第五章
泣き終えた僕は、何故か眠ってしまったらしい。起きたときには天井が見え、顔を横に倒せば三人の姿があった。皆、それぞれに寝息を立てている。彼らを起こさないように、ソッと体を起こした。ズキズキと頭が痛むが、妙にさっぱりしている。
「ここは……」
「宿屋だ」
誰にも聞えないように小さく呟いたつもりだったが、キラには聞えたらしい。椅子に座ったまま顔を向けてくる。
「起こした?」
「別に……気分はどうだ?」
「うん。すっきりした……」
それ以上の言葉が続かず、僕は顔を背けた。そのままの状態で口を開く。
「聞いてもいいか?」
「……何だ?」
「どうして……どうして追ってきたんだ? あんなこっと言って別れた僕に……」
「ネオが言ってたろ。それだけじゃ、不満か?」
「……不満っていうか……」
「納得出来ない?」
「……うん」
今度は素直に頷いた。キラを見ていないから、彼がどんな表情をしているのか分からない。けれど、言葉は淡々としていて、リラやネオとは違った安心感があった。
「一緒なんだよ」
「一緒?」
キラの言葉にピクッと反応して、顔を上げた。そうして彼へと目を向けると、彼は苦笑したような、何ともいえない顔をしていた。
「俺もネオもリラも、皆同じなんだよ。過去に黒いものを持ってる」
「黒い、もの?」
怪訝そうな顔を向けると、キラは驚いたように目を見開いた。
「お前もそうじゃないのか?」
「え?」
「あのバグが見えていたんだろ?」
「ばぐ? バグって、ゲームとか起きるバグのことか?」
「さっきの怪物のことだ」
「あぁ……さっきの蟷螂のような黒いやつか。バグって言うんだ?」
「見えていたんだな?」
「うん、見えてたよ」
ホッと息を吐くキラ。何がどういう風に繋がっているのか分からず、今度は僕が怪訝な顔をした。
「バグは、過去に何かしら柵を持ってる奴にしか見えないんだよ」
「柵?」
「それは後悔であり、自分の中で一番思い出したくもない過去。乗り越えられない過去に囚われたものにしかアイツらは見えない。だから、アイツらが見えたお前は、俺たち動揺の存在なんだ」
「過去、か……」
バグと呼ばれたあれに遭遇する前に思い出していた記憶の断片が脳裏を過ぎった。そう、それは消してしまいたい過去。忘れたくとも忘れられない。
「確かに……僕にも忘れたい過去がある。自分の存在を消したいと思えるほどの……でも、不思議だな。キラならまだしも、ネオやリラにも、そんな過去があるだなんて」
二人の穏やかな寝顔を見ながら、僕は見掛けで判断したことを悔いた。
「誰にも、そんな過去の一つや二つは持っているさ。あと、俺ならって何だよ」
「ご、ごめん」
「ま、否定しねーけどな。ネオやリラは、そんな過去を持ってそうには見えないし。実際俺もコイツらには酷かった」
「……」
「だから、お前の気持ちだって分からなくない」
そこまで言うと、キラは口を閉じた。声をかけようとしたとき、ネオとリラが目を覚ましてしまった。
「ん~! おはよ、リラ、キラ、リュウヤ」
見た目通り健康体のようで、すっきりとした表情のネオ。リラは未だに夢を行き来しているように半分目を閉じている。
「はよ、ネオ。ほら、リラも起きろって」
「ほへ?」
キラに言われ、リラは起きようと必死だ。しかし、開いた目はゆっくりと閉じていく。
「お、はよ……」
たどたどしい口調になってしまったが、ネオたちはニッコリと笑顔を向けてくれる。そのことに、ホッと胸を撫で下ろした。
「おふぁよ~、ふあぁ……」
いまだに半分寝ているらしく、リラは挨拶は間の抜けた言い方だ。そのことにプッと噴出すと、我慢出来ずに声を抑えて笑い出してしまった。笑い声にビックリしたのか、三人は目を見開いて僕を見てくる。しかし、三人にも笑いが感染したのか、三人とも笑い出した。
