第三十章
黒髪から出ている猫のような耳がしゅんと垂れている。見た目をいえば五、六歳ぐらいだろう。そんな幼い少年はに目前にある墓をジッと見つめていた。降り続ける雨が少年の体温を攫っていくが、彼はただジッと立ち尽くしている。
『……』
周囲には同じような出で立ちの大人がいる。彼らが話す声は、少年にも届いていた。しかし、雨音がうるさいのか、微妙にかすれていく話し声。
『土砂崩れだったそうよ……をしてて……』
『まぁ、……そうに……あんな小さな……残して……』
『さぞ……でしょうに……』
その声は、土足で少年を追いやっていく。しかし、そのことに周囲の人々は気付いていない。彼らの鈍感さに、ギリッと奥歯を噛み締めた。雨がなければ少年には、もっと正確聞き取れたであろう。しかし、幸か不幸か。雨の音が全てを奪い去っていく。
『キラ、悲しいであろうが、これからは両親より長く生きるのだ。ワシらも出来る限り手助けしてゆこう。強く……強く生きるのだ、キラよ』
腰が曲がり、白髪の老人が少年の隣で話しかけている。彼には大きく皺だらけの手が、小さな頭を優しく撫でた。しかし、キラと呼ばれた少年は何の返事もしない。キュッと結ばれた唇。流れない涙で潤む視界の中で、ずっと墓を見ていた。
『不幸な事故じゃった……皆の制止を振り切り、薬草を取りに行ってしまった……もっと、きつく言っておれば……』
『……長老様のせいではありません。父さんたちは病気の子どものために、危険を承知の上で薬草を取りに行ったんです。でも、そのおかげで病気の子どもは助かった。それが聞けただけでも良かった……大丈夫です。オレなら、二人の分も生きていきますから』
長に返した言葉は単調的だった。しかし、それが精一杯なのだろうと思った長は静かに頷いた。長は周囲に居た仲間に声をかけ、家へと帰るように諭す。仲間が去っていくと、長はキラへと向き直った。
『風邪を引かぬうちに帰りなさい』
『……分かっています……』
顔を動かさず、キラは小さく呟く。それから数時間が経っても、彼は一歩もその場から離れなかった。
両親を亡くしたキラは、周囲の大人たちから同情され、何かと面倒を見てくれていた。だが、それを疎ましく思い始めた同年代の子どもたちから、幾度となく苛めを受けるようになった。けれど、彼は反抗も抵抗もせずに、殴られ、蹴られていた。それは彼なりの対処の仕方だった。何の抵抗も反抗もしないことが、苛めというサイクルを止める術だと思っていたのだ。しかし、彼の対処は、余計に相手の神経を逆撫でしていた。そして、ついに事件は起こってしまった。
『ナマイキなんだよ、お前!』
いつもの台詞から始まった喧嘩。否、それは一方的な暴力。その中で、小さなナイフを取り出す者が目についた。
『これでもくらえ!』
その少年は、ナイフを無造作に振り回してくる。しかし、キラに当たることはなかった。相手のナイフをしっかりと捉え、素早くその手首を叩く。その痛みに驚いた少年は咄嗟にナイフを手離した。落ちていくナイフを地面すれすれで受け止め、いまだ手を擦っている子どもの背後を取った。細い首に銀の刃物が軽く触れる。
『ひっ!』
『刃を向ける相手を間違ってないか?』
小さな声でキラは言う。他の子どもに目を向けると、全員の顔が引きつっている。嫉妬と恐怖の色がひしめき合っている大勢の瞳。
『お、お前がワルいんだろ!?』
だが、彼らに反省の色は見受けられなかった。刃を首につきつけられている子どもさえ、恐怖より嫉妬が勝っていた。
『仲間を傷つけることより悪いことなのか?』
それでも、キラは冷たく子どもたちを一瞥する。その迫力は大人顔負けだった。
『ここから出て行け!』
『そうだ! そうだ!』
子供たちは負けじと声を上げた。一人の声が波紋を生み、あっという間に広がっていく。その越えにうんざりしてきたキラは押さえ込んでいた少年を離し、その足下に向かってナイフを投げた。それはヒュッと空を切り、地面に突き刺さった。
『そうかよ……なら、出て行ってやる』
静かに放たれた言葉に、少年たちは唖然とした。広がっていた声は段々と小さくなり、ついには立ち去るキラの背中を無言で見つめるようになっていた。
そして、キラの姿を見る者はいなかった。