●過去の章● 彼と彼女と寝間着騒動
過去編。グレイ視点。
ここでこういう流れになってしまうのが、彼が堅物とからかわれる理由である。
エトが治療師となってから初めて、聖騎士団に同行して魔物討伐に行った日の夜のこと。
いつも通りエトを部屋まで送り届けたグレイだが、その日は彼女の様子が少しいつもと違っていた。
「おやすみなさい、グレイさん」
「ああ、今日はゆっくり休めよ」
「あの……グレイさん……」
「エト、今のお前に必要なのは、まずはゆっくりと休むことだ。話なら明日聞いてやるから、今日はまず休め」
「……そう、ですね。」
部屋の前まで来れば、彼女は軽い挨拶と共に部屋に入っていき、グレイはそれを見届けて自分の部屋に帰る。それは、毎晩変わらないいつもの光景だ。しかし、今日に限ってはエトはなかなか部屋の扉を閉めずに、もの言いたげにこちらを見ている。
何が言いたいのかは、分かる気がした。
(まあ……初めて魔物なんか目にしたら、誰かに泣き言を言いたくもなるか)
しかし、言った通り彼女に必要なのは休息だ。ここで下手に同情して話を聞いてやることで、逆に彼女から休む時間を奪うわけにはいかない。珍しく気弱な顔をしてこちらを見つめてくる彼女に、心が折れそうになるがグッとこらえる。
そんな見捨てられた犬のようにしょんぼりした顔をしても駄目だ。
身体が疲労しているときなど、人間碌なことは考えない。
だから、まずはゆっくり休め。
弱音なら、明日きちんと聞いてやるから。
「まあ、なんだ。その、寝ろ。治療師が倒れたら笑いものになるぞ」
「ううう、全然眠れる気がしないのですが。……おやすみなさい……」
しぶしぶエトが頷き、部屋に入る。
鍵まできちんとかけたのを確認してから、グレイはその場を離れた。
「やれやれ……」
普段、恐ろしいほど根性がたくましいのでついつい忘れそうになるが、ああして怯えている姿を見ると彼女も年相応の少女なのだなと実感する。戦い慣れした自分たちにとっては見慣れた下級の雑魚魔物だが、やはり自分の背丈ほどあるムカデにかじられそうになったという経験は彼女にとって相当ショックなものだったのだろう。
(まだ、彼女を前線に連れていくのは早かったんじゃないか……?)
皆、何事も慣れだと言うがそれでもやはり、彼女にはまだ早かったのだ。
もうすこし先延ばしでもよかった、と上層部の決定に不満を抱いた。
エトの自室は使っていない客間の一つである。
そこからしばらく歩くと、次第に周囲の雰囲気が変わってきた。
廊下を明るく照らすランプのデザインも大分シンプルなものに変わる。
というのも、ここは城勤めの騎士の自室が集まる区画。
結婚をした聖騎士は城下に家を建てるのが一般的だが、それ以外の独身の聖騎士に関しては大抵がここに住んでいる。グレイもまた然りだ。
自室に入ってすぐ、グレイはため息をつきながら自分の寝台に腰かけた。
「……ふう……」
疲れた。
今日は本当に疲れた。
今日は、エトが初めて魔物討伐に同行した日。
今まで訓練で生じたかすり傷ばかり治療していた彼女にとっては、初めてのきちんとした『職務』である。大人しく眠れるわけがないと不服そうにしていた、先ほどの彼女の顔が脳裏に浮かぶ。
(やっぱり、少しくらい話を聞いてやるべきだったか……)
いや、それこそ今更か。
治療魔法というものは、術者自身を治癒することはできない。
