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 こどく

作者: 藤村綾

「明日の6時に子どもが来るんだよ」

 土曜日。

 おもてがやっと涼しくなってきた時間帯。今宵はまた例のごとく肉 -スーパーで買った30パーセントの見切り品の牛カルビとタンとホルモンの大腸の部分、シマチョウというどこかの町名みたいな部位ー を頬張っていたところだった。

「え?」

 なみこちゃんが? と、思わず声に出してしまいそうだった。なおちゃんはあたしとなみこちゃんが顔見知りなこと露知らず。

「だからさ、」

 そのあとの台詞。なにが言いたいのかなんて言わなくてもわかった。なので、

「いいわ」

 それだけ言って、目の前の焦げだした牛ホルモンを口にほうりこんだ。あちっ。声がもれる。ほら、誰もとらないよ。ククク。なおちゃんは目を細めた。

「てゆうか、いつね、その、ね、子どもさんが来る話しになったの?」

「おととい」

 淡々と話し、淡々と肉を頬張るなおちゃんはおそろしいほど日焼けをしている。上半身裸なのだけれど、まるで真っ白なTシャツを着ているみたいだ。日に日に黒くなってゆく。夏が終わるころには、目の前のお肉のよう焦げてしまうのではないだろうか。と、考える。

「そう」

 あたしその間、漫画喫茶に行ってるわ、あるいは、カズヨさんとご飯にでも行ってこようかな、なんでもいいから言葉を探したが、結局、

「映画に行ってくるわね」

 まったく心にもないことを口にしていた。動揺。あたしはどうしてだか、かなり動揺をしていた。確かになおちゃんは、何ヶ月に1回、【面会】という名目で子どもさんに会っている。けれど、あたしが転がってきてからは子どもさんには多分会ってない。会うからね、などということなど訊いたこともないし、むしろあたしの方が -あってるのかしら?なみこちゃんに― という杞憂をしたりした。

「ごめんね」

「なぜ?あやまるの?」

 部屋は換気扇を回していても煙がもんもんで、目が痛い。目を擦るあたしをなおちゃんは見ている。

「目、煙りで開かないわ」

 つくり笑顔が嘘くさい。あたしは嫌なことがあるとあからさまに眉間に皺を深く刻む癖がある。

「2時間で帰るっていうから。なんか、多分お金が欲しいんだと思うんだ。あっちから電話をしてきたぐらいだから」

 言い訳ではないが、言い訳にとれた。けれど、なぜ、こんなにも動揺し嫉妬をしてしまうのだろう。だってなおちゃんの血の繋がった人なのに。

 なおちゃんはあたしだけのものではないのに。

「うん」

 あたしは、肩をすくめ、ご飯に肉を乗せた。焼き肉のたれだけで、ご飯が進み、無駄にお腹を膨らませてしまう。サトウのごはんもう1個チンしていい? 

「あ、うん、珍しいね」

「そうね」

 何個でも食べれそうな気がした。お肉も美味しかったけれど、早く会話を話題を変えたくて、サトウのごはんの話しにすり替えたのだ。

「そういえば、なんで、焼き肉のたれのさ、【たれ】って、【たれ】っていうのかなぁ」

 たれ? そうねぇ。なぜかしらね。たれ、という呼称にあたしとなおちゃんはたちまち疑念に駆られる。

 どうでもいいこと。どうでもいいことに頭を抱える。そうしてどうでも良くなって最後はクククと笑い、本当に最後は抱き合ったりする。

「たれ、ねぇ」

 ホットプレートの活用頻度は夏場は顕著に多い。焼き肉をやけにするからだ。【あまり焦げないホットプレート】という名称で売られていたこの品。確かに文言どうりの忠実さで、片付けはひどく楽だ。

 逆に冬場は毎日お鍋が活躍をする。あたしとなおちゃんはお鍋とホットプレートとさとうのご飯があれば満足なのだ。

「風呂洗ってくる」

 食べ終え、ぼーっとテレビを見ていたところだった。なおちゃんは立ち上がり、洗面所に消えていった。

 あたしも立ち上がって【あまり焦げないホットプレート】を分解して洗い出す。この夏で何回あなたは稼働したのかしら。あたしは労うよう、丹念にほどよい温度の湯で洗った。

 

「いいよぅ」

 浴室から声がし、いつものごとくお呼びの声がする。いいよぅ。一体なにがいいのだろうか。うんざりするときもある。たまにはあたしだって1人でお風呂に入りたいし、ゆっくりと湯船に浸かりたい。

「楽しみなんだ」

 以前、懇願というなの文句を言ったら、俺の唯一の楽しみなんだから、と、押し切られてしまい、それはそのまま日課になってしまった。

 焼き肉のたれの匂いを纏った身体で浴室に入ると、匂いがこもって、たれの匂いが漂った。けれど、お互い同じ匂いなのでちっともなおちゃんは臆する様子もなくあたしを椅子に座らせ、頭のてっぺんから容赦なくシャワーをかけた。

