-30- なんでも屋
なんでも屋と氷室たちは、ほぼ同時にマンションに到着した。
正彦くんは本当にあれからすぐに出発したようだ。女性を二人も連れ立って帰宅してきた氷室を見て、ポカンと口を開けている。業者は二人。先ほど会った正彦くんともう一人、社長だと紹介された。
傍から見れば、モテモテのナイスミドルに見えるかもしれないが、じつは違う。それを業者に言い訳しようか、する必要もないか、すぐに気づくか……と氷室は逡巡した。
部屋にぞろぞろと上がっていって、挨拶もそこそこにして、さっそく見積もりが始まった。
この部屋の家具はほとんどが備え付けの物なので、氷室の私物は少ない。テレビすら最初から壁に掛かっていたのだ。それらを一品ずつチェックしていく。冷蔵庫にベッド、タンスは大物だ。そして帆船模型がある。
それに関して業者は、美術工芸品は保証ができないので、それだけは引き受けられない、と言う。
氷室は逆にその誠実さを気に入ってしまった。
一通り見終ったのち、すぐに税込で三万六千円という額が提示された。その金額が妥当なのか検討せずに、彼は即決していた。
「え~と、ほんなら、明日は朝から四人で来ますわ。運び出しから向こうのアパートに入れるまで、午前中のうちにパッとやってしまいます。まぁ近距離なんで、細かい物も後から何とでもなりますよ」
「明日の午前中に? それはまた急ですね。あ、いや、それでお願いします。でも私は仕事で留守になりますが、ここへはどうやって……」
ここの合鍵を渡すというのは、かなりの不用心ともとれる行為だが、新しく世話になるアパートの管理業者であるということで、信用した。
――なるほど、不動産屋も兼ねているというのは、便利なものだ。
話がまとまって、さてというときになって、丸山女史が氷室のキッチンを勝手に引っ掻き回して、お茶とお菓子を出してくれた。服装は当然ここへ来たときと同じ、ラフな恰好だったが、表情と立ち振る舞いが秘書モードになっている。彼女の外面の良さに、すっかり騙されたようすの業者二人がポーッとなっていた。
業者の社長は帰り際、キッチンで料理をしている丸山女史と、佐々岡を見やる。そして、どちらにともなしに声をかけた。
「じゃあ、奥さん。ダンボールを持ってきただけ置いていきますんで、自由に使ってください」
佐々岡が、はい、と返事をするので、氷室と丸山女史は同時にツッコんだ。
そのあと氷室はウォーキングクローゼットに隠れ、念入りにデオドラントして着替えた。シャワーを浴びたかったが、濡れタオルで全身を拭うだけにした。なんとなく女性二人に遠慮したのだ。
やがてダイニングテーブルに、ビーフポテトコロッケとドライカレーが、どんと置かれた。この部屋には食器が一人分しかないので、味噌汁のお椀から大皿、小皿まで、総動員となる。そのことで佐々岡は、全体の盛り付けの仕上がり具合に不満を漏らしていたが、氷室はこれ以上ないくらいに充分だと言った。
そして、例によって、彼女たちの愚痴大会が始まった。周りに聞き耳を立てる人がいないので、氷室は安心して笑っていられる。食事は和やかに進んだ。
「もう九時だよ。そろそろ駅まで送ろうか」
キッチンを片してくれている二人に声をかけた。
「見たところ、荷物も少ないし、三人でパパッとやってしまわへん?」丸山女史が佐々岡に言う。
佐々岡は、最初からそのつもりだ、と言わんばかりに大きく頷いた。
いや、しかし……と、立ち尽くす氷室を押し退けて、丸山女史はダンボールの組み立てに取り掛かった。
あ、それは僕がするよ……と歩み寄ろうとした氷室の腕を、佐々岡がむんずと掴み「タンスの中とか衣類、小物、全部出して下さい」と、クローゼットを指差した。そして、彼女はキッチンへ戻っていった。
「それじゃ、お願いしてもいい……のかな?」
彼女たちのテキパキとした行動に押され、氷室は呟きながらクローゼットへ行った。
その作業は順調に進み、ダンボール箱は六つになった。冷蔵庫の中身をどうしようか、という問題に突き当たって中断し、丸山女史がビールを見つけてきて途中終了となった。食事会の次は、飲み会だ。
そして時刻は二十三時――。
駅まで送るつもりをしていたのに、タクシーを呼ばなければならない。
「二人とも(頼んだわけじゃないけど)今日はありがとう。(そろそろ帰ってね)」
佐々岡は、リビングのソファと一体化したように動かない。そして全く聞いていない。
それどころか、丸山女史が隠しておいたブラントンを目聡く見つけてきて、勝手に飲み始めた。社外で会う度、彼女の凛としたイメージは崩されていく。
氷室は、彼女たちが帰ったあとで、荷造りの続きをしようと思っていた。なので、それには手を出さなかった。しかし、どんどん消費されていくバーボン(五千円のブラントンではなく、一万五千円もするブラントンゴールドだ)に焦燥感を募らせた。
彼女たちは、それを焼酎で割ったりして、せっかくの一品を非道に扱った。それでついに氷室は堪え切れなくなって、彼女らからそれを取り上げた。もちろん、自分のグラスに残りをすべてを注いだ。
二人がゲラゲラと手を叩いて笑う。
すでに氷室も酔っていた。
ブラントンの特徴である、馬の付いたキャップを丸山女史が欲っしたときには、彼女の頬をつねり上げて取り返した。
おかしくなっていた。
ちょうだい――駄目だ――ちょうだい!――嫌だ!
組んずほぐれつのどさくさに、氷室と丸山女史はキスをした。
悲鳴にも似た声を上げて、佐々岡が氷室たちを引き剥がしにかかる。そこで丸山女史は、佐々岡にもキスをした。
部下は平等に扱わなければならない――そのときに氷室がそう思ったのかは定かでないが、彼は佐々岡を抱き寄せてキスをした。