だから彼女は、自分で感じているより相当疲労しているはずなのだ。
それに今更自分が彼女の所に戻ったところで、とっくに彼女は寝落ちているだろう。
(それにしても、あんなにエトが怯えるとはな……)
正直、意外だった。
彼女がこの世界に来てからというもの、彼女の順応力はめまぐるしかった。大抵の出来事は、ひとしきり驚いた後であっさり受け入れてしまう。なにせ、自分が異世界に落ちてきたという事実すら、ありえないと騒ぎながらもあっという間に受け入れてしまった少女なのだ。
もし自分が彼女の立場だったら、そんなことは絶対に無理だ。
そんな彼女が、今日に限ってはあんなに青ざめていた。
エトは大抵驚くと大騒ぎするタイプなので、あのように静かに怯えられるとこちらとしても調子が狂う。
『あ、ありがとうございますグレイさん……』
目の前でムカデ魔物を叩き切った直後、怯え縋るような瞳でグレイのことを見つめていたエトの表情が脳裏をよぎった。
恐怖で潤んだ瞳は、彼女には申し訳ないがひどく庇護欲をかきたてるものだった。彼女の護衛を引き受けてから随分月日がたつが、初めて強烈に彼女を『守る』ことを意識した気がする。おかげで、彼女の魔力で腰砕けにされそうになる危機はいつもより少なかった。――ゼロではなかったのが悲しいが、そこはもう諦めようと思う。
(あいつ……あんなに怯えて……)
思い出し、グレイはムスッと眉間に皺をよせた。
あのギャップは、ずるい。
普段は殺しても死ななさそうなのに、突然少女らしくなるのはずるい。
今までも彼女に対して動揺したことはそれこそ吐いて捨てるほどあるが、魔力に関係しない部分で動揺させられたのは、それこそ出会った時以来だ。
不覚だが、すこし、どぎまぎした。
(……何を、馬鹿な。エトは生意気な妹みたいなもので、そういう対象じゃないはずだろう)
そうだ、彼女は護衛対象で監視対象。
彼女は自分にとっての『女性』ではない。
だから緊張せずに接することが出来るし、馬鹿なことを考えずに護衛することが出来る。
アレは、女じゃない。根が真っ直ぐで好感が持てる相手であることは認めるが、あれは、ただの生意気な、ガキだ。
――駄目だ、こんな魔が差すなんて、俺も相当疲れている。今日はさっさと寝よう。
グレイは、一度大きく頭を振ると、寝台から立ち上がり手早く来ていた服を脱いでいく。討伐から帰ってきた時点で湯は使っているので、今日はさっと体を拭くだけで寝てしまおう。
一人部屋なので、気を遣う相手もいない。
グレイは下着以外を手早く全部脱ぐと、脱いだ服を適当に部屋のすみの籠に放りこんだ。体を拭くための布巾を湯につけて絞っていると、突然グレイの部屋のドアがノックされた。
とんとん、と控えめに二回。
騎士仲間が叩いたにしては、随分と大人しいノックだ。
(……うん?)
この時間帯にこの部屋に来る人間など、同僚くらいしか思いつかない。
そういえば、ジークが今度飲もうと言っていた。
もしかしたら、その誘いだろうか。
相手が男だと信じて疑わないグレイは、ドアに背を向けたまま深く考えずに返事をした。
「ああ、ジークか?飲みの誘いならまた今度にしろ」
しかし、来客は何も言わない。
不思議に思い、グレイは手を止めてそちらを振り返った。
「……誰だ、ジークじゃないのか?」
「あの、夜分にすみません。……エトです」
「はっ!?」
予想外の珍客に、思わず素で声が裏返る。
エト、だと?
