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五月下旬の月曜日 その2

「村上、ちゃんと反省してくれて先生はうれしいよ」

「ありがとうございます、如月先生」

「あと五分、お願いね。そしたら今日のところは、勘弁したるわっ」

「はい……」


 ソファにふんぞりかえる先生の肩を揉みほぐすこと三十分。


「どうしたー、力が入ってないぞー」

 すべての指は小刻みに震え熱を持ち、力を入れてにぎるも握力は無いに等しい。


「先生、指に力が入らないです……」

「最近の若い子は根性がたらんな。じゃあ、続きはまた今度なー」

「えっ!?」

「なにか不満?」

「いえ、不満なんてありません、はい……」

「次はちゃんと三十分、力を入れてマッサージできるように。帰っていいぞー」

「十分という約束では……」

「三十分。来週も三十分、お願いね」

「はい……」


 先生は日々の疲れがとれたみたいで足取り軽く生徒指導室を後にした。


「う~疲れたー。また来週って、そんなぁー」


 つい独り言がでてしまう。

 さっきまで先生が腰を下ろしていたソファに深々と座る。


「あー気持ちいい。やっと解放されたぁ」


 指導室に入り、最初の三分で生徒指導は終わった。

 その後は小一時間、先生の話し相手になりつつマッサージ。

 肩揉み初体験の僕に「マッサージは、相手の心のしこりをほぐしてあげることが大切なんや」と、マッサージのコツを一つ一つ教えてくれた。


「ピローン。勇者村上は、マッサージスキルを習得した」


 なんてね。


 んでも、実際になんとなくだけど、コツがつかめたような気がする。

 家に帰ったら桃乃さんにしてあげよう。

 どんな表情を浮かべるか楽しみ。

 きっと、声を震わせ、身悶えするに違いない。


「おっと、手がすべった」と、あんなことや、こんなことをやってみようかな。

 まさに「人体実験……」


 グッドです自分。


 コンコン──。

 ドアをノックする音。


 振り返る暇もなくドアは開かれ「おつかれさま」と、水野さんの声が聞こえた。

 後ろを振り向こうとする僕の両肩にそっと両手を置き、ごめんなさいと謝ってきた。


「水野さんは悪くない。僕がおっちょこちょいだから」

「私がいけないの。あんなことを書いたから……」


 言葉に詰まる水野さん。

 なんて返したらいいのか僕も言葉に詰まる。


「……してあげる。マッサージ、してあげる」

「大丈夫だよ、疲れてないから」

「お願い、させて……」

「よっ、よろしくです水野さん……」


 水野さんの気持ちを考えると、ここは素直にまかせよう。

 僕の後ろに回ると一呼吸を置いて、僕の両肩に手のひらを軽くおいた。


 !!


 ビクンっとなる僕。


 両肩に触れる水野さんの指先から彼女の体温を、シャツ一枚を通して感じる。

 今、僕の両肩に女の子の指が触れているこの事実に、心臓の鼓動がメリメリアップしているのをはっきりと感じ、さらに顔が真っ赤になりそうなのを必死に抑えようとしている。


 シャツ一枚を通して感じる水野さんの華奢な指使い。

 このままだとあらぬ方向へ妄想トリップしそうです──ごめんなさい水野さん。

 そんなアホなことを考えていることを見抜かれないよう、冷静になるよう、大きく呼吸をして気持ちを落ち着かせる。


「村上君、大きく深呼吸をしてどうしたの? 痛いの?」

「いえ、いつもする側なのでちょっと緊張しただけです」


 ここは正直に。


 背中越し水野さんの笑みが見えるような気がする。

 手のひらを使い、ふんわりと包み込むようにやさしく肩を揉んでくれる。

 押されたときの感触、痛気持ちいい。

 自然と目が閉じる僕。


「気持ちいいですか?」

「はい、とても気持ちいいですよ」


 必要以上に力を入れない程良い指使いに、先生の言葉が浮かんだ。


『心の疲れをとる気持ちでおこなうこと』


 その言葉の意味を、こんなにすぐに実感できるとは。

 先生の教え通りに、的確にポイントを抑えた指使い──!? 

 ん?


 始めて五分くらいたつけど、これって、さっき先生が教えた通りの揉む手順──ですな……。

 次はたしか、両肩をそっとやさしく内側に押し込むはず。


「水野さん、上手ですね。いつも親御さんにやっているのですか?」

「うっうん、少しだけ」


 そっけない返答をしつつ、両肩をそっとやさしく内側に押し込んできた。

 ああ、そういうことなのね。

 水野さん、僕のことがたぶん心配で廊下で待っていてくれて、偶然聞こえた先生のマッサージ手ほどきを、あっさり自分のモノにするとは。


 んー、でもよく考えると、壁越しに聞いただけでここまで上手にできるだろうか?

