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-10-  支店長室

どこに何を書いたかわからんくなったので小見出しを付けたいのよ

 総務と経理が共同で使用している三階のオフィス内、その一角に明らかに雰囲気の違うドアがあり、支店長室はその先にある。装飾が施された重々しいドアと比較すると、中は拍子抜けするほどに簡素で、驚きの畳み敷。広さは八畳ほどで、靴を脱ぐ三和土がきちんとある。今の季節、窓には御簾が掛かっていて、ご丁寧に風鈴までぶら下げてあった。

 この部屋に通された訪問客は、支店長が座布団に座って迎えるというスタイルに、皆一様に笑う。氷室も赴任の挨拶で初めて訪れたときには、驚いたものだ。ただ、そのときのリアクションが、支店長好みではなかったようで、本社から来た面白くない奴、というのが、彼の氷室に対する第一印象らしい。


 各々が押し入れの下部から自らで座布団を出し、いつもの場所に座った。支店長から時計回りに、営業部部長、経理部部長、氷室、総務部部長、そして進行役として経理担当係長が、重厚で歪な形をしたローテーブルに着いた。


「はい、お早うさん。今日も暑くなりそうやなぁ。外回りのもんには、昼にアイスでも配ったろか?」

 支店長は地元出身で関西の言葉を使う。厳密にいうと違うらしいが、氷室には大阪弁との違いがわからない。

「それは支店長のポケットマネーで、ですよね」

 経理部部長の清田は手帳を捲りながら、澄ました顔で言う。

「ああ、そうやで」

「それなら、結構なことです」

「相変わらず、ケチくさいこっちゃのぉ」と、営業部部長の富山が扇いでいた扇子を閉じ、それで清田を差した。

 営業課の者も、部長をはじめほとんどが地元、あるいは近隣市の出身だと聞いている。地元商店などが取引先の場合、これが大した武器になるのだ。支店長の荒木と、営業部部長の富山は、同じ大学の先輩後輩という間柄で、そのせいか、富山は小柄ながら、態度と声が大きい。富山と清田が揉めるのは日常茶飯事だが、営業部のオフィスだけが二階にあることとは関係ない。


「何度もお願いしているはずですが、営業課のどんぶり勘定で、一切合財の請求書を回してもらっては困りますよ」

「今回のことは、お前んとこの管理不行き届きやろうに」

「富山ぁ、ちょっと黙っとけよ」支店長が富山の肩に手を置いて制する。

 係長は緊張した面持ちで「ええ、始めてよろしいでしょうか?」と、各人の顔色を窺った。

 

 発覚した経緯から現時点でわかっているところまで、係長は自分の見せ場だといった感じで説明した。昨夜に帰宅してから予行演習でもしたのだろう。淀みなく、わかりやすい説明だった。が、その程度のことは、ここにいる誰もが知っている。

「それからどうなったんや、っちゅう話やないけ」

 富山が扇子でコンコンとテーブルを叩き、ぎろりと睨んだ。それで係長が委縮した。

「お前、恥かくから止めとけ。わしが一から説明してくれるように頼んどいたんや」荒木は続けて「あ~それで、昨日の話やけどなぁ。わしの家に営業の兵藤くんが来よってな……」

「うちの兵藤が、ですか?」

 いったい何を言い出すのやら、と富山だけでなく、全員が支店長に向いた。


 それから、荒木支店長の話を一同は黙って聞いていた。時間にして三十分ほど。じっと荒木の目を追う者、ずっと俯いている者、それぞれが何も意見を挟まなかった。

「――それでや、富山と清田くんは、ちょっと残ってくれ。氷室さんはすまんけど、営業課にいつも通りって伝えてといてぇな。詳しいことは……とりあえず、今は伏せとこか」

「わかりました」

 氷室は立ち上がって座布団を片した。靴を履く際に富山部長を一瞥する。彼の顔色が痛々しいほどに変わっていた。

「失礼します」と、係長が慌てて続く。

 おそらく、荒木は二人を連れて外出する。午前中に円満解決となればいいが、と氷室は気を揉んだ。

 