いや待て、城の一画だとはいえ、ここは男の自室ばかりが集まる無法地帯。
何故夜分にこんなところに。
彼女はもうとっくに寝たはずでは。
いや、むしろ眠れなくて俺の後を追ってきたのかもしれない。
全くわざわざ心を鬼にして部屋に放り込んだというのに、これでは無意味だ。
「エト、どうしたんだ?今日は休めと言っただろう」
「そうなんです、けど……とりあえず扉を開けてもいいですか?扉越しに会話しているのもアレですし」
「ああ、それは別にいいが……いや、駄目だ。駄目だ少し待ってくれ開けるんじゃない!」
流れで承諾しそうになったグレイは、自分の格好を見て慌ててエトを止めた。
グレイは今、下着姿のままだ。
いくら彼女を妹扱いしているとはいえ、流石に下着一枚で婦女子と会話するほど吹っ切れてはいない。この区画の廊下に若い娘を立たせておくのも問題があるのだが、今ここで扉を開けることの方が、より問題だ。誰かに目撃されでもしたら、色々と終了する。
ちょっと待てと叫びながら、グレイは先ほど適当に脱いで放ったシャツやズボンを慌てて身に着けた。ズボンのボタンを適当に留めながら、ドアの向こうのエトに声をかける。
「エト、お前今一人なのか」
「そうですね、誰かを呼んで付き添ってもらうほどでも無かったですし」
「お前なあ……もう少し、警戒心を持って行動しろと言っているだろう!」
「でもこの部屋、私の部屋からそんなに遠くないじゃないですか。城の中ですし、安全ですよ」
「近いとかより、この一画自体が危険だと言っているんだが……」
相変わらず、妙なところで鈍い返答をする少女だ。
呆れながら、なんとか着替え終わったグレイは部屋のドアを開けた。
何とか説得して、部屋までまた送り届けようと思いつつ顔をあげる。
しかし、そこで目に飛び込んできたものに完全に絶句した。
「夜分にすいません、グレイさん……」
グレイの部屋の前に立っていたのは、確かにエトだった。
しかし、その服装がいけない。
彼女は先ほど別れた時の服装ではなかった。
身体に柔らかく沿うような、淡い紫色のワンピース。
眠るときに邪魔に思わないよう、普通の服より薄手に作られているソレ。
肩にショールを羽織っていたとしても、それが彼女の寝間着であることは間違いなかった。
寝間着。
寝間着だ。
「…………」
「あの、ちゃんと言われた通りに寝ようと思ったんですけど、どうしても寝付けなくて」
「…………」
「……グレイさん?」
エトが何か言っていることは理解したが、いかんせん内容が聞き取れなかった。
いや、聞き取ったのだが、グレイの思考がそれどころではなかった。
(ね、寝間着……?)
女性の服にはうとい自覚があるグレイだが、流石に普通の服と寝間着の違いくらいはわかる。その二つの意味の違いは、この国では誰もが知っている常識である。
寝間着というものは、寝るときに身に着けるもの。逆に言えば、寝るとき以外でそれを目にすることは無い。つまり、相手の寝間着が見られるというのは、『褥を共にする間柄』であることを意味する。
グレイや彼女のどちらか、あるいはその両方が年端もいかない幼子だというのならばまだ許そう。
だが、残念ながら二人とも立派に妙齢、結婚適齢期の男女である。
彼女の寝間着は、本来彼女の夫になった人間以外は目にすることがないはずのものだ。
なのに、それを自分が見てしまった。
それは、夫の特権なのに。
これから褥を共にするとかいうわけでも、ないのに。
(褥……)
自分で考えたことに、思わずごくりと唾を飲み込んだ。
無意識のうちに彼女の姿を上から下まで観察しなおしてしまう。
柔らかい体のフォルムは、男であるグレイにはほとほと縁遠いものだ。
いつもは固めの服や外套で隠されているそれが、露骨にラインに出ている。
柔らかそうだな、と思ったらくらりと眩暈がした。
「…………」
「その、今日だけ、弱音、はいてもいいですか?」
不安げに瞳を揺らして、彼女がそんなことを言う。
弱音をはく、え、どこで?ここで?この部屋で?
寝間着で、夜に、お前は独身男の自室に押し入ると、そう言ったのか?
色々とショートしていた頭が、少しずつ事態を理解する。
理解して、そして、―――そこで今度こそ完璧に、グレイの中の何かが切れた。
「エト……」
「……はい?」
「そこに直れ!説教だっ!」
「え、え?あの、私、相談に来たのですが」
「相談なんか後だ!いいか、まずその恰好は何だはしたない!お前は、自分が何歳だと思っているんだ、自覚が足りなすぎる!」
「ひ、ひぃいいい……!」
動揺と緊張と、そしてぶつけどころのない鬱屈した欲情を全て込めて、グレイはここ数年で最大級の雷を彼女に落としたのだった。
――――――翌日、昨日の魔物に対する怯えが完全に消えているエトを不思議に思ってグレイが尋ねると、達観した顔で「魔物より恐ろしいものを見ましたので」と答えられることになるのだが、それはまた別の話。
八つ当たりグレイさんに巻き込まれ夏樹さんの一幕。




