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=現在の章= 夢ある少年と胃が痛い現状

――お婆さんに『身体で払いな』と言われたので、払うことになりました。


そんな彼女の一騒動。

夏樹視点です。


からりと晴れた空。

風は優しく、春の日差しがぽかぽかと体に降り注ぐ。


緑に囲まれた木陰の下、小川にかかった小さな橋を渡りながら夏樹は大きく伸びをした。


「んー、今日もいい天気だ!」


伸びをした手には大きな籠が握られており、その中にはこれでもかと積まれた土まみれのジャガイモ。これを一つずつ今からきれいに洗い、そしてまた今度は別の野菜を川の水で綺麗に……と考えると気が遠くなりそうだが、これも今日や明日以降の自分のシチューの具のになるのだと思えば苦では無い。


「エトお姉ちゃん!」

「あ、ケイン君。ケイン君もお手伝い?」

「うん、お洗濯」

「そっかー、ならお姉ちゃんと一緒に行こうか」


後ろから声をかけてきた柔らかい猫っ毛をふわふわと揺らした少年の提案に、夏樹は笑顔を向けた。

彼の名はケイン。この村に住む、齢10になる少年である。

洗濯ものがいっぱいに詰まった、彼の身の丈には釣り合っていない大きな籠を抱えながら、ケインはそのあどけない瞳を輝かせて夏樹を振り返った。


「ねえエトお姉ちゃん、川まで僕と競争しようよ」

「え!あ、ああ、競争?……はちょっとなー、ジャガイモ落としたらちょっとなー、色々とマズいからなー」


具体的に言うと、ジャガイモの代わりにお姉ちゃんが今日のシチューの具にされちゃうんだよケイン君。

大人の世界は残酷だ。


明るい少年の目からサッと目を逸らしながら、夏樹は引きつった苦笑いで告げた。

かの老婆に「野菜に傷をつけたらただじゃおかないよ」とキツく言いつけられた記憶はまだ新しい。


夏樹が国境近くのとある村に住む老婆に拾われてから数日。

その間、夏樹は一体何をしていたかというと……一介のしがない村人Aをしていた。


国境近くの『陸の孤島』ことドンディ村。

それが、今夏樹がいるこの地の名前だ。


不服そうに口を尖らせながらも、歩くペースを夏樹に合わせながら隣をトコトコと歩くケインをそっと横眼で見る。彼だけではなく、この村に住む人間は皆、よそ者であるはずの夏樹に非常に親切だ。

村はずれの家に突然あらわれた彼女を、何故かこうして気にかけてくれる。


どうやら、夏樹を拾った老婆は村でも相当に悪名高き人嫌いの強欲偏屈おばば様なのだそうだ。

悪い魔女ではなかったが、ある意味夏樹の直感は近かったとも言える。


そんな老婆の家に、突然女の子が現れた。

しかも、毎日朝から晩まで肉体労働を強いられている。

話を聞けば、彼女は怪我の影響で自分が聖女様だと思い込んでしまっているらしい。

城はどこかと、人に会う度に尋ねて回っているらしい。


――― なんて気の毒な女の子!


……とまあ、村人の皆さんは、口に出さないがどうやらそう思っていらっしゃるようである。せめて目の前の純情無垢な少年にくらい本当のことを信じてもらいたいが、初対面で「頭のケガをしたお姉ちゃん、もう平気なの?」と非常に心配そうに問われてしまえばもう何も言えなかった。


もう頭の残念なお姉ちゃんでいいよ。

ケイン君が可愛いから許すよ。可愛いは兵器だ。


ちなみに、夏樹は村人一人一人に『自分は『聖女様』こと城の治療師エトで、手違いで森に飛ばされた』と懇切丁寧に説明したのだが、残念ながら見事に誰一人として夏樹の話を信じなかった。あんまりだ。

みんな、『聖女様』が一体どれほどの超絶美少女だと思っていらっしゃるのか。

求められているもののハードルが高すぎる。やめて、もう私のHPはゼロだから!


