三流悪役令嬢の流儀 11・5(クライス視点)
――何でもできる子供だった。
勉強も運動も喧嘩も負けたことなんてなくて。望めば大概のものは手に入るような環境だった。
そのうち要領というものを学んだ。
要領よく柔和な態度でいると、誰もがチヤホヤし始めて……気付けば、それが自分の形になっていた。
おもしろくない毎日。おもしろくない人生。
こんなふうに有限な時間を消費されていくのかと、うんざりしていた。
――そんな時に彼女……アルメリア・スピネルに出会ったんだ。
敵わない相手に挑んでは、負け惜しみに捨て台詞を吐いて去って行く。どれほど打ちのめされようと、果敢に挑んでは惨敗の繰り返し。それでも彼女は諦めず勝負を挑む。
それが何だか、おかしくて。最初は何て無様で滑稽なのだろうと思っていたけど、いつからか一つの娯楽として楽しんでいた。
今日は、どんな勝負を挑むのだろう? いつもの捨て台詞は言うのかな?
俺は最初の「やっておしまいなさい!」を聞けるのが楽しみで仕方なかった。
でも、ある日突然それは終わりを迎えた。
アルメリア嬢はセレステ嬢に勝負を挑むことを止め、側にいた二人は何故かセレステ嬢の側にいるようになってしまった。
あーあ、つまらない。せっかく楽しんでいたのに……。
だから、彼女に直接聞いてみた。
警戒しながらも、もう例の「やっておしまいなさい」をするつもりはないと告げられる。
残念に思っていたら、たまたまセレステ嬢と例の二人がタイミング良くやって来た。
アルメリア嬢は三人に見つかるのを酷く嫌がり、何とか隠れようと木に登ったのだがズレ落ちて結局は彼らに見つかってしまう。
けど、その時の言い訳がおもしろくて。こんなにも愉快で、俺のことを楽しませてくれる子は他にはいない。
それからは彼女に夢中だった。毎日どんな楽しいことが起こるのだろうと、声を掛けるようになった。
森にいた生物に寄生された時、彼女はどうするのかとワクワクしていた。
助けを求めるようにこちらを見て来たが、俺は彼女がどうするのかを見届けたい。どんな行動に出るのか、どう切り抜けるのか……。
彼女は俺の想像を超えていた。まさか、寄生された生物と生きて行くことを覚悟するなんて思いもしなかった。
おもしろくて、おもしろくて、次はどんなことをしてくれるのか楽しみで仕方なかった。
――でも。
街に買い物に行って、ワンピースのことをお供だった彼らに似合わないと口にされて顔を真っ赤にした彼女を見て、この子も普通の子なんだと気付いた。酷いことを言われれば傷付くし恥ずかしい。
俺はこの子のことを、娯楽としてしか見ていなかったことに漸く気付く。
それはそれとして、実際ワンピースはとても彼女に似合っていたと思うよ。これは紛れもない本心。だから腹が立ったし、彼らに牽制もしておいた。
クラスメイトたちに机に酷いことを書かれていた時も凄かった。一歩も怯むことなく、言いたいことをハッキリと口にするアルメリア嬢は強くて真っ直ぐで。
彼女はときどき自分のことを卑下するけど、揺らぐことなく自分の足で真っ直ぐに立っている姿は、誰よりも眩しく見えた。
ただ、やっぱりいじめようとしていたのは仲良くなったと言っていた相手らしい。
前にも似たようなことがあったから、もしかしたらと思っていたら案の定だ。
このタイミングで友達なんて違和感しかない。
まあそのお友達だった人に、今は追いかけまわされていて大変そうだけど。
追いかけられている彼女を見付けて、匿っていたら見たことのない生き物に遭遇した。
ぬるりとした紐状のそれは、未知の生物で……。最初は驚いたけど、随分と好意的な生物で愛嬌があった。
俺にはその生物がキュイキュイと鳴いているようにしか聞こえなかったけど、アルメリア嬢には言葉が分かるらしい。
何処まで面白い子なんだろう、この子は。
思わず感動してしまった。
ヌメ太と名付けた謎の生物と森で遊ぶことりなり、三人で戯れていると他の生き物達も集まって来て、不可思議な時間を過ごす。
――彼女と過ごす時間は本当に楽しかった。
ヌメ太は森で暮らすといい、二人での帰り道で思いがけない出来事に互いに笑い合った。そこで彼女に校外学習のペアにならないかと提案する。
――誰かと何かをするなら、この子とがいい。
こうしてペアの約束を取り付けた翌日、声を掛けられる。
「クライス。今度の校外学習だけど、僕とペアを組まない?」
幼馴染であり、この国の第一王子でもあるセドリック・アレキサンドライト。
「悪いけど、先約があるんだ」
セドリックが俺の返事に目を丸くする。
