第百六十二話 魔王を滅するお話
春休みも残す所あと三日となった、今日。
俺は昼間から、現実で理紗の屋敷を訪れていた。
本来ならば、陽が昇る前から日が沈んだ後まで『IWO』でレベル上げをするという素晴らしい作業が待っているのだが、今日に限っては――いや、今日からはもう、その必要がなくなったのだ。
「――そう。じゃあ、レベル200になったのね」
「ああ。案外、すぐに上げられたな。今更言うのもなんだが、ゲームバランス大丈夫かよ」
「それは貴方が特殊すぎるだけだと思うけれど」
……そう。
つまり、俺はとりあえずの目標であるレベル200になった、ということだった。
並みいるドッペル君をばっさばっさとなぎ倒し、狩り場を変更せずに一カ月ちょいで100レベル以上レベリングをした。昔のコンピュータゲームならまだしも、今のVRゲームでは考えられないことだろう。エリザがジト目でこちらを見てくるのもまあ頷ける話である。
更に言えば、どんだけ『IWO』が自由度が高いからって、流石にこの早さでのレベルアップは想定された仕様ではない。明らかに『血の通った』どこかの妖精さんや自称神様のおかげである。感謝しないとな。あと、ドッペル君にも。
一人で暮らすには広すぎる理紗の屋敷の、これまたパーティーでもできそうな大きな食堂。その長テーブルに二人で並んで座って、俺達はお昼ご飯を食べていた。
昨日の深夜にレベルが200まで上がった俺が、今日の朝一で理紗に「報告したいことがある」と言って昼食に誘ったのだ。こちらから誘った手前、俺の乏しい外食経験を駆使してどこか美味しいレストランでも、と思っていたのだが、当の本人に「私が作るわ」と言われてしまい三秒で陥落した次第である。俺がどれだけシリアスな雰囲気で食事に誘ったか、三秒という数字から感じて欲しい。三秒ももったんだぜ。凄いだろ。
そして今、俺は理紗にレベルが200になったことの報告をしていた。ジャッジさんによれば、大体レベル200くらいになれば魔王に勝てる目があるとのことだったし、春休みももうすぐ終わりで切りが良い。レベル200からは、必要経験値がぐいんと上がるらしいしな。勿論100から200に上げるのも大変だったが、それと同じ量の経験値を得ても、精々レベル5くらいしか上がらしいのだ(ジャッジさん情報)。たかが5レベルくらいにそこまで時間をかけたくはないし、もうレベル上げの方は終了で良いだろう。
俺としては、今日にでも魔王をぶち殺しに行くつもりだ。理紗が苦しむ時間は、一分一秒でも短い方が、俺が嬉しい。
「――という訳で、一応魔王の所に行く前にエリザに決意表明みたいなことをしにきた訳だ。あと、エリザミンの補給」
なでり、と隣に座る理紗の髪に触れる。ふぅ、落ち着くぅ。
「別にそんなことしなくても、貴方は魔王を倒してくれるんでしょう? ……あと、そのエリザミンとかいうの、恥ずかしいのだけれど」
撫でられるままにされながら、ちょっと拗ねたようにいう理紗。勝気な小動物といった感じで、非常にベネ。俺はひたすら、自分の心のアルバムが大容量だったことに感謝した。
と、理紗につんつんと袖を引っ張られる。
……おっと、箸が止まってしまっていた。なでなでは名残惜しいが、ご飯が冷める前に食べ進めないとな。折角の理紗の手料理なんだから。
なんだか米粒一粒一粒が後光を発してるように見える白飯を口に運び、咀嚼する。おいしいなぁ……近所のスーパーで適当に買って来た米のはずなのに。やはり料理は、何で作るかじゃなくて誰が作るかだね。
もぐもぐごっくん。一息ついた所で、地面に置きっぱなしになっていた会話のボールを拾い上げる。最近は俺達のあいだにも独特の間があるというか、会話がぶつ切りになることが多い。気にせず拾って投げるとちゃんと返ってくるあたりが、なんとも心地よかった。
「まあ、そうだけど。一応な。いきなり倒してきたって言っても、ひょっとすると理紗の心構えができないんじゃなかろうかという配慮だよ。……あと、エリザミンとは理紗が存在しているという事実そのものを根源として発生する「その説明は前も聞いたから良いわ」……そうか」
食い気味に遮られてしまった。……あれ、前にも説明したっけな……?
