第百五十一話 試練のお話①
エリザの誘惑を残念ながら振りきってしまった俺は、少しだけ後ろ髪を引かれながらも、それでも自分自身に安堵する。
大丈夫だ、俺は為すべきことを履き違えてはいない。第一は、エリザのために。自分の一番は、常に彼女のために。
自らの快楽のために、最優先目標を妨げることがあってはならない。
だから俺は、いままでよりも一層狩りに没頭した。レベルを上げて、早く魔王を倒すために。そして、『エリザのためにもなる自身の快楽』を追い求めるために。戦って戦って、自身に刃向かう全てを蹂躙しつくした時、俺は確かに充足感を得るのだ。
思えば歪んだ感情なのかもしれない。感情らしい感情が希薄だった過去においても、常に輝きを放ってきたそれを、じいさんはただ一言、『異質である』と評した。
藤寺九乃の祖父、時の流れに逆らい、自然の理に逆らって存在するような化物だ。藤寺千日という男は同時に、『俺には理解できないな』と告げた。
「くっ……ははは。くはは。くっはははははははは!!」
しかしながら、こぼれる嗤いはおさえられない。おさえるつもりもなかった。
俺は今、最高にむしゃくしゃしていた。はやく、はやく魔王とやらを倒してエリザと存分にいちゃつきたいものだ。それはもう、一般誌ではできないあんなことやこんなことまで。
あの艶やかな黒髪を思い出すたびに。あの紅玉のようなおおきな瞳を思い出すたびに。あの小ぶりながら蠱惑的な口許を思い出すたびに。あの白雪のような肌を思い出すたびに。涼やかな澄まし顔を思い出すたびに。花開くような優しい笑顔を思い出すたびに。真っ赤に熟れた果実のような困り顔を思い出すたびに。少し力を込めれば折れてしまいそうな華奢な鎖骨を思い出すたびに。繊細な芸術を作りだす白魚のような指先を思い出すたびに。暖かで柔らかな肢体の感触を思い出すたびに――――
――――自分よりもずっと小さな身体に背負った呪いを思う。骨の感触の浮いた肢体を思う。その細すぎる手足を思う。その儚げな微笑を思う。その白すぎる肌を思う。異質を感じさせる、その血のように紅き瞳を思う。
すべて失われてしまう予兆を思う。触れられなくってしまうことを思う。その原因を思う。
彼女を縛り付ける魔王を思う。憎くて憎くて。憎くて憎くて憎くて憎くて。憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて。憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて、仕方が無い。俺から彼女を奪うソイツが、胸を掻き毟って憤死しそうなくらいに。
「くはは、くははははははははは!! 死ねよ、オラ、死ねよォ!!」
群がるヒトガタの異形を、黒い腕で薙ぎ払う。両断する。叩き潰す。爆砕する。
まだまだ足りない。暗い感情は、いくら発散しても収まらなかった。魔王を倒さなくてはならない。
総勢五十本。当初よりも遥かに増えた黒腕の軍勢を動かすのに、脳が軋みをあげる。操作に割くキャパシティは常に逼迫していて、ほんの少しの気の緩みで、一気に脳の回路が焼き切れてしまいそうな気さえしていた。
だが、無視した。いや、この程度を耐えられずして、この程度を乗り越えられずしてどうするというのか。
強くあり続けるというのは、常に自分との闘いだ。
自分自身を屈服させてこそ、前に進める。一瞬前の自分よりも、強くならなければいけない。
自身の前に道は無く、自身の後には無数に積み重なる、自分自身の屍山を築かなければならない。
ああ、素晴らしいじゃないか。
戦って戦って、自身に刃向かう全てを蹂躙しつくした時、俺は確かに充足感を得るのだ。それは勿論、自分自身も対象だ。だから俺は、常に『自分自身』を打倒し続け、強くなり続けた。
『よく飽きもせずに、あがき続けるものだ』と、じいさんは言った。彼にはきっと、わからないのだろう。最初から完成しているのだから。もう打ち砕くべき自分自身すらおらず、そもそも前に歩くことも後ろを振り返ることもない。完成した世界で、遥か高みの世界で、一人立ち尽くす。
彼の前に道は無く、彼の後ろには同じように道なんて無かった。本当に、人間ではなく、化物だ。
