第百六十四話 楔は消えて無くなったから、これからの話をしよう
小規模な打ち上げパーティーを終えて、『花鳥風月』の面々はギルドホームに帰るところだった。
さりげなくエリザと並び、先程の店の料理について話し合っていると、視界の端にポップアップが入った。
確認すると、どうやらメールを受信したらしい。差出人を見ると、
『IWO運営、開発局長』
とだけ書かれていた。
そして本文には、短い文が添えられていた。
『尻拭いをさせてしまってすまなかった
ありがとう、真の勇者よ』
「どうかしたの?」
「いや、ちょっとメール。大したことじゃないよ」
本当に、大したことではなかった。俺はただ、俺のしたいように行動しただけなのだから。
ギルドホームに着くと、エリザとこっそり頷きあい、祝勝会の興奮が冷めやらぬのか元気に纏わりついてくるフレイをあしらって、ログアウトを敢行した。
喫茶店で怒られてたくせに、なんでこんなに元気なんだこいつ。エネルギーの有り余った小学生か。もっと反省とかしてほしい。
―――
「理紗! もっと笑顔! 笑顔だ!」
「ちょ、ちょっと待ってちょうだい。確かに魔王の呪いが解けたのは嬉しいのだけれど、そんなに急かされたら出る笑顔も引っ込むわよ」
「……そうか」
理紗に諭され、俺はうなだれた。
手には、この日のために買っておいた4Kカメラが握られている。高画質で理紗の喜ぶ顔を録画したかったのに……
『IWO』からログアウトした俺は、すぐさま理紗の屋敷に向かっていた。片手にはカメラ、片手にはレフ板。準備はバッチリだった。この瞬間のために、ドッペル君を倒し続けて修行をし、魔王をぶっ殺したと言っても過言ではなかった。エリザが呪縛から解放されて、彼女もハッピー、俺もハッピー、ハッピーなエリザを録画して俺はもっとハッピー。そういう段取りだったのに。
玄関を開けて、開口一番に理紗に魔王を倒したことを告げた。驚かれはしなかった。当然だ、俺は理紗に嘘はつかないし、倒してくると言ったらきっちり倒してくるし、そして理紗はそんな俺のことを信頼してくれていた。
彼女は一言。万感の思いを込めて、
「ありがとう」
と。そう言ってくれた。花の咲き誇るような笑みと共に。
常人なら見とれてしまって、半年はまともに動けなかっただろう。それほどの破壊力だった。しかし俺は、理紗のプロである。どうにか気合いで持ちこたえて、そのチャンスを逃さずに持参した4Kカメラを回し始めた。
レフ板を持つ係がいないことに初めて気づいたが、そもそも理紗は自然発光系美少女なので、レフ板の光なんかいらなかった。うん、やっぱり自然の理紗が一番可愛くて美しい。
そして、更なる笑顔をゲットしようと理紗にお願いしたことで、冒頭の状況となった。
……くそっ、がっつきすぎたか。やはり理紗の笑みを見て冷静な判断が出来ていなかった。ここは、さりげなく会話を続けて理紗の日常系美少女な一面をクローズアップするべきだった。
「よし、じゃあそういう訳でテイクツーいこう。今度は自然な感じで、カメラは意識しなくていいぞ」
「いや、無理でしょ!」
理紗が珍しく大声で突っ込んだ。貴重なので、勿論録画した。
「何、なんなのそのでっかいカメラは。テレビ局でしか見かけないわよ」
俺が肩に担いでいる、子供くらいの大きさのゴツいカメラを指さす。
「理紗は、テレビ局に行ったことがあるのか?」
「ないけど。テレビで見たテレビ局よ」
「ややこしいな」
「そんなことより、その、本当に何それ。意識するなと言われても、存在感がすごいのだけれど。買ったの?」
「ああ、ネット通販で買った。やっぱり、理紗との思い出は高画質で撮っておきたいだろ? いずれは地上波への進出も視野に入れている」
「お願いだから入れないでちょうだい……」
理紗は疲れたように言った。
……本気なんだけどな。残念ながら地上波はおきに召さないらしい……まあ確かに、お茶の間に理紗の映像が流れようものなら、まず間違いなく彼女に心を奪われる者が続出してしまうだろう。理紗に対する叶わぬ思いを抱き続けた彼らは、生涯を独身で過ごし、その結果日本の出生率が限りなく下がって日本が滅亡する。
「……さすが理紗だ」
「何がかしら。というか私としては、貴方に対してもっと真面目に『流石だわ』と感心したいのだけれど。魔王の強さを体感している身としては。そろそろシリアスな雰囲気を出してもいいかしら」
「日本の滅亡を防ぐため、あえて地上波にはのせない決断……さすがの深謀遠慮だ」
「何の話かしら!?」
今日はなかなか、理紗の突っ込みが冴えている。……ふむ。やはり少し、気分が高揚しているようだ。無理もないだろう。なにせ、自分を縛り続けてきた死の呪いの恐怖から解放されたのだから。その反動で、少しくらいテンションも高くなるだろう。