「それにしても、私の心構えの心配までしてもらう必要はなかったのだけれど?」
ちょっと首を傾げる理紗だが……チッチッチ、それは甘いな。
「いやでもホントに、悪いけど魔王とかあっさりぐっさりべっきりぶち殺してくるつもりだからさ。拍子抜けしちゃうかもしれないだろ? 別に大事にするつもりはないけど、それでも理紗は今までずっと耐えてきた呪いから解放される訳だし、できるだけ喜んでおけるような体勢を整えてもらってだな……」
「私にどんな心構えを求めてるのよ」
「俺は理紗の笑顔が見たいから、できるだけ喜んでもらいたいし、欲を言えば子供みたいにはしゃぎ回って欲しい。ムービーで撮るから」
「ムービーはちょっと……」
俺はあくまで、『俺のために』理紗に喜んでもらいたい。ただそれだけなのだから。理紗もそれで納得したんだから、ムービーくらいは許してほしい。そしてできればいい画が欲しい。
「というか、そういうことを先に言われる方がリアクションし辛いのだけれど」
「そうか? ……よし、じゃあいまから喜ぶ練習でもするか。なにせ、俺が今日魔王を倒してくるのは確定事項だからな」
「それは絶対にいらないわ……」
わざとらしくふぅ、とため息をついてから、理紗は顔を上げた。
「でも、まあ、できるだけ頑張って心構えをしておくから。……その、色々と。だから九乃も、頑張ってね」
「大丈夫だ。頑張るまでもないよ」
じっとこちらを見据える彼女の言葉に、緩く首を振って返す。
――そう。別に俺は、必死こいて魔王に泥臭く立ち向かって、そうやって勝利を得たい訳ではない。
あくまで理紗を苦しめた今世紀最大のゴミを、上から目線で圧倒的に『処分』してやるのだ。そうしてこそ、俺の気も少しは晴れる。そういうものなのだから――――。
――――
魔王が存在するのは、普通にゲームを進めていても辿りつけない、特別なフィールドである。理紗と屋敷で分かれた俺は、すぐさま『IWO』にログインして、ジャッジさんに指定されたいつぞやのベンチにきていた。バレンタインイベントの時にジャッジさんと話した――初めてこの『模倣世界《IWO》』の成り立ちについて聞かされた、あの場所である。
いつかと同じように、ジャッジさんはベンチに腰掛けていた。地面に付かずに所在なさげにぷらぷらと揺れる足が、俺の存在をみとめるとぴたっと止まった。
白いノースリブのワンピースを着て、背中からは透明な羽根を生やす、金髪の小さな少女。『IWO』において最も慕われ、最も恐れられる、素敵な妖精さん。
彼女はまるで重力を感じさせない動きでベンチから立ちあがり、そして俺を真っすぐに見据えた。
「待っていましたよ、クノさん ……準備の方は大丈夫ですか?」
「ああ、問題無い」
頷いて、ステータスを呼び出す。一か月前と比べて、随分と強くなったような、あんまり変わらないような。
クノ Lv200
最大HP:4080
最大MP:102581
基礎Str:66666
基礎Vit:0
基礎Int:0
基礎Min:0
基礎Dex:0
基礎Agi:0
ステータスで一番大きく変わったのは、やはりstrだろう。なにせ、6のぞろ目で六万ごえだ。レベル100でStrが5000くらいだったことを考えると、インフレも甚だしい。もちろん、この値に狙って調節したわけでもなければ、かといって偶然こうなったわけでもない。
Strが一万を越えた時に、アドルミットから取得を勧められたあるスキルが所以である。
【オーバーパワー(Str)】PS
基礎Strの値を66666固定にする
基礎Str以外の基礎ステータスを0固定にする
このスキルは、スキル枠を10個必要とする
アドルミット曰く、『ステータスのハイエンド、極振りのいきつく先がこれだよ。……まあ、こんなのとれる人間、僕自身見たことなかったんだけどね』とのことだ。
取得条件は、基礎Str10000越えプラス、魔王系統の称号やスキル等を複数所持していることらしい。魔王系統って……いやまあ、確かにユニークスキルとか魔王型超越外装とか確かにそれっぽいけど。地味に【多従の偽腕】もカウントされてるらしくて、よくわからん。
あとは、〝壊尽の魔王〟という称号を手に入れたからかな。これは、レベル150で手に入れた。なんでも、レベル150になると、闘技場で有名な二つ名がそのまま称号として授けられるんだと。カリン達にこっそり教えてあげたんだけど、『そのレベルに達するまでに何カ月かかるのさ……』と死んだような目で呆れられた。効果は破壊可能オブジェクトを破壊しやすくなる、という微妙なものだったけどね。
それはそれとして、このスキルによって俺の基礎Str(とついでにMP)は高止まりを見た訳だけど、スキル枠を十個も食うせいで、いろいろとスキルを整理しなければならなくなった。そして最終的なスキル構成が、これだ。
