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深淵の枯木

おはようからこんばんわまでどーもです。敗者のキモチです。

この度はぶっちゃけ自分が見た夢を色々改変して設定をつけて短編にしました。

拙い文ですが、宜しくお願いします。

◇ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◇



 なあ、この街の北に荒廃した土地があるのは知ってるだろ?


 そうそう、最近噂になってる悪魔の住む館が建ってる所だよ。


 前回はその悪魔の話しをしたけど、今回話したいのは別の話しでね。


 館のすぐ北に、崖があるのは知ってるかい? それも、終わりが見えない程の崖が。


 正直それを見た時、僕は震え上がったね。落ちたらどうなってしまうんだろうと。嫌な想像をしてしまった。


 でも重用なのは、その崖じゃないんだ。雑草の一つも生えていない、何もない土地に、一本だけ崖の淵に枯木が生えていた。


 おっと、ただの枯木と思うなよ? とてつもなく巨大な捩じ曲がった樹で、禍々しいというか、とにかく見た事も無い樹だった。


 それがこう、崖の方に這うように捩じれて伸びているのさ。


 まるで、あの世への掛橋みたいに感じたよ。


 でもね、今回僕は、その樹に関する噂を小耳に挟んだんだ。それで、その噂によるとね。


 あの樹は─────



◇ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◇



 悪魔と呼ばれるようになってから、もう数百年が経つ。

 神と崇められる事がなくなってから、もう数百年が経つ。

 私は人によって生み出され、人によって堕とされた存在だ。名前は無い、地位も必要としない。ただ、この世界を作り出した神から指示を受けるだけの悪魔だ。

 生まれた時から変わらないその命令は、一本の樹の守護。既に枯れ果てて、それでも尚その力を失わないその樹は、この館より北にある崖に自生する。

 その樹に、人を寄せつけてはならない、何故ならあの樹に宿る力は、人の手に余るものだからだ。

 だから私は、今日も微弱な結界を張る。もう力の衰えた私に、人払いの結界は出来ない。だがせめて、触れることは出来ないようにと、願い続けながら。


「今日の分の結界も、終わった」


 か細い声の響く、石壁で囲われた少し広めの小部屋。中央の床面に円陣が描かれ、その周囲に幾つかの術具が置かれている。

 そんな殺風景な部屋の中央に、白い服を着た少女が跪いていた。

 プラチナブロンドの長髪を揺らしながらその場を立ち上がり、少女が目の前の彫刻が刻まれた壁を見詰める。

 曲がりくねった道のような、川のようなその彫刻が示すものは、崖の淵に這う枯れ果てた樹。その樹に結界を張るために、一日のうちのひと時をこの部屋で祈るのだ。


「私に残された微弱な力では、こんな弱い結界を一日保たせるのが限界‥‥‥でも、無いよりは良いと思うから」


 誰にともなく呟く。その瞳には触れればすぐに消えてしまいそうな悲しさが見え隠れした。


「だけど‥‥‥もう一日一回では保てないかもしれない」


 日に日に衰えてゆく力、それは、信仰者の減少を表す。

 まだ信者がいてくれている事自体が驚きだが、恐らくもう、長くはない。


「また明日、ここにきます」


 そう言い残して、白い悪魔は部屋を後にした。



◇ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◇



 刻限は夕刻、場所は北の館。


「いる‥‥神様は、きっといる‥‥‥」


 呪文の様にそう呟きながら、一人の少年が薄暗く長い廊下を歩いていた。

 こうなったのには、ちょっとしたいきさつがある。

 少年───ジルベルトの祖母にあたる人物は、幼い頃に両親を亡くしたジルベルトにとっては、唯一の肉親であり育ての親だった。しかし先日病に倒れてしまい、遂にはそれも亡くなってしまったのだ。

 近所の人達は言う。悪魔を崇めているからだ、と。

 そう、ジルベルトの一族は、北の館に住む悪魔を神として崇めた部族の、数少ない生き残りだったのだ。

 それを否定され、ジルベルトは反論する、悪魔なんて崇めていない、と。

 自分に向かって館の神様の話しをする祖母の優しい笑顔を、ジルベルトは否定された気がして、我慢できなかった。

 それで、未だ幼い、歳が二桁にも及ばないジルベルトは癇癪を起こし、怒りのままに街を飛び出してしまったのだ。

 そして、今に至っている。

 不気味に広い廊下は、お世辞にも神様の住居とは思えない。ジルベルトも今だけは、ここが悪魔の住居だと信じ込んでいた。だがそれでも口では神様はいると唱えつづけ、自分を叱咤し続ける。

 長らく廊下を歩いていると、ようやく廊下の突き当たりにたどり着いた。


「こ、ここは‥‥‥?」


 突き当たりにあったのは、広い廊下には不釣り合いな程小さな木製扉。ジルベルトはこの差異に、しばし呆ける。

 広い廊下の先にあるのはきっと重要な何か、という子供故の推測が、小さな木製扉に打ち壊されたからだ。

 小さな扉の先はさほど重要ではない、という。これもまた子供故の推測によるものだった。

 だが、呆けるのも一瞬、扉の先から女性の声が聞こえてきて、ジルベルトは驚愕に足がすくむ。

 一体誰と話しているのか、別の声は聞こえない。やがて扉のすぐ先に移動する足音が聞こえて、ジルベルトは慌てて近くの支柱に隠れた。

 キィ‥‥と音を発てて、扉が開かれる。ジルベルトは固唾を飲みながらそこから現れるであろう悪魔を見ようと柱の影から覗き込む。


「‥‥‥誰?」


 聞こえてきたのは、先程扉越しに聞いた声と同じ鈴のようなか細い声。現れたその姿も、白い服を着た少女のそれだった。


「足音が聞こえたわ、誰かいるんでしょう?」


 悪魔? 否、断じてそうではない。この少女は、きっと祖母の言っていた神様だ。


「ここかしら?」


 少女の姿をした白い神様が、自分で開けた扉の影を覗く。だが、そこにジルベルトは居ない。

 楽しそうに首を振りながら、少女が周囲の隠れていそうな場所を探す。元より隠れる場所の少ないこの廊下で、少女が柱の影に隠れたジルベルトを見つけるのに、そう時間はかからなかった。


