第一話 マーヤちゃん登場 その3
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第二話に続きます
「ねえ、あれって根賀倉さんちの息子さんじゃない?」
「なにかしらあの格好。まさかコスプレってやつ?」
「やーね。なんだか怖いわ……娘を外に出さないようにしないと」
「ああいうのが犯罪を起こすんだわ」
ひそひそ、ひそひそとあちこちで陰口が聞こえてくる。
外に出たのはいいが、近隣住民のおばさんたちが俺の恰好を見てあらぬ噂話をしておりその情報伝達速度たるや加速装置完備の島村ジョーもかくやというものだった。
一瞬にして俺は近所の好奇の目を欲しいがままにしていた。
「こ、こんなの望んでるんじゃなーい!」
俺はこんこんっと頭を叩く。すると俺の頭を住処にしているマーヤが顔を出した。
「呼んだー?」
「呼んだよ。超呼んだよ。お前これどういうことだよ。全然勇者じゃないじゃないか! ただの痛いやつだろ!」
「それはしかたないよご主人様。勇者様っていうのは人に認められて初めて勇者になるんだぞ。妄想の力じゃ人の心を操ることなんてできないもん」
「なんだよそりゃあ……じゃあどうしろってんだ」
俺は重たい兜を頭で押さえながら必死に考える。勇者というものはどうやったらなれるんだろうか。妄想の中の勇者ヴァンはどうやって勇者として認められたのか。
そうか。勇者には敵が必要だ。
民を苦しめる怪物に立ち向かって初めて人は勇者になるのだ。
「よし、マーヤ。俺は今から強大なモンスターを頭に思い浮かべるからそれを取り出してくれ。そいつを俺が倒す!」
「わかったぞー! 任せとけー! おー!」
俺の頭にまとわりつくマーヤは銀の髪を振り乱しながら元気よく返事をした。
よし、と俺は目を瞑り精神を集中させる。
やはり王道として勇者の仇敵はドラゴンだろう。
蛇のような龍ではなく、ファンタジー小説に出てくるような火を吹く竜だ。
大きな翼にギョロリとした瞳。炎のように赤い身体で――
「あっ、あの女の人すっごく胸が大きいぞ。すごいなー。人間でもあんな巨乳がいるんだなー」
赤い身体におっぱいが――。
「あっ! ワンちゃん! マーヤ知ってるぞ! これチワワって奴だよね! わー! すっごく可愛いぞ~~~~!」
チワワの口には無数の鋭い牙が――。
「おおおー! ラーメン屋さんがあるぞ。マーヤラーメン大好きなんだー! 人間界ってこんなに楽しいところなんだねー。驚いちゃったー!」
太くたくましい腕はラーメンで――って、なんだ? 何か色々と混ざってしまっていないか?
「おい、マーヤ。ちょっと待ってくれ。今妄想を練り直すから……」
「えーい! いふたふ・や~・しむしむ~!!」
マーヤは俺の言葉なんてちっとも聞いておらず、曲刀で頭をぶった斬る。
「だ、だから待てって……うわあああああああああ!」
開かれた俺の頭から巨大な影が飛び出した。
ドシンっと身の丈五メートル以上もあるその物体は着地する。足から下腹部にかけてまではまさに妄想通りの赤いドラゴンである。
しかしその両脇には鋭い爪が生えたたくましいドラゴンの腕ではなく、ラーメンの麺デロデロと無数に伸びているだけで、胴体には鮮やかな曲線を描いた白い肌の大きな大きなおっぱいが飛び出ている。
そして極めつけに頭はドラゴンの面影なんかちっともなくて、うるうるとしたつぶらな瞳のチワワの頭部がそこにあった。
「キャンキャンキャン!」
鳴き声までチワワそのものである。
これどんなキメラだよ。合成獣も真っ青な不気味な生物がそこには誕生していた。
「マアアアアアアヤアアアアアアアア! お前が俺の頭の上でおっぱいだのチワワだのラーメンだの言うからこんなことになったんだぞ!」
「ふええええん。ごめんなさーい! じゃまするつもりなんかなかったんだー!」
「キャンキャン!」
なんと名づけたらいいのか。ともかくチワワドラゴンは歩きだした。巨大の足の裏が一歩踏み出すたびにアスファルトの地面に穴が開いている。
あんなのに踏みつぶされたらまじで死ぬ!
