天使に闇魔術は使いこなせない
闇魔術により、代々王族の懐刀として地位を築いてきた伯爵家の長男、それが僕だ。
生まれたときから気弱な性格で、人と競うことも武術も苦手だった。
「こんなのが跡取りでは家が潰れる」
僕がおどおどしていると、両親はそう言って顔をしかめ、躾だと言ってよく叩かれた。
こんな風じゃダメなんだ。そう思った僕は伯爵家の嫡男に相応しい人格になろうと努力して、貴族らしい振る舞いを精一杯取り繕って覚えた。周りからは「アイリスは偉そうだし嫌な奴だな」と囁かれたけれど、それが耳に入ってもどうすればいいのかわからなかった。本当の自分を見せることは両親から禁じられていたので、貴族らしく、周りから下に見られないように、それだけ考えて生きてきた。
僕には弟がいる。弟のクラリスは気が強くて活発な子だった。
両親はクラリスには甘く、クラリスが何かいたずらしたり貴族らしくない振る舞いをしたときは、全部僕が注意するようにと言われた。長男だから自分がしっかりしなくちゃいけないんだと思い、僕は甘えたな弟を率先して叱った。クラリスは小さい頃は僕にべったりだったけど、最近では僕に話しかけもしない。
いつも注意ばかりするから、クラリスは僕のことが嫌いだと思う。
人と上手く接することもできないし、幼い頃から勉強と魔法の訓練ばかりしてきた僕には友人がいない。
でも、十六歳で貴族の子弟が通う学園に入学してから、僕は一人の男の子のことが気になっている。
レインという名前の少年に、僕は子供の頃会ったことがある。避暑で別荘に行ったときに知り合った。そのとき、彼はまだ平民だった。
◇
「こんなところで何してるの?この森はうちの敷地だよ」
「あっ人がいた。兎を追ってたら迷っちゃったんだ。ここどこ?」
勉強の休憩時間で散歩していたら、別荘のある森の中でレインが迷っていたところに遭遇した。話しかけるとレインは僕を見て目を丸くして驚いた。けれどそれから満面の笑顔で尋ねてきた。明らかに貴族である僕に対して普通に接してくるので、戸惑ってしまった。けれど同じ年頃の子供に笑いかけられたのが初めてだったから、嬉しかった。
誰か見つかったらこの子は叱られるかもしれない。そう思って、森の外まで案内することにした。
「ここまで来たら、もう街まですぐでしょう。誰かに見つかったら罰を受けるかもしれないから、早く帰って」
「ありがとう。あのさ、ついでにちょっと遊ばない? 広場で友達が集まってるから、一緒に鬼ごっこしようよ」
「鬼ごっこ……?」
何だそれ、と首を捻った。
「いいよ、僕は……」
「いいからちょっとだけ。俺レインっていうんだ。君の名前は?」
「……」
平民の子に名乗っていいのかわからなかったから、答えなかった。
レインは僕が黙っていると困ったような顔をしたけど、僕の手を引いて街に連れ出した。振り払えばそれで終わったのに、僕はそのときその手を拒まなかった。レインが下町を案内して、友達になってくれると言ったから。
広場で、レインの友人に紹介されて、本当に鬼ごっこをした。
最初は貴族なんだから、ちゃんと振る舞わなきゃと思っていたけれど、屈託なく笑いかけてくれるレインにつられて、気づいたら子供達の輪の中に入っていた。
鬼ごっこという遊びは知らなかったから、鬼から逃げると言われてもわからなくて突っ立っていた。そしたらレインが笑いながら手を繋いでくれた。
「捕まらないように逃げるんだよ。ほら、こっち」
手を引かれて一緒に逃げ回った。二人で走っていると、だんだん不思議な高揚感を感じて、胸の中がふわふわした。レインが笑っているのを見たら、いつもピンと張っていた気持ちがいくらか緩むような気がした。
「楽しい?」
と聞かれて、僕は首を傾げた。
「楽しい……?」
今まで考えたことがなかった。この気持ちが楽しいということなんだろうか。
多分、と頷くとレインは嬉しそうな顔をした。
「明日また来いよ。今度は違う遊びをやろう」
