第十三章
デザートが完成し、僕は三人を呼びに自室へと足を運んだ。部屋の中へと入ると、三人は僕のベッドの上で気持よさそうにスヤスヤと眠っていた。その固まって眠る三人に、フッと笑いが漏れる。風邪を引かないように下に強いていた毛布を引っこ抜き、彼らの上に被せてやった。
「ん~……」
寝返りを打っては口をもごもごと動かす。僕は部屋んい一つしかない椅子へと座り、三人の寝顔を見つめていた。小さな体で必死に生きている彼ら。バグの倒し方を見ているとかなり戦ったことがあるのだろう。手馴れた連携だった。この小さな体に、彼らはどんな過去を背負っているのだろうか。
頭の隅でバグと呼ばれた物体を思い返してみた。真っ黒な球体が幾つも重なって出来た巨大な姿。キラは過去に柵を持つ者にしか見えないと言った。
「過去の……柵、か……」
呟いた単語に反応するように昔の記憶が脳裏へと蘇る。いくら消そうとも、いくら忘れようとしても出来ない記憶。現実にリセットボタンはないのだ。そのことを今さら痛感してしまう。起きた出来事は覆すことが出来ないし、また無いことには出来ない。
胸を締め付けるような痛みを感じ、右手で服を掴んだ。胸の上、心臓がある辺りの服に皺ができた。目を閉じて集中すれば自分の鼓動が聞えてくる。しっかりと動いている、生きている僕の心臓。そのことが妙に不思議で、けれど実感できていることだった。画面に映し出されたあの文字の意味を、どうやら取り違えていたようだ。現世を捨てる=死ぬ、ということではなかったらしい。
「……生きてる……」
そのことが、こんなにも嬉しいなんて。あふれ出しそうになった涙を腕でふき取りながらそう感じていた。生きていることが嬉しい。今、ここで彼らと居ることが嬉しい。それは単純な感情だ。けれど、そう思えるのは難しいこと。胸に広がるこの思いも、溢れてくる涙も、全ては生きている証拠なのだ。
いく筋もの涙を流したあと、僕は手の甲でそれを拭った。涙を抑え込み、自室から洗面所へと向かった。そこで冷たい水を顔にぶつける。タオルで顔を拭き、鏡で自分の顔を見た。そこに映る僕は、兎のように目が赤い。泣いたことと冷たい水が、ぐるぐると回転していた思考がすっきりさせた。
洗面所を出た僕は、三人が眠っている自室へと戻った。やはり、三人ともまだ眠っている。すやすやと寝息をたてる三人に被せた毛布を剥いだ。
「ほら、三人とも起きて。昼になるよ」
「ん~」
「うーん……」
「……寝て、たのか」
三者三様の起き方に、ふと笑いがこぼれそうになる。
「そんなに寝てたわけじゃないけど…………そんなに暇だった?」
そう聞くと、ネオは欠伸をしながら後頭部を掻いた。寝起きの良い彼にしては珍しい。
「頭使ったら眠くなっちまった。それより、リュウヤ! 出来たのか?」
「もうとっくに出来てるよ。でも、あれはデザートだから、昼食を食べてからね。それで、お昼は何にする?」
「外に食べに行くか?」
「えー、お腹減ってるから動きたくねぇよ」
キラの提案に、ネオは起こした体を再び倒した。動きたくない、というアピールのようだ。
「リュウヤ~、また何か作ってくれよ?」
「さっき作ったばかりだよ。それに、作るにしても材料買ってこないと。それまで、待てれる?」
「うー……」
ムスッと頬を膨らませて唸る。どうやら限界みたいだ。
「分かった。すぐに肉を買って焼くよ」
そう言うと、リラが申し訳なさそうに片手をあげた。
「リュウヤ……言いにくいんだけど、私はお肉食べられないの」
「え?」
「エルフ族は木の実と花、果実ぐらいしか食べないの」
「そっか。あれ? じゃあ魚は?」
「魚はね、滅多に食べないだけで、食べれなくはないの。魚はお祭りとか行事用のお肉として食べるだけ」
「つまり魚は良いけど、動物の肉は駄目、てことか」
「えぇ」
「なら、リラはスープだな。この間宿屋で食べてたスープって何?」
「デュリューテっていうの。木の実と茸のスープなのよ」
「木の実と茸、だね。ついて来て選んでくれる?」
「うん」
僕の誘いに、リラは快く頷いてくれた。
「俺たちは?」
目を輝かせているネオに、僕はニッコリと微笑む。その肩に手を置いた。
「キラと仲良くお留守番よろしく」
「えぇー!」
予想通りの反応に、僕は些か苦笑する。キラをチラッと見てみるが、予想の範囲内だったらしく、小さく肩を竦めていた。
「俺も肉選びたい!」
「駄目だ、ネオ。お前はよく高級な物を買わされるんだからな」
「だって……」
「うーん……ネオが大人しく待ってくれたら、美味しいあぶり焼きが出来そうなんだけどなぁー」
腕を組んで、さも残念そうに演じてみる。
「ヴー……分かった。大人しく待ってる」
しょぼんと頭を下げて床に座った。相当落ち込んでしまったネオに、キラと目を合わせて静かに肩を竦めた。僕は罪悪感を覚えながら、市場へと足を向けた。
昼の市場は朝市より賑やかさが半分のように感じた。それでも、まだ賑やかな方だと思う。
「二人が好きな肉って分かる?」
市場を歩きながら、僕はリラに聞いた。彼女は少し考え込むと、小さく首を横に振った。
「二人が好きなお肉は分からないわ。人狼族は山羊肉、猫人族は雑食だって聞いたことはあるけれど、二人が好きなお肉は知らないの」
「山羊肉と雑食、か。やっぱり狼と猫みたいだ」
「オオカミとネコ?」
「動物だよ。僕の世界では、人語も話さないし、二足歩行なんてしなけどね」
「リュウヤの世界にはそんな生き物がいるのね」
「うん。狼は中々見かけないけどさ」
説明すると、リラは楽しそうに聞いていた。賑やかな足音が、突然慌しい音に変わった。その変化に気付き、僕らは足を止める。
「っ!」
近づいてきた一人を見るなり、リラが息を呑んだ。驚いて彼女を見ると、顔から血の気が引いている。ガクガクと震え、恐怖を浮かべた表情は、リラとは思えないほど青ざめていた。
「リラ?」
声をかけると、彼女は我に返ったように僕を見る。唇が震え、喋ろうとした言葉が出てこない。しかし、ハッキリと聞えた瞬間、リラは走り出した。
「リラ!」
驚いて名前を呼ぶが、彼女は立ち止まらなかった。近づいて来ていた人も、リラが走り出すと後を追って走り出した。すれ違う寸前、リラを追う人物の姿が目に焼き付いた。リラと同じ髪の色と瞳、尖った耳。そして、見下されるほど背が高く、凍りつきそうな冷たい顔。
「リラ――ッ!」
走り去る二人の背中に向かって叫ぶ声は虚しく宙を舞う。走り出そうとしたときには二人を見失ってしまっていた。
『さようなら』
最後に聞えた台詞は小さく、震えていた。僕はすぐさまネオたちのいる隠れ家へと走り出した。