第百四十七話 模倣世界のお話
チョコレート戦争が終わって、その翌日。
二月二十一日、月曜日。
俺は手に入れたチョコのサブイベントを回収しに行くことにした。
といっても、AI三姫と呼ばれる高性能NPCのもののみだけど。
他? 知らん。数が多すぎて、全部回ってたら日が暮れるどころの騒ぎじゃないしな。
独自の自我を形成し、バーチャルリアリティ世界において進化し続け、人間となんら変わらない挙動を示すという、その三人。ジャッジさん以外とは話したことが無かったから、実は楽しみにしていたりする。そしてジャッジさんとの会話も楽しみだ。
いや、浮気とかじゃなくてな?
ただ純粋に、小動物を愛でるような気持ちです。
ほら、やっぱり小さい事はいいことだし。
と、そんな感じの思考をしながら指定されたイベントフィールド――第六の街『アドルトーグ』の一画に向かう。チョコを所持してそのエリアに立ち入るのがイベント発生の条件だ。
周囲には石造りの民家が普通に立ち並ぶなか、大通りから少し逸れて脇道に入る。
入り組んだ路地を抜けると、突然視界が開けた。
「お、ここか」
背の高い建物に囲まれて、小さな公園程のスペースが広がっていた。
近所の人々の、ちょっとした憩いの空間、といった具合だろうか。真ん中には青々と葉を茂らせる大きな木があり、それを囲むようにしてベンチが設置されている。
その一つに、俺のお目当ての人物は座っていた。
「……来ましたか こんにちは、クノさん」
「ああ。こんにちは、ジャッジさん」
白いノースリブのワンピースを着て、背中からは透明な羽根を生やす、金髪の少女。
『IWO』において最も慕われ、最も恐れられる、素敵な妖精さん。
ジャッジさんだ。
現実世界はまだ寒さが厳しいが、ここではそんなことはお構いなし。いつでも春のような暖かい気温に保たれていて、柔らかな日差しが建物の隙間からジャッジさんを照らしていた。
……それにしても、あれだな。
キャラクターごとのイベントがどうとかいってたけど、結局これは何をするんだろう。なんかクエストが始まったりするのか、はたまた本当にお話をするだけで終了なのか。
疑問を抱えて立ちつくす俺に気付いたのか、ジャッジさんはその無表情な顔を少し傾ける。
無表情さでいえば、俺とどっこいだな。うむ。……というか、あれ。プログラムと張り合える俺って一体。
「立ち話もなんですし、こちらにいらしてください」
すっと目線を向けるのは、彼女の隣。
太陽の光を浴びて暖かそうな、木のベンチだ。よくよく観察すれば年季と言うか、傷や汚れが付いていて細かいところまでようやるなぁ、と感心させられる。というかやりすぎじゃないか? まるで別の世界をそのままそっくり持ってきましたと言わんばかりの細かさである。ここの開発は馬鹿だなぁ。(良い意味で)
俺がジャッジさんの横に腰かけると、彼女は身体をこちらにむける。
そしていきなり、こんなことを言った。
「それではクノさん、お話しましょうか これはこのゲームが――――『Innocent World Online』という仮想世界が作られた、その理由の物語です」
―――
「それではクノさん、また」
ジャッジさんは一礼すると、白い粒子を残して消えていく。
俺は、先ほど聞かされた話を反芻していた。
――――『IWO』ができた理由。
そんなことを言い出すものだから、てっきりゲーム内の歴史を語ってくれるようなイベントかと思ったが。
そうでなくても、精々製作秘話とかそんな感じの、よくある裏話みたいなものを聞かされるのかと、一瞬げんなりしてしまったが。
ジャッジさんの語ったそれは、あまりにも予想外だった。
しかも現実で今、俺が抱えている問題の、その根源を暴きうる……荒唐無稽で、信じがたい話。
「……はあ。まさか、こんな形で知ることになるとはな」
メイドさんは言っていた。「ゲームを頑張れ」と。
ふざけたような言葉だが、あれはこの状況を――いや、この状況を含めた、全てを指していたのだろう。