「……はあ」


――なんで私、ここで足止め食らってるんだろう。


なかなか思い通りにいかない人生に、夏樹は一種の諦観を抱いて空を見上げた。




*****




あの日、老婆が夏樹に強いた『恩返し』は、なんてことはない。

老婆の手伝い、という単なる肉体労働だった。

てっきり悪徳商人に売り飛ばされるのかと震えあがっていた夏樹は、それを聞いて心底ほっとする。


『も、もうビックリさせないでくださいよ。私、売られちゃうのかと思いました!』

『馬鹿だね、ここをどんな場所だと思ってんだい』

『ですよね。いや、本当に疑ってすみませんでした、ご飯のお礼に働くくらいならいくらでも……』

『ここは国境近くのド田舎だから、人身売買の商人が来なくてね。売れるもんなら売りたいんだが』

『何でもしますから売らないでください』


土下座も辞さない勢いで頭を下げる。

最悪の事態を覚悟して、夏樹は横目で部屋の出口を凝視した。


本気で売られそうになったら走って逃げよう。

もしかしたらこの向こうは森かもしれないが、それでもこの老婆より森のヒグマの方が絶対マシだ。


『ヒッヒッヒ、何でもとは良い心がけじゃないか、ちんちくりん娘』


邪悪極まりない笑みを浮かべる老婆の横で、ブルーメが「きゅん!」と愛らしく鳴く。

夏樹の脳裏に『美人局』という単語がよぎった。


可愛い犬が連れてきたカモを、凶悪な顔の老婆が骨の髄まで搾り取る。

なんというボロい商売だ。


怯えて一歩後ろに下がると、ブルーメがとことこ寄ってきて温かい体を夏樹の足にこすりつけてくる。うるんだ瞳でこちらを見つめて「きゅんきゅん」と鳴くブルーメは犯罪的に可愛い。だが、夏樹には何故かそれが『絶対逃がさないワン』と聞こえた。


『そ……それで、私は、一体何をすれば……?』


もうこうなったら何でもしよう。一応、たとえ搾り取るためだったのだとしても、助けてもらってご飯までご馳走になったのは事実であり、老婆とブルーメには恩がある。そして何より、どんな仕事だってきっと売られるよりマシだ。


