五月下旬の日曜日 その6 in 上野
日曜の昼下がりのせいか、都心に向かう電車内はお客さんもまばらで、最後尾の車内は数人程度しか乗っていなかった。
僕たちは一番後ろの目立たないボックス席を陣取り、座るやいなや水野さんに言った。
これから見ることを、絶対に誰にも言わないで欲しいと。
乗車してすぐに桃乃さんの体調が急変し、水野さんを驚かせた。
今日はあきらめて、来週の休みに出直そうと言ったけど、どうしても行くときかなかった。
理由はわからない。
ただ、なにか感じるものがあるみたい。
僕には感じられない、霊的な感というか、運命的なものというか、覚悟みたいなもの!? いや、覚悟じゃない。
桃乃さんを突き動かす原動力、理由を知りたいと思うも知ってしまうと、いままでの二人ではいれなくなるような気もする。
あくまでそれは僕の感。
僕は生唾をゴクリと飲み、決める。
桃乃さんの決意に僕は覚悟を決め、水野さんに二度目の念押しをした。
「絶対に、誰にも言わないで」
水野さんならきっと、約束を守ってくれるに違いない。
僕は左の人指し指を、桃乃さんの口元に持っていったけど「指は嫌、あっちじゃなきゃ嫌々……」と言いながら抱きついてきた。
覚悟を決めた僕に、後退の二文字はない。
僕はシャツのボタンを一つ外し襟元を広げ、首を少し傾け、いつでもいいよと合図を送った。
躊躇することなく首筋に噛みつく桃乃さん。
いつもより噛む力が強いような気がする。
「村上君、いったいなにを……」
「水野さん、家族にも絶対に言わないでね。約束だよ──」
三度目の念押し。
いろいろあって相当疲れていたのだろう、力強く『ナニカ』を吸いはじめ、薄れゆく意識のなか、ぼんやりと桃乃さんの声が聞こえる。
「ぁたしの……もの……。ゅずら、なぃ……」
上野に着いたら起こしてくださいね、水野さん。
そして約束、守ってね。
◆◇◆◇◆◇◆◇
目を覚ますとそこは上野駅。
ホームのベンチに座り、隣には桃乃さんが僕の左腕にしがみつき下を向いたまま。
目を覚ました僕に気づき言った。
吸いすぎて、ごめんなさいと。
「僕は大丈夫ですよ」
目を合わせず下を向いたままさらに言った。
感情的になると、自分でもうまくコントロールできないと。
「気にしないで、それよりも水野さんはどうしました?」
「食べ物、買いに行ってる」
それだけ言うと黙ってしまった。
「目が覚めたね。医務室、行かなくて本当に大丈夫ですか? 無理せずいまからでも行きましょうか?」
気がつかなかったけど、斜め後ろに駅員さんがいた。
「ありがとうごさいます。ちょっと立ち眩みがしただけですから」
僕は深々とお辞儀をして、ただ単に徹夜をしてしまい体調不良とだけ伝えた。
下を向いたままの桃乃さんを横に、駅員さんと少し会話をした。
電車から僕を下ろしてくれたのは駅員さんで、上野駅が電車の終点だったためさほど混乱もなく車内から下ろし、お連れさんの二人の希望もあって、こうしてホームのベンチでひと休みをしていると。
体調がすぐれないようでしたら、すぐに近くの駅員に声をかけるように言い残し、駅員さんは去っていった。
駅員さんと交代するように、ビニール袋をかかえた水野さんが戻ってきた。
「大丈夫なの、村上君」
「心配をかけて、すみません」
「いいのよ。とりあえず、おにぎりと惣菜パンを六個ずつ、それに飲み物を適当に。あと甘い物も何個か買ってきたわ」
「あっありがとうございます、水野さん」
「ここのホームだと迷惑でしょうから、移動しましょうね」
「そうしましょう」
水野さんは買ってきた食べ物をバックに入れると、僕の右肩に手をまわし僕を立たせてくれた。
右腕が水野さんの胸にあたる。
「みっ水野さん、そこまでしなくても大丈夫ですよ」
「足元、ふらつくでしょう? 無理は良くないよ」
僕の気持ちを知ってか知らずか、さらにグイグイ体を密着させてきた。
ツンと鼻先に、甘いデオドラントの匂いが付き、衣服を介してでもわかる水野さんの胸の膨らみ、以外とボリュームがある。
身近で見る水野さんはどこか艶があり、そう、いろいろと元気がでてきそうです。
「うぅー」
左を向くと僕の左腕にしがみつき下を向いたまま、小さく唸る桃乃さん。
「桃乃ちゃん、あまり村上君の負担にならないようにしないとね」
「うぅ……」
「エレベーターを上がって、すぐに上野公園改札があるの。公園入口脇に、人があまりこないベンチがあって、そこまで行きましょうね」
「うぅぅっ……」
目を覚ますと二人は仲良くなっている──。
そんな期待をしていましたよ、お二人さん。
あっ、うん、雰囲気でわかる。
水野さん、マウントをとってる。
優位差は、あきらか。
「村上君、はい切符。無くさないように私が持っていたの」
「ありがとう、水野さん」
僕の内ポケットに切符を入れつつ水野さんは僕の耳元で、小声で言った。
今度、二人で来ようと──。
桃乃さんには聞こえていないはず──。
そう思いたい、です。
とりあえず、空腹をどうにかしたい。
頭の回転がまわらない。
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