「もう決まってしまったのかい? 君がこんなに早く相手を決めるなんて珍しいね。相手を聞いてもいい?」
「アルメリア・スピネル嬢だよ」
「……アルメリア?」
考えるように顎に手を掛けて、青緑色の美しい髪を揺らすセドリック。
「――ああ、あの見た目は綺麗だけど残念な子。君は、随分とあの子に入れ込んでいるみたいだけれど、何処にそんな魅力があるんだい?」
「……君には、分からないかもね」
小さく笑うと、セドリックが目を細める。
「意外だなぁ。でも、楽しそうで良かったよ。僕もあの子の〝やっておしまいなさい〟が聞けなくなって少し気になってはいたんだ」
「……へぇ。それこそ意外だね」
「そう? 騒がしい犬でも、鳴き声が聴こえなくなると心配になるでしょう?」
彼の言葉に、ピクリと口角が震える。
「……騒がしい犬ってアルメリア嬢のこと? 言葉は選んでもらいたいなぁ⋯⋯ねぇ、王子様?」
僅かに背の低いセドリックを見下ろすと、彼は口に手を当てて首を傾けながら笑う。
「ふふっ、本当に珍しい。君がそんな表情をするなんて……。僕も興味が湧いて来たなぁ、君のお気に入りに」
「……ふぅん。奪ってみる?」
セドリックはじっと俺の目を見つめたあと、ゆっくりと瞼を下げる。
「さすがに、そこまでの相手ではないかな。君を敵に回したくないしね。残念だけど、ペアは別の人を当たってみるよ。じゃあね」
去って行くセドリックを見て、食えない男だと息を吐く。
――そうこうしている内に校外学習の日が訪れた。
アルメリア嬢に挨拶をして、すぐに教師に呼ばれたので少しだけその場を離れて戻って来ると、彼女が姿を消していた。
辺りを探すが何処にもおらず、他の生徒に聞いてみたところ、慌てた様子で近くの木の側に行ってからは見ていないと言われた。
慌てた様子? 何かを見たか、見つけたか……。
もしかしてヌメ太が居たのだろうか? あの子は森の奥にいるはずだけど、好奇心の多い子だから出て来てしまったのかもしれない。
とにかく、彼女を探すことにした。
森の中を走り回っていると、小さな声が耳に届く。
「……ぁ……あっ……ク……ライス……さ……」
急いで声のした方へと向かうと、底なし沼の中で藻掻いているアルメリア嬢がいた。
「アルメリア嬢!!」
手を掴むと、僅かに引き上げられる。
「……がはっ……ごほっ……」
「大丈夫!?」
「……クライ、ス……さま?」
「そう、しっかりして! すぐに助けるから」
沼から出そうと力を込めるが、足が囚われているのか持ち上げることが出来ない。
「……っ、くそ……」
誰かを呼びに行くべきか……けど、ここで手を離してしまったら彼女は沼に沈んでしまう。
掴んでいる手が痺れ始めて、眉を顰める。
「……っ、ぁっ……この、ままでは……クライス様も落ちて……手を、離して……くださっ……」
「……っ……」
「……あなた……を、巻き込むわけに、は……手を……離し……」
「……っ」
「……ありが……とう……ござ……っ……」
何を笑っている? この状況でありがとうって何だ? 苦々しい感情に自分の表情が歪むのか分かる。
「…………アルメリア」
君を失うくらいなら……。
俺はゆっくりと手を離すと沼の中に入り、彼女の細い腰に手を回して抱きかかえる。
「……げほっ……なにを考えてっ……!?」
アルメリア嬢が叫ぶと、ずずっと身体が沈む。
「あー……やっぱり無理そう」
「……っ、当たり前でしょう!?」
「まあでも、君のいない世界はつまらなさそうだし、君が死ぬなら俺も死ぬよ」
うん、それがいい。そうしよう。
「……は? ばっ、バカなんですの!?」
「あははっ、そうかもね」
「なにを笑って――!」
「……アルメリア嬢」
この子のために死ぬるとかじゃなくて、この子となら死んでもいいやって思った。
アルメリア嬢のいない世界なんて、俺にはいらない。そんなものに何の価値もない。だから、ここで彼女と死ねるなら甘心だ。
――でも、できることなら。
「……助けられなくて、ごめんね?」
もっと君と、同じ時間を過ごしたかった。
俺が笑うと、彼女が悔しそうに歯を食いしばる。まあ俺と死ぬなんて、この子は絶対に嫌だろうしね。
アルメリア嬢は大きく深呼吸をすると、正面から啖呵を切る。
「――バッカじゃありませんの!? このアルメリア・スピネルの名にかけて、貴方だけは絶対に死なせはいたしませんわ!!」
予想外の言葉に、思わず瞬きを忘れて彼女を見つめてしまった。
アルメリア嬢は近くで気絶していた妖精を叩き起こすと、助けを呼びに行くように脅す。彼女の圧に負けてふらふらと飛んで行く妖精を見ていると、焦った様子のアルメリア嬢が目に入る。
