第百六話 立ち話のお話
屋敷に帰って来た俺はお世話になったお礼と言う事で、
また少し屋敷の掃除を手伝ってから、自分の家へと帰ってきた。
去り際の出来事。
エリザがやたらと寂しそうな顔をしていたので思わず頭を撫でると、
『子供扱いしないでっ』が飛んできた。
もうなんか恒例になりつつあるな。
そしてそんな恒例をやったことで、
なんとなく曖昧になりかけていた”普通”の接し方を固められた気がする。
まぁ、エリザが俺にうんぬんだって、勘違いの可能性もない訳ではないと未だに思っているし。
俺から何か行動をするのは避けて……できればこのまま、なぁなぁで行きたいところだ。
ベストではないけれど、セカンドベストではある答えです。
「ふわぁぁぁあああ~~~」
しっかし眠い。超眠い。
時計を見ると八時前。
今から寝たら、お昼を寝過ごして玲花に怒られる未来しか見えないんだが……
うーん。
しゃーない、眠気覚ましに、玲花の家まで今から歩いていくとするかね。
別に早く行く分には構わない……ということもなさそうだが、玲花がまだ寝てたりしたら、メイドさんのお手伝いでもしてよう。
エリザのことで聞きたいこともあるしな。
―――
「……理紗について、ですか?」
「うん。なんで、あんな広い屋敷に一人で暮らしてるのかなぁと」
「……ふむ」
御崎邸の、廊下にて。
結局玲花は寝正月をエンジョイ中だということで、俺はメイドさん(理恵さん)のお掃除を手伝っていた。
そして今は、廊下で立ったまま小休憩中だ。
折角なので、エリザについて質問してみた。
「あー、いや。答えづらい感じのことなら別にいいんだけどさ」
「……そうですね……。
では、そのことについてお話させて頂く前に一つ、私から九乃様に質問をしてもよろしいでしょうか?」
「ん、いいけど」
なんだろうか。
「九乃様は、理紗のことをお気にかけてくださっているのですよね?」
「まぁ、そうだけど」
「ではそれは一体、何故なのでしょうか?
愛想も悪く、大してとり得も無い不肖の妹ですので、
九乃様がお気にかけてくださる理由が知りたいのですが」
「いや、エリザ……じゃない、理紗さんは愛想は割と良いし、取り柄も沢山あると思うけど……
……理由、ね」
少し、答えに詰まってしまう。
理由と言われたら勿論、俺がエリザに好意を抱いているから、になるのだろうが。
それを姉である彼女に話してもいいものかどうか、一瞬だけ迷ってしまったのだ。
何の関係も無い人に伝えるのすら気恥かしいというのに、ましてや肉親ともなるとね……
メイドさんの口からエリザに伝わらないとも限らないし。
そうやって黙りこむ俺に、
メイドさんは「もしや、」と小さく呟いてから、こう問いかけた。
「不肖の妹に、特別な想い抱いてらっしゃるのですか?」
「……わー、ピンポイントー」
メイドさんの顔は真剣そのもので、冗談を言っている風には見えない。
適当に言い逃れるのは無理そうかなぁ。
どうしようかと更に固まる俺に、メイドさんの追撃。
「どうなのでしょうか?