「あら、小さなお客さん」


 その少女は小さなジルベルトにあわせて腰を屈めると、ひまわりのような笑顔でそう言ってくる。そして、はしゃぐように質問を並べてきた。


「あなた、お名前は? 何処から来たの? 小さいわね、歳は幾つ? お母さんは?」


「あ‥‥あの、あああの」


 答えきれない質問の量に、ジルベルトは戸惑う。先程は女神様だと思ったが、このはしゃぎっぷりはまるで話し相手を見つけた普通の女の子だ。


「なあに? どうしたの?」


「か‥‥神様、なの?」


 ようやくまともに出た声は、単純な問い。だがその問いに、明るかった少女の笑顔は曇る。その瞳に悲しみの色が浮かぶが、幼いジルベルトはそれに気づかない。


「昔は‥‥‥そうも呼ばれていたわ」


「今は、違うの?」


「どうだろう‥‥‥人それぞれかな、あなたが私を悪魔だと思うなら、多分私はあなたの悪魔なんだと思う‥‥‥」


「‥‥‥?」


「‥‥‥ちょっと難しかったかな? おいで、ここは寒いでしょう? 温かい飲み物を煎れてあげる」


 少女が微笑みながら手を差し出してきて、ジルベルトは恐れる事なくその手を握る。その微笑みが、今は亡き祖母と同じ優しさを孕んでいる様な気がして、ジルベルトは嬉しかった。

 手を握り合って廊下を歩く、ジルベルトの身長では少女の手の所まで精一杯手を伸ばさねば届かず。僅かに爪先立ちになる。

 そんなジルベルトの姿を見て、少女はクスリと笑うと、母親になった気分でその姿を見守っていた。



◇ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◇



 小さなお客さんの名前はジルベルトというらしい。

 この憩いの広間に来るまでの道すがら、名前と、ここに来るまでの経緯を聞いた。


「でも、やっぱりおねえちゃんは女神様なんだよね?」


 話しの終わりに、ジルベルトが縋るような眼差しで見上げてくる。


「うん‥‥‥そうだよ」


 不安を孕むその視線に、私は否定することができずにそう返す。私は心の中でごめんねと呟いた。

 今は憩いの広間で、私の煎れたホットミルクをちまちまと飲んでいる。ちょっと熱過ぎたのかもしれない。


「ねえ、ジル?」


 ジルという名は、先程私がそう呼んで良いかと尋ね、了承してもらった呼び名だ。

 ジルはカップに口をつけたまま、視線で何かと意思表示をしてくる。

 私は一瞬視線を逸らすと、すぐに視線を元に戻し、祈るように縋る気持ちで問うた。


「あなたは‥‥‥私を信じてくれる? ほんの少しの力しか残っていない、私のことを‥‥‥」


 もう、力が少ない、この世界中で、彼一人だけでもいい、心の底から私を信じてくれる人がいてほしい。利用するみたいで嫌だけど、そうでもしないと、あの木を守る事は出来ない。

 私の必死の問いに、ジルはホットミルクの入ったカップをテーブルの上に置くと、純粋な瞳を輝かせて答えてくれた。


「うん! ボク信じるよ? だって、女神様なんでしょ?」


「‥‥‥ありがとう、ジル」


 その言葉を聞いて、なんでだろうか、私は凄く嬉しいと感じた。

 私は思わず溢れそうになった涙を、目を閉じて堪える。この子の前で、涙を見せる訳にはいかない。


「さあ、もう帰りなさい、きっと街の人も心配してる。でも、ここで私に会った事は、絶対に他の人に言っちゃダメだよ?」


「うん‥‥‥わかった」


 ジルの表情が曇る、私は訝しげに首を傾けると。考えている事を察して、優しく諭す。


「大丈夫だよ、帰る場所はきっとある。私が、あなたに幸福が訪れるように、魔法をかけてあげるから」


「‥‥‥まほう?」


「そう、だからほら、目を閉じて?」


「うん、わかった」


 言われた通りに、ジルは目を閉じる、私はテーブルから身を乗り出すと、その広いおでこにそっと口づけをした。同時に、私に残った力を少し流し込む。

 効果は弱いけど、きっと彼を幸せに導いてくれる筈だ。

 椅子に座り直した時、ジルは顔をりんごのように赤くして額を両手で押さえていた。自然と、軽やかな笑いが込み上げる。

 そのまま玄関先まで送ると、外は当然ながら星が瞬くまでに暗くなっていた。


「辛くなったり悲しい事があったら、いつでも来ていいからね」


 私は寒くならないように毛布をその小さな身体に巻き付けると、その姿が見えなくなるまで見送った。



◇ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◇



 僕があの館に忍び込んだあの日から、七年が経った。

 七年前、彼女の館から帰った僕は、近所の裕福な知り合いの家に引き取られ、何不自由なく暮らして来た。きっと、彼女の口づけの効果だったのだろう。今思い出しても恥ずかしいが。

 それからも僕はしばしば街を抜け出し、館に行くことがあった。

 そしてその度に、彼女は優しい笑顔で出迎えてくれた。

 今僕は十四歳、背も高くなり、館の彼女にも大分近づいてきた。

 彼女の身体は、出会った時からずっと変わらない。服装も、白い服のままだ。前に一度、僕が誕生日の日に夜会服(イブニングドレス)を着て現れたが、上半身の露出が多いそれに非常に慌てたのを覚えている。

 そういえば、その時に彼女にフィリアという名前をつけた気がする。小さかったとはいえ、我ながら恐ろしいことをしていたな‥‥‥まあ、フィリアが喜んでくれたのは幸いか。


「今日は、久しぶりに行けるかな」


 最近僕は、あまりフィリアに会いに行けていない。理由は単純で、義父母のジャルバさんが、自分の行動を怪しいと思い始めたからだ。

 でも今日は、薬草を採りに街の外に出るから、こっそりと館に行こう。

 僕は木籠をもって街を出ると、館に向けて駆け出した。



◇ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◇



 小さかったジルは、もうすっかり大きく、立派になっていた。でも、数百年の永い時を生きている私にとっては、まだまだ可愛いものだ。

 だがそろそろ、難しい話しも理解できるようになってきたようなので、今度会ったら、私が神から悪魔になった理由でも話してみようか?

