第百十二話 泥のお化けのお話
「怒る……どうして、そう思うのかしら」
含みがありそうな顔で、そう聞き返すエリザ。
あ、やっぱちょっと怒ってる気がする。
「いやほら。ここ一週間くらい、エリザに心配してもらいながらその、適当な返事してただろ? 気分を悪くしたんじゃないかなぁ、って」
「……珍しいわね、クノがそこまで下手にでるなんて。何か不味いものでも食べたの?」
「そんな珍しいか」
逆に俺、普段態度でかかったのか。びっくりだ。
「そうね……連日つれない返事をされて、少しイラついていたことは事実だわ。
あと、無茶しないでって言ってるのに、いっぱい死に戻ってることとか」
少し膨れて、エリザは言う。
「いや、ごめん……」
「でも」
すっ、と真顔に戻る彼女。
俺の見慣れた、可愛い無表情だ。
「そのことでクノを責めたりするのは、違うでしょう? 私にはそんな資格は無いし、貴方が一度決めたら動かない人だというのは知っているのだから。
私にできるのは、心配と、無駄だと知りつつ行う注意喚起くらいなものよ。
ただの、自己満足だけど」
……資格、ねぇ。
意志を感じる、無表情だ。
淡々と語るエリザの言葉端々からは、彼女の感情が滲みだしているようだった。
俺の無表情とは、やっぱり全然違うな。当たり前なんだろうけど。
俺のはもう、仮面だもんな。無機物レベル。
そしてやっぱり、彼女は彼女なりに、俺のことを想ってくれているんだなーと。
そんなことを考えて、一人悦にひたる俺。
不謹慎? 犬にでも食わせてろ。仮面の特権だ。
「む。いま少し、嬉しそうだった……?」
「!?」
ありゃ、何この娘。
まじで読心術マスターする気なの?
それはそれで、いいかもしれないけど。
もしそうなれば、俺の問題はあらかた彼女が拭い去ってくれるようなものだし。
なんて。
流石に期待しすぎだよな。
「むぅ……人が真面目に、恥ずかしい事を語っているというのに。失礼ね」
あ、恥ずかしいという自覚は有ったんだ。
俺は嬉しかったけど。
「いやいや、気のせいじゃないかな。エリザの気持ちは真摯に受け止めていますとも」
「言い方が嘘くさいわ」
そうか、じゃあ。
「有難うございます!」
「なんで体育会系っぽく頭を下げるのよ」
「いや。なんとなく誠意が伝わりそうな気がしたから」
「……ま、まぁいいけれど」
割と本気で返す俺に、エリザが折れる。
やったねこれぞ粘り勝ち。
……あれ、なんか勝負してたっけか。
「じゃあ、そういうことで。エリザ、本当に気持は嬉しいよ。有難う。
ちなみに俺はこれから、第四のボスと戦ってくるから……」
「「「はぁ!?」」」
ずっとここで話し込んでてもアレだし、そろそろ出ようかと口を開いた所。
正面のエリザ、そして後ろのカリン、フレイから呆れ声を頂いた。
……ちなみに今までずっと、カリンとフレイは後ろでお茶飲んでました。ノエルとリッカが見当たらないのは、まだログインしていないのかな。
「……クノ君。私達が居る前でエリザといちゃいちゃしないでくれとか、言いたいことが沢山あるけど、」
「いや、いちゃいちゃはしてねぇよ」
したいけど。
「してますよ!? 滅茶苦茶してますからね!? 見てるだけで胸焼けしてきますよ!!」
「……フレイ。貴女の手前、私がそんなことするはずないでしょう? 流石に過剰反応よ」
「そうだぞ。あと、声が大きい」
さくっとエリザに加勢して、そして俺は出入り口に向かって歩き出す。
レベル的には十分、スキルも充実している。
さぁ、早くボスを倒しにいかなくちゃな。
「にゃぁああああ! この天然コンビがぁああ!! 爆発しろですよッ!!」
後ろでなんか騒いでる馬鹿がいるが、あれはあれでいつも通りなので放置――――
「いやクノ君。何さらっと爆弾おいておこうとしてるんだい。
第四のボス? 私は聞いていないんだけどな。というか、挑めるギリギリのレベルで、しかもソロで、君は一体何をしに行くというんだ……」
「いやだから、ボスを狩りに」
「だろうね! だと思ってたよ! ……うぅ、もう追いつくとか追いつかないとか、そういう次元じゃないんだね……ギルマスの威厳が……」
威厳云々と言うのなら、俺のコートの端をつまんで床に崩れ落ちることからまずやめてみようぜ。