そう言われて、僕はつい頷いた。
「これ、さっき森で拾ったんだ。綺麗だからあげる。友達の記念」
別れ際、レインは僕に楓の葉をくれた。
友達の記念。その言葉が嬉しくて、僕はそれを大事にポケットにしまった。結局、僕は最後まで名前を名乗れなかった。でも明日会ったら教えてもいいかな。
それから僕もお返しに、レインにあげるものを何か考えよう。そう思いながら別荘に帰ったら、休憩時間が終わっても僕が戻らなかったから父は怒っていた。
「平民と遊んだ? 何を考えているんだ! そんな暇があるなら戦闘の訓練でもしろ!」
上手く言い繕うことができなくて、下町に行ったことがバレてしまった。厳しく叱責されて、ぶたれた後、僕は一人で王都にある邸宅に帰されてしまった。
◇
それが十年くらい前の出来事だ。
僕は入学した学園で、レインを見つけた。彼は平民ながらに膨大な魔力を持つことがわかり、貴族の養子になっていた。一方で、僕は伯爵家の長男のくせに闇魔法がほとんど使えないポンコツだった。
「なんでうちにこんな落ちこぼれが生まれるんだ?」
入学試験でも成績が悪く、両親はさらに冷たくなった。
「伯爵家が侮られる。周りに舐められるな」
と厳しく言われていたから、僕は入学した学園でも精一杯貴族らしく振る舞った。言いつけられた通り、自分より下の家柄の生徒には話しかけられても無視したし、クラスの集まりや学園の行事は理由をつけて出なかった。
魔法の授業では成績が悪かったから、両親が先生を買収して良をつけさせた。筆記のテストはよくできたけど、誰も僕の実力だと思わなかった。
権力を傘にきた嫌な奴と思われながら、必死に体裁を取り繕う日々を過ごした。
レインを見つけたとき、僕はすぐに彼だと気づいた。
でも彼は僕に気づかなかった。僕は見た目が子供の頃から少し変わった。真っ黒だった髪の色が徐々に変化して、灰色に近くなっていた。両親はそれも気に入らなかったから、僕は長かった髪を短く切りそろえるようになった。
きっと、もう昔のことは忘れられていると思う。話しかけられても、彼が困るだろう。それに目下の者に自分から話しかけるなと言われている。僕はレインを見つけても、遠くから眺めていた。
一年後、弟のクラリスが入学した。
クラリスは明るくて要領がいい。僕とは違って社交的だから、いつの間にかレインとも仲良くなっていた。レインがクラリスと談笑しているのを遠くから見つけたとき、僕は羨ましいと思った。でも自分から声をかけることはできないし、きっと僕と話しても楽しいとは思ってもらえない。二人を見ていることしかできなかった。
両親は、レインとクラリスが仲良くするのをよく思わなかった。僕は呼び出されて、クラリスに注意して言い聞かせるようにと命じられた。
「あの子爵家は最近力をつけていて目障りだ。平民を養子に入れて穢らわしい。クラリスを正気に戻せ」
「わかりました」
言われた次の日、僕は学園の中庭でクラリスを呼び止めて注意した。家の中ではクラリスは僕を部屋に入れてくれないから、学園の中で見つけて話しかけに行った。
レインと仲良くするのをやめるように言うと、クラリスは不機嫌な顔になって僕を睨んだ。
「なんでレインと話しちゃいけないの? 同じ学校の生徒なのにおかしくない?」
「伯爵家の人間としての自覚を持ちなさい」
「自覚? 兄さんはいつもそればっかり。僕が誰と仲良くするかは僕が決めるよ!」
「何してるんだ?」
クラリスが大声をだしたとき、レインが通りかかった。
「聞いてよレイン、兄さんがひどいんだ」
クラリスが訴えた話を聞いたレインは、不快そうな顔になって僕を見た。
「君は身分で人を差別するの? この学園は実力があれば平民でも入れるし、学友と学び合うことは大切だと園長も言っている。俺もそう思う」
「そうだよね、レインはすごいんだから。僕はレインから色々教えてもらってるだけだよ」