チワワドラゴンはさらに麺の腕を振り回してあちこちの民家を破壊していた。瓦礫が俺の頭に降り注ぎ、「あぶねえ!」と必死に避けていく。
「でもでも、勇者になるチャンスだぞ、ご主人様!」
「あ、ああ。そうだな。ちょっと予定とは外れたが、あいつは確かに危険なモンスターだ。俺が退治してやる。偉大なる古の火竜の力、今我に与えん。出でよ魔剣インフェルノ!」
「…………」
「何ポカーンとしてんだよ。早く妄想を具現化しろよ」
「へ? なーんだ。てっきりご主人様の頭がおかしくなったのかと思ったぞ。なんで急に言葉づかいが変わったんだ―」
「違う! 詠唱だよ! 演出が大事なんだ! いいから頭から剣を取り出すんだ!」
「お安い御用だぞ。いふたふ・や~・しむしむ~!!」
剣で斬られた頭から剣が飛び出した。その光景はかなりシュールである。
魔剣インフェルノは熱い炎を纏った大剣だ。どんな化物だってこいつで斬りつければイチコロ間違いなしである。
頭から飛び出した魔剣の柄を俺は握り締めた。
「って、あちいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
当たり前の結果だった。炎を纏っている鉄製の剣を素手で握ったら熱いに決まっている。剣を振り回すどころか俺の手は焼けどを負っただけだった。
剣の重量も結構あり、こんなの振り回すのは物理的に不可能だと悟る。
「くそ、妄想の中じゃ全部上手くいってたのに!」
現実の俺は伝説の鎧や魔剣を装備しようとも、何にもできやしない。
モンスターと戦おうなんて夢のまた夢だった。
「もういいよマーヤ」
「ん? もういいのー? せっかく出したのにもったいないぞ」
「ああ。これ以上やったって無駄なのがわかったよ。もう妄想を仕舞ってくれ。あのモンスターも消しちゃってくれよ」
「わかったぞ! マーヤに任せてね!」
マーヤは空を飛びながらチワワドラゴンへと向かっていった。
しかし――
「うりゃうりゃうりゃうりゃ~~~~~~~~~!」
「キャンキャン!」
「ぎゃっ!」
チワワドラゴンの口から激しい炎が噴き出され、マーヤは真っ黒焦げになって地面へと落ちていってしまう。プスプスと煙を上げながら地面に突っ伏していた。
「……何やってんだお前」
「う~~~~~。こんなはずじゃなかったんだ~~~~~!」
マーヤは悔し涙を洪水のように流している。
「まさか、あれを俺の頭に戻すのは無理なのか?」
しばらくの沈黙の後「うん」とマーヤは頷いた。
「なんでだよ! お前魔神だろ。ちゃんと責任持てよ!」
「しょうがないぞ! あれはマーヤの力を超えたモンスターなんだから~~~。ご主人様が変な妄想するからいけないんだぞ!」
「じゃあどうするんだよ、あれ!」
「知らない知らない! ご主人様が責任もってなんとかしてよね!」
「こ、こいつ!」
俺は呆れて言葉も出なかった。本当に魔神なのか。俺の下僕と言いつつ、ちっとも言うこと聞きやしないし役にも立たない。
拗ねてしまったマーヤは俺の頭の中に勝手に入ってしまう。呼びかけても出てこず、生意気にも無視してやがる。
「キャンキャン! キャンキャン!」
俺たちが言い合っていた間にもチワワドラゴンは暴れて街を破壊している。くそ、もう知らねえ。俺だって命は欲しい。逃げちまおう。
「きゃあっ!」
と、俺が駆け出そうとした瞬間聞き覚えのある悲鳴が聞こえた。
チワワドラゴンが歩いている進行方向にはカフェがある。そのテラスにはゆにこの姿があった。