 ジルならば恐らく、この話しを聞こうが聞くまいが、私は神様なのだから聞く必要はないと言うかもしれないけれど。私の事をもっと彼に知ってほしい。


「だって、唯一のお友達なんだもの」


 数百年の間、一人で過ごしていた私には、話し相手が居なかった。そのためか、自然と独り言も多くなり、虚無感を覚える事も多かった。だから、久しぶりのお客さんを見つけた時は、思わずはしゃいでしまったものだ。

 それに、ジルに会ってから私に宿る力が少し強くなってきている。

 そのおかげで、枯木の結界も強く張れるようになったし、ジルに幸福の加護を与える余裕もできていた。


「本当に、ジルには感謝しないとね」


 話し相手が出来ても独り言の治まらない自分に少し苦笑をすると、私は今日の分の結界を張るために長廊下に出る。


「フィリアー!」


 祈りの間の木製扉に手をかけた時。玄関口からジルの声が聞こえてきた。

 フィリアというのは、彼の誕生日の日に、彼が私に与えてくれた名前。

 結界を張ろうかと思っていたけれど、仕方ないか。

 私は永い廊下を、もう一度折り返し、ジルの元へ向かった。


「久しぶりだね、フィリア」


「うん、今日はどうしたの?」


「今日は、お使いで近くまで来たから」


「ふふ、そっか。丁度私もジルと話したかったんだ」


 おいで、と手を差し出して、ジルを招き入れる、いつもの広間まで導くと、ホットコーヒーを煎れてあげた。以前ホットミルクを煎れたところ、もうそんな子供ではないと言われたので、今ではこれにしているのだ。

 といっても、背伸びをしているのは見え見えなので、こっそりと砂糖を加えておくのは忘れない。


「それで今日は、私が悪魔になった訳を聞いてほしいんだけど‥‥‥いいかな?」


「む‥‥フィリアは僕にとっては神様なんだから、そんな話し、別にいいよ」


 思っていた通りの返答に、笑みが零れる。だけど私の意思は変わらない、ジルに、私のことをもっと知ってほしい。


「ジルなら、そう言ってくれると思ったよ。でもね、私の事、もっとジルに知ってほしいの」


「それなら‥‥まあ」


 少し頬を赤らめながら、ジルが渋々頷く。私はジルを連れてバルコニーに出ると、心地よく吹く枯れた風を浴びながら、語りだした。


「‥‥‥この世界に存在する殆どの悪魔が、元々は人々に崇められていた神様だったというのは、知っている?」


「いや、聞いたこと無いけど」


「異なる部族が、それぞれ異なる神様を崇めているとね、次第に争い始めるんだ。自分達の神様が正しい、お前達の崇めているのは悪魔だ。って具合にね」


「それは、要するに宗教戦争ということ?」


「そう、そして戦争が始まり、多くの犠牲の後に、勝敗が決まる。その時に負けた部族の崇めていた神様は悪魔として扱われるの」


「フィリアを崇めていた部族は、その戦争で負けてしまったの?」


「うん‥‥‥沢山の人が亡くなった‥‥‥わたしは‥‥守りきれなかった‥‥‥」


「‥‥‥辛かったんだね」


「うん‥‥‥でも、私は悪魔にはなりきらなかった。部族の人達の中に、生き残りがいたから。そして私を信じ続けてくれたから、私は悪魔と呼ばれても、神としての自我は保っていられた」


「‥‥‥」


「でも、それも長くは続かなかった。少しずつ、信仰者は減っていった。それでも私がまだ神としていられるのは、ジル、あなたが───」


「───その部族の生き残りだから?」


「‥‥‥聡明な子に育ったのね、嬉しいわ。でもねジル、私はあなたが部族の生き残りでなくても、信仰者でなくても、ここに来て、私を見つけてくれたあなたが大切だよ‥‥‥」