あと、目を潤ませるな。……ったく、意外と打たれ弱いよなぁ。
俺は服を掴むカリンの手をそっと解くと、片膝を付いてこう告げてやる。
「大丈夫だよ。……すぐに倒してくるから」
「うわぁぁあああん! クノ君がトドメを刺すー!」
「カリン、最近キャラ崩壊が激しいわよ……それじゃあクノ。いってらっしゃい」
「ん。いってきます」
ああ、懐かしいな。この騒がしさ。
さて、じゃあ【死返し】の特訓で失った英気も回復したところで、行きますかね。
―――
第四のボス、『マドリーデム』。
北フィールドの最奥に生息する、巨大な”泥のお化け”だ。それも、人間がシーツ被ったみたいな奴な。アレに泥をぶっかけるとマドリーデムになる。
申し訳程度に小さな両腕と、ぽっかりと開いた黒々とした眼窩(?)以外は特徴も無い、いたってシンプルなモンスターである。
しかし体長は10m超とやはりボスサイズで、さらにはシンプルなフォルム故に、攻撃を仕掛けるのも厄介そうだ。
ボスフィールドは直径100m程の円形。
その中央に粘度の高そうな泥の沼が有って、そこからずずずと這い出てくる訳だ。
そしてお決まりのように、咆哮する。黒板を引っ掻く音をマイルドにしたような鳴き声だった。口無いのにどこから音出してんだと。
「【覚悟の一撃】【惨劇の茜攻】【異形の偽腕】」
両腕と、五本の『偽腕』に一本ずつ黒剣を呼び寄せる。
さらに手袋を、『茨の黒手』に換装。一瞬身体が重くなった気がしたが、これがVit値マイナスの領域か。短時間なら剣を振るのに支障はなさそうだが。
右手には赤黒い五芒星。足元から立ち昇り、剣を覆うは禍々しい色をした濃い瘴気。
そして同じくインベントリから呼び出した「超級MPポーション」を踏み砕き――――
「――――【斬駆】」
MPを100%消費した50m級、最大威力の【斬駆】。
色彩だけで暴力的な、全てを破壊する赤黒の光が〝機械仕掛けの精密攻撃〟の効果によって七筋発生し、登場したてのマドリーデムを文字通り八つ裂きにした。
柔らかそうな泥の身体をバラバラに散らす泥のお化け。
そして次の瞬間、飛び散った破片が球状に集まり、上空に向かって泥の噴水を噴き上げた。
この時点でボスのHPは七割方減っている。……ボルレクススを考えると、マドリーデムはかなり硬いな。単に物理攻撃が効きにくいってことだろうか。泥の塊だし。
すぐに【危機察知】に引っ掛かる、上空からの面攻撃。
どうやら今の噴水は、フィールド全体攻撃だったらしい。
衝突まで、4……3……2……1……
「【死返し】」
泥水の最初の一滴が頭に触れる瞬間、俺はスキルを発動させた。
敵の飛び道具でも発動が成功するのは、ツインビーの毒弾で実証済みだ。
視界が一瞬暗転し、復帰する頃にはマドリーデムの背後……空中に浮かぶ俺。
落下ダメージ来るな、これ。なんて考えている間にも身体は動き、
いつの間にか泥の球から手足のように泥の触手が生え、身体を支えていたマドリーデム(第二形態?)を刺し貫く。
そして、紅い華が咲いた。
――ザシュザシュザシュザシュザシュザシュザシュ――
色味が加わり、フォルム的にも幾分派手になった泥の塊。
そして再度優しく黒板を引っ掻いたような断末魔を上げ、崩壊する。
……【死返し】の威力って、【斬駆】三本分以上なんだな……
俺の紙防御に加えて、血の槍にもなんか攻撃倍率が掛かってるんじゃないかと予想。
重力に従って落下する泥片、と俺。
沼の水面に叩きつけられる泥片、と俺。
HPが0になりそうになって【不屈の執念】が発動する、俺。
ずぶずぶと沈む前に、身体に纏わりつく泥を掻きわけ、顔を出す。
上からは次々に泥が降って来るが、ダメージが無いなのが救いだな。
『――――♪』
ボス討伐のファンファーレが鳴り響き、沼の向こうに光の扉ができたのが見える。
しかし、今の俺はそれを素直に喜べなかった。なぜなら……
「全身ぬるぬるで気持ち悪……」
ボスはさくっと倒せたが、別の所で害を被った俺だった。
身体じゅう泥まみれだよ。少しすれば自動で綺麗になるけども。
教訓。着地点は大事だね。
正直、水の中に落ちれば落下ダメージなくなるんじゃね? とか思ってた部分もあったんだけどなぁ。
戦闘時間、30秒くらい