あの時こうしとけばというターニングポイントに戻れたら君ならどうする?ただし、性別変わるけど。
役者 「八重洲ともか」の成功と失敗
ほぼ実体験です。
よろしくお願いいたします。
俺の名は八重洲ともか。
声優を志して上京し、成長し、挫折した、数多いる者の内の一人。
そんな敗北者の戯れ言をだらだら連ねるので、気乗りしない方はどうか退席を。
ただ、これから役者を目指す若者。
君の参考には、少しはなるとは思うので、オッサンの愚痴を聞いてくれ。
俺は某怪盗の3代目になりたかった。
本当の泥棒は無理だとは中2になる前でも分かっていた。
ただ中学にもなれば、世の中には声優という職業がある、という事実を知る事も出来た。
高校の演劇部は腹式呼吸に拘り、舞台演劇のうわべだけ真似した、役立たずな機関だ。
どこもそうとは限らんが、本気で勉強したいなら、小さな舞台をいくつか観て、
一番自然に感情が伝わってくる劇団に1、2年入ってみるのも手だ。
高校出て声優学校に行けばいいと軽く考えてる者は、そういう下地を作ってから、声優学校に入りたまへ。
さて、俺はだが、高校卒業後は2年程、福岡の演劇事務所(ほぼ演劇学校)に入った。
まあ、演劇部はまるっきり無駄ではなかったようで、ちょこちょこ映画やドラマの仕事を貰えた。
そういう経験を積んだ上で、某大手声優学院の夢をなんたらオーディションというのを受ける。
このオーディションは主要都市で日時をずらして行っている。
だから俺は、まず東京を受け、その後地元の福岡を受けた。
東京の経験によって、1次は無難に通過。
2次3次はステージで、観客の前で行われる。
これも、舞台や、撮影の経験が生きた。
あと肝心なのは、舞台裏。
見えない所で気を抜かない。
特に挨拶。
業界は、矢鱈と挨拶に厳しい。
俺は常に立ち、通る関係者や劇場スタッフに毎回頭を下げて挨拶した。
俺は優秀賞で、学費免除とデビューのバックアップを約束された。
後に、学院の先生に、楽屋の態度が良かったのが決め手と教えられた。
上から見れば、みんな大差無い新人。
人柄で選ばれる事だって大いにあるのだ。
あの学院の言う、デビュー率は事務所の養成所に入所する事も含まれる。
だから、学校気分でやって来て、卒業したらハイ声優、何て事は絶対に無い。
俺も結局、大御所声優が主催する劇団の養成所に入所した。
そこで、兎に角、舞台に出た。
出るには毎回オーディションを受ける。
受かる為に稽古する。
受かれば成功させる為に、その何倍も稽古する。
それを繰り返して、やっと仕事を貰える。
俺には際立った才能は無かった。
ただしがみついただけだった。
続ける事は、チャンスも続くって事なんだ。
挫折は諦めたときにする。だったら諦めなければ挫折しない。
その言葉を胸に頑張っていたのだが。
劇団に入って5年が経っていた。
友達には有名な作品の役付きの仕事とかもあったが、俺はそういう華やかな人生とは無縁らしい。
それでも壁に貼られた、劇団員の仕事一覧には毎月片隅に俺の定位置があった。
しかしその定位置の仕事量が、俺の役者人生に終わりをもたらそうとするのは皮肉な話だ。
仕事で結果を残せば次に繋がる。
ある大きな舞台で俺は、この上無く、いい仕事をした。
その事で、仕事の舞台と劇団の舞台で1年以上、舞台に立ち続けなければならなくなった。
俺は上京して直ぐ、コンビニの配達のバイトを始めた。
弁当をトラックで各店舗に配るのだ。
これが実にいい。
基本一人なので、運転中、大声で稽古し放題なのだ。
難点は、ルート配送なので、時間が合わなければ走れないのだ。
舞台は本番前2週間は完全に拘束される。
従って俺は、1年以上バイトが出来ない状況になった。
それまでに、なんだかんだで20万程消費者金融に借金があった。(結構役者仲間に利用者多い)
それが一気に200万近くに膨れ上がった。
夢を追う若者よ、役者を殺すにゃ刃物は要らぬ云々というのがあるが、現代は金と女だ。
ここに、男ってのは無いな。
女は男よりシビアにできてる。
俺のように、仕事が増えて、これからって時に諦める事のないよう。
頑張ってくれたまへ。
ともかが小6に戻り、しかも女子になっちゃう連載小説の方も、どうかよろしくお願いいたします。
どうも、ありがとうございました。