「う‥‥うん、ありがとう」


「ううん‥‥‥お礼を言うのは私の方。私の孤独を癒してくれて、名前を与えてくれて、ありがとう」


 細く目を閉じると、流さないと決めていた涙が零れそうになった。目元をキュッと引き結びそれを堪える。

 身体が何故か火照っていて、バルコニーに吹く渇いた風がとても涼しく感じられた。



◇ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◇



 フィリアに、自分のことを知ってほしいと言われた時。僕は嬉しかった。だけど、彼女の泣きそうな表情を見た時、僕は思った。

 ああ、たとえ神様と言われていても、やはり弱いのだ。人となんら変わらない、一人の女の子なのだ。誰かが、いや僕が、護ってあげないといけないんだ。


「‥‥‥中に入ろう、フィリア」


「うん‥‥‥」


 いつもとは反対に、まだ僕の方が背は低いけれど、僕がフィリアの手をとってバルコニーを後にする。

 握った手は、少し火照っている気がした。


「もう時間だし、今日は帰るよ」


「うん、話し、聞いてくれてありがとね。私もこれから結界を張りに行くから、また今度、来てね」


 そういえば、彼女は普段何をしているのだろう、手を振って見送りをしてくれるフィリアを見ながら、僕はそう思った。



◇ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◇



───それから更に三年後。

 ジルは十七歳となり、遂に世話になっていたジャルバ家を出ることとなった。一人暮らし用の家を持ち、日々の生活を賄えるだけの職も持っているらしい。

 (きこり)という職業は、ジルが私の館に通うのに最も都合の良い仕事なようで、自立してからというもの、殆ど毎日のようにジルは私の所に通っていた。

 仕事の効果もあいまって、ジルは相当逞しくなった。背も高く、今では私よりも十センチ程高い。

 あれから私は、何度か自分の事を彼に話した。北の崖にある捻れた枯木だとか、その樹に毎日結界を張っている事だとかも、枯木に宿る力だけは伏せて話した。


「ねえジル、不気味だって思った事は無いの?」


 館の前の広場に座敷を敷いて、そこでジルの持ってきた簡単なサンドイッチやら果物やらを食べながら、私は不意にそう尋ねた。


「何が?」


「だって、ジルは成長していくのに、私は全然変わらないじゃない」


 私がそう言うと、ジルは苦笑する。まるで、考えたことも無かった、とでも言いたげに。


「不気味だなんて、思ったことないよ。フィリアはいつまでもフィリアだし、俺だっていつまでもジルベルトのままさ」


「でも、ジルは変わっていってる、外見だけじゃなくて、心も少しずつ大人になっていってる」


 これは、確固たる事実だ。ジルは、この三年間で別人の様に逞しくなった。

 そんな私の想いを知ってか知らずか、ジルは言う。


「別に、ムリに変わらなくてもいいんじゃないか? フィリアは、女神様なんだしさ」


「‥‥‥なんだか、いつの間にかすっかり逞しくなっちゃったね。昔は私、お姉さんのつもりだったんだけどなぁ」


「……無理に、背負わなくてもいいんじゃないか?」


「え‥‥?」


「だから、神様とか悪魔とか、そんな事気にしないでただの女の子として生きてさ、結界とかも、一日の内のほんのひと時だけ祈れば一日もつんだろ? その時以外は、普通の女の子として生きてもいいんじゃないのか?」


「でも‥‥‥普通の女の子がどんななのか、私知らない」


「そうきたか! あっはっはっはっは!」


 私の言葉に、ジルは笑いを隠さない。

 その態度に私が少しムッとすると、ジルは慌てて言い繕ってきた。


「悪い悪い、じゃあ今度、街に連れて行ってあげるよ、フィリアぐらいの女の子が沢山いるからさ」


「本当? でも大丈夫かな‥‥?」


「大丈夫さ、でもそうなると、その白い服だとダメだろうな‥‥‥おっと、イブニングドレスはダメだぞ? 街に着て行くような服じゃない。そうだな、今度俺が街で似合いそうな服を買ってくるよ、それでいいかな?」


