五月下旬の日曜日 その4
「桃乃さん、復習です。もう一度、最初からお願いします」
「もう、三回目ですよ。きっとうまくいきますよ」
「緊張して、うまくいかなくなるかもしれませんし、これで最後にしますから、ねっ」
「緊張しているのは、佑凛お兄ちゃんなのですよー。違います?」
「うっ……」
否定できない。
僕たちはいま、三階婦人服売り場の階段脇にまだ、いる。
水野さんも下着売り場中央のレジ前から、離れていないみたい。
このデパートの出入り口は一ヶ所しかない。
彼女の後をつけ、出口に差しかかったところで偶然を装った桃乃さんが声をかけ、そのまま三人でお茶でもどうかと誘い、話す機会を設ける算段。
「あたしのお買い物に付き合っただけで、なにも悪いことなんてしていませんよ。そんなに気をつかわなくても、いいと思いますよ」
「まぁ、そうなんだけどね。でも一応、男が下着売り場にいたのも事実ですし、学校で変な噂を立てられると、良くないと思うのですよ」
「たしかに、下着売り場で男性は佑凛お兄ちゃん、一人でしたね」
「そうでしょう。だ、か、ら、こそ、変な理由で立ち入っていたわけじゃないと……」
「うまく説明が出来ていませんよ、佑凛お兄ちゃん!」
「……」
なにも言わずじーっと、僕の瞳を見つめる彼女。
視線が痛い。
が、どうしても悟られてはいけない。
彼女の下着購入に付き合っていたことに、焦っているんじゃない──。
そう、本当の理由。
水野さんが購入しようとカゴのなかに入れていた下着を、凝視してしまったことに対して、僕は焦っている。
『身内の下着購入』が免罪符となり、そのため女性用下着売り場にいただけ。
『昨日は、妹の買い物に付き合わされちゃって、デパートにいたんですよー』
と、明日学校で水野さんに伝えれば問題なく片づく話。
気を抜くとカゴのなかに入っていた下着類が、目に浮かんでくる。
水色のストライプに、淡いピンク、黒の──って、こんなこと考える暇はないのに、下着姿の水野さんが心に浮かんでくる──。
僕よりも少し背の低い水野さんは、黒縁メガネに肩まで伸びる黒髪がとても綺麗で、同じクラスの男どもから、密かに慕われている。
今日の出で立ちも素敵です。
白い長袖のシャツに、シックなチェック柄のスカートが似合っていて、薄青色の小さなリュックもまたかわいい。
地味で目立たない存在だけど、ちょっと気にかかる女子。
だからこそ、どうしても誤解を解きたい。
はい、絶対に誤解をときたい!!
妹にやさしいお兄ちゃんを演じつつ、あれは不可抗力で、洗濯をするとき姉の下着も僕が洗っているから見慣れていて、なんとも思ってないと──。
が、本当のところ、姉の下着を洗ったことなんてないし、見せてくれなかった。
何度か洗濯カゴのなかに入っていて、身内のモノなのにちょっと興奮した覚えがある。
そう、本当にちょっとのちょっとだけ。
って、妄想に浸っている時間はない。
「桃乃さん。ささっ、頭出しから練習しましょうね~」
「んもー、しょうがないにゃー」
どこで覚えたその単語。
「ありがとうー。では、水野さんに声をかけるところから、あくまで偶然を装いつつさりげない雰囲気がポイントですよ」
「私に声をかけるところから、なんです? 村上君」
背後からのふいの言葉に振り向くと水野さん。
「こんにちは、村上君……」
「あっー!」
「かわいい妹さんね、こんにちは。お名前はなんて言うの?」
「あれー、さっき三階で見かけた人だー。偶然ですねー。こんにちはー、佑凛お兄ちゃんのお友達ですかぁー。いつもお兄ちゃんがお世話になっていますー。ここで会ったのもなにかの縁ですしぃー、お茶でも飲んでいきませんかぁー。佑凛お兄ちゃんが奢ってくれますよー。ですよね、お兄ちゃん」
「ん、妹さん、どうしたの? 言葉が棒読み!?」
「お兄ちゃん、完璧でしょ?」
「あぁ……」
「村上君、奢って頂けるのでしたら、最上階のカフェに二千円のプリンアラモードがあるの。妹さんもきっと気に入ると思うわ」
「二千円のプリンアラモード、すごーい! 食べたーい」
「では決定ですね。有り難うございますね、村上君」
「ほかにもフルーツジュースが飲みたいなー」
「イチゴとキウイのミックスジュースがお勧めね。たしか千円くらいだったかな?」
「お兄ちゃん、もちろん注文していいよね?」
「ぁぁぁ……」
手をつなぎ歩きだす二人。
水野さんは後ろを振り向き、僕に小さな微笑みを見せた。
目が笑っていないように見えるのは、気のせいでしょうか。
◆◇◆◇◆◇
「お姉ちゃん、こんなに大きくて美味しいプリンアラモードは、初めて」
「ここの料理はどれも食材にこだわっているから、ハズレがないの。ただ、お値段が高いところがネックなの」
「本当だねー。二千円あったらピザーレのトッピング盛り盛りピザが一枚食べれちゃう」
「桃乃ちゃん、あのピザ一枚を食べるの? すごいわ」
「お腹すいているときは食べちゃう。店員さーん、フルーツジュースのお代わりお願いします。お姉ちゃんの分も追加でお願いしまーす」
「桃乃ちゃん、いいの?」
「まったく問題ないですよー」
「ではでは店員さん、メロンとマンゴーのミルクミックスを一つお願いします」
カフェのウエイトレスさん、若干引き気味なのは気のせいでしょうか?