【オーバーパワー(Str)】
【不屈の執念】
【覚悟の凶撃】
【賭身の猛攻】
【修羅転心】
【危機把握】
【武器制限無効化(真)】
【多従の偽腕】
【斬駆】
【特化型付加魔法】
【バーストエッジ】
【死返し】
【シックスセンス】
ユニークスキル
【形態変化】
アクセサリでスキル枠を増やしまくり、更にレベル200でスキル枠が2枠増えたことによって、最終的に枠の合計が22となった。【筋力強化】なんかは基礎Strを上げるスキルだったので、66666に固定された俺にはもう意味の無いものだと分かると速攻で外した。【投擲】も元々遠距離攻撃手段の強化のために取った物だが、『魔力砲』という強力な攻撃方法を得たので外し。他、【攻撃本能】はStr割合上昇系だったので外したくはなかったのだが、他のスキルより上昇値が低かったためにリストラ。【長剣強化】はぶっちゃけ、武器の損耗値を減らすスキルなので普段は無いと困るのだが、魔王戦の一戦だけを考えて外すことにした。まあ一戦くらいなら大丈夫だろう。そもそも、打ちあうつもりもないしな。
「……あ、れ その、随分とお強くなりましたね レベル200には、とても見えないです ……あれ?」
「そうか? まあ、魔王を殺しにいくんだしこのくらいはな」
ジャッジさんは、なんかちょっと引き気味だった。アドルミットと同じ反応である。あの自称神様は、最終的に俺とドッペル君の戦いを見て、『あれ……魔王ってこんなに強くなかったような……』と引きつった顔をしていた。ちなみに関係ない話だが、俺と何百回も戦ったせいか、ドッペル君の姿が常時俺の姿を取るようになった、と嘆いていた。戦闘力だけなら主従逆転するので、冷や冷やしながら過ごしているらしい。どんまい。
「これなら本当に、魔王を倒せ……倒せますね!? 倒せちゃいますよ!?」
「えっ、あ、うん。何。どうしたいきなり」
それは突然のことだった。いままでどこか茫洋としていたジャッジさんの目が、くわっと見開いた。レアだ。めっちゃレアなジャッジさんだ。
そりゃあ、魔王を倒すつもりで準備してきたんだから倒せるのは当たり前だと思うんだけど。……歴代で一番強いらしい、初代の魔王を知っているアドルミットにもお墨付きをもらって、ようやくジャッジさんにお披露目出来たんだから。
「……こほん すみません、取り乱しました なんでもないです、忘れてください」
「そ、そうか」
「……それで、あの 当初の予定では一応、魔王の存在する隔離領域に赴く前に、クノさんに私から加護を授ける予定だったのですが」
「ほう!」
思わず前のめりで聞いてしまう。
ジャッジさんの加護だと。『IWO』の顔といっても過言でないジャッジさんから、直々に加護を頂けるなんて、すごいことじゃないか? おそらく〝玉兎の加護〟のように称号扱いになるんだろう。ちなみに〝玉兎の加護〟については、基礎Str上昇という効果だったために、今は実質機能しなくなっているが、あんな兎にもらった加護とジャッジさんの加護を比べるのはおこがましいというものだろう。
「では早速お願いしますジャッジさん!」
「いや……その いまのクノさんには、必要ないかと」
「まあまあそんなもったいぶらずに。お願いしますよジャッジさん」
「あのクノさん なんかキャラ変わってませんか」
気のせいです。元々こんな感じでした。
ジャッジさんは小さくため息をつくと、何故かこちらをうらみがましい目で見てから、加護を授けてくれることになった。
ジャッジさんの体が神々しく輝いて、その状態で右手で頭に触れられた。と同時になにか暖かいものがからの中に流れ込んでくる感触。
『――――称号〝秩序と絶対の精霊の加護〟を得ました』
おお! 本当にジャッジさんの加護がもらえた!
わくわくしながら詳細を見てみると……
〝秩序と絶対の精霊の加護〟
全基礎ステータス+20%
固有スキル【ヘズンズ・ジャッジメント】
【ヘヴンズ・ジャッジメント】AS
超広範囲に光の槍が降り注ぐ
威力はInt+Minで決まり、相手の防御力を無視する
戦闘中、一度のみ使用可能
……とてもジャッジさんらしい、短い称号の説明文と、威力と範囲を兼ね備えた隙のない固有スキルだった。ただ一点、問題があるとすれば……
「……あのジャッジさん。これ……」
「……言わないでください 固有スキルが貴方の役にたたないことは知っていましたが、それでも基礎ステータスの上昇は有用だと判断していたのです」
「俺の基礎ステータス、全部固定になってて、あの、」
「言わないでください……!」
「なんか、すみません。でもあの、気持ちだけでも嬉しいというか」
「中途半端な慰めはやめてください……」
ジャッジさんが凄い落ち込んでる……レアだ……!