「う、うん、ありがと‥‥‥」


「じゃあ、今日は早めに帰らないとな、服屋が閉まる前に買わないと」


 そう言って、ジルが立ち上がる。もう帰ってしまう事に淋しさを覚えるが、そういうことなら仕方ない。


「楽しみにしてるね」


 私は笑顔で彼を見送ると、少し思い悩みながら、館に戻って行った。


「ただの女の子として……か」


 私はそれを、少し遠い存在に思えた。



◇ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◇



 フィリアと別れて街に戻ると、貯金を持って市場に出る。といっても貯金も沢山ある訳ではないので、そんなに高価な物は買えないだろう。

 さんざん悩み抜いた結果自分が選んだのは、若草色のワンピースに淡い黄色のカーディガン、それから目立たないように、麦藁帽子を購入した。

 そして自宅までの帰り道、俺は意外な人物に遭った。


「ジルベルトじゃないか、久しぶりだな」


 祖母が亡くなった際によく世話になった、義父のジャルバさんである。


「ああ、ジャルバさんですか、お久しぶりです」


「お前もすっかり逞しくなったな‥‥‥お前が十五歳の時に自立したいと言い出した時はどうなるかと思ったが、もう安心できそうだな」


「いえ、引き取られた身である以上、あまり迷惑もかけたくなかったので、早めに出家しようと思ったんですよ」


「お前は本当に優しいヤツだな、ところでその服は何だ? 女でも出来たのか?」


「ええまあ、年頃ですから、女性へのプレゼントの一つや二つぐらいしますよ」


「はっはっは! 若いねぇ! それで、お相手はシルバリーさんとこのお嬢さんかい?」


「いえ、違います」


「おや、違ったか、そいつは残念、読みが外れたな。そういえば、樵としてはどうなんだ? 随分北の森の木ばかり伐っているようだが、まさか荒地には行っていないよな?」


「‥‥‥俺が、まだ悪魔の信者だと疑ってるんですか?」


「いや、すまない、そんなつもりじゃ無かったんだが、やっぱり心配でな‥‥‥ふっ、いけないな、まだ親心が抜けていないみたいだ」


「‥‥‥あの館には、悪魔も神様も居ませんよ。元よりただの迷信でしょう? ただの噂を、皆さん信じすぎですよ」


「ん、そうだな、疑って悪かった。そうだよな、お前はもう立派に自立しているんだ‥‥‥嬉しい事だが、仮にも親としては複雑だな」


「そんなものですよ、それじゃあ、自分はこれで」


 俺はその場にいるのが嫌になり急くように話しを切り上げると、ジャルバさんに軽く頭を下げ、その場をあとにする。


‥‥‥あの館には、悪魔も神様もいやしない。いるのはただの───


「───世間知らずの女の子だ」


 俺は自宅に向かうまでの道を歩きながら、そう独りごちた。



◇ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◇



 次の日、ジルは約束通り服を持って来てくれた。


「はい、これ。きっと似合うと思う」


差し出されたのは。若草色のワンピースと淡い黄色の、羽織る形式の服。そして麦藁帽子。


「ジル、これはなんて言うの?」


「カーディガンな、ワンピースの上から羽織るんだ‥‥‥着方は、わかるよな?」


「そ、それぐらい解るよ‥‥‥」


「うん、じゃあ着替えてみてくれ、サイズが合うかどうか解らないからさ」


「わかった、ちょっとまっててね」


 私は服を手にとると、隣の部屋に移動する。私は扉を閉めたところで、しばらくの間棒立ち。


「これ‥‥‥どうやって着るんだろう?」


 フィリアは、手始めにワンピースを身体に巻いていみることにした。



◇ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◇



 フィリアが着替えると言って隣の部屋に消えてから、暫く経つ。

 暇を持て余していた俺は、近くにあった本棚から一冊の本を手にとって読んでいた。

 本の題は[深淵の枯木]。どうやらここから北にある例の樹にまつわる逸話を並べた物のようだ。


 とある男が、始めてその樹を見た時、その男は恐怖を覚えて逃げるようにその場を後にする。しかし数年後、ひょっとした事でまたその樹の元へ向かうのだ。

 そして恐怖よりも好奇心が勝った男は、その樹に触れてしまう。そして、その樹に触れた時───


「ジル、着替えたよ?」


「うお!? び、びっくりした」


 突然背後からかけられた声に、ジルは咄嗟に持っていた本を閉じて自分の鞄に隠す。

 別に隠す必要はなかったのかもしれないが、集中していた分、急な出来事に正確な判断が下せなかったのだ。


「‥‥? どうかしたの?」


「いや、少し‥‥考え事を。それより、似合ってるじゃないか、サイズはいいのか?」


「うん、大きさは大丈夫。でも、けっこう悩んだんだけど。着方あってるのかな?」


「問題無いよ、ちゃんと着れてる。うん、十分街に溶け込めるよ」


「に、似合ってる?」


「ああ、それで、街に行くのは明日にしないか?」


「いいけど、どうして?」


「明日、街で夏の収穫祭が開かれるんだ。その方が、賑やかでいいだろう?」


「わかった、それじゃあまた明日ね」


「ああ、明日の朝、着替えて待っていてくれ」


 そのまま俺は、うながされるまま館を出た。もちろん、鞄に隠してしまった本は入ったままである。

 後ろ髪を引かれる思いを払いながら、俺は帰路についていた。だが、続きも気になっていたし、まあいいかと思い直す。また今度戻しておけばいいだろうし、それにフィリアなら、許してくれるはずだ。


 帰る途中、手頃な木を一本切り倒して解体し、持ち帰る。そのまま森を抜け、街の門を潜りそして家に帰りついた時、俺は凍り付いた。

 家の前に、衛兵が二人立っているのだ。その二人は俺を見るなり「アレか?」「そのようだな」と口々に言い合い、俺の元へと歩み寄ってくる。

 そして、あろうことか市民である俺に対して抜剣したのだ。


「ジルベルト・アッカーマンさん、貴方には悪魔と繋がっている可能性がある為、保護させてもらいます」


「な、に‥‥?」


 俺は、すぐにその意味を理解した。

 バレたのだ、あの館に通っていることが、あの少女と会っている事が。

 どうしてバレたのか、そんなことはどうでもいい。それが解ったところで、この状況は変わらない。

 だが、俺の中で、沸々と怒りが沸き上がっていた。


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥は?


 悪魔だと? それは、お前らのことじゃないのか?

 勝手に神を作り出して、勝手に悪魔に堕としめて、全ての責任をソレに押し付ける。おかしな事だと思わないのか?

 あんな純粋で健気な女の子が悪魔? ハ、笑わせる。

 お前らの方が───いや。


 俺達人間の方が、まるで悪魔じゃないか


「‥‥‥彼女の何を知ってる」


「何?」


「お前達が悪魔だと呼ぶ少女の事を、お前は知っているのかと聞いているんだ」


「‥‥‥悪魔の甘言に惑わされているんだろう。安心しろ、今、市民を含めた軍隊で、悪魔の討伐に向かっている。きっとすぐ正気に戻れる筈だ」


「───っ!」


 軍を送り込んだ?

 今フィリアの力は、微弱な結界しか張れない程に衰えている。しかもその僅かな力さえ、枯木の結界に使っているのだ。




‥‥‥‥‥あの娘を守れるのは、誰だ?






 決まっている、自分しか居ない!!!






 慢心でもいい、自惚れだと笑われたって構わない。


 彼女を守れるのは、俺だけだ! 俺は彼女を守りたい!


 意を決し、背負っていた鞄を目の前の兵士に投げ付ける。

 それが相手に当たるかどうかも確認せずに、俺は全力で駆け出した。


───きっと守る! そのために力をつけたんだ! あんな良い娘が殺されて良い訳が無い!


 一秒の時間も惜しい、細い路地を通り抜けて最短で街の門を目指す。

 背後から、警戒笛の音が響く。それに前後して、前の通路を二人の兵士に塞がれた。

 だが、もうなりふり構っていられない。


「あああぁあぁぁああぁあぁあ!!!」


 きっと、剣は振るわれない。まだ俺はあいつらにとっては、あくまでも守るべき市民なのだ。

 ガシャ!と鎧の噛み合う音をたてながら、全身を使って体当たりをする。呆気にとられるもうひとりの兵士を無視して、俺は脇目も振らず走り続けた。


 守る、きっと守りに行く! だから、待っていてくれ!


 ジルベルトは門を通り抜け、独り暗い森の中に駆けて行った。



◇ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◇



 松明でできた灯の帯が、夜の神に抱かれた荒野に伸びる。ゆっくりと移動するその帯は、確実にフィリアの館へと迫っていた。


「あれは‥‥‥何?」


 窓から覗くその表情からは、純粋な恐怖が見て取れ、ゆっくりと近づくそれに合わせて、その恐怖もゆっくりと、確実に迫り上げてくる。


 ‥‥‥人間。


 フィリアを悪魔だと言い堕としめた者達。


 彼等は今、フィリアという弱き神を強大な悪魔と錯覚し、それに打ち勝つ為に群れている。

 一人の少女がその魔手から逃れるには、その群れは余りにも強大すぎた。


 震える瞳で窓の外を見つめ、彼等が引き返すことを必死に願うが、それが届くことは無い。

 そして遂に、その時はやってきた。


 乱暴に扉を蹴り開ける音と共に、窓の破壊される音が、広い館に響く。


「に、逃げなきゃ‥‥‥!」


 だが、何処に?