今なら、頼んだら一緒にテニスとかしてくれるかもしれない。以前は呪いの影響で絶望的に虚弱体質だったため、理紗と一緒に体を動かす運動をするようなことはなかった。しかし、これからは理紗ももっと外に出て、今まで出来なかった楽しみを体験してほしいと思う。ちなみになぜテニスかというと、俺の得意なスポーツだからだ。波動球を百八式まで打てる。
「……理紗」
「……何かしら。ちょっと雰囲気が変わったわね……やっと、真面目に話す気になったかしら。別に私に気を使って、無理におどけた風にしなくてもいいのよ。確かに魔王の正体が私の実の姉だったというのは、貴方にとっては驚きだったかもしれないけれど、それを消滅させたことに関して私に負い目を感じたり遠慮したりする必要はないわ。姉さんは、道を誤った。そして貴方は、そんなどうしようもない姉さんを、救ってくれた。それが私にとっての全てよ」
……あの魔王、理紗の実姉だったのか。今明かされる衝撃の事実。おいどうしよう、そんなの全然気にしてなかったし、さっきまでも全然ふざけてなかったんだけど。
「だから、九乃には私と、それから姉さんを救ってくれたこと……私の我儘に付き合って二人も救ってくれたことに、心から感謝してるわ。本当に、ありがとう」
理紗は、深く頭を下げた。
明らかに上流階級の礼儀指導を受けた、綺麗なお辞儀だった。
そして顔を上げて、はにかんでごにょごにょと呟いた。
「……それで、その。呪いも、解けたし。貴方さえ良ければなんだけど。……もし良かったら、私と、その……うぅ……」
頬を上気させて、何事かを言い淀む。
とても、『テニスしようぜ!』と言い出せる雰囲気ではなくなってしまった。勿論、それなりに理紗のことを考えての提案だったし、これも真面目な話だったが、今の状況ほどではない。
いつのまにか理紗が、物凄く可愛いモードに入っていた。
録画はした方がいいだろうか、流石にデリカシーに欠けるだろうか、でもこの可愛い理紗をカセットに焼いて、テープが千切れるまで見たい。
俺の手が録画停止ボタンに伸びることは無かった。
そして。
……代わりに俺は、そっとカメラを床に置いた。
「あの、私と……こ、こっ、ここ、こい、」
真っ赤になって、必死に言葉を絞り出そうとする理紗に近づく。
不意討ち。一瞬で距離を詰めた俺に、理紗は反応しきれなかっただろう。
俺の腕のなかで、理紗がびくっと震えるのが分かる。
「……えっ?」
彼女に、その言葉を先に言わせる訳にはいかなかった。それをしてしまえば、俺は男として失格なような気がした。
もう少しムードを整えてから、なんて思っていたけど、この期に及んでは躊躇していられない。女の子は男の子よりも現実的だという話も聞くし、ムードよりも、機先を制することの方が大事だった。
彼女の細い体躯を、しっかりと腕の中に収めて、俺は耳元で囁いた。
「――俺と、結婚してください」
「……ぁ、ぇ……う?」
言ってしまった。言ってしまったぞ。
理紗の体を離して、ポケットから小さな箱を取り出す。父親の研究所の手伝い諸々で貯めたお金で、少しだけ奮発したものを買ったのだ。勿論、理紗さえよければ後日、改めて彼女と一緒に、彼女が気に入るものを買うつもりだが。
パカッと、少し間抜けな音と共に箱を開いて理紗に見せる。
「受け取って、くれるだろうか」
理紗は、先程までのいじらしい表情はどこへやら、ぽかーんと可愛らしく口を半開きにしていた。
箱を見て、目を擦り、もう一度箱を見て、俺の顔に視線を移し、そこで二重の衝撃を受けたように目を見開いた。
そして、
「えぇぇええええええ!?」
今日一番のデシベル数を頂戴した。
ああ、元気になって、本当に良かった。
それにしても、なんだろうな。
やけに、顔が熱い。こんなこと、初めてだった。
でも同時に、とても嬉しかった。
俺と彼女の関係を停滞させていた楔は、粉々に粉砕してやった。塵一つ残さずに。
そうして想いを形にできることは、彼女との関係をようやく前に進められることは。
とても、嬉しかった。
「さ、理紗。答えを聞かせてくれないか?」
「九乃、貴方、これ、……っていうか顔……!?」
その時の俺の『笑顔』は、一生忘れられない。
理紗は後に、そう語った。
そして、こうも語った。
『いきなりそこまで行くつもりは無かった』、と。
これにて、一旦区切りとします。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
そして、後日談などもそのうち更新するかもしれません。
その時は、またどうぞお付き合いいただければと思います。
当面は、新作の準備などをする予定です。
ある程度書き貯めが出来たら、そちらも投稿したいと思っていますが、書き貯め……か。懐かしい響きだ。