 もしや、ドアの隙間から中を覗いていたなんてことも──。

 それはないと思うし、一人になったときの独り言を聞かれているとなると、チョー恥ずかしいので、覗きをしていたなんてないと思う。


 そういえば冷静に考えると、女の子に肩を揉んでもらっていること自体、人生初。

 水野さんの指の感触が、シャツを通して伝わってくる。

 女の子の指って小さくてやわらかくて、それに体が近いから、いい匂いが漂ってくる。

 絶対に男からは匂ってこない、ふんわり甘い匂いが僕の鼻をくすぐる。

 違うトコロが気持ち良く、なってきちゃう……。


「水野さん、もう大丈夫。ありがとう」


 僕はそう言って少し強引に立ち上がり、軽くお辞儀をした。

 ちょっと驚く水野さん。

 それでも軽くお辞儀をするところに育ちの良さを感じる。


「いきなりだけど村上君、ひとつお願いがあるの?」

「なんです?」


 水野さんは両手を後ろにまわし、モジモジしながら言った。


 両手でスカートの裾を、手にとってほしいと。


「はいぃ?」

「変なお願いに思われるけど、どうしてもやってほしいの」


 冗談を言っている雰囲気じゃない。


「えーと、水野……さん。どういうことです?」

「スカートの裾の端っこでいいから、手にとってお願い……」


 本気?


「本気です」


 心が読まれた!? 

 そんなわけないか。


「村上君、お願いっ」

「お願いって言われても……」

「……」

「……」


 お互い無言になる。


 これはなにかの罠!? 


 スカートの端っこをつまんだ瞬間、股の中からぬるっと腕が出てきて、そのままスカートの中に引き込まれたり、もしかしたらスカートの中はなにもない虚無が広がっていて見たら最後、吸い込まれて違う世界、そう異世界へ──。


 そんなアホな妄想と一蹴する自分。

 けど、桃乃さんの存在を考えると、もしやがあったりして。


「変な女と思われてもいい。だから……」

「水野さん……」


 女の子にここまで言わせておいて、できないなんて言える状況ではなくなっている今、僕は覚悟を決め、腰を折り、スカートの裾の端をちょっんとつまんでみる。


「ありがとう……」


 そう言うと今度は自分の顔を両手で覆い、言った。

 スカートをたくし上げていいと。


「そっ、そんなことできないよ!」

「これは私が受ける罰。村上君に迷惑をかけた、私が受ける罰なの。だからお願い……」

「僕は全然怒ってないし、迷惑がかかったなんて思っていないよ。だから、そんなこと思わなくていいよ」


 両手で顔を覆うも、隙間から覗くほっぺたや額は赤面し、耳まで真っ赤。


「私を哀れむ心があるのなら、見てほしいの。そして、罰を受けさせてほしいの」

「哀れむって、そんな……」

「懲らしめて、私を」


 水野さんの覚悟の意を感じる。

 そしてこれ以上、一人の女の子の心を晒すことは残酷。


「昨日、デパートで購入した黒の下着だよ……」


 なにも言わず僕は、ゆっくり少しだけ手に取ったスカートをたくし上げる。

 顔を覆う両手の隙間から見える水野さんの瞼は、閉じている。

 もし僕が同じ立場なら同じように目を閉じて、これから起きるであろう現実から逃げるに違いない。

 いまの僕にできること、それは、この行為をすぐに終わらすこと。


「黒い下着、ちょっと見えました……」

「そう……、似合う?」

「うっうん、似合っていると思うよ」

「ありがと……。あの、村上……君なら、さわってもぃぃよ……」


 僕はすぐにスカートの裾を離し、伝えた。

 もう十分すぎる罰だったからこれ以上、自分を責めないでと。

 水野さんはくるりと回り、僕に背を向けて小さな声で一言「はぃ……」

 そしてこれ以上の辱めも受けないよう、この場からすぐに立ち去ろう。


「もう、遅いから帰ろう。駅まで送るよ……」

「うん……」


 いつの間にか窓から射す日の光は、赤茶けた夕焼け色。

 カバンを手に取り二人して生徒指導室を後にする。

 静まり返った廊下には誰もいない。


 僕は、昨日見たお笑い番組や、如月先生の話、雨の降らない最近の天候など、たわいもない話をしてこの場の雰囲気を紛らわす。

 下をうつむいたまま相槌を打つ水野さんの顔は、廊下の窓から射す夕焼けが赤らめているのか、それともずっと赤面したままなのか、わからない。


 でも、ただ一つ言えることがある。


 いまの現状を、心の奥底でどこか楽しんでいる、人でなしの僕がいた。

メモ書き20210109修正

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