というかもう今の反応からしてほとんど黒なのですが、一応九乃様の口からはっきりと言葉を頂きたいですね」
あ、この人口の端をゆがませやがったぞ。
何をニタニタしてるんだよ……
「……理紗さんに言わないと約束してくれるのなら、はっきりと言葉にするが」
「主の名に掛けて、理紗には伝えないとお約束しましょう」
しょーもない所で名前に誓われる清十郎さん。
しかし、だからこそ信用はできるかな。
メイドさん達の清十郎さんに対する忠誠心は凄いし。
「じゃあ言うけど。
理紗さんのことが、好きだからだよ。彼女のことが気になるのは」
「ほほう、そうですか……確かにあの子は、容姿だけは優れていますからね。
九乃様が惚れこまれるのも無理のないことかもしれませんが……時に、玲花様のことはどうなさるおつもりで?」
「玲花? なんで玲花がでてくるんだ」
「…………ほうほう、なるほど。こちらの方はわかっていらっしゃらないと。
やはり玲花様は、肝心な時に押しが弱いですからね……普通の殿方ならともかく、九乃様相手ではどうしようもありませんか。まぁ玲花様の場合、どちらかというと望んでいるのは……
というか、理紗がどうやって九乃様を陥落させたのか、非常に興味深いところです…………」
自分の考えを纏めるように、顎に手を当て小声で何事か呟くメイドさん。
そして纏め終わったのか、一つ頷くと俺の方をまっすぐに見て、問いを続けた。
「申し訳ありません、玲花様のことは一旦置いておきましょう。
さて、では九乃様。つまり貴方は、好きな子のことをいろいろ知りたいから、そのお姉ちゃんに話を聞きに来たと、そういう訳でございますね」
「んー……まぁ、そんな感じかな」
一気に言い方が俗っぽくなったなおい。
間違ってはないけど。
「確かにその心理はよく理解できます……が。しかしながら、九乃様がただ興味本位で理紗のことを聞いているのであれば、それはお止めになった方がよろしいかと。
そして、……差出がましいのは重々承知ですが、好意を抱く事自体も」
「……どういう、ことだ」
さっきまでの少し微笑ましい雰囲気は微塵も感じられない。
メイドさんが本気で言っているのがわかった。
しかし、何故。
まさか、俺と一緒になってもエリザが幸せになれないってわかっているからか。
そりゃ、そんなこと俺もわかっているさ。でも、それでも。
好きになること自体は、自由にしていいじゃないか。たとえこの気持ちに先がないとしても。誰かを想うってことはそれだけで熱く激しく……心地いい。生を実感できるのだ。
が、しかし。
関わることすら許されないことだとしたら……
それほどまでに、メイドさんが俺を害悪と感じているのなら、
俺はすぐにエリザの前から姿を消すべきなのだろう。
メイドさんは、エリザの姉。血のつながった家族だ。
きっと俺よりもずっと、エリザのことを想っている。
俺よりもずっと冷静に彼女の幸せを考え、合理的な判断を下している。彼女が不幸になる可能性の芽を、早めに摘み取っているのだ。
俺にはそこまでは、できない。
エリザが不幸になる可能性を自らが秘めているというのに、
綱渡りのような関係の継続を望んでしまっている。俺は醜い人間だ。
少なくとも自分の意思では、彼女との関係を断ち切ることはできないのだ。
だからこれを機会に、俺の気持ちどうこうなんて放っておいて、素直に彼女の言うことを聞き入れるべきなのだろう。
それが、エリザのためになるだろうから。
「……なるほど、わかった。
俺はどこか、遠いところに行くことにするよ……そうだな、祖父さんが今海外に居るらしいから、そっちを頼るのもいいかもしれない」
報われない想い。
それはとても辛いものだが、エリザを思えばなんのことはない。
そう、これはエリザのためなのだ。俺のことなんてどうでもいい、彼女さえ幸せに生きてくれれば。
できればこのままずっと、共に居たかったというのはあるが……
やはり神は傲慢な俺に、天罰を下したようだ。ちょっとレスポンス早過ぎないかな。
自重気味に言葉を紡ぎ、俺は肩をすくめる。
その正面ではメイドさんが、
「?」
という顔をしていた。
……って、あれ?
メイドさん、なんでそんな話が急に飛躍しすぎて訳が分からないみたいな顔してんの。
「九乃様……率直に申し上げて、意味が分からないです。
どうして海外逃亡などということになるのでしょうか」
逃亡ではねぇよ。
「いやだって……俺が居ると理紗さんが不幸になるからって、」
「そんなことはないと思いますが。九乃様ほどの方に想われるのなら、女冥利に尽きるというものです。不幸だなんてとんでもない」
「え? じゃあ……」
「私が申しましたのは、理紗のほうに問題があるからです。むしろあの子が、貴方を不幸にしてしまう。これは、確定事項なのです」
「……問題?」
「はい、問題です。強い強い、害悪の意思でございます」
「そりゃ一体、どういう……」
「申し訳ありませんが、お話をしようにもまだ時期ではありません。
ただ一つ言えるとするならば。タイムリミットは、あの子が成人するまで……あと、三年もありません。
できることならば九乃様には理紗と一緒になって頂きたいと、勝手ながら私は思います。玲花様には不義理ではございますが、それが妹を想う姉心……ですから、貴方には強くなって頂かないと……」
意味が分からない。
時期じゃないってなんだ。タイムリミットってなんだ。
エリザには一体……どんな秘密があるんだ。