しっとり流れるクラシックの曲に、落ち着いたトーンのカフェは、値段が値段だけに客はまばらで、僕たちは外の景色が一望できる席に座り、二人は窓際で対面しながら楽しい会話と甘味に夢中で、僕も同じテーブルを囲んでいるのに疎外感がある。
水野さんは三階の階段脇で僕に見せた、目の笑っていない微笑みを最後に、まったく僕と目を合わせてくれない。
それ以前に、まったく会話をしてくれない。
なにか話すにも、桃乃さんに一度話を通して、桃乃さんが僕に話しかけてくる──。
まずい、非常にまずい展開です。
二人の会話を上の空で聞きつつ、なんでもいいから打開策を考えるけど、決めての無い駄案ばかり浮かぶ。
一番良さそうなのは、外聞恥じることなく、この場でジャンピング土下座をして謝り倒す……。
リスクがありそうに見えて、意外に少ないかもしれない。
平謝りしている僕に対し『死体蹴り』をするような人ではない。
きっと『村上君たら、しょうがないにゃー』って、許してくれると思う。
あとはタイミングの問題。
下着売り場の話題に切り替わったときが狙い目。
桃乃さんは僕がいま、どういう立場にいるか、なんとなくだけどわかってくれていると思う。
それとなく、助け船のような気の利いたセリフを言ってくれるだろう。
僕は阿吽の呼吸で話を合わせ、そのまま自然な形でジャンピング土下座に持ち込むと。
「村上君、聞いていました?」
「んもー、しょうがないにゃー」
「えっ?」
やっちまいましたよ……。
きょとんとする二人。
「村上君、なにがしょうがない──の? それに私たちの話、聞いていました?」
「えっ、えーと、そのー。途切れ途切れに聞いていましたよ」
土下座をする前に水野さんが声をかけてくれた。
それに目も合わせてくれる。
よし、なんとか会話のなかからベストな選択肢を選ぼう。
「村上君、少しでも話を聞いていたなら、答えてくれますよね?」
「答え?」
二人に目をやる。
おかしい。
さっきまで、仲良く甘味を味わいながら楽しそうに会話をしていたのに、目の前にいる二人からは、なんとなくだけど険悪な雰囲気が見え隠れしている。
「……桃乃さん、どうしました?」
「んー、このお姉ちゃん。二人が付き合っていることに不満があるみたいよ」
「えっ!?」
「村上君、こんな小さな女の子に、いったいなにをしようとしているの? それと、ことによっては児童相談所に連絡をとる──必要があるみたいね……」
桃乃さん、助け船は出してくれないのね。
てか、重りをつけて深海に沈めようとしていません?
それも、絶対に死体すら浮かんでこない特大のコンクリートの塊をくくり付けて。
水野さんはテーブルに肘をつき、顔の前で両拳をにぎり、低い声で言った。
お姉ちゃんはいても、妹さんはいないはず──と。
さらに低い声で両親の勤め先や、姉の進学した大学名も口にした。
「親戚の子も遊びに来ていないはずだけど、きちんと説明して、くれますよねっ、村上君っ」
強い念押しでグイグイくる水野さん。
買い物カゴのなかの下着を見て、うんたらかんたら考えていた頃が、かわいく思えてきた。
「お姉ちゃんがなんでそんなに、ムキになっているのか、わからないなー。だって、あたしたち二人の問題でしょ?」
「二人の問題って、あなたは小学生、こっちは高校生。わかるでしょ、私がなにを言いたいのか?」
黒縁メガネの端を軽く持ち上げ、フィット感を直す水野さん。
「あー、年下に男を取られて癇にさわるのね」
絶句する僕と水野さん。
「桃乃さん、そっそれは言い過ぎだよ!」
「はあぁっ!!」
水野さんは声を荒立て椅子から思いっきり立ち上がると、鬼の形相で僕を睨みつける。
「おっお客様、ほかのお客様もいらっしゃいますので、お静かにお願い致します」
詰め寄る女性店員さん。
壁側のお客さんから野次が飛ぶ。
痴話げんかなら外でやれと。
僕たち三人は顔を見合わせ、周りにペコペコと頭を下げながら足早に店を出た。
税込み、九千円弱。僕は紅茶一杯……。
水野さんは続きはこっちで話しましょうと、階段脇の休憩スペースに僕たちを誘った。
デパートの五階の階段なんて誰も使う人はおらず、まったく人気がない。
僕としては、誰か周りにお客さんがいてくれたほうがいい。
人の目を気にして、大きくでれないはずだから。
が、もう遅い。
メモ書き20210109修正
メモ書き20210209修正 名前変更。樹→佑凛