同じ席には池田も座っており、二人は高校生の癖にコーヒーなんか飲んでおしゃべりしていたらしい。
「くそったれ! リア充なんて踏みつぶされろ!」
俺の知ったことではない。いつだってそうだ。俺はあいつらにないがしろにされているんだから俺だってあいつらを放っておいてもいいはずだ。
助ける理由なんかない。そもそも俺にあのモンスターを止める力なんかないしな。
それに池田のやつがなんとかゆにこを助けるだろう。
「ば、化物だああああああ!」
しかし肝心の池田は、チワワドラゴンを見るなり鼻水をたらしながら泡を食っている。チワワモンスターの猛攻にカフェテラスのテーブルはひっくり返り、コーヒーが散乱している。周囲の客たちも逃げ惑っていた。
「あ、足が……」
けどゆにこは逃げずにその場に尻餅をついている。
体が震えており、どうやら腰が抜けてしまっているようだった。
「誰か助けてやれよ。池田のやつはなにやってんだ」
目を向けると、池田はちらりと動けないゆにこを一瞥した後、そのまま一人だけ逃げ出してしまった。
そりゃそうだよな。誰だって自分が一番可愛いんだから。危険を冒して他人を助ける義理なんかあるわけがない。
俺だってそうだ。ゆにこなんて家が隣同士ってだけでほとんど赤の他人だ。クラスメイトだからって関係ない。
でも本当にそれでいいのか。
このままゆにこを放って逃げ出して、それでいいのか。
根賀倉右城! お前は勇者になるんじゃなかったのか。
伝説の鎧も魔剣なんてなくても、勇気があって敵と立ち向かう奴が勇者なんじゃないか。今の俺はどうだ。背を向けて逃げてるだけじゃないか。
自分で生み出した妄想からも逃げたら、俺には何も残らない。
「ああ、ちくしょう、ちくしょう!」
気が付けば俺はゆにこの元へと駆け出していた。すぐ近くにチワワモンスターが近づいており、その巨大な足で今にもゆにこを踏みつぶさんとしている。
「くそったれー!」
地面を蹴り、ゆにこ目がけて俺は飛んだ。
彼女に抱きつく格好で転がっていき、ゆにこの身体の柔らかな感触が全身に伝わっていくのがわかった。
直後、俺たちがさっきまでいた場所にチワワドラゴンの足がドッスン! とめり込んだ。
「はあ……はあ……ぎりぎりセーフ!」
俺の身体は超震えていた。ブルブルブルブルとびびりまくっている。
あんなわけのわからん怪物に踏みつぶされて死ぬなんてたまったものじゃない。
「あの、右城くん――だよね」
「わあ、す、すまん!」
倒れた拍子に俺はゆにこの胸に手を沈めながら押し倒す格好になってしまっていたことに今気づいた。
咄嗟に飛び退いたが、感触が手に残ったままである。なんて柔らかくて気持ちいい感触なんだ。今度は別の意味で心臓がバクバクと鳴り始める。
やばい。そのことでゆにこに気持ち悪がられただろうか。
「ありがとう。助けてくれて」
俺の心配をよそに、ゆにこはふんわりとした笑顔を俺に向けた。人に礼を言われるなんて初めてのことだった。
「べ、別に。礼なんて」
なんだか照れ臭く、顔が赤くなっていくのを自覚する。
「キャオン! キャオン!」
なんて悠長に話している場合じゃなかった。チワワモンスターの攻撃はまだ続いていて、伸びてきたラーメンの触手が鞭のようにしなって伸びてきた。
「うわあ! 逃げるぞゆにこ!」
「うん!」
俺はゆにこの手を掴んで逃げた。暖かくて小さくてぷにぷにとしている。いやいや、下心なんか決してないぞ。
しかし逃げ続けてもあいつが暴れるのを止められるわけじゃない。どうにかしないと。
でもどうやってあんなへんてこチワワを。チワワ? そうだ!
