三流悪役令嬢の流儀 3
朝、鏡の前に立ち全身をくまなくチェックする。白を基調としたワンピース型の制服には皺一つなく、紅玉の長い髪の毛先はふわりと波打っていて、左側の耳の上に三つ編みでお団子を作る。これがいつものヘアスタイルだ。牡丹色のいかにも気の強そうな目は長まつ毛に覆われていて、口角を上げて微笑むと口元のホクロが一層目立つ。
いつ見ても美人だしスタイルも良い。見た目は文句無し。
「よし、今日も完璧な悪役令嬢アルメリア・スピネルの完成ね!」
いや、待って。もう悪役令嬢必要じゃないんだわ……。お供の二人も主人公のセレステちゃんの所に行っちゃったし、謎の勝負を挑むこともないのに……。とはいえ、身なりを整えるのは大事なことだ。
「でも、もう少し表情が柔らかく見えるメイクをしてみてもいいのかも……そしたら、お友達できるかなぁ……?」
三流悪役令嬢なんて残念な存在だったせいで、私には友人と呼べるような人が一人もいない。
元お供の二人は、お供以外の何者でもなかったし、最近妙に絡んで来るクライス様……あれは、不憫な私を見て面白がっているだけの厄介な人間だ。
そもそも、クライス・アンバーは危険すぎる。絶対に仲良くしてはいけない存在だ。一刻も早くセレステちゃんの側に行って、彼女と仲良くしててほしい……そしたら私も何の弊害もない平穏無事な毎日が待っているはずなのだから。
支度を終えると部屋を出る。
王侯貴族の通う学園は全寮制で、身の回りのことは自分でこなさないといけない。
王族や貴族とはいえ生徒の自主性と自律性を重んじてのことらしい。
毎朝、寮の一階にあるカフェテリアで朝食を終えてから登校する。何とも気持ちのいい朝だ。こんな日は、きっと良いことがあるはずと大きく伸びをする。
「おはよう、アルメリア嬢」
そんなことを考えていると、清々しい朝に相応しい爽やかな笑顔でクライス様に声を掛けられてしまう。
「……おはよう……ございます」
「あはは、何か暗いね? 寝不足?」
そう言って、目の下を親指でゆっくりとなぞられる。
「……ち、近いですわ!」
「そう? ごめんね」
私の言葉に、クライス様が距離を取る。
怖っ……その距離感はセレステちゃんだけに向けて欲しい。
ほっと息を吐いてから、ちらりと彼を見る。
琥珀色の髪に天色の目の非常に整った容姿。爽やかな雰囲気と、人目を惹く華やかな存在感。背が高く、手足も長くてバランスの取れた体型。……私が悪役令嬢ではなく一般生徒の一人だったのなら、きっと一度はメロついていたであろう……さすがは攻略キャラの一人とでもいうべきか。
「うん? どうしたの、そんなに俺のこと見つめて」
「え!? いえ、別に……」
見すぎていたことに気付き、視線を逸らす。
「もしかして、俺のこと好きになっちゃった?」
「はあ!? そんなわけないでしょう!」
「そう、残念」
残念さの欠片もない表情で、クライス様が笑う。
「――っ、お先に失礼しますわね」
先に進もうと一歩踏み出した時。
――ボト。
頭上に何かが落ちてきた。
「……え? な、なに?」
頭に触れてみると、指先にべっとりと鳥のフンが付いていた。
こんなピンポイントで頭上に落ちてくることある? 朝から頑張ってセットしたんだけど?
私の様子を見ていたクライス様が、口元を押さえて震えているのが目に入る。
「……ふっ、ははっ、ごめん……」
余程ツボに入ったのか目尻に涙が溜まっている。人の不幸を笑うだなんて、なんて失礼な人なのだろうかと怒りが湧く。無視して先へ進もうとしたら、後ろから手首を掴まれた。
「待って、アルメリア嬢。怒ってる?」
「見てお分かりになりませんかしら?」
「うん、そうだよね。ごめんね? ちょっと、こっち来て」
「な、なんですの!?」
手を引かれて少し離れた中庭のベンチまで連れて行かれると、座って待っているようにと私に言い、ご自分は何処かへ行ってしまわれた。仕方なく指先に付いた汚れを落としつつ、その場で待っていると、濡らしたハンカチを持ったクライス様が戻って来る。
「お待たせ。髪の毛に触れてもいい?」
「……構いませんが……」
「うん。ありがとう」
クライス様が丁寧な手つきで髪の毛に付いた鳥のフンを拭ってくださる。いや私、攻略キャラに何をさせているの!?
「あの、自分で出来ますから! それに、ハンカチが汚れてしまいます!」
「うん、そうかもね。あ、くし持ってる? 貸してもらってもいい?」
「……人の話、聞いてます? ……まあ、持っておりますが……」
鞄の中からヘアブラシを取り出して彼に手渡すと、綺麗に拭われた髪を整えてくれる。
「アルメリア嬢の髪の毛、すごく綺麗だよね」
ストレートに褒められて、気恥ずかしくなってしまう。
「ま、まぁ、毎日ちゃんとケアをしておりますし? 当然ですわね」
「うん。ボリュームがあって、ふわふわで犬みたいで可愛い」
「褒めてます?」
「褒めてるよ〜。あ、それと鳥のフンに当たるのって幸運なことらしいよ。だから、もしかしたら何か良いことが起こるかもね」
「ほ、本当ですか!?」
「まあ、俺も聞いたことがあるだけなんだけどね。――はい、これでどうかな? 少しアレンジしてみたんだけど」
鏡を取り出して見てみると、いつものサイドお団子ではなく三つ編みカチューシャになっていた。
「どうかな?」
「とても可愛らしいですわ! これを、クライス様が……器用ですのねぇ」
思わず感心してしまう。
「気に入ってもらえて良かった」
「ありがとうございます。それと、ハンカチは洗ってお返し……は、さすがにどうかと思いますので新しいのを買ってお返しいたしますわね」
「いいよ、別に」
「良くありませんわ」
彼に借りなど作っておきたくない、ちゃんとした物を買って返さなければ。
クライス様が別にいいんだけどなぁ、と呟いたあと何かを思いついたように微笑む。
「じゃあ、新しいのを一緒に買いに行こうよ」
「……え?」
「新しいの用意してくれるんでしょ? だったら、いいよね?」
「……ま、まあ……」
「決まりだね。今週の土曜日なんてどう?」
「大丈夫ですが……」
気が付けば土曜日に一緒に買いに行くことになってしまっていた……。
そんなことをしているうちに、予鈴が鳴ったので急いで教室へと向かう。
何とか間に合ったことにほっと胸を撫で下ろすと、自分の席に着く。
「……良かったぁ。間に合って……」
小さく呟くと視線を感じたので隣へと振り返る。すると、クラスメイトが微笑んでいた。
「おはようございます、スピネルさん」
朝の挨拶をされて驚く……基本的に、私は皆から距離を置かれているのだ。
「お、おはよう……ございます」
「よろしければ、今日のお昼ご一緒いたしませんか?」
にこやかなクラスメイトの言葉に、先ほどクライス様に教えてもらったことを思い出す。
『鳥のフンに当たるのって幸運なことらしいよ。だから、もしかしたら何か良いことが起こるかもね』
あれは本当のことだったんだと、私は目を輝かすのだった。