最終話 さよならマーヤちゃん!また会う日まで その1
「右城ちゃーん。もう起きないと遅刻よ~~~~」
ドア越しに左苗姉ちゃんが俺を起こしに来た。
けれど俺はとっくに起きている。そもそもろくに寝てもいない。いや、眠れるわけがなかった。
いつも俺と一緒に同じ布団で起床するのが日課になっていたマーヤがいない。
鍋パーティーの翌朝になってもマーヤは帰って来なかった。
夜中まで俺とゆにこは町のあちこちを回ってあいつを探したが、夜中ということもあって大声は出せないし暗いしでどうしようもなかったのだ。
まさか誘拐された? そんなバカな。あいつは仮にも魔神だぞ。人間に誘拐されるようなたまじゃないはずだ。いざとなれば妄想を使っていくらでも逃げられる。
そもそもいなくなったのは四畳半の密室だ。いくら酔っぱらっているとはいえ、藪坂先輩と山田さんがいるのにそんなことできないはずだ。
警察に届け出るべきだろうか。いや、あいつは魔神だ。警察に言ったところで相手にもされないだろう。
「くそ、どこいっちまったんだよあいつ」
俺は言いようのない喪失感を覚えながらも、学校へ行くための支度を始める。喪失感――か。当たり前だ。今まであいつは俺の頭に住んでいたんだ。それが急にいなくなったから、虚しく感じるのかもしれない。
「あら。マーヤちゃんはどうしたの?」
朝食の準備を終えた左苗姉ちゃんはそう尋ねた。
その質問は俺が聞きたいぐらいだ。
「あいつ、いなくなっちまったんだ。俺に何も言わず、急に」
「あら、そうなの。それは寂しいわね。せっかくマーヤちゃんのために美味しいパンケーキを焼いたんだけど」
「くそ、なんであいつ急にいなくなったんだよ。俺とずっといるって言ってたのに」
「……寂しいのね」
「そ、そんなんじゃないよ。あいつとはついこの間出会ったばかりだし。ただ、なんの断りもなくご主人様のもとから消えたのが腹立つんだ」
そうだ。あいつは俺の、俺だけの魔神だったはずだ。
まだ叶えて貰っていない妄想はたくさんあるはずなのに、どこに行ってしまったというんだ。
俺はあいつのために焼かれたパンケーキを口いっぱいに頬張り、カバンを手にして玄関から出ていった。
☆
「あっ、右城くん」
玄関を出ると、ちょうどゆにこも玄関から出た所だった。
彼女の目の下にも隈が出来ていて、泣き腫らしたのか目が赤い。無理もない。あれだけマーヤを寵愛していたんだから、いなくなったと知って愕然としているのだろう。二日酔いと寝不足のせいだけではなく、生気が抜けているようだった。
「よ、よお」
「……マーヤちゃん、帰って来た?」
「いや」
「そう」
会話が止まってしまった。
思えば俺とゆにこの関係はマーヤで繋がっていただけだ。
あいつがいなくなったらまたもとの関係に戻ってしまう。いや、そんなのは関係ないか。俺はあいつがいなくても、ちゃんとゆにこと会話を交わすんだ。
「そうだ。この間向かいの家に囲いができたんだけどさ」
「へー……」
「…………」
あまりにつまらないギャグのせいで先にオチを言われてしまった。どうやら俺にギャグセンスなんてものは欠片もないようだった。
「ねえ、右城くん。放課後またマーヤちゃんを探そうよ」
「ああ。そうだな。実はどこかに隠れてるかもしれないし、迷子になってるかもしれないしな。そうだ、きっとそうだ」
俺たちはそのまま特に会話もなく、通学路を歩いて教室へと向かった。
学校でも特に言葉も交わさず、退屈な授業で時間だけが過ぎていく。
今頃あいつ、どうしてんだろうな。お腹空かせてないだろうな。元気でやってるかな。泣いてないかな。
マーヤのことばかりが気になって、教師の話も耳にはいってこないし、黒板なんか見てもいない。このままじゃ次のテストはやばいな。
そんなぼんやりとした思いのまま一日の授業が終わった。