「おい、いい加減出てこいマーヤ! 頼みがある!」
「呼ばれて飛び出て、イマージン! やっほー、マーヤだよ!」さっきまでの落ち込みはどこにいったのか、元気よく俺の頭から飛び出した。「せっかくいい気持ちで寝てたのに起こすなんてひどいよご主人様~~~」
ブーブーとマーヤは抗議している。こいつ、この状況で寝てやがったのか。
「え? え? ちょっと右城くん、その子なんなの?」
きょとんとゆにこはマーヤを見つめている。そりゃそうだ。人間の頭から女の子が出てきたらそりゃ誰でも思考が停止する。
「こいつのことは後で説明するよ。それよりも、おいマーヤ。俺の頭から取り出してほしいものがある。今頭に浮かべるから、頼む!」
「まっかせてー! マーヤはなんでもできるぞー!」
俺が頭に“アレ”を浮かべるとマーヤは呪文を唱えて曲刀を頭に突き刺した。
そして俺の頭から飛び出したのは巨大な骨である。
そう、犬の大好きなあれだ。
「頼む、そいつを海に向かって放り投げてくれ!」
俺たちが住む町は海沿いに面しているため、すぐ際に海岸が見えていた。
「わかったぞー! えーい!」
さすが魔神と言ったところか、腕力は人間以上のマーヤは巨大な骨を片手で持ち上げて、思い切り遠くの海に向かって投げ込んだ。
ドボーンと水しぶきを立てて骨が海に沈んでいく。それを見ていたチワワドラゴンはすぐさま反応し、ドシンドシンと海の中へと入っていった。
骨を求めて海深くに潜ったままチワワドラゴンは戻ってこない。
終わった。助かった。
俺は大きな溜息をついて一先ず一件落着だと座り込む。
「えっへっへ~~~。どうだご主人様。マーヤうまくできたでしょー。褒めて褒めて~」
「はいはい。えらいえらい」
俺はさらさらとした髪質をしたマーヤの頭を撫でてやる。嬉しそうに目を細めており、なんだか猫みたいで可愛い、と不覚にも思ってしまった。
「右城くん。その子……その子って……」
「げっ、いや、そのだな。こいつは」
「やっほー! マーヤはラーニャ・マーヤだよ! ご主人様の妄想の中から出てきた魔神なんだー! よろしくねー!」
「マーヤ……ちゃん?」
「バカ! ゆにこにその話をするな!」
話がこじれるだけだ。こいつの存在はしばらく秘密にしておいた方がいいだろう。「じゃあなゆにこ!」と逃げるようにして俺はマーヤを抱きかかえて走り出す。
「しかし、俺の妄想のせいで街がとんでもないことになったな」
「大丈夫だよご主人様。妄想で街を再現すればいいんだぞ。ほら、頭に思い浮かべるんだ」
「よしわかった。頼むぞ」
「はーい。いふたふ・や~・しむしむ~~~~~!」
俺の頭から飛び出した妄想は破壊された街並みを元に戻していく。だがしかし、直された建物やお店はどれもなんだか微妙に違う。
まるで粘土細工で作られたかのようにふにゃっとしている。
街は何事もなかったかのように平穏が戻っているが、街並みはどこか奇妙で不格好になってしまっていた。
そうだ。俺はあまり外出しないせいで曖昧にしか街並みなんか覚えていない。
「うっ!」とそこで急に激しい腹痛に俺は襲われた。
おかしい。今日なんてろくに食べ物を口にしていないんだから腹が痛くなるなんて――いや、そうだ。ハンバーガーを食べたじゃないか。それも妄想の。
「…………」
「どうしたんだご主人様。マーヤをなんで見つめるんだ?」
「睨んでるんだよ」
願いを叶える魔神を手に入れた喜びは一転し不安に変わった。
もしかしてこいつはダメダメな魔神なんじゃないだろうか。
とんでもない厄介者を頭に抱えてしまったかもしれない、と俺はうんざりした。