第一章
ハッとして目を覚ませば、僕を覗き込んでいる六つの目と合った。
「うわっ!」
ビックリして体を起こしたら、三人も驚いて飛び退いた。彼らを良く見回すと、普通の人間ではないのが一目瞭然で分かる。三人のうち一人は狼のような灰色の毛に覆われた耳を持ち、両足は裸足のままだ。両肩から出ている腕の所々にある小さな擦り傷が目につく。一人は女の子らしく、先ほど目深に被っていたフードが取れ、綺麗な金髪が風に靡いていた。それ以外はフード付きのコートに隠れているので良く分からなかった。そして後一人は猫のように背を丸めて僕を威嚇している。その少年の頭にも猫の耳らしい真っ黒なものがあった。どの子も十二歳ぐらいを思わせる幼顔の少年少女。
僕らは、無言で見つめ合っていた。一人は睨んでいるけれど。
「あの……大丈夫、ですか?」
その沈黙を破ったのは、ゆったりとした口調の少女だった。
「えぇっと……」
人と会話したのはいつぶりだろうか?と、場違いなほど陽気なことを思いながら、僕は困惑しいたように顔を歪めた。喋ろうにも喉に何かがつっかえたように上手く言葉を発せれなかった。自分の喉がこれほど貧弱になっていたなんて思いもしなかった。最近、親ともろくに会話してないのが仇となったらしい。
「大丈夫なのか? 大丈夫じゃないのか?」
今度は狼少年が話しかけてきた。先ほどまでの警戒していたはずだったが、ズイッと顔を突き出して聞いてくる。
「ち、近いって……」
漸く言葉になった声は小鳥の囀りのように小さかった。
「え?聞えないから近づいているんだろ」
やはり耳なのか、狼のような獣耳を傾けてくる。
「分かった、分かったから離れてくれ!」
やっと聞えたのか、顔を引いてくれた。ホッと一息つき、僕は先ほどから感じている違和感に眉を寄せた。全身がびしょ濡れ状態だった。
「何でこんなに……」
手を上げると、裾からポタポタと水滴が垂れた。それを振るって辺りに撒き散らす。
「河に落ちたから仕方ないわ」
おっとりとした声が耳に届き、俺は少女を見た。
「河に、落ちた?」
「うん。覚えてない?」
「……うん」
座っていた少女がスクッと立ち上がった。先ほどまでは十二歳ぐらいかと思ったけど、こうして立ち上がられると十四歳ぐらいには見えた。
「いきなり空からあなたが降ってきたのよ」
「僕が……空から?」
信じられない言葉に、僕は開いた口が塞がらない気分を味わった。少女に言われたことが事実だったとしても、全く身に覚えがない。
「そうよ。そして、そこの河に落ちてしまったの」
彼女が指し示す方向を見ると、確かに河が存在していた。立ち上がって河に近づいてみると、底は緩やかな河川だった。しかし、河の先にある大陸がうっすらとしか視認出来ないぐらいには広い。
「……嘘だ……だって空から降ってきて無傷って……」
顔の半分に手を当て、噛みごと握った。どこも痛いとこなんてない。空から河に叩きつけられたら無傷でいられるはずないじゃないか。そう思うと、頭がガンガンと痛み出す。
「っ……」
「どこか痛いの?治そうか?」
「は? どうやって……」
コートに隠れていた手が出てきた。その手にはどこから出したのか分からないぐらい長い杖が握られている。
「私はエルフ族のリラよ。治療や魔法は任せて?」
「ま、魔法?」
現実では有り得ない単語を聞いて素っ頓狂な声が出た。訝しげな目をリラと名乗った少女に向ける。
「魔法よ。知らないの?」
「あのファンタジー小説とかゲームとかで有名なあの? てか、そもそも現実に……」
肩を竦めて言い募る自分の言葉を止めた。そして三人の姿と周りの景色を見比べる。
「そう言えばさ、ここってどこ?」
「ここ? ここはここだよ」
「いや、そうじゃなくって……夢? これは僕の夢なのか?」
「夢? 夢だったら俺たちは出てこないだろ」
「そもそもお前は誰だ?」
初めて聞いた猫少年の声に下げていた顔を上げる。そして三人尾顔をじっくりと見るが、やはり現実的にいるはずのない人物ばかり。コスプレかと一瞬疑ったが、狼少年の耳は本物のように動いていた。自分の頬を軽く抓ってみたが、痛みがあるだけで夢から覚めない。
「夢じゃ……ない?」
サッと顔から血の気が引いていく気がした。夢でもコスプレでもなければ、これは現実だ。全身で感じる自然は現実そのもの。頬を撫でる風も、足から伝わる地面の感触……何より三人のからにも触れられる。
「現実……」
ポツリと呟いた言葉に、眉間の皺を更に深くなるのを感じた。一人で困惑している僕に飽きてきたのか、三人は好き勝手に喋っている。ふと、狼少年と目が合った。
「んで? 結局お前は誰なんだ?」
「僕は……僕だよ。僕は西園寺龍也。君たちは? えっと……リラ、だっけ?」
「そうよ。一回で覚えてくれたのね」
ニッコリと微笑まれ、自然と顔が緩む。こんなに自然に笑えたのはいつ以来だろうか。
「うん。リラ以外の二人は?」
「俺は人狼族のネオ! よろしくな、リュウヤ」
「俺は猫人族のキラだ」
「ネオとキラ、だね。それで……この世界の名前ってある?」
「あったりまえだろ? この世界は“The world of game”だ!」
「ざ、わーるど……何? すっごい名前……」
「私たちはワールドゲームって呼んでるけどね」
「ワールドゲーム……」
「ま、世界の名前なんて早々呼ばないから気にしないしな。それよりさ! これから何して遊ぶんだ?」
また考え込みそうになった僕はネオに聞き返してしまった。
「そうだな、広い草原にいるわけだから走るか?」
「ちょっと……」
「お、かけっこか!」
「ちょっ、待っ……」
「わあ! 楽しそう」
「何で……」
「よし! 決まり!!」
会話に入れず、僕の言葉は虚しく宙に舞うだけだった。肩を竦めて立っていると、ネオがクルッと顔を向けてきた。
「ほら、リュウヤ! お前も一緒にかけっこだ!」
「いや、だから……」
断ろうとした言葉が喉につっかえた。ネオはそんな僕に手を差し伸べてきたのだ。その手を取ろうと自ら手を伸ばしてみるが、その手を握る途中で戸惑った。無条件に差し出された手を握ってもいいのだろうか?僕と遊んで楽しいのだろうか?
溢れる疑問は、胸に引っ掛かっていた疑問。人との関わりに躊躇してしまう一番の原因だった。
「ほら行こうぜ?」
しかし、戸惑った一歩を、ネオは意図も簡単に踏み出してきた。パシッと握ってきたネオに、ビックリして目を見張った。
「うぅわっ!」
聞き返す暇なく、手を引っ張られて情けない声が出た。意外と力が強く、僕は引き摺られるように走って行く。三人はそれぞれに笑い、楽しそうに風を切る。僕も三人につられて笑いが漏れた。
久々の笑顔、久々の興奮。僕らは笑いながら、広大な草原を走り抜けた。