 両方のひとさし指で耳を塞ぐ。きつく目を綴じる。そこからはもうなすがままだ。シャンプーをされ、身体を洗われ、湯船に浸からせ、一緒にあがり、バスタオルでわしゃわしゃと髪の毛を拭かれ、半分壊れているドライヤーで髪の毛を乾かしてくれる。かなりの重労働である。これを最近毎日こなすなおちゃんは、楽しいと豪語するので驚きだ。全自動で全てが終わる。

「人間洗濯機ね」

 ククク。なおちゃんは、目を細め、さっぱりしたあたしを、シャボンの匂いをしたあたしのをふんわりと抱きしめる。

「はぁ、いい匂い」

 何度も匂いを嗅ぐなおちゃん。なおちゃんはあたしを猫のようにかわいがる。猫。いや、猫以上? うまく形容しがたい愛情表現なのだろうか。しかしあたしはどっと疲れてしまう。

 なおちゃんはあたしの世話を思う存分堪能したあと、堪能した代償の汗をたっぷりとかき、再び冷たいシャワーを浴びる。だから、汗かくから、いいってば。幾度となく言葉にもしたが、いいってば。いいってば。と、2度繰り返されたので本心だ、と確信をしたのだった。

「はぁー、ビール、ビール」

 さっぱりシャワーを浴び素ッ裸で出てきたなおちゃんは、いい汗をかいたからね、と、程なく言い訳をし、またビールのプルタブをあける。

「ふーん」

 あまりにも酒豪なので、ここのところは酒の量を制限してある。けれど、すでにオーバーしている酒の量なのに、あたしをまるっと洗ったあとのビールだけは別カウントになっている。だから、あたしを洗いたいのかもしれないという風にも取れるが、甘んじるしかない。

「おさめて」

 万年床になだれこむ。ん、手のひらを広げ、あたしの身体を胸の中におさめ、そうっと頭を撫ぜる。よし、よし、なんて言わないし、好きだとか、愛してるよだとか、歯の浮くような台詞などは1度も耳にしたことがないけれど、胸の中に入るこの瞬間がやっと長い1日を終える合図に思える。


 あたしは映画館前でおろされた。「後で迎えにくるからね」そう言い残して。

「歩いて帰るからいいわ」そうやっていうつもりだったのに。

 うちから徒歩20分くらいのところに映画館がある。あたしがよくいく巨大スーパーと隣接している映画館だ。

「8時20分に終わるの」

「わかった」

 別に見たい映画などはなかったが、適当な洋画を選んで律儀にポップコーン、キャラメル味と、コーラーを買う。しかし、あたしは考える。どうして、映画館で買う飲食はこうも高いし、こうも量が多いのだろうかと。

「こんなにたくさんコーラー飲んだらトイレばっかり行ってしまうじゃない」

 胸内で毒づくも、コーラーとポップコーンは魔物で一度食べたら止まらなくなり、自然に口の中に入ってゆくポップコーンは流れ作業のようになっていた。

 あたしを含め、10人程しかいない映画館。レイトショーで入ったのにこのありさまだ。最近はユーチュブや映画チャンネルなるものがあり、故意で映画館に足を運ぶなんて人は少なくなったのかも知れない。


 チョイスした映画は不倫をモチーフにした映画だった。後味が悪く、涙も出なかった。感情移入など出来ない。他人のものを好きになるなんて。

「ありえない」

 映画館からおもてに出た。夜気は昼間の暑さとうって変わって風が優しい。昼間は乱暴に容赦なくあたしの身体を脅かすのに。

 映画は8時20分ちょっと過ぎに終わった。

《終わったよ》

 終わったらメールしてという話だったので、メールをする。

《目の前にいるし》

 すぐ返事がきて、スマホから顔を上げると、目の前に細くて黒い人間が立っていた。

 わー!

 あたしは、バタバタと手を大いにふるった。なおちゃんは、小さくふるった。

「なおちゃーん」

 颯爽と走っていき、なおちゃんの胸の中におさまった。

「どうだった?映画は?」

 どうだったの?なみこちゃんは?

 なおちゃんは声に出して質問をし、あたしは、胸内で訊いてみた。

「おもしろくなかったの」

 ふーん。そうなんだ。

「なおちゃんは、おもしろかったのかしら?」

 星がキラキラしている。何百光年先の光。光年って。星って、月って太陽って、不思議。

 なおちゃんは、きつくあたしを抱きしめる。

 好きだし、あたしは、細い声で囁く。

「おもしろいって。ふーちゃん」

 ラーメンが食べたくなって、帰り際ラーメン屋さんに寄った。メガネが曇ってなおちゃんにクツクツと肩を上下させ笑われる。

「小池さんみたいだ」

 ラーメンの麺がうどんみたいに太くて、あたしは食べることが難儀だった。それでも啜る。だって隣に大好きな人がいるのだから。

「大将、お冷、おかわり!」

 あたしと、なおちゃんは同化している。多分。

 

 


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― 新着の感想 ―
[良い点] なんとなくなおちゃんの姿が浮かぶ。 [一言] 本当に現代の文学的な文章ですね、素晴らしい。
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