頑張って、全力で働こう。

そして、隙を見て、逃げよう。


そう覚悟を決めた夏樹は、それでも事態を甘く見ていたことを翌日以降の強烈な筋肉痛で思い知ることとなった。



*********




やっと川の洗い場に到着し、そんなに広くもない川の両サイドを挟むようにしてケインと夏樹はそれぞれの仕事を開始する。


「よーしそれじゃお姉ちゃんとどっちが先にお仕事終わるか競争だー!」

「ええと、流石にそのジャガイモよりは早く終わるよお姉ちゃん」

「……そうだね」


突き刺さる指摘をくれるケインから目を逸らし、夏樹はぽつりと呟く。

洗うべきものの量を考えると、どう見たって夏樹の敗北は目に見えていた。


「まあ、うん、お姉ちゃん、ケイン君に負けないように頑張るよ」

「う、うん」


老婆から借り受けている少し時代遅れのワンピースの袖をまくり、薄汚れた農作業用のエプロンをする。

すると、誰がどう見ても立派な農婦の出来上がりだ。


断言しよう、絶対にこの格好を見て夏樹がレイノーマ王国一の治療師であると気が付ける人間はいない。


ざかざかとジャガイモを洗う対岸で、ケインもまた洗濯板片手に泥まみれの布を洗っている。

彼の父は牛追いだ。その世話の過程で汚れたものを洗っているのだろう。


「そういえばエトお姉ちゃん」

「うん?」

「エトお姉ちゃんが自分のことを王都から聖女様だと思ってるって、本当?」

「そうだね思い込んでるっていうか本物ね」


ずばり核心をついてくる少年に、夏樹ははははと引きつった笑いを返した。

発言自体に全く悪意が無いケインは、夏樹の返事を聞いて素直に「へええ王都かあ」と目を輝かせた。


「……ケイン君、王都に興味あるの?」

「うん。僕ね、将来ね、立派な騎士になりたいんだ!」


洗濯の手を止めて、ケインは対岸から身を乗り出すように夏樹に告げる。


「騎士?」

「うん、それも王都で働く騎士!」

「つまり聖騎士?」

「そう!」


にぱあ、とケイン少年が笑み崩れる。

けしからん可愛い。お持ち帰りしたい。

ビール腹に頭頂部ハゲの彼の父親とは似ても似つかない彼は、絶対に誰がなんと言おうと母親似だろう。

それはさておき。


「王都で働く騎士を、特別に聖騎士っていうんでしょ?」

「そうだね、私もそう聞いてるよ」

「きっと騎士の中の騎士ってくらい、立派で凄い人の集まりなんだろうなぁ」

「……そうだねぇ」


夏樹の脳裏に、この二年間の職場が思い浮かぶ。


毎朝鍛錬で互いに剣を交わし、魔物討伐の際には立派な鎧に身を包み出陣する聖騎士の姿。

初めて治療師として彼らの隊務について行ったときは、きりりとした横顔に今のケイン同様憧れの視線を向けたものだ。

もう今ではだいぶ慣れて、彼らに混ざって生活をするのが日常と化していたが。


「どうしたら、僕も聖騎士になれるかな」

「……ううん」


ほう、とため息をつく彼を見ながら夏樹の脳裏に一人の青年の姿が浮かぶ。

短めの黒髪に、赤みがかった焦げ茶色の目。大体いつも不機嫌そうな顔をしているが、ごく稀に苦笑交じりで夏樹の頭をわしわしと撫でてくる、兄のように慕っていたその人物は――


「誰よりも強く『この国の皆を守りたい』と思ったらきっとなれるよ」

「守る?」

「うん。少なくとも、お姉ちゃんの知ってる聖騎士さんはそうだったから」


首を傾げる彼にニッと笑い返す。

職務を遂行するグレイさんは、本当にかっこよかった。

素敵だったなあ、としみじみ思う。


「あと、人の話を良く聞いて勝手に強制送還の魔法を発動させたりしなくてみみっちいことで小言を言ったりしなくて軽い冗談でいちいち怒ったりしなくて『お前は女と思っていないから付き合いやすい』とか言った舌の根も乾かないうちに『もう少し年頃の女らしくしろ!』とかいう理不尽な説教をかましてこなくてもう少し相手からの好意に鈍感じゃなかったら、きっといい聖騎士になれるよケイン君!」


「お姉ちゃん、聖騎士様に恨みでもあるの?」


グレイさんはカッコよかったが大変融通が利かない石頭だったので、結論としてはやっぱり一発殴りたい。




******





足が無くて村から出られずにいる夏樹は、その後も何日にもわたって脱走の機会を狙いながら老婆のもとでこき使われていた。


『お婆さん、少しは村の人と打ち解けましょうよ。そんなだから、明らかに男手がいることまで自分でやる羽目になるんですよ?』

『馬鹿言ってんじゃないよ、あいつらをこの家にあげたりなんかしたら身ぐるみ剥がされて獣の餌にされちまうだろう』

『えええまさか!』

『いいや、あれは強欲を極めた人間の目だね。アタシの目に狂いはないよ』

『強欲を極めた、人間の目……』

『なんだい、そんなにアタシの目をじっと見て。言いたいことでもあるなら言いな』

『なんでもないデス』


そんな老婆との、奴隷と奴隷商人のような生活――もとい、素敵なお婆さんとの心温まる素晴らしい日常も身になじんできた頃。

川から畑までの道のりを水桶抱えて何往復もした夏樹が、ヘロヘロの身体で老婆と共に昼食のシチューをすすっていたときに事件は起こった。


「なんだか、外が騒がしいね」


怪訝そうな顔で、老婆が眉を顰める。

ブルーメはのんびりと足元で昼寝中だ。


「ちょっとアンタ、外を見てきな」

「はいはい、行きますよ。ええと、…………ん?」


不満そうな顔をした老婆に急かされ扉から顔を出した夏樹は、自分が見たものを理解できず一瞬動きを止めた。


緑豊かな、小川が流れる村の風景。

それはいい。

しかし、今日見えたのはそれだけでは無かった。


馬だ。

この村にはいないはず、馬。

しかも、たくさんいる。


(馬?え、でも何故こんなところに?)


思わず首をかしげるが、もちろん答えなど思いつくわけもない。

そのとき、馬の陰から誰かがのっそりと出てきた。


1,2,3……ざっと見ただけでも10人はいるだろう。

皆一様に筋肉隆々の裸の上半身に薄汚れた鎧を直接身に着けて、ひげは伸び放題、髪の毛はぼさぼさ。

見るからに悪人面の彼らのうち、一番偉そうな男が声高に叫んだ。


「この村のしみったれた愚図どもに告ぐ!今すぐ、ありったけの金と食料と酒を出しやがれ、拒んだ奴から血祭りだ!!」


「…………」


夏樹は、そっと扉を閉めた。

今見たものを反芻し、数拍置いてから、やっと現実として理解した。


「………………なるほど、賊か」


――― あああ、もう何だってこう次から次へと!!




『トラブルを探せ、そこに江藤はいる』by小学校担任


クマ、魔女と来て、ついに賊にも遭遇した夏樹の運命はいかに!

そして彼女の護衛役だったグレイさんの苦労は、推して知るべし。

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