気が利かないんだからー」
「ううん、私がいけないのよー。駅前の書店に行きたいって言ったばかりに」
「そうなんだぁー」
「そうなのよー」
なにかが、はじまろうとするような雰囲気。
「そうそう村上くん、もう無理に言わなくてもいいと思うの」
「はい?」
「家族という設定。お兄ちゃん~ってね」
「ああっ……」
「ささっ、水野お姉ちゃん、お家に入ってー」水野さんの提案を微塵もなくスルーする桃乃さん、ちょっと怖いデスヨ。
「桃乃さん、ちょっと室内が小汚いから整理するまでここで少し待ってもらいましょう」
「なに言っているのよー、水野お姉ちゃんがカゼを引いちゃうでしょっ」
たしかにそうだけど、桃乃さんに必死でアイコンタクトを送るも華麗にスルー。
「佑凛お兄ちゃんはバスタオル持ってきて、あたしは温かい飲み物を用意するから」
そう言って桃乃さんは水野さんの手を取り、家に招き入れた。
「ありがとう桃乃ちゃん。と、家族設定は──」
そんな声を背中で聞きつつ二人を追い越し、脱いだ靴を整えることなく、すぐに脱衣所に向かい洗濯カゴに無造作に入ってる二人分の洗濯物を棚の中に隠し、着替え用に僕のジャージとバスタオルを洗濯機の上に置いて、すぐさまリビングに向かうも一足遅かった。
リビング入口でフリーズしている水野さん。
勉強机やゲーム機器、着替えの詰まった衣装ケースに、寝床、パジャマなどが散乱していて、二階の自分の部屋にあるほとんどの物を持ち込み生活している。
水野さんはあきらかに引き気味。
まさか通された客間兼リビングが生活感あふれる、一室になっているとは思わなかったはず。
「いやー、両親が外国に長期出張中をいいことに、生活一式をここに……」
「そうなんだ……。村上君、いくつか聞いていい?」
「はい?」
「生活感いっぱいなのはわかるけど、床に敷いたお布団に寝ているんだよね?」
「そうだけど?」
「お布団に枕が二つ、並んで見えるのは私の錯覚かしら?」
えっ?
「それとね、透明な衣装ケースの棚に村上君の下着類が詰まっているのが見えるのだけど、一緒に桃乃ちゃんの下着類も入っているように見えるのも、私の錯覚かしら?」
えぇっ!?
って、いつの間に!
桃乃さんに視線を移すと、ニヤニヤしている……。
はめられた……。
「んもー、佑凛お兄ちゃんはぁー、あたしを抱き枕みたいにして寝ないと寝付きが悪いって言うのよー。それに、一緒に着替えとかするから同じケースに入れてるのよー」
足をモジモジさせながら、甘い声でそう水野さんに伝えた……。
「そうなの村上君?」
ブンブンと首を左右に振り否定する僕を尻目に、ニヤニヤするばかりの桃乃さん。
「佑凛お兄ちゃん、パパさんとママさんがいないからって、あたしに甘えてくるのよー」
頬を紅潮させ、長い髪の毛を指でクリクリいじりながら、甘い声で水野さんに伝えた……。
「そ・う・な・の、村上・君??」
さっきの三倍増しでブンブンと首を左右に振り否定する僕を尻目に、こちらも三倍増しでニヤニヤする桃乃さん……。
「村上君、私は信じたい。小さな女の子に手を出していないと」
「もっもちろんだよ水野さん、変なことなんて一切してないよ!!」
水野さんは一呼吸おいて言った。
僕の言葉を信じると。
「桃乃ちゃん、あまり年上の人をこまらせては駄目よ、ねっ」
首を傾け、澄ました表情で桃乃さんは「ふーん、一切なにもしてないんだぁー」
僕はその言葉をスルーしながら水野さんに風邪を引かないように、すぐにシャワーだけでも浴びるよう、うながした。
かなり引っ掛かるものがあり、話し足らない感じの水野さんを強引に脱衣所のほうへ足を進ませた