クラリスがレインの言葉に大袈裟に頷いて、彼の腕にぴったり張り付いて言った。
「クラリスもすごいじゃないか。この前の魔法術の授業、闇魔法がクラスでダントツだっただろう」
「えへへ、僕の家はそれがお家芸だからさ」
「クラリスはちゃんと努力してるよ」
親しく笑い合う二人を見て、胸が変に潰れたような気持ちがした。
僕は惨めな気持ちになって、上手く表情を作れないまま俯いて、冷たい目でこっちを見ているレインに、「クラリスに近づかないでほしい」と繰り返し訴えた。
レインは魔法も剣の腕もずば抜けて優秀だ。周りにはいつも友人が集まっていて賑やかだった。それを遠目に見て、そこにクラリスの姿が混ざっているのを見ると空虚な喪失感があった。
レインはクラリスのことを大事にしている。仲間を大事にしている。その姿が眩しいと思い、自分が近づいてはいけないものなのだとわかった。
両親に言われて、僕はクラリスがレインのために作った魔防のお守りであるアミュレットを壊した。
クラリスは怒って、もう学園でも口を聞いてくれなくなった。
そのアミュレットは、自分の魔力を込めれば込めた分だけ守りの力が増すというもので、学園では恋人に渡すのが通例だった。
僕は弟の部屋に忍び込んでそれを壊したけれど、本当のところではそれが両親の命令だったからなのか、自分が壊したかったからなのか分からなくなった。そんなことを思うのがクラリスとレインに対して申し訳ないと思った。
せめて陰からクラリスとレインを応援しようと思い、レインの産みの母が病気がちだと知って、お金と食べ物を密かに送るようにした。クラリスの名前を書くとあからさまなので、そこに楓の葉を添えておいた。
卒業が近づいたある日、僕は両親がレインが養子になった子爵家を陥れようとしていることを知った。
「子爵が報告するべき小麦の収穫量を誤魔化して、税金を懐に入れて私服を肥やしている」
そう告発して、裏で手を回して子爵家の家人を取り込み、断罪して子爵家の耕作地を接収しようと企んでいた。
両親の命令には従ってきたけれど、これには恭順できないと思った。レインにこの事実を伝えなければならない。僕から言っても信用してもらえないだろう。クラリスに動いてもらおう。そう考えてクラリスが部屋の前を通りかかったときに、わざと扉の近くで声を出して家人に両親の計画を話した。
クラリスは、すぐさま両親に抗議してくれた。
両親はクラリスに甘い。正義感の強いクラリスから問い詰められて、両親はその陰謀は全て僕が考えたことだと説明したらしい。
「ちょうどいい。出来損ないのお前ではなく、クラリスに家督を譲りたいと思っていた。陰謀を企てたとして、アイリスから継承権を取り上げよう」
「父上……?」
突然地下牢に入れられて、混乱している僕を見下ろして父が言った。
「闇魔法も使えない、いつまで経っても人と競う度胸もない男は我が家にはいらない」
そう言い捨てて父は去っていった。僕は呆然としたまま地下牢の中から閉ざされた扉をずっと見ていた。
誰も助けにこなかった。時々使用人が食事を持ってくるだけで、僕は暗くて寒い地下牢に放置された。
どうしてだろう。両親のために、ずっと頑張ってきたのに。いらないと言われてしまったら、これからどうしたらいいのかわからない。でも、僕は出来損ないだったから仕方ないのかもしれない。僕は最初からこの家にはいらない存在だった。
でも、それなら、もっと早くに放り出してほしかった。もう帰ってこなくていいって、十年前のあの日に言ってほしかった。
そしたら、僕はレインの友達のままでいられたかもしれないのに。
数日後、父が地下牢に来て言った。
「クラリスは相変わらずあの平民のことを気に入っている。奴がいるせいで妙に正義感が強い。邪魔だからあの平民は消しておくことにする。お前が子爵家に忍び込んで始末してこい。そうすれば牢から出して、クラリスの補佐として使ってやる」
父は闇魔法をかけた剣を渡してきた。