 支店長室から出ていくと、経理の佐々岡がさっと立ち上がって、不安気な表情で畏まった。

 氷室と係長が揃って前に立つと、彼女を見下ろすような形になる。それで佐々岡は余計に恐縮した。


「佐々岡さんの記憶は正しかったね」

 氷室がそう言って佐々岡の肩を叩くと、彼女はぐにゃりと顔を歪ませた。今にも涙が零れ出しそうな目を上げ、すぐに俯いた。昨日には、富山部長が直接怒鳴りこんできて、清田部長と氷室で追い返したという一幕もあった。入力を一手に担う彼女にとって、この二日間は自他ともの責苦に喘いで大変だったろう。

 肩に触れるくらいでも、今はセクハラと捉えられかねないので、氷室はすぐに手を退いた。

「君ねぇ、他から簡単に弄られないように……」

 氷室は係長を手で制して「二人とも、コーヒーを奢るよ。昼から清田部長も含めて、改善策を話し合おうか」と言って、先に歩き出した。

 佐々岡が迷うように係長を一瞥すると、彼は、行って奢ってもらえ、とばかりに顎をくいっと上げた。


 昼休み――

 持参した弁当を食べ終えた佐々岡が、係長の前に立った。先の簡潔な慰労で、彼女が納得していないことは顔を見れば明らかで、あれではこっちにも来るだろうな、と思ったら、やっぱり来た。係長は沈黙を守り、氷室へ丸投げしたようだ。

 氷室は佐々岡に応じて立ち上がった。逡巡して屋上へ誘った。苦悩した分、佐々岡には知る権利がある。直属の上司が口を閉ざすなら、特殊な立ち位置の自分から詳細を語ってやろう、という気になった。

 手にした缶コーヒーを振りながら、屋上へ出る扉を開く。日除けがないので、この時期屋上で休息する者はいないと思っていたのに、一つだけ置いてあるベンチには、先客がいた。総務部部長の原田が座って煙草を燻らせている。氷室に目をやると、原田は煙草を持っているほうをチョイと挙げた。

 一瞬、氷室も原田へ丸投げしてやろうかと思案したが、直射日光にやられて、体の水分が抜けてしまったかのように背中を丸め、コーヒーと煙草を交互に口へ運んでいる姿を見て、やめた。

 

「佐々岡さんは、営業の兵藤って人を知っているかい?」

 缶を開け、ひと口啜ってから言った。

 原田が、私は聞かなかったことにする、と言わんばかりに腰を上げた。それでベンチは空いたが、掛ける気にはなれなかった。

 先読みした佐々岡は、目を丸くして「そんな、兵藤さんが……」と言ったきり黙ってしまった。

 その経緯には詳しく触れず、氷室は頷くだけにした。

「さっき荒木支店長たちが出ていっただろ。戻ってきたら多分、清田部長から詳しく聞けると思うんだ。富山部長は……」

「それだけで結構です」彼女はうんうんと細かく頷いて「すみませんでした」と、頭を下げた。

「あ、そうなの? まぁ、そういうことだから」

「はい、失礼します」速足に扉へ向かう。

 溜まった鬱憤の捌け口になってやろう、と覚悟していたのに、些か拍子抜けだ。

 屋上で一人残された氷室の後頭部を、夏の陽射しが照りつける。自分も外出しようか、何かいい用事はないか、と遠くを見ると、すぐ脇のフェンス沿いに原田がいた。この人は本当に気配を絶つのが上手い。確か、出身は伊賀だったか……。

 原田に歩み寄り、駐車場を見下ろした。

「支店長の車、まだ帰ってませんね。――これ、どうなりますかね?」

 氷室は人事のことを言い含めて、訊いた。

「ほうやなぁ……どうなんにゃろなぁ?」

 この人、今日初めて喋ったんじゃないだろうか……。


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