憧れのひと
会社で隣の席に座っているマヒさんは、体にごく軽度の麻痺があり喋りが不自由で雑務ばかりをこなしているが、障害者雇用ではない。
元々、この会社の営業担当者だったのだが激務が祟って、脳梗塞になり言語野に障害が残った。
が、会社のために身を尽くしたという暗黙の功労賞で、一般職としての雇用と給与体系の維持を与えられている。
新入社員などがこの事情を知ると
「え、いいなぁー」
「今どき雑務で一般職の給料なんて」
などと言う事もある。
実の所、元々営業の時からそんなに有能ではなかったから、彼には同僚並の業務が激務になった経緯もあるため、今の方が収まるべき所に収まっている気がみんなしている。
『あのフ、こへ、ここイ置いとフよ』
「あ、ありがとうございます。助かります」
社内便という「メールで良いだろ?」的なお手紙のやり取りはマヒさんの仕事だ。
マヒさんには
・会議室の片付け
ほぼ元に戻してある椅子をキレイに並べてテーブルを拭く
・現場にある計器の現物データ確認
現場で壊れていたら電子データが上がらないであろう計器の動作確認
・書類にパンチで穴を開け、綴じる作業
スキャンしてデータで保存しているのに現物いる?という現物の保存作業
などなど大忙しの仕事を【いつ終わらせてもいい】という納期を与えられて、毎日ガンバっている。
しかし、確かに新人が言う通り、この業務内容なのに、一般職で言えば50代の結構な金額の月給を貰い、それに応じたボーナスを貰うのだ。
年収は私よりも多いだろう。
それでも会社はマヒさんをその内容・待遇で雇っているんだから、我々がとやかく言う事ではなく、マヒさんはそういうものとして扱うしかなかった。
ある日、自宅でたまたまリビングのテレビが付いていて、カスハラ対応がどうので、モンスタークレーマーの音声が流れていた。
カスタマーセンターの電話対応者に、お客が感情丸出しでエラく怒鳴っている。
(なんで、そんなに怒れるんだろう?)
しかし、声色は変えてあるけど、ドコかその喋り方を知っている気がする。
(誰だろう?)と思案にくれたが思い出せない。
モヤモヤしたままオフロに入って上がり、子供の学校のプリントをパンチで綴じようとした時に「あっ!」と思い出した。
マヒさんだ!マヒさんの喋り方だ!
営業してた時、相手先にクレームを入れている時のマヒさんの喋り方、間違いない!
『フザケんなよ!このボンクラ!』
『どーしてくれるんだ!このボンクラが!』
『ナメてんのか!このボンクラぁ!』
マヒさんの代名詞、通称【ボンクラ祭り】と呼ばれていた、マヒさんの怒鳴り方だ。
その映像は見逃し配信で見られたから録画して、会社の同僚に見てもらった、
「いや、確かにマヒさんに似てるけど・・・」
「これ・・オカシイよ・・・」
あぁ!本当だ・・気が付かなかった。
いくらテレビでかなり前に撮っているとしても、コレ、今年のやつじゃん・・・
マヒさん、普通に喋ってるよ?
え?バレたらヤバいんじゃない?
いや・・知らんぷりしとこ・・・
しかし、こういうのはドコかから漏れるもので、1ヶ月後くらいにマヒさんは偉い人から呼び出されて、【即席ウソ発見器】にかけられて、【事情聴取】もされたらしい。
即席ウソ発見器は【熱いお茶をかけられて、普通に熱うッ!って言ったらアウトー!】だったらしいけど、マヒさんは
「おわー!」
って言ったから【審議入り】らしい。
アホくさ。
そんな事にこだわるから、この会社はブラックで儲けも少ないんじゃないのか?
結局、【事情聴取】も何を聞いたって、もしマヒさんが嘘マヒでも喋る訳ないんだから、ウヤムヤに終わった。
このバカバカしいやり取りに愛想を尽かしたのか、出来る社員が1人ヤメた。
ホントにバカバカしい。
そんな事があっても、忙しさに他人の事など忘れてしまう年末の繁忙期、珍しく7時くらいに帰れたのでケーキでも買って帰るかと、その日は駅とは逆方面に向かった。
上機嫌の早歩きで体が温まり、外気温の冷たさを息の白さで感じていると、ファミレスの前で見たことのある男性が電話をしている。
(マヒさんだ!)