「濡れた制服は洗濯機に。最短クリーニングドライモードなら約二十分でいけるから。それと、着替えは僕のジャージで、そこに用意してあるから」それだけ伝えると脱衣所のドアを閉めた。
「佑凛ぃーお兄ちぁゃん。あたしに、なにもしていないんだぁー」
振り向くと桃乃さん。
「なっなにを言っているのかな?」
桃乃さんの手をひっぱり、リビングに連れ戻す。
口をツンと尖らせなにか言いたそう。
「僕は、君に変なことはしていないよ、ちょっとしたスキンシップ程度ならあるけどね」
「ふーん、スキンシップねぇ……」
「そうそう、スキンシップだよ!!」
これ以上の話し合いは、確実にボロがでる。
だからこの話題はサクッと打ち切りにして、リビングに広がった生活感まるだしの生活一式をざっくり片づけることにする。
「桃乃さんは温かい飲み物を用意するのでしょう?」
「了解デース」
それだけ言うとキッチンへ行った。
いつも素直でかわいい桃乃さんなんだけど、水野さんが近くにいると調子が狂うみたい。
女の子同士というのは、いろいろあるんだろうなぁ。
でもしかしまぁ、よくこんな短時間でトラップをしかけるとは。
きっと、家の近くに来た僕たちを発見してすぐに行動したのだろう。
って、かけ布団をめくったら僕と桃乃さんの寝間着が絡み合って……。
ほかにもテーブルの上に夫婦茶碗ならぬ、夫婦マグカップが並んでる。
それは両親の……。
「コーヒーに砂糖は二つでいいよね?」
いろいろと言いたいことをグッと我慢して、砂糖は二つでお願いと伝えた。
ここは大人になって、冷静さを保ちつつ諭そう。
きちんと対応すればわかってくれるはず。
「コーヒーできたーよー。んでね、佑凛お兄ちゃん」
「ありがと」
「あのね、お話があるのー」
桃乃さんの左手には自分用のホットココア、右手には僕へのホットコーヒーを手に持ちリビングに来るとゆっくり口を開いた。
なぜ、こんなことをあたしがするのか。
なぜ、こんないやがらせみたいなことをするのか。
それは、二人の住むこの空間に、他人を入れたくないから──。
右手に持つコーヒーカップを僕に押しつけると、くるりと回り背中を向けさらに言った。
若くして死んだから感情とか考えとか上手くコントロールできなくなることがあると。
そして、ずっと子供のまま。
霊体になって何十年もこの世界にいるけど、こればかりはどうにも成長しないみたいと。
「こんなことをすると佑凛お兄ちゃんに嫌われるって、迷惑がかかるって、わかっている……」
「桃乃さん……」
「でもね、この家にはあまり人を入れたくないのは本心。それだけはわかって……」
なんて声をかければいいんだ。
コーヒーカップを手に持ち、たたずむことしかできない。
「ココア、美味し」
背中を丸め、かすれた声でそれだけ言う。
桃乃さんにかける言葉が見つからない。
ふいにドアが開く。
「いま出たよー。シャワー、ありがとうね。着替えの村上君のジャージ、借りましたヨー。男の子用はサイズがちょっと大きいぞー」
タオルを髪に巻き、お風呂上がりのホカホカした雰囲気で話しかけてくる水野さんに、桃乃さんは飲みかけのホットココアを手渡すと「首もとになにかゴミが付いているよー」と言ってそのままカプッ!て、首筋に噛み付いた。
「ちょっ、桃乃ちゃっ!!」
水野さんは軽く悲鳴、そして手に持つカップを豪快に床に落としながら、目の前のソファに崩れ落ち、それと一緒にココアの甘い匂いが辺り一面に広がった。
「甘い……。甘ったるいわ」
あんたいったいなにを……。
「お兄ちゃんー、お口直しにチョウダイ!」
無防備な僕の首筋に瞬殺で噛み付くと一気に吸ってきた。
「美味し」
僕も豪快にコーヒーカップを床に落とす。
カップが割れる音と共に、意識が飛んだ。
メモ書き20210109修正