牢から出された僕はそれを持って、レインの家に向かった。
おぼつかない闇魔法で姿を消し、子爵家に侵入した。教えられていた通りに屋敷を辿り、レインの部屋だというベランダに足を踏み入れた。
すると、人の気配を感じ取ったのか、レインはすぐに部屋から出てきた。
僕を見て一瞬驚いた顔をしたレインは、眉を潜めた。
「何の用ですか? 人を呼びますよ」
僕が子爵家を陥れようとしたと、クラリスから聞いているんだろう。レインは、僕を冷たく睨みつけてくる。僕が持っている剣を見て、彼はふんと鼻を鳴らした。
「俺を殺すつもりですか? そんなにクラリスと仲がいいことが気に食わない? 俺は君に何かしたつもりはないんだけど」
「これを」
一から説明したって、きっと上手く伝えられないし、レインは僕を信じない。僕は服の胸元に手を入れた。
そのとき、横から殺気がした。
レインに向かって毒矢が飛んでくる。ハッとしたら、黒い服を着た刺客が数人、ベランダに飛び込んできた。
父だ、とすぐにわかった。我が家に仕える殺し屋一族の人間だ。
父は僕が上手くやるなんて思っていなかった。僕もレインも始末したかったんだろう。相打ちになって二人とも死んだという状況を作りたかったに違いない。
僕はやっぱり、不要だと思われている。
矢を素早くかわし、突っ立っている僕から、レインは剣を奪い取って刺客と応戦した。闇魔法がかかった剣は相手の生気を吸い取る。刺客達は次々に倒れていった。
しかし見ていると、レインと剣の相性は悪かった。レインは攻撃力は高いけど、多分魔防の補助魔法はそこまで得意じゃない。このままではレインの生気も吸われて倒れてしまう。
僕はレインに近づいて、剣を奪い返そうとした。
「剣を渡して」
「やめろっ」
レインが気づいて、腕を掴んだ僕に抵抗した。
「危険だから――」
僕は必死に説明しようとしたけど、そのとき最後に残っていた刺客がレインの背後をとった。僕は咄嗟にベルトにつけていた短刀を投げる。それは刺客の喉を貫いた。
同時に、背中に熱い痛みが走った。レインに斬られたのだと、ベランダに倒れてからわかった。
レインは倒された刺客を見て驚いていた。僕の傍に膝をついた彼に、僕は服の中からさっき出そうとしたものを取り出した。
「これ」
レインの手に押し付けたのは、銀でできたアミュレットだった。クラリスのものを壊してしまってから、僕が一人で作っていた、楓の形のペンダント。
「お守りです。これを持っていれば、あなたは守られる」
アミュレットに自分の力を全て注いだ。もう自分はいらない。誰からも必要とされないから、このまま死んでしまえばいい。残った力は、全部レインを守る力にあげる。
継ぎ接ぎの闇の魔力でできるか不安だったけれど、レインを守ってほしいと思って注いだ力は白く光り、やがてどうしてか、アミュレットは目を開けていられないほど眩く輝いた。
楓の形をしたペンダントを見て、レインは目を丸くして、倒れた僕に向かって口を開いた。
「君は……もしかして、あのとき俺が森で会ったのは──」
「次の日、いけなくてごめんなさい」
それだけ言うと、レインは息を呑んで固まった。
このアミュレットが、これからどんな危険からもレインを守ってくれる。背中の痛みを忘れるほど安らかな気持ちで、僕は彼を見上げた。
「待って、ごめん。俺、気づかなくて……」
狼狽えるレインを見上げて、僕は微笑んだ。
「鬼ごっこ、たのしかったよ」
あの日が、一番楽しいと思える日だった。十年経ってそれがわかった。だから、ありがとう。
「僕、アイリスって言うの」
そう言うと、レインは唇を震わせて、僕の髪に触れた。
やっと言えた。
真っ白になる意識に身を委ねて、僕は一粒だけ涙を零した。それが何の涙なのか、自分自身にもわからないまま。
レインの声が聞こえたけれど、そのときにはもう何もわからなくなった。
ごんぎつねされてしまったアイリスを、次回からレイン君が猛烈に救済します。