そんな人を見て育ったから、その高みを見上げながら育ったから、俺はこんな風になってしまったのだが。『よく飽きもせずに、あがき続けるものだ』――――無責任なことを言ってくれると、そう思う。そりゃあ、飽きないよ。何故なら、終点が見えているから。どこに辿り着けば終わりなのかが見えているからだ。俺の命があるうちに、辿り着けるかは知らないけど。
何が何でも辿り着いてやろうとは思わない。しかし、見えている以上目指すことに否はないだろう。
そういう意味でいえば、魔王のクソ野郎をブチ殺すことだって、その通過点の一つでしかないし、
ましてやその過程で起こる試練なんてものは、十把一絡げに美味しく経験値として頂いておくとしよう。
と、いうわけで。
第六の街『アドルトーグ』の北フィールドを破竹の勢いで歩いた俺は、そのボスモンスターである
『人を司る神・アドルミット』
に出会った。ギルドハウスを出てからノンストップでお散歩して、およそ三十分後のことだ。
ボスフィールドへの転移魔法陣が俺を送り出したのは、だだっ広い玉座の間だった。
ぽつんと存在する豪奢な玉座と、それに悠々と腰かける青年以外には、俺しか存在しない。
青年は真っ白な髪を持ち、瞳は七色の輝きを湛えていた。白い布を何枚も巻きつけて、所どころを金の輪で留めている。
そのボスモンスターは曰く、人間に試練を与えるのだそうだ。
えらく上から目線だが、俺好みのモンスターである。いや、ジャッジさんやメイドさんの話からすると、きっとこいつも本当に『神』、あるいはそう思われるだけの存在だったのだろうが。
『僕の聖域に辿り着いた人間には、試練を与える。試練を乗り越えれば、その人間には更なる力を授ける。人の可能性というのは無限大だからね。本当に、面白い』
人を司る、なんて頭についている以上、こいつは善神と呼ばれる存在なのだろう。ならばもう神様でもいいから、魔王倒せよ、と思わないでもないが。それができないなにかしらの理由があるのだろう。あるいは単純に、魔王がコイツより強いとかな。アドルミットのレベルを考えると、あり得ない話でもないかもしれない。少なくとも魔王がレベル100やそこらであるとは思っていない。
とりあえず俺は、アドルミットがぺちゃくちゃしゃべっている間に【多従の偽腕】を二十五本展開して、中級MPポーションを踏み砕いた。
ゾワリ、と空気が震えて俺の周囲に黒い靄が滲む。靄から這い出たるは、お馴染みの黒い腕だ。MPの九割を使ったので、それが完全に回復するまでは、〝神樹の癒し〟で効果をブーストされたポーションを用いても三十秒ほどかかる。
しかし妙なのは、アドルミットを幾ら凝視しても、そのレベルと名前しか見えない点だ。HPバーが存在しない。
『……人の話している間に、君は何を無粋な真似をしているのかな……。しかし、その力はおもしろいね、驚いたよ。まさか《魔神器》をそこまで使いこなしているとはね』
「……《魔神器》? なんだそれ」
アドルミットの言葉に引っかかりを覚える。この『腕』を得たのは、初めてのイベント……ギルド対抗戦の報酬でだ。《魔神器》なんて大層な響きは、説明には書いていなかった。
『しらないのかい? ……いや、無理はないか。どうやら君はその力を、欠片から育てて《魔神器》にしたらしい。いいだろう、無知は恥ずべきことではないからね。僕が教えてあげるよ』
「それは、どうも」
どうにも戦う雰囲気ではないが、まあいい。
油断はせずに、回復したMPを使って更に『偽腕』を二十五本追加で出した。
『なるほど。君の《魔神器》の性質は、拡張か……うん、実に良い選択だ。それにしたって、その数は流石に予想外だけど。……君、どれだけ《魔神器》の扱いに習熟したのさ。ただの人間の身では何百年もかかると思うんだけど……』
「使い始めて四か月ってところだが」
『ナンセンス……面白くない冗談だ』
冗談じゃないんだけどな。
「それより、《魔神器》ってのがなんなのか、教えて欲しいんだが。もしくは、さっさと戦おうぜ」
