=現在の章= 壊れた騎士のレクイエム
時間軸現在。
夏樹が吹っ飛ばされた後の城にて。
グレイSide。残念なシリアス。
容赦のない一閃が風を切る。
「ぐ、うわぁあああ!」
グレイの一撃を受け止めきれずに、若手の騎士が横飛びに吹き飛ばされた。
彼の身体は、成人男性のものとはとても思えないほど軽々と飛ぶ。
もちろん、彼の体重が軽いのではない。
グレイの一撃が、強力すぎるのだ。
慌てた同僚たちに受け止められた若手騎士は、飛ばされた衝撃で気を失ったのか身動き一つしない。
救護班を呼べとにわかに騒がしくなる一団には一瞥もくれず、グレイはまだ自分に挑んできていない後輩騎士たちを冷めた瞳で睥睨した。
殺気だっているのに、何もうつしていない虚ろな瞳。
兄貴分と慕っていた相手からそんなものを向けられて、彼らの背筋に冷たいものが流れる。
いつだって、厳しくも指導という意味合いを強く感じたグレイの剣に、今日は温かみを全く感じない。
ただ切りかかってくるものを叩きのめす。淡々と、ただそれだけだ。
それは若手騎士の目線から言えば稽古という名の命がけの戦いだった。
しかも、実力の差は圧倒的。
稽古場の隅には、グレイによって築かれた生きる屍が積み重なっている。
「次は、誰だ?」
視線の苛烈さに似合わず、静かにグレイがそう口にすると、周囲から肘で押し出されるようにして若い騎士が一歩前へ転がり出た。戦う前だというのに、すでに彼の腰は引けている。
それでも嫌だとは言えない。
たとえ同じ聖騎士で立場は同等だとはいえ、相手の方が先輩にあたる。
しかも稽古場で訓練の時間内に行う真っ当な稽古だ。逃げ場など最初からない。
「よ、よろしくお願いします!」
「ああ、殺す気でかかって来い」
言外に、「俺はお前を殺す気だ」と聞こえた。
その鬼神のごとき迫力に、背後で何名かの若手騎士が腰を抜かしたのが気配でわかった。
腰を抜かしたいのはこっちだ、と思わず泣き言を言いそうになる。
不幸な対戦相手となってしまった若い騎士は、今すぐに宿舎に逃げ帰りたい気持ちを必死で押し殺し、愛用の剣を構えた。恐怖で汗ばんだ手で、かろうじて柄を握りしめる。たとえ経験や実力で劣っていても、彼にだって苛烈を極める訓練を積み聖騎士として選ばれたプライドがある。故郷に残してきた可愛い婚約者だっている。
たとえ、目の前の男が既に数人殺してきたような殺気を放っていようが、自分より前に倒された同僚がまだピクリとも動いていなかろうが、背後のまだ動ける同僚たちが自分に向かって手を組み冥福の祈りを捧げているのが見えようが、ここで逃げるわけにはいかないのだ。
もし重傷を負ったら『聖女様』が出動してくれないだろうかと考え、そもそもその聖女様が姿を消したことがグレイの暴走のきっかけであることに思い至る。
(聖女様……一体どこに行っちまったんですか)
下っ端である彼らには、聖女失踪の真相も何も伝わってきてはいない。
ただ、彼女は已むに已まれぬ事情で姿を消したのだと、公表されたのはそれだけだった。
そして、その日を境に人が変わったように感情を殺してしまった、彼女の護衛であるグレイ。
そこに真相の断片があることぐらい、城内の人間なら誰だって察しがついている。
だが、それは決して彼のような部外者が踏み込めるものではない。
彼に出来ることは、今グレイの犠牲になって無残に命を散らす未来を回避することだけだ。
(グレイさん、すみません。本当に、貴方を殺す気で行かせていただきます……!)