 迫り来る恐怖に、フィリアは正確な判断を下す事が出来ない。

 訳も解らず。フィリアは長廊下を駆け出した。

 出来る限り遠くに逃げなければ。一階には、もう人間が迫ってきている。


「い、祈りの間へ‥‥‥!」


 フィリアは長廊下を走り、いつも結界を張る為に篭る小部屋に向かう。あの場所が、館の最奥であり、一番落ち着ける場所だから。


「誰か‥‥助けて‥‥‥!」


 頼りなさげな木製扉を開けて中に入り、鍵を閉める。それでも尚扉の向こうから聞こえてくる喧騒に、フィリアは力無くその場に屈み込んだ。


「ジル‥‥‥っ!」


 一人の少年が、来てくれることを願いながら。



◇ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◇



 ようやく森を抜けた時、ジルベルトの身体は既にかすり傷にまみれていた。所狭しと繁る枝先や、地面を闊歩する樹の根に何度も足をとられ、それでもジルベルトは立ち止まる事なく走りつづける。

 息は切れ、喉から鉄の味が染み出し、呼吸からは血の臭いが微かに香る。


「ハァ! ハァ! ハァ! ック!」


 それでも、ジルベルトは止まらない、いや、止まれない。

 せめて、フィリアの無事を確認するまでは、絶対に。


 館の玄関口に立つと、中から喧騒が騒がしく漏れてくる、また一つまた一つとガラスが割られ、破片の散らばる音が響く。


「フィリア‥‥‥! 無事でいてくれ!」


 中に入ると、それぞれの武器を持った人が散見された。だが服装に統一性はなく、市民軍であると予想がつく。突然入り込んで来た俺を市民軍の一人と誤解しているのか、襲ってくる者はいなかった。


憩いの広間を始め、バルコニー、厨房、寝室を見て回る。だが何処にも、フィリアの姿は認められなかった。


「何処にいるんだ‥‥‥フィリア!」


 落ち着け‥‥‥フィリアは、殆ど使わない部屋が多いと言っていた。なら、そこには行かないと見ていいだろう。だが、今までに案内された部屋は、たった今見て回った。


「何か‥‥‥見落としている筈だ」


 深く深く、考える。

 フィリアと出会ってからの十年間の記憶を、遡る。


 彼女は結界を張っている樹に関する事だけは、話したがらなかった。でも、結界を張るための小部屋があると言っていた。ならきっと、彼女はそこにいる筈だ。

 だが、俺はその場所は知らない。フィリアが教えてくれなかったのだ。

 だが、恐らく彼女にとってその小部屋は重要な施設。この館において、そんな所がありそうなのは‥‥‥‥



「‥‥‥‥あった」



 そうだ、広い廊下の先にあるのはきっと重要な何かだと、幼かった俺はそう推測したんだ。

 その場所は、俺とフィリアが初めて出会った場所。

 フィリアはきっと、そこにいる!


 確かな確信を胸に、俺は再び走り出す。疲労は限界を迎えていたが。彼女の居場所が解った今、そんな事を気にしている余裕は無い。


 十年前に通った以降、一度も通ることのなかった長廊下を、駆け抜ける。

 あの場所に居るかどうかは、まだ決まった訳ではない。もしかしたら、見落としていた部屋があったかもしれない。でも、初めて彼女と出会った場所に彼女がいると、そう信じて疑わなかった。


 やがて、ひたすらに長かった廊下に終わりが見える。


「───フィリア!」


 広い廊下の先にある小さな木製扉を見つけた俺は、無我夢中で叫んでいた。



◇ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◇



「‥‥‥ジル?」


 私は扉越しに聞こえたその声が信じられず、そう呟く。

 だが確かに、ジルの声で私の名前を呼ぶのが聞こえたのだ。


「フィリア! ここに居るのか!?」


 今度は、はっきりと聞こえる。本当に、ジルは来てくれた!


「ジル!」


 私は思わず叫ぶ。今この場に、彼が助けに来てくれた事が嬉しくて、嬉しくて。


「フィリア! 無事なのか? 怪我は無いのか?」


「私は大丈夫。待ってて、今鍵を開けるから‥‥‥」


 何の疑いも無く私は鍵を開け、嬉しさのあまり涙が流れてしまう。だけど、そこから現れたジルは私とは対照的に傷だらけで、随分と疲弊していた。


「───っ!? ジル!」


「フィリア‥‥‥良かった」


 私の驚愕を余所に、ジルはそう呟くと、部屋の中に向けて倒れ込んでくる。


「そんな‥‥‥ジル、無理しちゃダメだよ‥‥‥! どうして‥‥‥!」


「フィリア‥‥‥ごめんな、約束、守れそうにない」


 約束? 街に連れていってくれるっていう。あの約束?

 そんなの‥‥謝らなくてもいいのに‥‥‥!


「ジルは悪くないよ! 私が弱いから‥‥‥神様なのに、何も出来ないから‥‥‥」


「違うよ、フィリアはただの、健気で純粋な女の子だ」


「‥‥‥っ!?」


 [ただの女の子]。その言葉に、私は絶句する。

 それが何故なのか、解らない。でも私は、その言葉に対して、何も言うことができなかった。

 あるいは、ずっとその言葉を待ち望んでいたのか。


「フィリア、ここから逃げよう。まだ、時間はある」


「だ、ダメだよ。ジル、怪我してるんだよ?」


「俺は大丈夫だから、ちょっと走りすぎて、疲れただけだ」


 ジルは苦しそうに立ち上がる。端からみても、無理をしているのはすぐ解る。

 ダメだ。ジルはここで休んでて良いから、私は一人で逃げる!

 ‥‥‥でも、ジルはそうはさせてくれなかった。


「行こうフィリア。俺がこうするのは、せめてもの罪滅ぼしなんだ」


「つ、罪滅ぼしって‥‥‥」


「俺達人間は、君に随分と酷な事をしてきた」


「酷なこと‥‥‥?」


「勝手に生み出して、勝手に悪魔に堕としめて。全ての不都合な出来事を君の所為にして‥‥‥‥俺だって、初めからここに来なければ、こんな事にはならなかったんだ。だから‥‥‥これは、せめてもの罪滅ぼし。俺には、君を護る義務がある」


 ジルの言葉に、私は凍り付く。ジルにそんなことを言われるとは、思ってなかったから。瞼の裏が、じわりと熱くなる。心の奥が切り裂かれた気がして、私は俯いて、溢れ出す涙を隠した。