笑ったおかげで目が覚めたらしく、リラの目もしっかり開いている。僕らは順番に顔を洗うと、宿屋の一階へと下りて行った。一回のホールは食事をしている他の客たちで賑わっていた。キラが四人分の席を見つけ、そこに座った。メニューの一覧表を広げると、名前がずらりと並んでいる。しかし、どの名前がどんな料理かは分からない。三人は既に決まっているらしく、厨房に向かって大声で注文を言った。どうやら、この宿屋では注文を取りにくるウェイターのような存在はいないらしい。
「リュウヤは何を食べるの?」
「う~んと……何の料理か分からないんだけど……」
一覧表を指しながら、僕はリラに言った。彼女は不思議そうな顔を向けてくる。
「分からないって……じゃあ、リュウヤはいつも何を食べてるの?」
「……ずっと引き籠ってたから、ころくに食べなかったな。あまり食べようとは思わなかったし」
「ダメだよ、リュウヤ。食事は生き物にとってしなければならないことなんだから。ちゃんと食べようよ」
「うーん……」
「分からないなら私が選んでもいいかな? 食べられない物ってある?」
「特には……」
「それじゃあね~……うん、これがいいかな。パンバコのセット一つ追加お願いします!」
すぐさま決めたリラは、厨房に向かって叫んだ。そして後は料理を待つだけなのか、三人は呑気に雑談を始めた。最も、その内容は食べた後の遊びについて、だったけど。
「来た来た♪」
「え?」
はしゃぎ出したネオに、僕は首を傾げた。振り向くと料理を乗せた皿が何枚も飛んでくる。もちろん、運んでくる人の影はない。
「なっ……」
「ここの名物なの。物体浮遊の魔法、フライを使ったパフォーマンス。しかも、ちゃんと注文したテーブルに運んでくるの」
「へ~。そんなことにも使うんだ?」
「うん。というか、普通は日常を助けるための技なの」
「え?」
リラの台詞に、驚いて目を見開いた。しかし、彼女は何も答えず、静かに置かれたスープを口に含んだ。それ以上聞き返すことも出来ず、僕はリラが頼んでくれたパンバコのセットに目を向けた。香ばしく矢変えたパンのような物に果実が挟まれている。それは、フルーツサンドを思い出してしまいそうな食べ物だった。そして、もう一つ。ヨーグルトのような真っ白なデザートがついていた。
「サンドイッチみたいだな、これ……」
パンバコを呼ばれていたフルーツサンドを持ち上げる。指先がじんわりと温もるが、熱すぎるほどではない。それをパクッとおもいきって食べてみた。
「……美味しい……」
フルーツミックスは互いの味を主張しすぎて、果実その物の味を台無しにしてしまっている。けれど、このパンバコは違った。苦味のある果実は甘味のある果実がフォローし、それでいて甘過ぎない。ほろ苦さを残す味わいだった。
「凄い……普通、果物と果物は味を台無しにして酸っぱいだけのものになるのに」
「それは甘い物と甘い物を合わせてしまうからよ。このパンバコは苦味を甘味を1:3の割合で創られているから、口の中にはほろ苦い味になるの。それと、こっちのポルンは何の味もついてないから、一緒についてきたドレッシングで味付けをするの。ポルンは消化を促進してくれるから、胃が弱かったり、朝食でお腹を痛める人には、このポルンがお勧めよ」
リラがスラスラと解説してくれたおかげで、食べ方が分かった。リラにお礼を言うと、皆の食事を見回してみる。リラはあ茸や木の実をベースとしたスープらしい。ネオは朝から豪快に、肉の丸々焼きみたいだ。キラも肉のようだが、きちんと一口サイズに切られ、野菜も食べている。彼らの食事から目を離すと、僕はパンバコの残りを食べ、ポルンへと味を加えた。ドレッシングはどれも果物のような味で、ブルーベリーのような味のドレッシングをかけて食べてみた。まさにヨーグルトのようで、これまた美味しい。けれど、何もかけずに食べてみれば凄く不味く、もう少しで吐き出すところだった。そんな僕を見て、三人は突っ込みながら笑ってくる。僕も舌を少し突き出して笑った。