ホームルームの終わりを知らせるチャイムが鳴ると同時に勢いよくゆにこが立ち上がった。
「右城くん、来て!」
彼女は俺の手をがしりと掴んだ。
「なんであいつ芹沢さんと手を繋いでんだよ!」と言った感じに教室中が湧くのがわかったが、そんなことを気にしている場合ではない。俺は無言で頷き、ゆにこに引っ張られるようにして玄関を飛び出した。
「やあやあ。水臭いではないか二人とも」
「そうですよ。私なんかでよければ奴隷のようにお手伝いしますから」
校門に二つの影。
俺たちよりも早くに藪坂先輩と山田さんは待ち構えていた。
「昨日の晩にマーヤちゃんが姿を消したのだろう? 同じ釜の飯ならぬ同じ土鍋を喰らった仲だ。あたしも探させて貰うよ」
「私もマーヤちゃんがいないと寂しいです。一緒に探しますよ」
「先輩。山田さん。ありがとう」
「二人がいれば百人力だよ!」
「よし、では手分けをして探そう。と、その前に根賀倉二年生。貴君はマーヤちゃんの行方に心当りはないのか? なぜいなくなったのか見当つかぬか?」
「全然です。ほんとになんでいなくなったのはさっぱり……」
明らかに俺から去るタイミングではなかったはずだ。みんなで楽しく鍋を楽しんでいただけなのに。
「そうか。では手当たり次第に探すほかあるまいな」
「そうですね。じゃあ行きましょう!」
ゆにこは張り切って校門から出ていった。二人もそれぞれの方向に散っていき、俺も当てのないままとにかくあいつが行きそうな場所をとにかく当たった。
あいつが好きなラーメン屋。
遊び呆けた鹿島浦自然公園。
近所のゲーム屋にスーパー。
どこかで迷子になっているかもしれないとあちこちの路地を回り、山田さんが描いた似顔絵を町の人たちに見せて回る。
しかし二時間が経過しても、まったく進展がなかった。
「やっぱり、あいつはもうどこか遠くへと行ってしまったのかな」
走り回って疲れた俺は、しばらく休憩をとるために公園のベンチに座った。
「なぜいなくなったのか見当がつかぬか?」という藪坂先輩の言葉を考える。四六時中あいつと一緒にいたはずなのに、俺はあいつのことを何にもわかっていなかったんだと痛感する。
「なんでだよ。どうしていなくなったんだ」
俺は空っぽの頭をフル回転させ、必死に原因を探す。
あいつの言葉を思い出せ。あいつの一挙一動を思い出せ。マーヤがいなくなった原因を探し当てるんだ。
――マーヤたちイマ神はご主人様が満足するまでずっと付き添い続けるんだ。
ふっと、突然フラッシュバックのようにマーヤの言葉が頭をよぎった。
それは初めて俺の頭からマーヤが飛び出した日のことである。魔法のランプの魔神のように三つ願いを叶えたら消えるのか、という質問にそう答えたのだ。
俺が満足?
そうだ。昨晩の鍋パーティーの時、俺は確かに満たされていた。
「満足だ」とも確かに呟いた。
だからあいつは消えたのだろうか。俺がもうマーヤを――妄想を必要としなくなっているからなのか。
「ふざけんな」
言いようのない怒りが湧いてくるのを俺は覚えた。
俺が満足しているだって? そんなわけないだろ。
人間の欲望なんていうのは際限がないものだ。だから俺はこんなことじゃ満足しない。
「お前がいなけりゃ、俺は寂しくて充実しないんだよ!」
あいつがいたから俺はゆにこと話せるようになった。
あいつがいたから俺は写真部のみんなと仲間になれた。
あいつがいたから俺はまた笑えるようになった。
あいつが――相棒がいなくちゃ、つまらないに決まっている。
「さよならも言わずに別れなんて絶対に嫌だ。見つけてやる!」
俺は目を瞑り、精神を集中させる。
町内を隅から隅まで歩き回ったが、まだ探していないところがあった。それは俺の頭の中だ。俺の脳内、妄想の中だ。
あいつは妄想の魔神――イマ神である。
ならばあいつが帰るところは一つ、人間たちの潜在的無意識の世界だろう。
俺は妄想の世界にダイブした。