―――
「ん……ごほん」
気を取り直したジャッジさんが、空気を変えるように大仰に咳払いをする。
「ちょっとした想定との乖離はありましたが、魔王討伐に問題はないかと思われます」
「そうですね」
ジャッジさんの迫力に、俺も思わず敬語である。
「それではクノさん、覚悟はいいですね これから魔王の存在する領域への門を開きます 門の先には私はついて行けないので、魔王とはクノさんお一人で対峙していただく形になります」
「わかりました。まかせてください」
俺が神妙に頷くと、ジャッジさんも頷き返してくれる。
「では、門を――」
「――あ、でもその前に一つ、いいですか」
「……なんでしょう」
「流れを切るようで申し訳ないんですが、その魔王のいる領域には、魔王以外のモンスターはいますか?」
「いえ そこに存在するのは、魔王のみのはずです 領域内は魔王によってかなり作りかえられていると思いますので、断言はできませんが……それでも、あの魔王は人間型で分裂や眷属作成などもしないタイプでしたので、おそらく一人でそこにいるかと」
魔王の容姿やだいたいの能力などは、分かる範囲でメイドさんやアドルミットから情報は得ている。それを考えると、確かに魔王の他にモンスターはいなさそうだ。
「じゃああの、非常に頼みづらいことなんですけど」
「はい」
「魔王のところに行く前に、俺を殺してもらえますか」
「えっ」
〝復讐者〟
自身のHPが0になってから25分間、
基礎Str上昇+30%、与ダメージ1.35倍、被ダメージ2.5倍
こんな称号を俺は持っている。だから、魔王に対峙する直前に、一回HPを0にしておくのがベストな選択だった。魔王戦の中で発動してもいいんだけど、それだと残機が一つ減ってしまうからな。勿論その状態で魔王に負けるのかと言われれば、負けるつもりはさらさらないが。かといってできる準備を怠っていい理由にはならないだろう。
インベントリから『蘇生石』を取り出して地面に置く。スキルよりアイテムの方が先に発動しちゃうからな。持ったままだと、【最終形態】より先に『蘇生石』を使ってしまって、使った分を補充しにギルドホームに戻らないといけなくなる。
これでよしと。
「さぁ! 早く俺を殺してくれジャッジさん!」
「えぇー……」
がばっと腕を広げて待機するが、ジャッジさんは乗り気でないらしい。何故だ。魔王戦に向けて、少しでも役に立つことなんだから、彼女が躊躇う理由はないはずなのに。加護ががっかりだったんだから、この事前準備ぐらいには付き合ってくれてもいいと思います。
「なんていうか……やはりクノさん、頭おかしいですね」
「え、どの辺が」
「……なんでもないです 【ヘヴンズ・ジャッジメント(極小)】」
一瞬だけ決闘システムのような青い揺らめきが俺達の周囲に発生した。街中でHP0にするには、決闘以外にないからな。流石ジャッジさん、分かってる。
ちなみにその時点で、【覚悟の凶撃】のパッシブ効果により俺のHPは1となっており、従って【形態変化・第三形態】までは発動していた。
そして、えい、とやる気なさげに付きだされたジャッジさんの人差し指が俺の胸をトン、と突き――――
ドパンッ!!