ちょっと驚かせてやろうと、ゆっくり、ゆっくり、そーっと近づくと、誰かと電話をしている
『ご、ごめん』
『ファミレスまで来たけど人がいっぱいで、お持ち帰りは1時間は待つ、って言われたんだ』
『いやいや!あ、うん、待つ!待つよ』
『あ、ごめん。いや、ごめんなさい』
『うん!ハンバーグと山盛りポテトね!』
・・・そのまま、そのまま、ゆっくりとそーっと、気づかれないように後ろに下がる。
私は悪くないけど、ゼッタイにマヒさんに気づかれちゃマズい。
それにしても電話が意思を持って怒っているのか?と思うくらい、電話口から罵声が怒鳴っていてくれるため、マヒさんは私に気がついていない。
そして、あと2〜3mくらいまで近づいており、怒鳴り声の内容がチラホラ聞こえ
『ボンクラ』というワードが頻出し、声が低いけど恐らくは女性の声だと思われた。
マヒさんの代名詞である【ボンクラ祭り】が、マヒさんからではなく、電話をしている向こう側から聞こえる。
・・・マヒさん、この【ボンクラ祭り】を真似てんの?
えぇ?!文句の言い方に憧れるって、どんな感情なん?
えぇ?!こっわぁ・・・
「あ、マヒさん!何してるんですか!?」
『おア!ちょオと、ベントおを、買ヒに」
「ああ!そうなんですか!」
一通り【バッタリ会いましたね】の会話を30秒ほど交わし、努めて平然とソコを後にする。
あっぶねぇ・・・!
気づかれる前に自分から声を掛けて良かった。いやあ、危なかったあ・・
でも、マヒさんやっぱり普通に喋れるんだ。
何で、何でそんなフリをするんだろう?
金?前より楽に稼げるから?
いや、金に困ってんのか?
でも、結構もらってるはずだろ?
それにしても、電話相手は奥さんだと言っていたけど、奥さん強いなー。
この寒いのにマヒさん使いっ走りにして、遅い!って怒ってるよ。
ハンバーグなんてレンチンでも一緒だろうに。
まあ、ヨソの家の事だし、もうずっと知らん顔したい本当のマヒさんも知ったし、関わらんとこ。
その日は少し高めのケーキを買って帰り、自分を大事にしてくれている家族に感謝して、暖かな眠りに就いた。
世の中は不思議なもので、【もうマヒさんの事は知らん顔しよう】と決めると、マヒさんの情報が入ってくる。
上司からは、【マヒさんの奥さんは、絵を描いたり占いをして暮らしている。家事とかはしない。かなり自由な人らしい】と聞かされた。
同僚からも、【マヒさんが奥さんに惚れ込んで一緒になった】【マヒさんは奥さんに給料も時間も全てを捧げている】とか、色んな事を教えてもらった。
誰からも【マヒさんは奥さんのために生きている】ことを聞かされた。
もう、どうでもいいけど・・・
その年の忘年会、マヒさんが強かに酔っ払って2次会に突入し、更に飲み過ぎて泥酔して終電すら無くしたため、マヒさんの携帯から奥さんを呼んだ。
私はマヒさんの奥さんを初めて見たが、とても優しそうな幸薄い感じの、点と線だけで描けそうな顔をしたオバさんだった。
(あの時の電話ってこの人?前の奥さんとか?)
みんながワイワイやっている中で、私は奥さんを手伝って泥酔したマヒさんを、奥さんが運転してきた赤い軽に乗せた。
参加者が酒に酔って上機嫌でマヒさんを見送る中、私は周りの雰囲気と反対にどんどん酔いが冷め、手足もアタマも冷たくなっていくのを感じた。
さっき、マヒさんが携帯を忘れていたので、出発しようとしている奥さんの車に急いで持って行った時、細い線で描かれている奥さんの顔が鬼の太さとなり、極小の黒目の奥さんからは、マヒさんの心臓をつかみ取るような低音の罵倒が聞こえた。
『フザケんなよ、このボンクラが』
怯えながらも嬉しそうなマヒさんの顔は、シラフでも理解出来ないし、酔っている今は目の奥とアタマに響く。
まだまだワイワイやっているみんなと早々に別れ、【コレは酒のせいなんだ】として、さっきのマヒさんとの時間を、感情もろとも路地裏へ盛大に吐き出した。