「そ‥‥んな‥‥‥っ! そんなこと、ない!! わた、私‥‥はっ‥‥‥ジルに会えて、良かった! あなたに会えてから、幸せだった! 独りで、寂しかった私を救ってくれたのは、あなたなんだよ? あなたに会ったせいでこうなったのだとしても、私には、後悔なんて無い!!!」


 涙が、止まらない。頬を滴う雫の跡は幾筋も残り、こぼれ落ちた滴は冷たい床に小さな飛抹をつくる。


「フィリア‥‥‥顔をあげて」


「‥‥‥‥」


 私は無言のまま、言われた通りにする。ジルは、真剣な眼差しで私のことを見ていた。


「俺は、護る義務があるんだって思ってた。でも、そんなのはただの言い訳だったみたいだ」


 ジルが何を言おうとしているのか、私はなんとなく察しがついた。だから私は、無言でジルの瞳を見つめ返す。


「俺は、君が好きだ。フィリアが好きだ。だから、君を守りたい‥‥‥一緒に逃げよう」


「‥‥‥うん」


 瞳から溢れる涙は、いつの間にか嬉しさ故によるものになっていた。


 本当に‥‥‥初めて会った時より、ずっと逞しくなったね。


「私も、ジルが好き。ジルと一緒に居たい、約束しよう?」


 始まりは、いつだったのだろう。いつから私は彼に惹かれていったのだろう。


 ‥‥‥ううん、そんなこと、どうでもいいよね。


 初めて出会った時から十年。いつしか私は彼に惹かれて、いつの間にか私は彼に恋をしていた。

 ジルが頷いて、手を差し出してくる。十年前とは正反対の光景に、私は自然と笑みが零れ、彼も苦笑していた。


 廊下の先から、着々と近づいてくる喧騒。その音はまるで重量を持つかのように恐怖という圧力を孕んで迫ってくる。

 だけど私は、全く恐いとは思わなかった。



◇ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◇



 不思議と、恐怖を感じない。

 恐怖感よりも、満足感の方が上回っていた。


 何を迷っていたんだろう、何を躊躇っていたんだろう。


 考えてみれば簡単だ。好きだから、大切だから守りたい。理由なんてそれだけで十分じゃないか。


‥‥‥想いは伝えた。あとは、護るだけだ。


「行こう」


 返事はない、でも、傍らの彼女が頷くのを横目で確認して、俺は歩き出す。

 鮮明になってくる怒号、騒音。暗がりの先に武器を持った悪魔達が見えた時、俺とフィリアは駆け出した。

 俺はフィリアに合わせて、控えめに走る。


「死ねぇ!」


 意外にも早く反応を示した市民軍に、内心で舌打ちをする。

 振り上げられた斧を、振り下ろされる前に掴み、持ち主を蹴り飛ばす。

 その際に斧を奪い取ると。それ以降の攻撃を全てそれでいなす様に駆け抜けて行く。

 長廊下を抜け、階下に下り、ひたすらに外を目指す。やがて玄関を飛び出した時。外ではもう陽が上がり始めていた。


「朝か───」


 瞼を焼く容赦の無い朝日に顔をしかめた時、俺の視界に信じ難いモノが映る。街から迫ってくる、鎧を着た兵達だ。


「っ! 援軍か!」


 そこまでするかと、何とも言えない怒りを胸に抱きながら、傍らを行くフィリアに呼びかける。


「フィリア!」


「ジル! どうすれば‥‥‥!」


 その表情に浮かぶのは、不安と焦燥、そして疲労と恐怖だった。


「南はダメだ、北に逃げよう!」


「でも、そっちには崖が───!」


 そうだ、北に行った先には崖しかない。だけどそこにしか退路が残されていないのも事実。

 まるで少しでも寿命を伸ばすかのように、俺はフィリアの手を引いて北に走る。館の脇を通り越し、そこで視界に入る大地の終わり。

 そしてそこに、一本だけ枯れた巨樹があった。

 うねるように、這うようにして崖に生えるその枯木に向けて、足を動かす。

 途中振り返ると、館を荒らしていた市民軍も出てきていた。


「フィリア‥‥‥あの樹は、何なんだ?」


 縋るような想いで、息を切らして走るフィリアに問いかける。だが、返事はなく、荒い呼吸音が響くだけ。

 これ以上は走れないだろう、そう判断すると、ジルはフィリアの身体を両腕で支えながら持ち上げる。疲れているためか、お姫様抱っこをされることにフィリアは抵抗を示さなかった。

 そうして、再度同じ事を問う。


「フィリア、あの枯れた樹の秘密とは、何なんだ?」


「あの樹は‥‥‥「道」。 向こうと、この世界を繋ぐ‥‥最期の道」


‥‥‥「道」だと?

 樹の根本にたどり着く。俺はその「道」なるものに希望を抱きながら、その枯木に触れようとして───


───バチィッ!!


 見えない壁に、阻まれた。


「───っ!? これは‥‥‥」


‥‥‥フィリアの結界?


「ダメ‥‥‥その樹は、ダメ‥‥‥!」


 腕の中で、息の落ち着かないフィリアが呟く。


「フィリア! もう、すぐそこまで奴等が来てる! この結界を解いてくれ!」


「ダメだよ‥‥‥その道は、世界を壊───」









─────トンッ! と、小気味よい音がした。









「‥‥‥‥フィリア?」


 俺は呆けたように、その名を呼ぶ。

 だけれど返事は無く、代わりにその胸から朱い命が溢れ出す。



 護ると約束した人の胸に、一本の矢が突き刺さっていた。



パキイィ──ィイィィ────ィ──ィ───

 眼前で、氷柱が割れ砕けるかのような音がする。

 フィリアの結界が、音をたてて砕け散った。


「フィリアァアァァアアァアァァアァ!!!」


 鳴く、哭く、泣く。

 喉が裂けるほどに、俺は叫んでいた。


「ダメだ! フィリア、死ぬんじゃない!」


 心の臓を的確に刺し貫いた矢を抜き捨て、増した出血を脱いだ上着で縛り抑える。

 周囲には既に、市民軍が包囲をしている。彼我の距離は僅かに数歩で埋められる近さになっていて、だがそれでも誰もジルとフィリアに手を出す事はしなかった。

 俺自身も、既に周りが目に入っていなかった。


「ジ‥‥ル‥‥‥?」


「っ!? フィリア!」


 応急処置を終えたフィリアが、僅かに口を開く。


「あり‥‥‥‥が、と‥‥‥‥‥‥う」


「そんな‥‥‥‥‥‥!」


 護り‥‥‥きれなかった‥‥‥。


 誰だ? 矢を射ったのは、誰だ? ‥‥‥いや、それよりも。

 矢を、止められなかったのは、フィリアを護れなかったのは、誰だ?