ジャッジさんの言葉を信じるなら、このゲームは……ゲームであって、ゲームでない。
――少なくとも、俺にとっては。
しばらく呆けたようにベンチで思案するが、やがて考えも纏まった。
とりあえず、ジャッジさんの話だけを鵜呑みにするのも、確証が得られない以上得策ではないだろう。
まずはこのことについて知っていそうな人物に裏を取るのが一番。
そうでないと、今後どう動いていいやら見当もつかないしな。
……エリザには、悪いけれど。
「今度こそ、全部話してもらわないとな」
俺はその場で"ログアウト"を選択すると、仮想世界離れた。
――――現実に、帰還する。
ヘッドギアを外した俺は、真っ先に時計を見た。
今日は学校があったが、帰ってきてすぐ『IWO』にログインして、エリザとお喋りをして、紅茶を飲んで、ガトーショコラを食べて、昨日のうちに修理のために預けておいた装備を引き取って、ちょっとだけほんわか事案を発生させて、それからすぐにAIイベントを見に行った。
そのため、時間はそんなに遅くないハズ……って、あれ。
みれば、俺の部屋のアナログ時計は、七時前を指していた。
「時間が経つのって、こんなに早かったっけかな」
ジャッジさんの話が長かったというのもあるだろうが、やっぱり一番の原因はその前にエリザと遊び過ぎたことだろうか……反省も後悔もしてないけどね!
ちなみに今日の夜ご飯はエリザが作ってくれるそうで、今から楽しみです。
「……エリザとの約束もあるしなぁ。今日はやめとくべきか」
本当はすぐにでも、今回の件について知っていそうな人物――――つまりは、御崎家の三つ子メイドさん達に話を聞きに行きたかったんだけど。
しかしエリザとの約束をすっぽかす訳にはいかない。……彼女のことを聞きにいくのに、それで彼女を悲しませたら本末転倒だと思うし。というか、こんな時間ならもうそろそろ行かないといけないな。
メイドさんに話を聞きにいくのは、明日にしよう。
……期末テストも終わったし、出席日数も足りている。別に明日くらい学校をさぼってもバチは当たらんだろう。なんせ今年度は、前年度比1000%くらいの出席率だからな!
制服から部屋着に着替えたのを、更に外出用の私服にチェンジして、俺は家をでた。
手には布製のトートバッグ。なにを入れているのかといえば、エリザが「マヨネーズを切らしてしまったのだけれど」と言ってきたので、うちの冷蔵庫から引っ張り出してきたほぼ新品同然のマヨである。
俺が料理を作ると、調味料を入れても何故か味が無くなるというファンタジアなので、基本的に調味料のたぐいはあまってたりするのだ。
食材持参で家に訪ねる……なんかこういうの、恋人同士みたいでときめいちゃう。
まぁ実際にはそんな事実は無いわけで、だからこそ、そうなれるようにメイドさんにお話を聞きにいかなきゃなんだけど。
今のままの関係も、悪いとは言わない。むしろ良い。非常にベネだ。
でも。
胸を張って恋人同士になれる方が、きっと何倍も楽しいと思う。
なにより、エリザが負い目を感じている風なのが、許せないからな。
だから、
「魔王、か……」
そんなものが、本当に居るのなら。
俺はそいつを……
……ジャッジさんは言った。
『この世界は、クノさんの住んでいる世界とは別の世界です』
『勿論、現実世界と仮想世界――――そういう区別では、ありません』
『この世界は現実に存在する、いわゆる異世界と呼ばれるもの』
『それを緻密に再現した、もう一つの異世界なんです』
『私達NPCでさえ……異世界の住人、もしくは精霊をベースに、あくまで完璧な模倣品を目指して創造されました』
異世界を、ゲームの中に持ってくる。
『IWO』の、馬鹿みたいに細かい再現性を。
まるで意思を持ち、ゲームの中で生活しているようなNPC達を思い出す。
それが全て、実際に存在する世界の、コピー品。少しだけ、寒気がした。
ジャッジさんは、続けて言葉を紡ぐ。
まるで当たり前のように、あくまで無表情に。
『この世界が作られた目的、それは――――』
『――――魔王を、封印するためです』