三流悪役令嬢の流儀 8
――あれから何事もなく、平穏な毎日が過ぎて行った。
変わったことがあるとするなら……。
「おはようございます!」
教室の扉を開けると、悪役令嬢らしからぬ元気な声で挨拶をする。
「……おはよう」
「……おはようございます」
ぽつりぽつりと数人の生徒から、適当な挨拶が返ってくる。いつものことなので気にすることなく自分の席に着くと、隣から朗々とした声が飛んで来た。
「おはようございます、アルメリアさん! 良いお天気ですわね!」
「…………おはようございます」
にこーっと輝く笑顔を見せるのはオルパさん。あの日以来、なぜか元気に挨拶を返してくれるよになったのだが……。
「今日のお昼はどうなさいますの?」
「カフェテリアでいただく予定ですが……」
「まあ! でしたら、ご一緒にいかがでして?」
「……遠慮しておきます」
「……そうですか……残念です……」
しょんぼりと肩を落とすオルパさん。机に書かれた暴言事件の翌日から、ずっとこんな感じでして……。
何か裏があるのかと、きつく問い詰めたら『自分のやったことは、とんでもなく恥ずかしいこと』『猛省している』『気の済むまで罵ってくれてかまわない』『嫌じゃなければ、学友として仲良くしてほしい』などと言われてしまい……。
もしかしたら、私とは比べ物にならないくらいに学園中の生徒たちから白い目で見られているせいなのかと考えたが、本人はあまり気にしている様子もなく……。
あ~〜意味が分からない。何なのよ、この状況は!?
「どうかしましたか? 顔色が優れませんが……もしかして体調が悪いとか!? 医務室に――」
「大丈夫です!」
「そうですか? 何かあれば、おっしゃってくださいね。私、お役に立ちますから!」
――ぞわわわわ!!
うわぁ、鳥肌立っちゃったよ……。何で人のこといじめようとしてた人間がこんなことになってるの!?
とにかく極力関わらないでおこう……そう決めて私は視線を逸らした。
◇
「なんか、面白いことになってるね?」
「面白くなんてありませんわ!」
放課後、図書室に寄ろうとしたらオルパさんが付いてこようしていたので、必死に撒いていたところをクライス様が助けてくれた。
私を探してきょろきょろしているオルパさんが、全く違う方向に行くのを見てほっと息を吐く。
「はぁ〜……良かったぁ」
「お疲れ、アルメリア嬢」
「ええ、ありがとうございま……」
あれ? 私、この人からも逃げてなかった? なんで、そんな相手に助けられてるの?
ま、まあいいでしょう……私は小さく首を振ると、クライス様に連れて来られた教室をぐるりと見渡す。ほとんど何もなく、カーテンが閉められている薄暗い場所だ。
「……あの、ここは?」
「ん? 三階の空き教室だけど」
確かそこって、ゲームでは妙な生き物が出る場所だったはず……。
いやまあ、ゲームではそうだったかもしれないが、実際にそんな場所を先生がたが放置しているわけがない。
大丈夫、大丈夫。なにも起こらな……。
その時、私の足元にぬるりとしたものが這う。
「ひぃ! なんですの!?」
叫ぶと、私の脚に透明の細い紐状の何かが巻き付いてきた。
「しょっ、触手だーーーー!!!!」
そうだ、ゲームでは間違って空き教室に入ってしまった主人公が、触手に襲われて攻略キャラに助けられるという、ちょっとえっちなイベントだ!
ど、どうしょう!? このままだと、襲われてしまう!
パニックになる私に、クライス様が声を掛けてくる。
「大丈夫、アルメリア嬢? 触手って……それのこと? それなに?」
「こっちが聞きたいですわ!!」
いつの間にか触手は、身体中に這っていた。
「ひいぃ……!」
怯えていてはダメだ。私はぐっと顔を上げると、近くを這っている一本に思いっきり噛みついた。
『ぴぎゃあぁぁぁぁぁぁっ!!』
「…………ぅえ?」
『ひどいよぉ……いたいよぉ……いぢめないでぇ……』
「……あ、あなた喋れるのですか?」
『……ふぇ……キミ……ボクのコトバがわかるのぉ?』
「え、ええ……」
『わぁ〜おしゃべりできるヒトにはじめてあえたよぉ〜うれしいなぁ!』
身体に巻き付いてる触手がびょんびょんと跳ねる。喜びの表現なのだろうか?
「――ごめん。ちょっと付いて行けてないんだけど、アルメリア嬢はその触手? と話せるの?」
「え、ええ。……もしかしてクライス様には、言葉が分からないのですか?」
「なんか、キュイキュイ鳴いてるけど……君には言ってることが分かるんだ。へぇ……」
クライス様の目が、面白いものを見つけた時の輝きに満ちたものになる。
『そっちのヒトにはボクのコトバわからないんだねぇ〜』
「……そう、ですわね」
なぜ、私にだけ理解できるのだろうか? ゲームの中でも触手は喋っていなかったし……謎だ。
『ねぇおねえちゃん〜ボクとあそんでよ〜』
「え!? あ、遊ぶって何をする気なんです……?」
いやらしいことだったら、どうしようと身構える。
『タカイタカイとかオイカケゴッコとかタカラサガシとかぁ〜!』
ものすごく健全な遊びだった。
「ねぇ、この触手なんて言ってるの?」
「一緒に遊びたいそうですわ」
「へぇ、いいね。遊ぼうよ」
クライス様の言葉に触手が嬉しそうに跳ねて、彼にも絡み付く。
『やったぁ〜このヒトやさしいスキ〜!』
「優しい、好き……だそうですわ」
「ははっ、素直ないい子だね。気に入ったよ。そうだ、名前を付けてあげようか。アルメリア嬢、何か良い案はある?」
な、名前? 私は触手をじっと見つめる。
細くてヌメヌメしてて、何本もあってヌメヌメしてて、よく見ると薄っすら緑がかった透明でヌメヌメしてて……。
「……ヌメ太?」
「ぶはっ!!」
私のネーミングセンスに、クライス様が吹き出した。
『わ〜ボクにナマエをつけてくれたの? うれしいなぁ〜ヌメタ……ボクのナマエだぁ〜えへへ』
喜ぶ触手に、もっとまともな名前を付けてあげれば良かったと少し反省する。
「遊ぶのなら、場所を移そうか。ここじゃあ狭いでしょ」
「それもそうですわね。近くの森でしたらヌメ太が居ても違和感がありませんし、どうでしょう?」
「いいね。ところで、ヌメ太はこの場所を離れても大丈夫なの?」
『うん! ときどきおソトにあそびにいくよぉ〜。でもミンナこわがってにげちゃうんだぁ〜……』
しょんぼりと項垂れるヌメ太。そりゃあ、みんな逃げるよね……。
「大丈夫みたいですわ」
「そう。だったら、問題ないね」
そう言うとクライス様がカーテンと窓を空けて外を確認すると、私たちを手招きして呼び寄せる。
「ヌメ太、正面のあの木に飛び移れるかな?」
『うん。いけるよ〜!』
「いけるそうです」
「じゃあ、俺たちが行くまでそこで待ってて」
『わかったぁ〜!』
ヌメ太がひょいっと正面の大きな木へとジャンプするのを確認してから、窓とカーテンを閉めると、私たちは急いでヌメ太の元へと駆け付けるのであった。
「(――なんで、こんな流れになったんでしたっけ?)」