指先から白いビームのようなものが発射されて、俺の胸に大きな穴を開けた。先ほどの、俺には使えない【ヘヴンズ・ジャッジメント】……の、範囲縮小版なのだろう。もちろん俺の紙装甲など容易く突き破り……【不屈の執念】が発動した。パリン、と胸元でガラスが割れるようなエフェクト。同時に、急速に胸に空いた穴はふさがっていく。
「……これでよろしいですか」
「あ、いや。もう一回お願いします。【不屈の執念】はHPが0になる攻撃に反応してHP1で耐えるスキルだから、まだHP0になってない。もう一回攻撃してもらえれば、次は【形態変化・最終形態】が発動して今度こそちゃんとHP0から復活するので」
残機処理の順番としては、更に【最終形態】の後に【神樹の癒し】が待ち構えている。
「めんどくさいですね、もう!」
「すみません」
それでももう一回ドパンをやってくれたジャッジさんは、なんだかんだで付き合いがいい。
―――
「それでは、門をつくりますよ つくりますからね? もう何もないですね?」
「大丈夫です」
超越外装も既に装着したし、腕も剣もいつでも一瞬で呼び出せる。スキルの発動だって、この一カ月で有声発動から無声発動の技術を見につけていた。アドルミットいわく、専用のスキルも無しでできるようになるのはあり得ないとのことだったが、できてしまったものは仕方ない。戦闘の開始の度に、一々スキル発動に時間を取られるのが嫌だったからな。腕と花弁剣の合計百十本を同時操作するよりは幾ばくか簡単だったよ。
しつこいくらい確認してくるジャッジさんに手を振って、魔王がいる領域に柄がるという門を出してもらう。
路地裏の小さな休憩スペースに、白い光が満ちていって、最終的に輝く門が誕生した。いつもボス戦のあとに現れる、あの光の門と同じような外見だ。
「ここをくぐれば、すぐに魔王の領域です」
「……ふぅ」
一つ、息を吐き出す。先ほどまでの弛緩した空気を、引き締めるように。ピリピリとした感覚が全身を包んで、早く魔王をぶち殺させろと細胞が騒いでいるようだ。
「じゃあ、行ってきます」
後ろは振り返らずに、光の門をくぐった――――
―――
……門の向こうは、夜だった。
目の前には、朽ちた祭壇のようなものがあり、それ以外にはなにもない荒野。空には黒い雲と赤い月が登っており、その世界の王を不気味に照らしていた。
「待っていたぞ。勇者」
魔王は、そう言って微笑んだ。
艶のある黒い髪は足元に引きずるほどに長く、肌は病的なまでに白い。頭には黒い――【形態変化】をした時の俺と同じような、捻じれた角が生えていた。
衣装はゴスロリで、蠱惑的な紅い目をしていて、その魔王は……出で立ちだけを見れば、エリザを彷彿とさせるようだった。
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「おや。驚いているのかな。無理もない。先の勇者もわたしの姿に大層驚いていた。こんなに綺麗な女が魔王をしているのかってね。くすくすくす」
「……」
「ああそれとも。君が驚いているのはわたしが封印の巫女の特徴を持っているからかな。まあでもそれはなんてことはない。わたしはもともと巫女の家系だからね。ふふ。もっと驚いたかい。元は人間だったのさ。そして同時に〝あの子〟の姉でもある」
「……」
「君のことは見ていたよ。ここでずっと。わたしをここから解放してくれる勇者。ありがとう。ここに来てくれて。ありがとう。外の世界とこの世界を繋げてくれて。ありがとう。わたしのために――――死ににきてくれて!」
「……」
「あの忌々しいクソ神のテリトリーの中までは見えなかったけど。でも君のことはほとんどなんでも知っているよ。最初から君だけを見ていたからね。ふふふどうだい。嬉しいだろう。光栄だろう。わたしは知っていたんだ。君には勇者の素質があった。いつかわたしを迎えに来てくれるって。ああでも。最近はずっとクソ神の所に行っていたね。熱心に祈りでも捧げていたのかな。可哀そうにあんなのに騙されて信仰心を溝に捨てるようなものさ。神なんて信用ならない。だというのにどうして人は……そうだいいことを思いついたよ! 君は死ぬ前にわたしを崇めるといい。わたしを崇めながらわたしに殺される。最高だろう!」
「……よく、喋るんだな」
「そりゃあ饒舌にもなるよ。なんたって久し振りに話ができる相手に会えたんだから。まあ君とももうすぐ話せなくなる訳だけど。でも大丈夫だ。わたしは君がこの世界に来た痕跡を辿って外の世界にでることができる。そうすれば話し相手なんていっぱいいるからね。いきなり隔離世界に閉じ込められた時には途方にくれたものだけど。こうしてまた外に出られる機会があったのだからよしとしようじゃないか。外の世界はわたしが元いた世界とは座標が違うようだけど。しかしそこから元の世界に戻ることなど私にとっては造作もないことだ。そしてまたあの世界を滅茶苦茶にするんだ。今度こそわたしを認めないあの世界を完膚なきまでにぐちゃぐちゃに叩き潰して――」
「――もう、いい」
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少し、待ってみたけど。
無駄だったな。
魔王は一言も、エリザの現状について触れなかった。
魔王にとっては、エリザに呪いをかけたことなんて、気にすることもない些細なことなんだろう。
では。
その些細なことに足を取られて死ね。
斬駆。
斬駆。
斬駆。
魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲。魔力砲……
最後に見た魔王の顔は、実に楽しそうに笑っていた。
それで、それっきりだった。