「――クライス様。あの妖精が戻ってくるまで、耐えられますか?」
どうしよう……この子、本当に面白い。この絶望的な状況でまだ足掻くの? 俺を絶対に死なせないって、本気で言ってる? まずい、勝手に口角が上がる。冷たい水の中にいるはずなのに、全身が熱い。
――ああ……俺は、この子のことが好きなんだ。
「はは……っ、君ってば、ほんと、最高♡」
「こんなときに、何を……」
――自覚して笑っていると、ヌメ太がやって来て俺たちを救出してくれる。
数日の間で随分と大きくなっていて、今は森の主をやっていると聞いて感心した。何より、ヌメ太の言葉まで分かるようになっていて驚く。
俺は制服のジャケットを脱いで、それをぎゅっと絞るとアルメリア嬢の肩に掛ける。
「濡れてて、ごめんね。それから、ありがとう」
「え?」
「助けてくれて。君の言葉、嬉しかったよ」
「言葉……」
本当に……嬉しくて、嬉しくて。気が触れそうだ。
「あ、あれは……私のせいで、死なせるわけにはいかないというだけで……その……」
恥ずかそうに目を逸らされると、アルメリア嬢が先ほどの妖精を見つけて素早く捕まえる。
その妖精から出た鱗粉を小瓶へ仕舞うと、満足気に高笑いした。
妖精は怯えて何処かへと去って行き、ヌメ太も帰ってしまうと辺りが静寂に包まれる。
「……いろいろありましたが、何とか課題は達成できましたわね」
アルメリア嬢に声を掛けられて、互いの姿の酷さに笑い合う。
「ひどい格好ですわね」
「アルメリア嬢こそ」
「……アルメリアで構いませんわ」
少しだけ近付いた距離に、笑みを浮かべる。
「俺もクライスでいいよ」
そう言うと、彼女が小さく笑ったあとに目を伏せる。
「貴方を呼び捨てにするのは、私には少々ハードルが高いですわね」
「ダメ?」
「ダメです」
「そう。残念」
近いようで、まだ遠い距離に静かに笑うと、アルメリアに手を差し出す。手を取った彼女を引き寄せると柔く抱きしめる。
物理的に近くなった距離に口角を上げると、本当はもっと強く掻き抱きたいけど、怯えさせるわけにはいかないからと我慢する。しなやかな温もりは、彼女が生きている証だ。
「……は!? な、なにを……」
「……もう一度言うね。ありがとう、アルメリア。君の言葉、すごく嬉しかった」
「……ぁ……」
彼女の吐息が聞こえる。
「と、当然ですわ。私のせいで、死なせるわけにはいきませんもの」
「……あはは、そっか」
笑うと、アルメリアが俺の背中を優しく叩いてくれる。
「……私も……助けに来てくれて、とても嬉しかったです」
「……うん」
名残惜しさを感じながらゆっくりと離れると、至近距離で目が合い、また互いに笑い合う。
「――それじゃあ、先生たちのところに戻ろうか」
「そうですわね」
彼女の手を引いて、課題の提出へと向かった。
◇
寮の自室から、ぼんやりと夜空を眺めながらアルメリアのことを考える。
誰かを好きになるということが、こんなにも愛おしく面倒で厄介なものだとは思わなかった。
なんて重く禍々しい感情なのだろうか。彼女を独占したい。俺に執着して耽溺してほしい。依存させたい。俺しか見えないようにしたい。彼女の目に、口に、声に、指に、心臓になりたい。溶けて一つになって、そのまま交わってしまいたい。
交わった世界で、アルメリアと二人で永遠の時間を過ごせればいいのに。
あの子が、愛しくて。愛しくて。欲しくて、欲しくて仕方がない。
自覚するまでは、ここまで面倒な感情は持っていなかったのになぁ。
好きと気付いた途端に、こんなにも感情が溢れてくるなんて思いもしなかった。
――彼女は今、なにをしているのだろう。声が聞きたいな、笑っていて欲しいな、抱きしめたいな……。
考えれば考えるほど、可愛くて愛しくて頭がおかしくなりそう。
「狂っちゃいそう……いや、狂ってるのかも」
もういいや、それで。
ああ、ほんとう厄介だ。こんなものが俺の中にあったなんて。自分の思い通りになんてならないのに、心の片隅が浮かれている。
「……愛してくれないかなぁ、俺のこと」
静かな呟きは、空気の中に溶けていった。
第一章の完結です。
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。
第二章からは週1〜2くらいの、のんびりペースで投稿して行く予定です。
続きも読んでいただけると、とても嬉しいです。
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