‥‥‥‥‥無力なのは、俺だ。


 悔しさに、自身の無力に、俺は空気を噛み締め砂を握り潰す。

 そんな時、周囲にいた誰かが呟いた。


「どうして悪魔を庇うんだ?」


 恐らくこの場に集っていたジルベルトとフィリア以外全ての人間が思っていたであろう疑問。

 抑えられていたそれが、誰かの何気ない一言をきっかけに溢れ出す。


「そうだ、何故守る?」「そいつは悪魔だろう」「悪魔は世界を破滅に導く」「その娘が神だと思っているのか」「お前も悪魔の手先なのか」「悪魔は死んで当然だ」「悪魔を見逃す訳には行かない」「お前も殺すぞ」「悪魔の存在は世界にとっての害悪だ」


 まるで洪水のように、穿たれた波紋は広がり波は絶える事を知らない。

 


「     」


 ふざけるな。声には出さないで、口許をそう動かす。

 罵倒を受けながら、俺はフィリアの透き通った頬に手を添えた。


‥‥‥‥‥まだ、温かい。呼吸も微かにある。


 俺はフィリアの腕をとると、肩に通して担ぐ。


「ごめんフィリア‥‥‥この樹、登るよ」


 そう断ってから、ジルは枯木の一番低い枝に、手をかけた。



─────ドクン



 樹に触れた途端、心臓の様な鼓動が枯樹を中心に鳴り響く。

 俺はそれを気にも留めず無視して、次へ次へと手をかけていく。

 周囲を取り囲んでいた人々も、最初は何事かと静観していたが、次第に脈動する樹に恐怖を抱き始め、それぞれの本能が導き出した一つの答えに従った。


 この樹には、何かが隠されている。

 このまま樹を登らせたら、何か大変な事が起こる。

 コイツをこの樹に登らせてはいけない。


「「「うおぉおぉぉぉおおぉおぉおお!!!」」」


 一緒くたに雄叫びをあげ、我先にと武器を持って樹によじ登る。全ては、あの少年を登らせない為に。

 だが、混乱の中で足場を無くし、滑らせて。底の見えない崖に落ちて逝く者が殆どだ。


「フィリア‥‥‥俺は今、怖いよ。何が起こるか解らない。ひょっとしたら、死ぬかもしれない‥‥‥でも、君を失った今、俺はもうどうなったっていいんだ」


 枯木の頂きまであと少し。

 ジルベルトは芋虫もかくやという速度で、深淵の枯木を登る。


‥‥‥ああ、疲れたな。よく考えたら、俺は走りっぱなしだったじゃないか。それならこの疲労も頷ける。


 最後の、最期の枝に手をかけたその時。ジルの視界は──────否。世界は一瞬にして、白に染まった。

















   ─────そして世界は、跡形も無く消え去った。






◇ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◇



 なあ、この街の北に荒廃した土地があるのは知ってるだろ?


 そうそう、最近噂になってる悪魔の住む館が建ってる所だよ。


 前回はその悪魔の話しをしたけど、今回話したいのは別の話しでね。


 館のすぐ北に、崖があるのは知ってるかい? それも、終わりが見えない程の崖が。


 正直それを見た時、僕は震え上がったね。落ちたらどうなってしまうんだろうと。嫌な想像をしてしまった。


 でも重用なのは、その崖じゃないんだ。雑草の一つも生えていない、何もない土地に、一本だけ崖の淵に枯木が生えていた。


 おっと、ただの枯木と思うなよ? とてつもなく巨大な捩じ曲がった樹で、禍々しいというか、とにかく見た事も無い樹だった。


 それがこう、崖の方に這うように捩じれて伸びているのさ。


 まるで、あの世への掛橋みたいに感じたよ。


 でもね、今回僕は、その樹に関する噂を小耳に挟んだんだ。それで、その噂によるとね。





────あの樹は、世界を創りだした神に会うための道なのさ。


 そしてその道が使われた時、その世界は代償として消え去る。


 人間の少年と神の少女は、造物主に会って何を話したんだろうな? もしくは、何を願ったんだろうな?


 でも俺達が生きてこうして話してるってことは、俺達はあの二人の意思で生かされたって事なんだろう。




‥‥‥なあ、あの時、誰が悪かったと思う?


 力の無かった少女がいけなかったのか、会いに行き続けた少年がいけなかったのか、あの矢を射った誰かなのか、悪魔に堕としめ、追い込んだ俺達が悪いのか、少女を生み出した太古の人々が悪いのか‥‥‥。


 原因ってのは突き詰めてみると、そこらじゅうに転がっていて、解らなくなってくる。


 ただ、今の俺達に出来ることは、何処かに消えてしまった二人の幸せを祈ることと、もう二度と、神に頼らない事だ。


 神様ってのは、確かに俺達の心の依り所だった。でも、それは責任の押し付けと何か違いがあるのか?


 行き過ぎた期待は、ただの重圧だ。勝手に生み出された神様としては、はた迷惑な話しだろうよ。


 俺達はもう、あんな可哀相な少女を生み出す訳にはいかない。自分達の足で、立っていかなきゃならないんだよ。

おはようからこんばんわまでどーもです。

今作では、神の存在意義、集団意識の愚かさと恐ろしさ、人の身勝手さ。について考えながら書いてみました。

ちょっとバットエンドだったかもしれませんが、楽しんでいただけたなら幸いです。


ここで広告、自分の連載小説です。まだ途中ですが、よければ見て行って下さい。

「異世界魔王のダンジョン奮闘記」

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それでは。

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