『はは、すまないね。じゃあ手短に、説明してあげよう。そもそも《魔神器》というのはね、元々僕のような、『神』と呼ばれる存在がもつ概念武装――――《神器》を元に、『魔神・ノクシーアス』が作り上げたものなんだよ。元々人間だったノクシーアスが作ったから、それを君たち人間にも扱うことが出来るってわけだね』
「なるほど、わからん。そもそも神だの魔神だのいわれてもさっぱりなんだが」
きっと今までストーリー的ななにかをすっとばしてきた影響だろう。エリザやフレイに聞けば、知っているだろうか。
『ええぇ……僕の聖域にくるくらいだし、せめて『神』についての知識は持っていて欲しかったなぁ……』
「あいにく、興味がなかったもので」
『うーん、無知は恥ずべきことではないけど、知ろうとしないことは恥じるべきだよ? ……まあ、いいや。じゃあ君にも分かるように、もっとかみ砕いて説明してあげる』
「ありがとうございまーす」
いつのまにか、アドルミットによるプチ講義が始まっていた。彼の顔は、出来の悪い生徒を見る先生のそれだ。
『この世界の力ある存在は、大きく三つに分けられる。精霊と、神と、魔神。精霊とは世界の様々な現象を体現し、もっとも世界に近しい存在。神とは単純に力をもった存在で、精霊とは違って世界から役割を与えられていない。そして魔神とは、神に憧れてそれに近づこうとした人間のなれの果てだ』
ふんふん。つまり、
精霊……自然現象的なつよさ
神……じいさんのようなつよさ
魔神……じいさんを真似したくらいのつよさ
という訳か。
なるほど、それはなかなかどうして、《魔神器》というのは俺にぴったりじゃないか。
『神は《神器》と呼ばれる、概念武装を持っている。まあ、神専用の便利な道具のことだね。これは神として存在し始めた時から持っているものなんだけど、神になろうとした魔神には、持ち得ないものだった。元が人間だったからね。だが彼らは、無いならつくってしまえとばかりに、《神器》の模倣にも躍起になった。そして、唯一『魔神・ノクシーアス』だけが、《魔神器》の製造に成功した』
「他の魔神は、《魔神器》を作れなかったのか」
『うん。ノクシーアスは魔神でありながら、最も人間に近くてね。そのコンプレックスを埋めるために、《魔神器》の製作に全力を傾けたんだ。そして最終的に、ノクシーアスは数個の《魔神器》を作り――――消滅した』
…………。うん?
「そこで死ぬのかよ!?」
『言っただろう? 最も人間に近かったと。彼は文字通り、命をかけて《魔神器》を作りあげた。その成果を遺して死ねただけでも凄いことだよ。それで、ノクシーアスの遺した《魔神器》は、他の魔神の手に渡ったり、あるいは君たち人間の手に渡ったりした。ノクシーアスは最も偉大な魔神として名を残したから、彼としては本望だったろうさ』
「なるほど……で、そのノクシーアスの遺産がこの『偽腕』だってことか」
ギルド対抗戦の報酬には、【異形の~】シリーズが、腕以外にも存在した。きっとそれらも《魔神器》と呼ばれるものを、スキル化したものだったのだろう。
『そうだね。もっとも君が手に入れたのは《魔神器》の欠片で、そこまで育てたのは君自身の力だ。誇っていいよ。《魔神器》の欠片を、《魔神器》そのものに昇華させるなんて、なかなかできることじゃない。いうなれば君の『腕』は、『ノクシーアスの《魔神器》』のカスタマイズ版だ』
「欠片を、本物にねぇ」
それは【異形の偽腕】から、【多従の偽腕】へ進化したことを指しているのだろうか。あるいは、一定数以上の『偽腕』を出現させれば、それは『本物』なのだろうか。
よくわからないが、まあそれでもわかることが一つ。
それは、
「んー、良く考えたらこの話、聞く必要無かったな」
『ちょ、酷いっ!?』
ということだった。
自分の力の由来を知るのもいいが、俺がいるのはあくまでVRである。目の前の存在が異世界の神に限りなく等しい何かであるとしても、この世界自体はただのゲームなのだ。そこで使える力に、いちいち理由をつけるものでもない。
今はそれよりさっさと戦おうぜ。時間は有限なのだから。
せっつく俺の様子に、アドルミットはため息を一つ。
そして、表情を正して厳かに告げた。
『それじゃあ、試練を始めようか』
大部分が無くても問題無い話なので、さくっと投稿なのです。
次回更新は未定。