俺は、まだ死ねないんだ。
メイファ、君のために今俺は慕っていた先輩すら斬る覚悟を決めた。
ぐっと足に力をため、彼は雄たけびとともに持ちうる全ての力を込めて聖騎士グレイ=ランバートに切りかかって行った。
******
「うちの聖騎士団の一人が謀反を企てているっていうタレコミがあったんだけど、ねえグレイ、君はどう思う?」
「根拠のない戯言です。国家に尽くすことこそが我々の存在意義です」
「ふうん。ちなみに、思い当たることはある?」
「ありません」
「そっか。なら、隊の一人が稽古と称して聖騎士団の若手騎士を殲滅したって話も、嘘っぱち?」
「……真実では、ありません」
「へえ、それなら真実は?」
「……若手だけではなく、全員に挑みました」
「実質隊内では君が最強なんだから、似たようなもんでしょう」
そう言われたグレイが僅かに眉をひそめて視線をそらすと、相手は輝く金髪を片手でかきあげて「困るんだよね、殲滅は駄目だよ殲滅は」と目を細めた。
すらりとした細身の体躯に、シンプルだが仕立てのよい服をまとった金髪の青年の格好は明らかに隣に並ぶ聖騎士であるグレイのものとは一線を画していた。
ワザとらしいほどに軽い調子で、それでいて相手の心を見透かすような蒼眼に晒されてグレイは俯く。
しかし俯いたところで、短いグレイの黒い髪では、ここ最近で急激に温かみを失ったその表情を誤魔化し隠すことなどできはしない。
「私は、いつも通りの訓練の一環で稽古をしただけ、です」
「まあそうだよね。ただ、手加減する余裕がなかっただけだよね」
「…………」
「あのさ、エトが元の世界に帰って寂しいのは分るよ、だけどそれを同僚にぶつけたってもう帰ってしまったものは仕方がな、」
「殿下!!」
空を切るような鋭い声が、殿下と呼ばれた青年の言葉を遮る。
やもすれば不敬ともとれかねない行為だが、青年――王太子フィルディナンドは特に咎めるでもなく口を噤んだ。
それ以上は止めてくれ、と。
グレイの、言葉にならない悲痛な叫びを聞いた気がした。
「……エトの話をするのは、嫌かい」
「彼女は……もう、この国には関係のない娘です」
「そうか。……君がそう言うなら、この話はここで止めよう」
「申し訳ありません。お心遣い、感謝いたします」
グレイが頭を下げるのを、フィルディナンドは遣る瀬無い想いで眺めていた。
グレイから『彼女が、完成したばかりの魔法陣を使って故郷に帰った』と聞いたのは、まだ数日前のことだ。そして、その日を境にグレイの瞳から光が消えた。
監視の意味も込めて、信頼のおける昔なじみのグレイを異世界から来た少女エトに護衛として付けるよう国王に進言したのはフィルディナンドだ。グレイを護衛につけたのは、彼しか適任がいなかったという理由もあるが、我ながら良い判断だったと思っていた。
素直で明るいだけではなく破天荒なところもあるエトに振り回されて、グレイは少し変わった。
真面目なだけで面白みがなかった彼が、慌てたり困ったりする様はなかなか痛快で、エトが何か問題を引き起こす度にまるで自分が彼女の保護者であるかのように彼女をとうとうと説教するグレイの姿は、今ではもう城の日常の風景の一つと化していた。
文句ばかり言いながらも二人の息はぴったりで、まるで雛のように自分を慕ってついてくるエトのことを、グレイが憎からず思っていることも知っていた。
エトがこの国の治療師の一人として認められた日の、グレイの嬉しそうな顔は記憶に新しい。心配だと口で言いながら、まるで自分の事のように誇らしそうな彼を見て、いつか二人が共にこの国で生きる未来もあるかもしれないとさえ思ったのだ。
そんな中、時空転移の魔法陣が古い書物から見つかった。
その知らせをグレイに告げた時、フィルディナンドはてっきりグレイは苦い顔をするに違いないと思っていた。
時空転移の魔法陣とはつまり、エトがグレイの元から永久に去る道だ。
もしフィルディナンドが同じ立場なら、その知らせを素直には喜べなかっただろう。黙ったまま隠すことすら考えたかもしれない。
しかし、
『良かった、これでエトは家族の元に帰れるのですね』
安心したようにそう言ったグレイは、寂しさなど少しも感じられないような優しげな微笑みを浮かべていた。その当時は、つまりグレイはあくまで保護者の感覚でエトを見つめていただけで、最初から添い遂げるつもりはなかったのだと納得したものだが――
(どうやら僕の勘違いだった、……みたいだね)
グレイは、フィルディナンドの予想より、遥かに深く、ただひたすらにエトを慈しんでいた。
きっと、自分が時空転移の魔法陣のことを彼に告げた時、彼はエトをこの世界から送り出し、そして自分の心を生涯殺し続ける道を選んだのだ。良かった、と笑った時、おそらく彼は既にすべてを諦めていた。
エトが居なくなった、あの日。
説明を求めたフィルディナンドに、グレイは『彼女が望んだから、自分の血を媒介に魔法陣を発動させた』と告げた。
真相がどうだったのか、それはその場にいたエトとグレイの二人にしか分らない。
城の中には、グレイの説明に納得していない人間もいるが、王太子であるフィルディナンドが表向きとはいえその話を真実として認めたため、グレイを問い詰めることも出来ずにいるようだ。
それでいい、とフィルディナンドは思う。
あの日を境に心を殺してしまったグレイの姿を見れば、彼女が望んだにしろ、グレイが無理やり彼女を帰したにしろ、もう二度と、エトがこの国に戻ってくることは無いのだろう。
グレイを責めたところで、エトが帰ってくるわけではない。
この国にとって貴重な人材であった『聖女様』を独断で失わせた罪は、これからグレイ本人が生涯贖い続けていくだろう。
自らの意志で手放した愛しい人のことを想い続けながら死んだように生きることは、きっと本当に死ぬよりずっと残酷な罰だ。
どこかが壊れてしまったように感情の一切こもっていない無表情で前を見つめるグレイを横目に、フィルディナンドは苦い吐息をこぼした。
(エト、君は今、どこでどうしているのだろう……)
どうか、グレイの悲しいほどの愛情が彼女を幸せにしていますように。
残念ながら、国境近辺でクマと戦ってます。
夏樹視点とグレイ視点で日付にズレがある点は、後ほど明らかになります。
作者が寝ぼけて書き間違えたわけではありませんのであしからず!
クマと戦い、そして敗北を喫した夏樹。
そんな彼女の前に現れたのは、状況を打開するとても素敵な救世主で――?
次回、「もう大丈夫だとどうして思った」
お楽しみに!